ホーム >> 政策・仕事 >> 国土計画 >> 国会等の移転ホームページ >> 今までの取組 >> 国会等の移転に関する基礎資料 >> 国会等移転調査会報告 >> 首都機能移転の意義

国会等の移転ホームページ

首都機能移転の意義

1.国政全般の改革

(1) 幅広い国政の改革

わが国社会のあらゆる場面に生起しつつある変革の潮流と新たな秩序の構築に向けた国際情勢の変化は、わが国社会に対していやおうのない転換を迫っており、現在、わが国は、先進国へのキャッチアップの達成や平和で豊かな国民生活の実現のために永い期間をかけて構築し、保持してきた諸制度や慣行、そしてこれらを支えてきた国政全般の仕組みについて新たな視点からの改革を迫られており、来たるべき21世紀を展望しつつ、その改革について果敢に取り組んでいかねばならない状況に立ち至っている。

この改革は、単に個別の制度やシステムの見直しにとどまらず、わが国経済社会のあり方にまでさかのぼっての検討を要するものであり、今までの日本の経済社会の発展を支えてきた政治と国民の関係、政治と行政の関係、行政と国民の関係、行政内部の関係、国際社会との関係の見直し等根本に踏み込んだ幅広いものとなる必要がある。

その視点を列記すれば、

  • 政治と国民の関係では、透明性と公正性の確保による政治に対する国民の信頼の強化、国民の積極的な政治への参加及び国民の意思が適切に反映される政治システムの確立
  • 政治と行政の関係では、政治のリーダーシップの発揮による行政の基本的方向の明示及び政治と行政との役割分担の明確化と透明性の確保
  • 行政と国民の関係では、「生産重視」の行政から「生活者重視」の行政への視点の変化及び国民・企業の自律・自助の原則に基づく保護政策の改廃と各種規制の緩和
  • 行政内部の関係では、国と地方の行政機能の分担、中央から地方への行政権限の委譲の推進、縦割り行政の弊害の是正及び幅広い視野に立った総合的な政策展開が可能な行政システムの確立
  • 国際社会との関係では、世界の平和、繁栄とわが国の国益の確保とを同時に見据えた政治的対話の活発化、国際社会と共存できる経済社会の構築等一層の市場開放の促進及び高度な文化・技術交流の促進等による国際社会との緊密な関係の強化

等である。

(2) 地方分権・規制緩和と首都機能移転

これら国政全般の改革の必要性が叫ばれている中で、現在、緊要の課題となっており、かつわれわれの目指す首都機能移転と緊密な関連を有するものが、地方分権の促進と規制緩和の推進である。

地方分権は、国民の意識、価値観が大きく変わり、経済力に見合った生活の質の向上や個性的で多様なライフスタイルの実現が強く求められている今日において、全国的な統一性や公平性を重視する集権型行財政システムから脱却し、地域がそれぞれの個性や主体性を発揮しつつ、その潜在力を十分に活用できるような分権型行財政システムを新たに構築しようとするものであり、そのために、国と地方の機能分担等を見直していこうとするものである。

また、規制緩和は、ともすれば生産重視、国内産業保護的に作用してきた各種の規制を見直すことにより、開放的な市場経済の構築と社会の活性化、自己責任を基本とした市場重視の経済運営への転換など、国民が自己の選択と責任の下で多様なライフスタイルを享受できる社会、企業の自発的な創意工夫を最大限に発揮し得る経済構造を実現し、国際的にも協調を旨とする経済運営を一層重視していこうとするものである。

地方分権については、永年にわたり地方制度調査会等を中心にその推進が議論されてきているが、地方分権のより一層の推進を望む国民の声を踏まえ、平成5年6月4日衆・参両院で「地方分権の推進に関する決議」がなされ、平成7年5月19日「地方分権推進法」の成立をみたところである。また、規制緩和については、二次にわたる臨時行政調査会、三次にわたる臨時行政改革推進審議会等を中心にその推進が議論されてきており、平成7年3月に、「規制緩和推進計画」が閣議決定されるなど、その着実な推進が図られているところである。

この二つの課題は、先に述べた国政全般の改革を推進する上での、常にそうした観点から検討を加えるべき共通項ともいうべきものであるが、首都機能移転は、政治、行政及び司法の中枢機能を東京都心部から東京圏(概ね60km圏)外の新首都に移転し、物理的な政・経分離を図ることにより、国政全般の改革を補完し、加速し、定着させようとするものでありそのために極めて効果の大きい影響力をもつ物理的・具体的な手段ともいうべきものである。

