川に関わる文化財リスト |
番号 |
都道府県 | 指定 (登録) 区分 |
種別 | 名称 | 所在地 | 概要 |
1 | 北海道 | 国 | 登録有形文化財 | 旧西岡水源地取水塔 | 札幌市 | 旧陸軍第7師団歩兵第25連隊用として月寒川上流部に建設された水道施設。明治42(1909)年建設。 |
2 | 国 | 史跡 | モシリヤ砦跡 | 釧路市 | 旧釧路川に面して半島状に伸びる標高18mの丘陵を利用して造られた砦。モシリヤは、アイヌ語で川中の島の対岸の丘の意味。築造者は、トミカラアイノ(宝暦年間:1751〜1764年 )によるといわれている。 | |
3 | 国 | 史跡 | 桂ヶ岡砦跡 | 網走市 | 網走市街地の東方の丘陵先端にあってオホーツク海と網走川を見下ろせる所にある砦跡。アイヌが飢饉で困ったときにサマイクル(文化神)が祈りを捧げてアイヌを救う話や他の部落とのチャランケ(談判)の場所として利用された話しが伝わる。 | |
4 | 国 | 史跡 | 上之国花沢館跡 | 上ノ国町 | 15世紀に和人の拠点として設けられ、道南十二館の一つとされている。館は天の川に面した大地上に営まれ、天の川の漁業資源などの確保及び天の川の渡しと木古内越えをおさえる重要な拠点として、極めて大事な役割を果たしていたと考えられる。 | |
5 | 国 | 史跡 | 標津遺跡群 ・古道遺跡 ・伊茶仁カリカウス遺跡 ・三本木遺跡 |
標津町 | 縄文文化、続縄文文化、オホーツク文化、トビニタイ文化、擦文文化、アイヌ文化の遺跡群で、標津川、伊茶仁川、ポー川と台地が接する地点や湧水の近くに分布している。 | |
6 | 国 | 史跡 | ウサクマイ遺跡群 | 千歳市 | ナイベツ川両岸に残る24ヶ所の遺跡と、千歳川右岸のウサクマイC遺跡を中心にした地域の遺跡。約7000年前の縄文時代早期から、続縄文、擦文、近世にいたる遺跡がある。 | |
7 | 国 | 史跡 | シベチャリ川流域チャシ跡及びアッペツチャシ跡 | 静内町、門別町 | シベチャリ川流域及びその周辺には、シャクシャインの蜂起に関わるものと考えられるチャシ跡が多数残されている。これらは、北海道における中・近世の歴史、アイヌ社会を知る上で重要。 | |
8 | 道 | 史跡 | オムサロ台地竪穴群 | 紋別市 | オムサロ台地竪穴群は紋別市の中心から海岸沿いに北西7km、オムシャリ沼と渚滑川の間の標高10〜15mの海岸段丘上にある。縄文早期からアイヌ文化期までとぎれることなく各時代の住居跡や墓が残されている。 | |
9 | 道 | 史跡 | 厚岸神岩砦跡及び竪穴群 | 厚岸町 | 厚岸湖の北岸、別寒辺牛川左岸の丘陵上にあり、指定範囲は約160haである。遺跡は厚岸湖岸に南面しており、チャシ跡、竪穴群、貝塚で構成されている。湖と川を対象に3ヶ所のチャシとそれに附随する100ヶづつの縦穴群が見られる。 | |
10 | 道 | 史跡 | 十勝太遺跡群 | 浦幌町 | 浦幌十勝川の河口近くの北岸河岸段丘上に所在する集落跡、墳墓、チャシ跡からなり、縄文時代から近世に及ぶ遺跡群である。指定されているのは十勝太大西遺跡、十勝太安栗遺跡、十勝太河岸段丘遺跡、十勝川口チャシ跡の4つの遺跡。 | |
11 | 道 | 名勝 | 羽衣の滝 | 東川町 | 大雪山国立公園の天人峡にあり、忠別川の支流であるアイシポップ沢と双見滝沢が合流し、高さ270mの絶壁を7段に屈折しながら落下している。 | |
12 | 青森県 | 国 | 特別名勝及び天然記念物 | 十和田湖および奥入瀬渓流 | 十和田湖町 | 十和田湖は青森・秋田両県の県境部に位置する二重式カルデラ湖。この湖から流れ出るのが奥入瀬渓流。 |
13 | 県 | 有形文化財 | 旧海軍大湊要港部水源地堰堤 | むつ市 | 明治42(1909)年 10月に竣工したこの堰堤は、旧海軍大湊要港部水道施設の中心をなすものであり、昭和21(1946)年からは大湊町に引き継がれ、昭和51(1976)年まで使用されていたものである。 釜臥山を源流とする宇田川をせきとめるもので、堤高7.9m、堤長26.5mという小規模なものながら、日本で初めて試みられた厚アーチ式石造堰堤である。 躯体に設けられた4口の溢水口は美しい櫛型アーチで構成され、そこから水の流れ落ちる光景は格別のものがある。 |
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14 | 岩手県 | 国 | 名勝 | 猊鼻渓 | 東山町 | 石灰岩が北上川の支流、砂鉄川の侵蝕を受けてできた渓谷。 |
15 | 国 | 名勝 | 巌美溪 | 一関市 | 北上川の支流、磐井川が岩を削って作り出した高さ20m程の渓谷。 | |
16 | 宮城県 | 国 | 重要文化財 | 石井閘門 | 石巻市 | 野蒜築港事業に関連して、明治13(1880)年に北上運河と旧北上川との分岐点に設けられた閘門。 |
17 | 国 | 登録有形文化財 | 青下第一ダム | 仙台市 | 昭和9(1934)年 仙台市水道第一次拡張時の取水ダムで、広瀬川支流の青下川に設けられた三つのダムの1つ。 | |