また、首都機能移転は、政治と国民の関係、政治と行政の関係、行政と国民の関係、行政内部の関係、国際社会との関係等国政全般を根源にさかのぼって新たな視点から見直すための極めて重要な機会であり、契機である。

そのような意味で、首都機能移転は、地方分権や規制緩和と並び、21世紀へ向けたわが国社会の改革のための車の両輪ともいうべき重要施策である。

2.首都機能移転の歴史的役割

(1) 首都機能移転と政治・行政

わが国は、古来、先進諸国から優れた制度や文化を積極的に吸収しながら、大きな時代の転換期において、政治・行政の中心地を移転し、新しい時代に応じた政治・行政システムを造り上げてきた。

諸外国においても、首都機能移転は、多くの場合遷都という形式をとりながら、新しい政治・行政権力の威容を内外に誇示するという役割の他に、植民地時代の都から移転することにより国民の独立意識の涵養(かんよう)を図ったり、都を移すことにより国内の地域的対立の解消を図り、もって民心の集約を企てるといった役割を果たしてきた。

政治・行政の面についてみると、一般的には、首都機能移転によって当初は中央権力への求心力の強化が図られるが、社会の発展・成熟期を経て中央権力が弱体化すると同時に、地方への統制力が弱まり地方の新勢力が台頭し、このような転換期において、それを統合する形で旧勢力(旧体制)の中心地と離れた所に首都機能が移され、新勢力(新体制)による新しい政治・行政システムが構築されるというパターンがみられる。

わが国における歴史上の経験をたどってみても、例えば、平安京への遷都によって、当初は律令制の改革による中央集権体制の再建が図られたが、開墾の進展や荘園の拡大による土地や人民の私的支配が進み、やがて、開発領主が武士団として成長し、武士階級が政治の実権を握り、最終的には公家勢力の中心である京から離れた鎌倉に幕府が開かれ、主従関係を基本とする新しい政治・行政システムが確立された。戦国から江戸開府に至る過程においてもさらに鮮明に同様のパターンがみられる。

(2) 首都機能移転と国民性、文化

社会が発展・成熟するにつれ、既存の社会システムの矛盾が顕在化し、人心の荒廃を招き、それが一層の政治的混乱をあおり、やがて一つの新しい権力による収束の過程で首都機能移転が行われ、同時に旧体制の価値観の影響力が急速に減退することによって新しい価値観の定着が図られてきた。

江戸時代末期のわが国においては、農村への貨幣経済の浸透、武士の窮乏等を背景として、鎖国と儒教的な価値観で支えられてきた幕藩体制が動揺をきたし、ペリーの浦賀来航を契機とする外国列強の開国圧力と尊皇攘夷運動の中で幕府の権威は失墜し、大政奉還によって首都機能は一時的に京都の新政府に移った。その後、新政府は江戸を東京と改め、古い伝統のまつわる京都から東京に遷都した。東京は文明開化の中心として、わが国の近代化をリードしてきたが、そうした中で、今までの儒教的な考え方や古い習慣が時代遅れとされていった。

新しい文化の生成の面においても、首都機能移転は大きな役割を果たしている。新しい体制の支配者とそれに連なる人々が旧体制の文化の中心地から分離されることによって、新体制独自の文化が形成され、あるいは異文化との接触によって新しい文化が形成されてきた。

わが国においては、鎌倉幕府の成立で京のみやびやかな公家文化から分離されることによって、質実剛健を旨とする武家文化が栄えた。そして、再び室町幕府の成立を契機に京へ政治の中心が移ることによって、公家文化と武家文化が融合した北山文化や東山文化が生み出された。

(3) 首都機能移転と国土構造

一般に、中央集権的な国家体制においては、首都を中心とする一極集中的な国土構造が形成される傾向にあるが、中央集権体制が崩れて分権化が進んだり、連邦制国家や江戸時代の幕藩体制のようにもともと分権的体制にある国家においては、分散型国土構造がみられる。

首都機能移転が行われた場合は、新たな中央統治機構が旧都から離れた所に確立される一方、旧都も依然として一定の機能を保持し、また、伝統的な文化の中心地であり続けるため、新都と旧都との二極構造又は他の経済的中心都市との三極構造になる傾向がみられる。

わが国においても、平安時代は平安京を中心とする一極構造であったが、鎌倉時代においては、武家政権の鎌倉と天皇、公家勢力が中心の京との二極構造であった。また、江戸時代においては、徳川幕府の江戸、伝統的権威の中心の京と経済の中心の大坂とが併存する三都構造で推移し、明治以後再び東京一極集中へと向かっている。

外国においては、地域的な均衡の確保や、中央政府への権力集中を防ぎ連邦制を確立する観点から、わざわざ首都を小さな都市に置いたり、未開の地に首都移転を行った例も見受けられる。このような場合、一般的に国土は、ある程度の規模と活力をもった大都市が併存し、それらが切磋琢磨し合う多極構造になっている場合が多い。

(4) 首都機能移転の役割

このように、内外における首都機能移転の歴史的役割を概観すると、首都機能移転は、新たな政治・行政システムへの転換、国民意識の変革、新しい文化の生成、国土構造の改編など様々な面に極めて重要な役割を果たしており、大きな改革を図りそれを定着させることによって新しい時代を創生しようとする時に、極めて有効な手段として活用され、その効果も大きかったといえよう。

3.首都としての東京の限界

(1) 過密に伴う首都としての東京の限界

三権の機能のうち中枢的なものにより構成される首都機能は、国民ニーズや世界情勢の変化に対処して国の針路を誤りなく決定し、それを具体化する諸制度を立案し、的確に運用していくことにより、国民の総合的な力を十分に発揮させ、国の安全の確保と繁栄、国民の幸福の追求を図ることをその一義的目的としている。このため、首都機能には、幅広く偏りのない情報を収集し、広い視野から多くの人々の議論を汲み上げ、決定された事柄を効率的かつ公正に執行することが求められる。

明治政府が、維新政府の立地場所を選定するに当たり、当時既に世界有数の大都市として相当の集積を有していた東京をその候補地とし、武家屋敷の跡地等江戸の都市としての遺産を活用し得る東京に首都機能を立地したことは、こうした観点に照らし極めて賢明な選択であったといえよう。しかも、東京への立地は、東日本の開発や広大な関東平野の活用など国土政策的な意義をもち、その温暖な気候、交通の便等東京のもつ地理的、風土的優位性を最大限に引き出し、東京自身の成長と、明治以降のわが国の近代化に大きな成果をもたらした。

もともと東京を取り巻く関東平野はわが国で最大の、しかも多様な用途に供し得る開発可能性に富んだ地域であり、諸機能の集積を誘引しやすい基盤を有していた。東京を首都としたことは、そうした場所に絶大な吸引力を有する巨大機能を配したことに等しく、現下の東京一極集中をもたらす最大の誘因となった。今日東京は3,000万人を超える世界最大の都市圏を擁する都市に膨張し、過密、巨大都市化に伴う諸問題の試練にさらされているばかりか、首都機能自体もその影響から免れ得ない事態を招いている。

東京の過密と巨大都市化は、住宅、通勤、交通渋滞、廃棄物、環境、犯罪等の問題で都民や国民生活に大きな困難を与えているが、なかでも首都機能は、それら過密・巨大都市化に起因する情報の偏り、人々との交流の不足、非効率性の増大等好ましくない影響を被っている。

情報の偏りについては、首都機能に携わる政治家や公務員が東京で生活する人々であることから、東京の情報発信のウエイトが圧倒的に大きいことともあいまって、ともすれば東京情報に耳目を奪われ、世界や地方についての感度が鈍くなりがちであると指摘されている。

議員会館の限られたスペースは、政策スタッフの本格的な活用を困難にし、国会議員の政策立案活動の制約となり、政治のリーダーシップの発揮を阻害する一因となっているとの批判もある。

また、長距離通勤等劣悪な生活環境は、公務員が仕事の場を離れて幅広い人々と交流することを妨げ、視野の狭い「職場人間」を生み出し、縦割り行政からもたらされる弊害ともあいまって、総合的視野に欠ける行政が生み出される要因であるとも指摘されている。

書類の山に埋もれた狭いスペースのオフィス環境も、情報化への対応の遅れなど行政の円滑な遂行に影響を与えているほか、必ずしも健康的とはいえない環境の中で長時間労働をいとわず滅私奉公的に職務に邁進(まいしん)することが必ずしも美徳と評価されなくなってきたことともあいまって、長期的には人材の確保に支障を生じる要因になるのではないかといわれている。