18 | 国 | 登録有形文化財 | 青下第一ダム取水搭 | 仙台市 | 昭和8(1933)年 第一ダム上流川左岸寄りに設置された独立塔状の鉄筋コンクリート造取水搭。 | |
19 | 国 | 登録有形文化財 | 青下隧道入口 | 仙台市 | 昭和8(1933)年 青下第一ダム下流側左岸に設けられた量水池より中原浄水場へ向かう導水隧道の入口。 | |
20 | 国 | 登録有形文化財 | 青下第二ダム | 仙台市 | 昭和9(1934)年 仙台市水道第一次拡張時の取水ダムで、広瀬川支流の青下川に設けられた三つのダムの1つ。 | |
21 | 国 | 登録有形文化財 | 青下第三ダム | 仙台市 | 昭和9(1934)年 仙台市水道第一次拡張時の取水ダムで、広瀬川支流の青下川に設けられた三つのダムの1つ。 | |
22 | 国 | 登録有形文化財 | 青下量水堰 | 仙台市 | 昭和8(1933)年 青下第三ダムの上流に位置する玉石コンクリート造の小ダム。常時の流水量を計量する。 | |
23 | 国 | 登録有形文化財 | 中原系苦地取水口 | 仙台市 | 大正9(1920)年 広瀬川の支流大倉川左岸に設けられた仙台市創設水道の取水口で、中原浄水場へ導水する。取水口は煉瓦造で造られ、煉瓦アーチと煉瓦柱型によりポータルが構成され、両翼を玉石コンクリート造とする。 | |
24 | 国 | 登録有形文化財 | 荒巻配水池入口 | 仙台市 | 大正9(1920)年 仙台市水道創設時における配水地の中央監視廊出入口。コンクリートブロックで造られる。 | |
25 | 国 | 名勝 | 秋保大滝 | 仙台市 | 名取川が断崖に逢着し滝となったもので高さ約55m、幅約6m。水量が多く大瀑布となって落下する様は壮観である。 | |
26 | 県 | 名勝 | 鳴子峡 | 鳴子町 | 大谷川の渓流がつくった長さ4qにわたるV字形の渓谷で、奇岩怪石がそびえ立ち、県内有数の紅葉探勝地となっている。 | |
27 | 秋田県 | 国 | 重要文化財 | 藤倉水源地水道施設 | 秋田市 | 明治44(1911)年に造られた水道施設。 |
28 | 国 | 特別名勝及び天然記念物 | 十和田湖および入瀬渓流 | 小坂町 | 十和田湖は青森・秋田両県の県境部に位置する二重式カルデラ湖。この湖から流れ出るのが奥入瀬渓流。 | |
29 | 国 | 名勝 | 檜木内川堤(サクラ) | 角館町 | 檜木内川沿いに広がる桜堤。 | |
30 | 県 | 名勝及び天然記念物 | 法体の滝及び甌穴 | 鳥海町 | 子吉川上流にある。紅葉の名所。 | |
31 | 県 | 名勝及び天然記念物 | 小又峡 | 森吉町 | 森吉山の東麓、ノロ川原生林に源を発し大小100を超える瀑布と甌穴、深淵からなる原生郷。 | |
32 | 山形県 | 国 | 名勝 | 大沼の浮島 | 朝日町 | 最上川に注ぐ大谷川の支流上流部にある大沼には、湿原植物が泥炭化し浮島となっている。 |
33 | 県 | 史跡 | 飯豊山の穴堰 | 飯豊町 | 飯豊山の七合目に西の大又沢(御沢)と東の白川渓谷をつなぐ隧道水路であり、本坑の長さ154m、他に取入口の傍らに2号、3号の坑が叉状に派出している。坑内の高さ1.3〜1.5m。幅70〜82cm。穴堰の開削は、米沢藩主上杉鷹山の発意により、藩士黒井忠寄の測量指導によって寛政11(1799)年に着工された。実働15年で完成した。昭和42(1967)年の羽越大水害で堰堤は流失した。 | |
34 | 福島県 | 国 | 登録有形文化財 | 安積疎水麓山の飛瀑 | 郡山市 | 安積疎水は猪苗代湖疎水事業として明治15(1882)年には完成したが、現在、安積疎水幹線水路は往事の姿を全く留めていない。唯一遺ったのが麓山公園の飛瀑であり、この遺構の周辺は近年になって手が加えられたが、滝の落下口から滝壷にあたる水路の石垣までの基本形態はよく保存されている。 |
35 | 国 | 史跡 | 鮎滝渡船場跡 | 福島市 | 鮎滝渡船場は、旧信夫・伊達両郡を結ぶ交通の要路で古来から渡船の要津として知られていた。明治8(1875)年上流の松川駅路に架橋されて渡船は廃絶したが、旧態なおよく保存されている。 | |
36 | 県 | 名勝及び天然記念物 | 阿武隈峡 | 福島市 | 阿武隈峡とは、西側は福島市蓬莱町および松川町浅川・金沢と東側は立小山との間を流れる阿武隈川の渓谷をいう。花崗岩からなる岩盤を永年の侵蝕作用によって下刻し、特殊な渓谷を形成した。 | |
37 | 茨城県 | 国 | 重要文化財 | 横利根閘門 | 東町 | わが国最大級の煉瓦造閘式閘門。 |
38 | 県 | 名勝 | 袋田滝 | 大子町 | 高さ121m、幅76m、四段に落ちる(四度滝)。 | |
39 | 県 | 名勝 | 花園渓谷「七ツ滝」 | 北茨城市 | 花園川が七段にわたって落瀑。 | |
40 | 栃木県 | 国 | 登録有形文化財 | 釜ツ沢砂防堰堤 | 日光市 | 日光東照宮の北を流れる稲荷川に築かれた砂防堰堤で、昭和8(1933)年竣工の重力式練積堰堤。 |
41 | 国 | 登録有形文化財 | 釜ツ沢下流砂防堰堤 | 日光市 | 昭和7(1932)年に建設、大谷川支川稲荷川にある砂防ダム。 | |
42 | 国 | 登録有形文化財 | 稲荷川第二砂防堰堤 | 日光市 | 大正9(1920)年建設、日光の直轄砂防事業の現存する最古施設。 | |
43 | 国 | 登録有形文化財 | 稲荷川第三砂防堰堤 | 日光市 | 大谷川の支流、稲荷川に築かれた砂防ダム。 | |
44 | 国 | 登録有形文化財 | 稲荷川第四砂防堰堤 | 日光市 | 大正10(1921)年に建設の砂防ダム。 | |
45 | 国 | 登録有形文化財 | 稲荷川第六砂防堰堤 | 日光市 | 大正11(1922)年に建設の砂防ダム。 | |
46 | 国 | 登録有形文化財 | 稲荷川第十砂防堰堤 | 日光市 | 大正12(1923)年に建設の砂防ダム。昭和期に増築。 | |
47 | 国 | 登録有形文化財 | 小米平砂防堰堤 | 日光市 | 昭和6(1931)年に建設の砂防ダム。 | |
48 | 国 | 登録有形文化財 | 方等上流砂防堰堤 | 日光市 | 大谷川支川荒沢にあり、日光男体山の基礎を支える砂防ダム。昭和27(1952)年に建設。 | |
49 | 国 | 登録有形文化財 | 丹勢川砂防堰堤 | 日光市 | 大谷川支川荒沢にある重力式練積堰堤で昭和3(1928)年に建設。 | |
50 | 国 | 登録有形文化財 | 大久保砂防堰堤 | 日光市 | 昭和4(1929)年に建設の砂防ダム。 | |
51 | 国 | 名勝 | 華厳瀑および中宮祠湖(中禅寺湖)湖畔 | 日光市 | 中禅寺湖畔の各地と上野島・白雲の滝・華厳の滝をふくむ大谷川の上流地域。 | |
52 | 群馬県 | 国 | 重要文化財 | 丸沼ダム堰堤 | 片品村 | 昭和6(1931)年に竣工のバットレスダム。 |
53 | 国 | 名勝 | 吾妻峡 | 吾妻町、長野原町 | 吾妻川にある渓谷。 | |
54 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 三波石峡 | 鬼石村 | 神流川上流の緑色結晶片岩の渓谷。 | |
55 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 吹割渓並びに吹割瀑 | 利根村 | 片品川にある渓谷。 | |
56 | 埼玉県 | 国 | 登録有形文化財 | 間瀬堰堤 | 児玉町 | 昭和12(1937)年に完成した重力式コンクリート造堰堤。 |
57 | 国 | 史跡 | 見沼通船堀 | さいたま市、川口市 | 見沼代用水路と芝川間を結ぶ閘門式運河。享保16(1731)年開通、全長約1q。通船差配鈴木家住宅、木曽呂の富士塚、水神社を含む。 | |
58 | 国 | 名勝 | 長瀞 | 長瀞町、皆野町 | 荒川上流の景勝地。延長約4q。 | |
59 | 国 | 名勝 | 三波石峡 | 神泉村 | 神流川上流の緑色結晶片岩の渓谷。延長約2q。 | |
60 | 県 | 有形文化財 | 甚左衛門堰 | 草加市 | 明治27(1894)年。.煉瓦造。2連アーチ型樋門。堰長5.66m。幅員1.84m。全高3m。アーチスパン1.84m。ライズ0.6m。 | |
61 | 県 | 史跡 | 寛保治水碑 | 鷲宮町 | 石燈籠。高さ2.6m、利根川堤防の修築記念碑。 | |
62 | 県 | 史跡 | 寛保洪水位磨崖標 | 長瀞町 | 寛保2(1742)年の荒川増水位を結晶片岩の岸壁に刻印したもの。 | |
63 | 県 | 史跡 | 野火止用水 | 新座市 | 松平信綱が承応年間に開削、玉川上水から引水。 | |
64 | 県 | 名勝 | 玉淀 | 寄居町 | 荒川が関東平野に流れ出す扇状地にある景勝。 | |
65 | 県 | 名勝 | 中津峡 | 大滝村 | 荒川の一支流中津川の10qの峡谷(浜平〜中津川間)。 | |
66 | 東京都 | 国 | 史跡 | 江戸城外掘跡 | 千代田区、港区、新宿区 | 寛永13(1636)年に竣工した江戸城の外堀。 |
67 | 国 | 史跡 | 玉川上水 | 羽村市など11市区 | 承応3(1654)年に開削されたわが国最大規模の上水道施設。江戸の発展を支えた歴史的意義を有し、近世の水利技術を知る上で重要である。開渠部分約30kmを指定。 | |
68 | 国 | 名勝 | 小金井(サクラ) | 小平市、小金井市、西東京市、武蔵野市 | 玉川上水堤の桜並木で、元文2(1737)年に河崎平右衛門定孝によって吉野や桜川から移植されたヤマザクラの一大集積地。 | |
69 | 都 | 名勝 | 等々力渓谷 | 世田谷区 | 都区内唯一の渓谷、武蔵野の代表的樹木である、ケヤキをはじめ、シラカシ、コナラ、イロハカエデなどと供に常緑シダ類のような湿性植物が繁茂し、至るところに湧水の出現が認められる。不動滝は役の行者ゆかりの霊場と伝えられる。 | |