このように、多くの面で、首都機能が東京にあることが、その円滑な運営や時代に応じた首都機能の改善可能性に支障を与えており、その限界が痛感されるようになっている。

(2) 地震災害に対する弱さ

首都機能は、国の重要事項に係る意思決定から一般行政サービスに至るまで極めて広い分野にわたり、国内はもとより海外諸国とも密接なかかわりを有し、一時たりとも休止することは許されない。

平成7年1月17日、マグニチュード7.2の地震が兵庫県南部地域直下で発生し、神戸市等阪神地域及び淡路島の北部の一部では震度7に及んだ。その被害は、死者5,500人以上、負傷者40,000人以上、住家被害390,000棟以上にものぼり、水道・電気・ガス・通信等のライフラインや鉄道・道路・港湾等の交通関係施設もその機能が大きく損なわれた。効率的で便利な現代の都市生活の基盤が損なわれた場合に、われわれの生活に及ぶ影響の深刻さがあらわとなった。

阪神・淡路大震災の経験は、改めてわが国にとって大規模災害に対する脆弱性の克服が急務であることを再認識させる重要な契機となった。

東京圏は、歴史的にも繰り返し大地震に襲われている。都市に大きな被害を与える震度6(烈震)相当の揺れを生じる地震は、数十年に一度程度の割合で発生している。マグニチュード8クラスの海溝型巨大地震は、1703年の元禄地震、1923年の関東大地震というように周期が比較的長いため、このクラスの地震に見舞われる可能性は当分小さいものの、震源が東京圏直下のプレート境界面近くにあるマグニチュード7程度の地震は、今後100年から200年の間に数回発生すると予想されている。また、この直下の地震の予知は、現状では前兆現象の把握が困難なため、非常に難しい。

日本列島は全体が環太平洋地震帯に含まれており、地震は過去全国で発生している。千島列島沖から房総沖にかけての海底を震源とするものの密度が高いが、内陸部に震源を持つ地震が最も頻繁に発生しているのは関東平野南部であり、東京は日本列島の中でも特別に地震が起こりやすい地域にある。

世界の主要先進国の首都の中で大地震の巣の上に位置しているのは、過去に地震の記録が残っているローマを除けば、東京だけだと言っても過言ではない。

仮に巨大地震が東京圏に発生した場合、交通機関、ライフラインの被害等により諸活動が大きな混乱に陥ることが予想されるばかりか、市街地の延焼等により相当の死傷者が発生するおそれがある。

首都機能は、災害発生時には災害応急対策の総合調整をはじめとする危機管理の司令塔としての重要な任務を有しているほか、災害の状況を国民に正確に伝え、迅速かつ適切な対策を講じていく責務を有しているが、首都機能自身が被災すると、応急対策の指揮・統括が十分に機能しなくなるおそれがあるばかりか、被害の状況に関する客観的かつ正確な情報や政府の対応方針などが的確に伝わらず、関東大震災等過去にパニックを引き起こした例もある。また、今日の日本の巨大な経済力を背景とした世界に対する影響力を考えれば、長期間内外の社会経済に大きな混乱をきたすおそれもある。

このほか、中央官庁が適切にその機能を発揮するためには、災害時でも職員が勤務する必要があるが、仮に職員の帰宅後に地震が発生した場合、交通機関の停止や都心部を取り巻くように広がっている老朽木造家屋の密集市街地の延焼などにより、職員の参集に支障を生じるおそれがある。

また、地震発生から数日を経過した後でも、鉄道等多くの交通機関が被害を受けていることが予想され、十分な機能が発揮できる状態に回復するには、東京が大都市であるが故に相当の日数の経過が必要であると予想される。

(3) 国際政治都市としての限界

国際政治交流が活発化するにつれ、外国の要人が来日する機会もますます増加するものと予想される。しかしながら、首都東京への海外からの玄関口である新東京国際空港(成田空港)は、近年その改善傾向はみられるものの都心からの距離が約60km、所要時間約1時間と世界の主要都市の中でもアクセスに依然として時間がかかる状況にある。

また、東京は巨大都市としての様々な都市活動が営まれる場であり、国賓級の要人の来日する回数が増えれば警備に伴う交通規制が頻繁に行われることになり、それらの活動に与える影響が大きくなる。これらのことから、東京での国際政治活動のさらなる展開には制約がある。