70 | 都 | 名勝 | 奥御岳景園地 | 青梅市 | 綾広の滝はチャートを造瀑層とする10mの直瀑、七代の滝は50mの8段で構成される段瀑。古くから御岳山の山中景観として知られ、自然景観を生かしながら、半世紀も前に整備された奥多摩を代表する名瀑である。 | |
71 | 都 | 名勝 | 三頭大滝 | 檜原村 | 三頭山(1527.5m)東斜面の都内有数なブナの自然林の中にある落差300mの渭状瀑布。秋川水系の代表的名瀑のひとつ。 | |
72 | 都 | 名勝 | 海沢の四滝 | 奥多摩町 | 大岳山(1266.9m)北面を流れる海沢谷に個性の異なった美しさをもつ瀑布が連続してつらなる。いずれもチャート層を造瀑層としており、滝の形成に係わる諸相を見ることができる。 | |
73 | 神奈川県 | 国 | 登録有形文化財 | 横浜市西谷浄水場濾過池整水室上屋3号棟 | 横浜市 | 大正初期に建設された水道施設。 |
74 | 国 | 登録有形文化財 | 横浜市西谷浄水場濾過池整水室上屋4号棟 | 横浜市 | 大正初期に建設された水道施設。 | |
75 | 国 | 登録有形文化財 | 横浜市西谷浄水場濾過池整水室上屋7号棟 | 横浜市 | 大正初期に建設された水道施設。 | |
76 | 国 | 登録有形文化財 | 横浜市西谷浄水場濾過池整水室上屋8号棟 | 横浜市 | 大正初期に建設された水道施設。 | |
77 | 国 | 登録有形文化財 | 横浜市西谷浄水場配水池浄水井上屋 | 横浜市 | 大正初期に建設された水道施設。 | |
78 | 国 | 登録有形文化財 | 横浜市西谷浄水場配水池配水井上屋 | 横浜市 | 大正初期に建設された水道施設。 | |
79 | 国 | 登録有形文化財 | 二ヶ領用水地円筒分水 | 川崎市 | サイフォンの原理の応用により湧き上がった水を、円筒の周囲に配された4つの水路に分水する施設。 | |
80 | 国 | 登録有形文化財 | 川崎河港水門 | 川崎市 | 門構頂部に果物をあしらった飾りを載せるなど土木構造物としては極めて装飾的な施設である。 | |
81 | 国 | 登録有形文化財 | 川島町旧配水計量室上屋 | 横浜市 | 大正初期の水道施設。 | |
82 | 国 | 登録有形文化財 | 横浜市水道局青山水源事務所旧青山取水口 | 横浜市 | 明治期の水道施設。 | |
83 | 国 | 登録有形文化財 | 横浜市水道局青山水源事務所旧青山沈澱池 | 横浜市 | 明治期の水道施設。 | |
84 | 国 | 登録有形文化財 | 横須賀市水道局走水水源地煉瓦造貯水 | 横須賀市 | 明治期の水道施設。 | |
85 | 国 | 登録有形文化財 | 横須賀市水道局走水水源地鉄筋コンクリート | 横須賀市 | 明治期の水道施設。 | |
86 | 国 | 登録有形文化財 | ジェラール水屋敷地下貯水槽 | 横浜市 | 幕末から横浜に居留したフランス人ジェラールが経営した船舶給水業施設。 | |
87 | 国 | 登録有形文化財 | 猿渡堰堤 | 秦野市 | 重力式練積堰堤。 | |
88 | 国 | 登録有形文化財 | 山ノ神堰堤 | 秦野市 | 重力式練積堰堤。 | |
89 | 国 | 登録有形文化財 | 戸川堰堤 | 秦野市 | 谷積石張の砂防堰堤。 | |
90 | 国 | 史跡 | 旧相模川橋脚 | 平塚市 | 関東大震災で付近一帯が沈下した時、地上に表れたもので、鎌倉時代の旧相模川の橋脚と推定される。 | |
91 | 県 | 名勝 | 洒水の滝 | 山北町 | 礫岩層にかかる三段の滝。最大の一の滝は69.3m。修験道の滝行場として有名。 | |
92 | 新潟県 | 国 | 登録有形文化財 | 大河津分水洗堰 | 分水町 | 大河津分水洗堰は、大正11(1922)年に放水路とともに構築された。洗堰は、信濃川本川への流量調節を行うためのものであり、堰柱26基が連なった延長146メートルの大規模な構造物で、我が国初の鉄筋コンクリート製の堰。平成12(2000)年から新しい洗堰が稼働している。 |
93 | 国 | 登録有形文化財 | 万内川一号堰堤 | 新井市 | 関川水系万内川の中流域に位置する堰堤で護岸が良好に残存。粗石コンクリート造の砂防堰堤として我が国初期の事例。大正10(1921)年に建設。 | |
94 | 国 | 登録有形文化財 | 万内川三号堰堤 | 新井市 | 万内川砂防は明治35(1902)年に新潟県で実施された最初の砂防事業。三号堰堤は、当初空積の堤体を昭和初期に練積で補強しており、右岸側堤長を長くとるのが特徴。大正11(1922)年頃に建設。 | |
95 | 国 | 登録有形文化財 | 万内川四号堰堤 | 新井市 | 万内川中流域に位置する小勾配の重力式堰堤。 前面に副堰堤を設け、小規模ながら河床の安定に寄与し、周辺の緑化を促している。大正11(1922)年頃に建設。 | |
96 | 国 | 登録有形文化財 | 万内川六号堰堤 | 新井市 | 万内川中流域に位置する堰堤で、地形におさまる石積の低堰堤。大正12(1923)年頃に建設し、昭和9(1934)年頃に改造。 | |
97 | 国 | 登録有形文化財 | 万内川七号及び八号堰堤 | 新井市 | 万内川中流域に位置し、2基の堰堤を隣接させて同時期に建設したもの。八号堰堤下流側に水叩きと石積護岸を連続させて、七号堰堤下流側には副堰堤を配する。七号堰堤上流右岸側から灌漑用水を取り込み、取水堰堤としての機能を有する類例の少ない構造物。大正15(1926)年頃に建設し昭和8(1933)年頃に改造。 | |
98 | 国 | 登録有形文化財 | 万内川十号堰堤 | 新井市 | 万内川中流域に設けられた、堤高3.5mの小勾配の低堰堤。大正15(1926)年頃に建設され、昭和8(1933)年頃に改造。 | |
99 | 国 | 登録有形文化財 | 万内川十一号堰堤 | 新井市 | 万内川中流域の狭窄部に建設された、下流側法勾配2分、上流側法勾配5厘のほぼ左右対称の堰堤。水叩き、副堰堤の残存状況良好。大正15(1926)年頃に建設され昭和8(1933)年頃に改造。 | |
100 | 国 | 登録有形文化財 | 万内川十二号堰堤 | 新井市 | 万内川中流域に設けられ、水通し外側の堤頂高を堤体中央に向けて4%程傾斜させた堰堤。堤体全体を精緻な谷積で築き、堤体右岸側に石造銘板をつける。大正14(1925)年頃に建設され、昭和8(1933)年頃に改造。 | |
101 | 国 | 登録有形文化財 | 万内川十三号堰堤 | 新井市 | 昭和8(1933)年の水害を契機に万内川中流域の大正期堰堤群の上流側に設けられた堰堤。昭和9(1934)年頃に建設。 | |
102 | 国 | 登録有形文化財 | 万内川十四号堰堤 | 新井市 | 万内川中流域に建設され、堤体前面には欠円アーチ型の水抜きを計4箇所設ける。昭和9(1934)年頃。 | |
103 | 国 | 登録有形文化財 | 日影沢一号床固工 | 新井市 | 関川水系万内川に合流する地点に築かれた砂防施設。両側法勾配3分、水通し幅3.4mで、地形に合わせて左岸側の袖を長くとるのが特徴的。大正後期。 | |
104 | 国 | 登録有形文化財 | 日影沢中流域床固工 | 新井市 | 日影沢中流域に位置する砂防施設。堤長7mから24m、堤高1.5mから4.5mの小規模構造物を、約30%勾配の急斜面に32基配する。大正後期建設。昭和12(1937)年増築。 | |
105 | 国 | 登録有形文化財 | 日影沢上流域床固工 | 新井市 | 万内川右支日影沢の上流域に位置する砂防施設。堤長6mから21m、堤高1.5mから3mの石造谷積の構造物を、約40%勾配の斜面に5基配し、支川が右岸側から合流する。大正後期建設。昭和12(1937)年増築。 | |
106 | 国 | 登録有形文化財 | クズレ沢斜路工 | 新井市 | 日影沢中流域に右岸側から合流する砂防施設。山の斜面を石張りした勾配25%、側面1割法とした直線状水路と、両側法勾配3分の床固工を一体的に築き、河道安定を図る。大正後期建設。 | |
107 | 国 | 登録有形文化財 | 西野谷用水路 | 新井市 | 万内川七号堰堤と一体的に築かれた灌漑施設。七号堰堤上流右岸側から取水し、堤体と平行に延びる水路をL字型に曲げ、堤体右翼部の約1m幅に刳り抜かれた堤体内を導水させた石張構造物。大正15(1926)年建設。 | |
108 | 国 | 登録有形文化財 | 大源太川第一号砂防堰堤 | 湯沢町 | 大源太川第一号砂防堰堤は昭和14(1939)年11月に完成したわが国で最初期のアーチ式砂防堰堤。 | |
109 | 国 | 名勝 | 田代の七ツ釜 | 津南町、中里村 | 清津川の中流、魚沼丘陵を貫流する約20kmの大峡谷で、柱状節理をあらわすひん岩と、硬質の緑色凝灰岩とが特有の渓谷美をつくりだしている。 | |
110 | 国 | 名勝 | 清津峡 | 湯沢町、中里村 | 清津川の支流、釜川の上流。七つの淵をつらねるすぐれた渓谷美。輝石安山岩帯を浸蝕していて深い渓谷を形づくり、ところどころに瀑布が流れ落ち、渓谷の両岸は広葉樹林におおわれている。 | |
111 | 富山県 | 国 | 重要文化財 | 富岩運河水閘施設 | 富山市 | 神通川河口右岸の富山港を起点とする富岩運河のほぼ中間に造られた水閘施設(中島閘門)で、閘門、放水路、道路用桁橋(中島橋)、閘門操作室、量水計等からなり、昭和初期の富山市都市計画事業の一環として昭和9(1934)年に竣工した。平成8、9(1996、7)年度に富山県が実施した改修事業により閘門の動態的な保存が図られた。 |
112 | 国 | 登録有形文化財 | 牛島閘門 | 富山市 | 昭和9(1934)年頃、富岩運河・いたち川間の水位調節のために設けられた全長25mの小規模な閘門。同時期に作られた重要文化財中島閘門とともに富山の近代化を支えた富岩運河の代表的土木構造物のひとつ。近年まで荒廃していたが復元整備された。 | |
113 | 国 | 登録有形文化財 | 白岩砂防ダム | 大山町、立山町 | 立山カルデラの出口に作られたコンクリート造の砂防ダム。赤木正雄の計画によるもので、右岸側の本ダム・副ダム、中央部のダム、左岸側の護岸工と一体となったフィルダムで、堤高が63mで白岩堰堤(えんてい)ともいう。登録となったのは、本ダム、第一副ダム、上流護岸擁壁である。 | |