さらに、日常的な外交活動に限ってみても、東京は世界の主要都市に比較して、地価やオフィス賃料が著しく高いため、在日外国公館等の新設や維持、国際機関等の誘致に困難をきたす場合が生じている。二国間外交の基本的な施設である大使館すら設置・維持できない国が生じるような都市は、首都として基本的に限界があると言えよう。

また、家賃や物価水準など生活費の面でも費用がかさむため、国際協力業務や文化活動などに従事する外国人の定住や活動に支障をきたしていると指摘されている。

外交活動に携わる公務員が、幅広く外国人と交流を深めるためには、外国人を自宅へ招き家族ぐるみの交友関係を持つなど、プライベートな交流も重要な要素であるといわれているが、東京圏では、住宅が狭かったり職場との距離が遠いなど、十分な活動を期待できる環境にあるとはいいがたく、東京でそれを展開しようとするにはあまりにも制約が多い。公務員に限らず、経済人や一般市民も、東京では住宅事情に恵まれない世帯が多く、市民レベルでの国際交流をより深化しようとする場合には同様の事情に突き当たる。

4.政経分離と首都機能移転の必要性

(1) 政・官・民の関係の見直しと政経分離

政治や行政の経済へのかかわり方は、その国の発展段階によって千差万別である。経済が未発達で、育成すべき産業や競争から保護すべき企業が多い時には、政府の関与や規制が必要とされ、逆に経済が発達し、高度化するにつれて規制が緩和され、自由化されていくのが一般的である。発展途上にある段階では、幼稚産業の保護育成や、外国との過酷な競争を回避する手段として有効に働いた諸規制が、十分に成長した段階では、逆に企業や国民の自由な経済活動を阻害する手かせ、足かせとして作用し、企業等の活力を減退させ、やがてそれが国全体の経済的沈滞を招く原因となるからである。

戦後のわが国の発展と繁栄は、平和主義に徹する一方で「欧米先進諸国へ追いつき追い越せ」をモットーとし、政官民一体となって経済発展に専念したことによってもたらされたといっても過言ではない。各種の新規参入を制限する規制や市場保護を目的とする制度は、経済的発展を下支えするための役割を主要な任務とし、一体となっての経済的発展を追求する姿は「日本株式会社」と外国から揶揄(やゆ)されるほど、三者の間には緊密な関係が築き上げられてきた。

この日本社会に顕著な体制は、単に経済的発展のみならず、地域振興や国民生活の安定・向上などの施策の展開に現在でも大きな力を発揮しているが、一方で企業や国民の政治・行政への過度の依存心を生み出し、その自立性を損なわせているばかりか、やがては、わが国経済自体の衰退をもたらす原因になっていくのではないかと危惧されている。

このほか、三者の関係が緊密になればなるほど、より確かな情報やより強い結びつきを求めて政治・行政の中心地東京へ集中しようとする企業行動が誘発され、東京一極集中が加速されるほか、情報を一部の人のみが享受し、それによって利益を得ることになるなど公平性や透明性に欠けた政治・行政に陥りやすいといった社会的な弊害をも惹起することとなる。

21世紀に向けて新しい時代にふさわしい新しい経済・社会を築くためには、こうした政・官・民の緊密な関係から生じる弊害を除去することが必要となっている。

そのためには、三者の間に新しい関係を築くための新たなルールを確立することが重要であるが、それをより確実に推進し、加速し、定着させていくためには、物理的に、政治・行政の中心地と経済の中心地を互いに分離することによって新たな関係を構築することが必要である。

それによって、政・官・民の関係はより国民の求める透明性に勝れた公正なものに変革していくものと考えられる。

(2) 政経分離と首都機能移転

政治と経済を地理的に分離しようとする考え方は、東京への過密の弊害が顕著になり始めた昭和30年代に既に国土政策的観点から議論されていた。

当初の議論は、一部の学者や政治家の論を除き、経済機能に東京からの分散を促すものであり、政治・行政機能が自ら移転しようとするものではなかった。首都圏整備法及び関連法律の制定に伴う工場等制限地域の指定と新増設の原則禁止等の政策は、その表れといえよう。

しかし、自らの活動場所の選択を含め自由な経済活動が保障されている経済体制の下では、これらの政策にも自ずから限界があり、政府自らが真の意味での政経分離を図ろうとする場合に、経済機能のみに東京からの移転を求めるのは無理があり、政治・行政機能が自ら率先してその地を離れ、新天地を見出すこと、即ち首都機能移転が最も有効かつ適切な手段となる。