114 | 国 | 登録有形文化財 | 本宮砂防ダム | 大山町、立山町 | 常願寺川本川の河口より26.8km地点にある粗石コンクリート造間知石貼の重力式ダム。 | |
115 | 国 | 登録有形文化財 | 泥谷砂防堰堤 | 大山町 | 階段式砂防堰堤で昭和13(1938)年完成。標高差122m、延長457mの急斜面に、重力式石張りコンクリート造堰堤20基、床固3基が連続的に築かれている。赤木正雄が計画した常願寺川流域直轄砂防事業の初期建造物。 | |
116 | 国 | 登録有形文化財 | 上滝発電所 | 大山町 | 富山県県営電気事業第1期の常願寺川水系3発電所のうち最下流に位置する発電所。松ノ木発電所からの水を落差66.9mで導き3機の水車を回して発電する。鉄筋コンクリート造、大正13(1924)年竣工。 | |
117 | 国 | 登録有形文化財 | 松ノ木発電所 | 大山町 | 富山県県営電気事業第1期の常願寺川水系3発電所のうち真ん中に位置する発電所。 中地山発電所の放水を導き、水車をまわす。鉄筋コンクリート造、大正13(1924)年竣工。 |
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118 | 国 | 登録有形文化財 | 中地山発電所 | 大山町 | 富山県県営電気事業第1期の常願寺川水系3発電所のうち最上流に位置する発電所。鉄筋コンクリート造、大正13(1924)年竣工。 | |
119 | 国 | 登録有形文化財 | 小牧ダム | 庄川町 | 昭和5(1930)年建造の庄川に築かれた堤長301m、堤高79mの発電用堰堤。アーチ平面の本格的な重力式コンクリート造ハイダムで、エレベーター式魚道(巻き上げ機で籠を引き上げる)、左岸側に材木の流送のための運材設備を設ける。建築技術協力はアメリカのストーン&ウエブスター社。 | |
120 | 国 | 名勝 | 黒部峡谷附猿飛並びに奧鐘山 | 立山町、宇奈月町 | 立山連峰と後立山連峰の間を流れる黒部川が、北アルプスの隆起に伴い浸食形成した、日本一深いV字状の大峡谷である。黒部峡谷地域は、ほとんど花崗岩でできている。 | |
121 | 国 | 名勝 | 称名滝 | 立山町 | 称名川が、弥陀ヶ名滝となって落下、凝灰岩の壁に4段に分かれて流れ落ちている。滝壺は、直径60m、水深6mある。 | |
122 | 県 | 史跡及び名勝及び天然記念物 | 称名滝とその流域 悪域の壁、称名滝、称名廊下、地獄谷、みくりが池 |
立山町 | 称名滝は形態、水量を併せて壮大にして優美、称名廊下は地形景観として典型的な河谷。室堂台地は溶岩台地で、立山火山の余生活動によって形成された。 | |
123 | 石川県 | 国 | 登録有形文化財 | 末浄水場 | 金沢市 | 末浄水場は犀川の表流水を水源とし、昭和5(1930)年に完成。現在も金沢市民に水道水を供給し続けている。 |
124 | 国 | 登録有形文化財 | 福岡第一発電所 | 河内村 | 福岡第一発電所は明治44(1911)年に建設され、現在も北陸電力の水力発電所として稼動。丸窓や半径アーチなど特徴的な外観。 | |
125 | 県 | 名勝 | 男女滝 | 輪島市 | 輪島市の西部、上山谷と小町谷に分岐するところにある。一帯は新生代新第3紀中新世の道下礫岩層が分布している。本滝を女滝、支流を男滝といい、高さ約35mに達する。両滝は下流で合流し一つの滝となる。 | |
126 | 県 | 名勝 | 桶滝 | 輪島市 | 桶滝川河口から約1q上流にあり、特異な形状をしている。滝上部の岩盤に甌穴が穿たれ、岩盤の侵蝕、脱落と相まって甌穴は次第に拡張され遂に、周囲約3mの底のない桶上の筒穴が造られた。そのため滝水は桶状の穴に流れ込んでいる。 | |
127 | 福井県 | 国 | 重要文化財 | 三国港(旧阪井港)突堤 | 三国町 | 現在も九頭龍川導流堤として利用。石造突堤、延長511.10m、附測標1基、明治11(1878)年、政府が初めて管轄した築港事業で西洋式技術を導入して築造、明治13(1880)年完工。オランダ人エッセル、デ・レイケが築造に携わる。 |
128 | 国 | 登録有形文化財 | 鬼谷川堰堤 | 大野市 | 明治30(1897)年に真名川支流の鬼谷川に造られた県内最古の砂防堰堤。 | |
129 | 国 | 名勝 | 三方五湖 | 美浜町、三方町 | 三方、日向、久々子、菅、水月の五つの湖が連なり、三方五湖と称する。日向湖が塩水のほか、いずれも淡水湖。山、梅林、松林、湖、海が神秘的に調和を保ち、若狭湾国定公園の一中核。 | |
130 | 県 | 名勝 | 時水 | 武生市 | 大平山中腹にあり、一日平均十数回の間歇を伴った噴出を見る。間歇冷泉である。 | |
131 | 山梨県 | 国 | 登録有形文化財 | 勝沼堰堤 | 勝沼町 | 大正6(1917)年建設、川の蛇行点を堰堤で閉鎖し、その脇の岩盤を切削することにより岩盤自体を堰堤としている。 |