(3) 見えざる遷都論について

「地方分権や規制緩和を推進すれば、小さな政府が実現され、わざわざ多額の費用をかけ、経済効率の低下のおそれなど様々な危険を冒してまで、首都機能移転を行う必要はない。地方分権・規制緩和こそ優先して実行すべきである。」という論、即ち、いわゆる「見えざる遷都論」がある。これに対して、「地方分権・規制緩和は重要ではあるが、実効性となると過去の例からみて疑問であり、百年河清を待つようなものである。首都機能移転こそ、あらゆる改革の契機をもたらすものであり、優先して実行すべきである。」との反論がある。

首都機能移転は、新首都建設により首都としての東京の限界を乗り越え、集権的な政治・行政システムや政・官・民の過度の協調関係を見直し、新しい政治・行政システムや三者の新しい関係を確立するため物理的に政・経分離を図ろうとするものであって、21世紀へ向けてのわが国社会の改革を補完し、加速し、定着させるために大きな役割を果たすものである。

地方分権・規制緩和と首都機能移転は、地域の自立の促進、自律・自助を基本とする「生活者重視」の新しい社会の構築という点において方向を同じくするものであり、また、両者に併せ取り組むことはそれを実現するための現実的かつ有力な手段となり、当調査会としては、21世紀の新しい社会へ飛躍するためには、どちらも欠くことのできない重要な政策課題ととらえている。したがって、どちらが優先されるという性格のものではなく、ともに強力なリーダーシップのもとに着実に推進されるべきものと考える。

5.新しい日本は新しい革袋に

首都東京は、戦前には、文明開化、富国強兵、殖産興業の中心地として、戦後には、工業立国、技術立国の中心地として、わが国の近代化や経済発展をリードする役割を果たしてきた。その過程で東京圏自身が首都機能とともに多くの大企業の本社、多数の高等教育機関、大規模な工業地帯、世界有数の金融市場等を内包することとなり、巨大都市化が著しく進行した。その結果、政治・行政の中枢機能自体が、過密都市の弊害を弊害として感じにくくなったり、経済優先、学歴偏重等偏った価値観を当然のことと受け止める風潮の中に埋もれている状況にあるやに見える。

21世紀に向けて、わが国の政治・行政はそのシステムを自ら内発的に大きく組み換えることが求められている。それを円滑に行うためには、われわれ自身に内在する既存の枠組みを固守しようとする態度や現状への安住意識を勇気をもって断ち切ることが必要である。それが、わが国社会が新しい時代の流れにスムーズに適合していけるかどうかの岐れ目ともいえよう。

社会の変革に触発されて湧き起こりつつある改革へ向けた政治・行政の潮流を押しとどめることなく継続的に推進していくには、その原動力となる新たな仕掛けが必要である。平清盛は、旧来の観念や秩序が支配する平安京に本拠を置き、従来の国家組織を温存しながら支配を確立しようとしたがために、自らが旧来の秩序に同化されてしまい、貴族政治から武家政治への転換を遂げることなく果てることとなったが、源頼朝は、平安京とは遠く離れた鎌倉を本拠としたため、政治・行政に限らず、文化や生活習慣を含めた社会全体に及ぶ改革を成し遂げることに成功した。

現在の首都東京は、政・官・民の中枢が互いに近接して立地し、日本社会の総合的なヘッドクォーターとして、優れた効率性を有している反面、そのことがそこにとびかう情報にバイアスを生じさせたり、政治・行政に携わる者が多数の国民のニーズや東京以外の地域の特性や個性を見落としがちになりやすいという弊害がある。それを除去するため、首都機能を経済の中枢東京から引き離し、それの影響力が少なく、多くの国民や地域の求めるところに関する情報を公平に吸い上げ、自らも自由で公正な判断が可能となる新しい器へ移し換えることが必要である。

新首都づくりは、政治・行政を再構築していくプロセスと連携し、一新されていく過程が目に見える形で具現化されることによって、内発的な改革の原動力となっていく。

新しい時代への変革を求める内外の要請はもはやとどめようもない大きな流れであり、うねりとなってそれへの的確な対応を求めている。政治・行政機能がこうした時代のニーズを適切に把握し、新しい日本を築いていくためには、新首都という新しい革袋が必要である。

前へ

ページの先頭へ