132 | 国 | 登録有形文化財 | 芦安堰堤 | 南アルプス市 | 大正5(1916)年着工の我が国で初めてのセメントを用いた砂防堰堤。上段アーチ式、下段重力式とする構造。 | |
133 | 国 | 登録有形文化財 | 鹿留発電所うそぶき水路呑口部 | 富士河口湖町 | 発電に必要な水量確保のため河口湖に大正7(1918)年に建設された。水溜の護岸の石積みに特徴がある。 | |
134 | 国 | 登録有形文化財 | 鹿留発電所うそぶき水路吐口部 | 富士吉田市 | 河口湖の水を宮川へ導き、下流で発電の用にするための水路。呑口部と同様石積みに時代の特徴がある。 | |
135 | 国 | 史跡 | 御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出) | 韮崎市、南アルプス市 | 御勅使川の流路を固定するために築かれた。甲州流川除と呼ばれた治水技術をよく伝えるもの。 | |
136 | 長野県 | 国 | 重要文化財 | 読書発電所 | 南木曽町 | 大正12(1923)年に造られた鉄筋コンクリート造の発電施設。発電所、水路橋、吊り橋、桃介橋が指定されている。 |
137 | 国 | 登録有形文化財 | 牛伏川階段工 | 松本市 | 大正7(1918)年に造られた延長141mの床固及び護岸工からなる構造物。 | |
138 | 国 | 登録有形文化財 | 釜ヶ渕堰堤 | 安曇村 | 昭和17(1942)年に造られた提長79m、提高29mの砂防堰堤。上高地の入口に位置する釜トンネル出口に立地するが、旧道閉鎖で現在は見ることができない。 | |
139 | 国 | 名勝 | 天竜峡 | 飯田市 | 天竜川にある渓谷。 | |
140 | 国 | 名勝 | 寝覚めの床 | 上松町 | 木曽川にある渓谷。 | |
141 | 県 | 史跡 | 五郎兵衛用水 | 望月町 | 本用水は寛永3(1626)年に市川五郎兵衛が新田開発のため小諸藩から許可を得て開削した。本県の中世末〜近世初頭にかけての地域開発を知る上で貴重な遺構である。 | |
142 | 県 | 史跡 | 木曽桟跡 | 上松町 | 指定地は江戸時代の主要な交通路となっていた中仙道の断崖による難所とされ、慶安元(1648)年、尾張藩がこの改修にあたり木曽川に長さ102m、高さ約14.5mの石垣を築造した。 | |
143 | 県 | 名勝 | 御三甕の滝 | 南相木村 | 南相木川にあり、高さ16.5m。上ん淵、中ん淵、下ん淵とよばれる3つの滝壷からなる。 | |
144 | 県 | 名勝 | 三本滝 | 安曇村 | いくつかの支流が合流して数本の滝をつくっている。古代末には、修験者の修行の場であった。 | |
145 | 県 | 名勝 | 田立の滝 | 南木曽町 | 上流から9つの滝が連なり、周辺の木曽五木やベニマンサクなどの植物とともに美しい景観を形づくる。 | |
146 | 県 | 名勝 | 奥据花峡谷 | 鬼無里村 | 峡谷の向斜構造、瀑布・ポットホール、ケスタ地形などからなる。 | |
147 | 岐阜県 | 国 | 重要文化財 | 旧八百津発電所施設 | 八百津町 | 日本初の大規模河川発電所として明治44(1911)年に建設され、昭和49(1974)年に新丸山ダムの完成までの63年間稼動した。現存する発電所では数少ない煉瓦つくりである。配電室の床などは近代初期重層建築に採用されていた工法を採用、発電所本館及び放水口発電所施設が全体としてよく残り、当時の発電技術を知ることができる。 |
148 | 国 | 登録有形文化財 | 羽根谷砂防堰堤(第一堰堤) | 南濃町 | 明治期の巨石空積堰堤。治山のため設置。 | |
149 | 国 | 登録有形文化財 | 羽根谷砂防堰堤 | 南濃町 | 明治期の巨石空積堰堤。治山のため設置。 | |
150 | 国 | 登録有形文化財 | 長良川発電所本館 | 美濃市 | 明治期に建造された発電所。 | |
151 | 国 | 登録有形文化財 | 長良川発電所正門 | 美濃市 | 明治期に建造された発電所の正門。 | |
152 | 国 | 登録有形文化財 | 長良川発電所外塀 | 美濃市 | 明治期に建造された発電所の外塀。 | |
153 | 国 | 登録有形文化財 | 長良川発電所第二沈砂池配水路暗渠 | 美濃市 | 明治期の砂を沈澱させるための施設。 | |
154 | 国 | 登録有形文化財 | 長良川発電所第一沈砂池防水壁 | 美濃市 | 明治期の砂を沈澱させるための施設。 | |
155 | 国 | 登録有形文化財 | 長良川発電所取水口呑口上部 | 郡上市 | 発電用の水を川から取り込むための明治期の取水口。 | |
156 | 国 | 登録有形文化財 | 鏡岩水源地旧エンジン室 | 岐阜市 | 昭和初期の水道施設。 | |
157 | 国 | 登録有形文化財 | 鏡岩水源地旧ポンプ室 | 岐阜市 | 昭和初期の水道施設。 | |
158 | 国 | 史跡 | 油島千本松締切堤 | 海津町 | 宝暦3(1753)年12月幕府は薩摩藩主に木曽・揖斐両川の治水工事を命じ両河川の合流点に締切堤を築造させた。工事の目的は、豪雨のときに、木曽川から揖斐川に逆流するのを防ぐため、この両河川合流点に分川堤を築くことで、当時護岸と記念のため堤の両側に約1km松を植えた。これが千本松といわれている。 | |
159 | 国 | 名勝 | 木曽川 | 各務原市、坂祝町、可児市 | 長野、岐阜、愛知の3県を流れる木曽川は、至るところでみごとな渓谷美をつくっている。その最たる区域は、「飛騨・木曽川国定公園」に選定されているが、そのうち可児市今渡から坂祝町を経て各務原市鵜沼に至る区間は「ライン渓谷」に似ているということから「日本のライン」の名で親しまれている名勝地である。 | |
160 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 霞間ヶ渓(サクラ) | 池田町 | 池田山麓の霞間ヶ渓一帯(指定面積;102059.9m2)はサクラの群生林になっている。春のサクラ開花時にはみごとな景観を呈する。この様子を遠くから眺めると霞がかったようにみえることから「霞間ヶ渓」と呼ばれるようになったともいわれる。霞間ヶ渓は天井川であったことから、災害防止のため近年砂防工事が実施され、ヤマザクラやヒガンザクラの補植が続けられ、その復活に力が注がれている。 | |
161 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 鬼岩 | 瑞浪市、御嵩町 | 御嵩町と瑞浪市にまたがる指定地一帯には黒雲母花崗岩が分布し、風化侵食が特異な岩石景観を作り出し、その一部が「鬼岩公園」である。公園内の渓流は滝や瀬・淵になり特異な岩石景観と相まって山水画のような風景をかもし出している。巨石には、その形によって、「臼岩」、「蓮華岩」、「潜り岩」、「鬼の岩屋」などと呼ばれている。 | |
162 | 県 | 史跡 | 住吉燈台 | 大垣市 | 船町湊水門川の東側ぎりぎりの川端に位置している。その高さ約8m、四角寄棟造りで建造年代は不明であるが、元禄前後(1688〜1704年)に創建されたものと思われる。 | |
163 | 県 | 史跡 | 上有知湊 | 美濃市 | 小倉城跡の西端部、清泰寺の裏東側のところに住吉燈台が建設されている。ここが上有知湊跡である。岐阜、桑名への重要な荷物輸送路であり、上有知湊の成立は慶長7(1602)年ころ、小倉城築城に従って城下町を六反から長ノ瀬川上流地域に移したとき、下渡しから現在の地に移したものと伝えられている。 | |
164 | 県 | 史跡 | 起渡船場石燈台 | 羽鳥市 | 起渡船場石燈台は、美濃路の起渡船場の遺構である。美濃路は、中山道と東海道を接続する脇街道で、木曽川右岸上に一基の橙明があり、これが「起渡船場石燈台」である。石製燈明台は火袋を欠失しているが、高さは3m位で中台に銘がある。 | |
165 | 県 | 史跡 | 垂井の泉 | 垂井町 | 垂井町の中央部に玉泉寺 がある。県天然記念物「垂井の大ケヤキ」の根本から湧き出ていて、地名垂井の起源ともされる。傍らに「垂井之泉」の四文字が刻まれた碑が建っている。 | |
166 | 県 | 史跡 | 大槫洗堰跡 | 輪之内町 | 大槫川は長良川から取水し、揖斐川に注いでいた河川であったが、その河床は低かったため、出水となると長良川の水が大槫川を通って揖斐川に流下して、各村に甚大な被害を及ぼした。水勢を緩和するため薩摩藩の御手伝普請により全面石築の堰堤が構築された。石堤は高さ1.2m、堤敷約40m、長さ約180mの洗堰の形式であった。 | |
167 | 県 | 史跡 | 宗祇水 | 郡上市 | 小駄良川河畔、宮ヶ瀬橋近くに、昔よりこんこんと湧き出る泉が宗祇水である。江戸時代には、郡上藩主金森頼錦や遠藤常友等らによって泉の保存と顕彰が図られた。頼錦の依頼によって、林信充がつくった漢詩は、石碑に刻まれて泉のそばに建っている。昭和60(1985)年に環境庁の第一回名水百選に指定された。 | |
168 | 県 | 史跡 | 兼山湊跡 | 兼山町 | この湊は木曽川舟航上、川筋の最終荷揚港として重要な役割を果たし、明治末期まで繁栄した。燈台と常夜燈台、石畳が現存しており、当時の湊を偲ぶことができる。石畳は水際から10m程度現存しており、崩れることなく原型を留めている。 | |
169 | 県 | 史跡 | 飛州下原中綱場 | 下呂市 | 中綱場は下原八幡神社前から約100m益田川を溯った所にある。そこは、川幅の最も狭いところで、両岸に大きな岩がある。この岩に大きな藤綱を結びつけて、飛騨南方山中からご用木を、この綱でいったん止めて、木材改めを行った。改められた木材は、元のように川下しをおこない、加茂郡下麻生で再び員数を確認し、筏に組んで白鳥湊へ運ばれた。 | |
170 | 県 | 史跡 | 木曽川笠松渡船場跡 | 笠松町 | 岐阜地区から大垣地区へ物資を大量輸送する場合は、岐阜から長良川の川下しを行って墨俣或いは笠松から大垣へ送っていた。笠松港は相生町から港町にかけて大八車を使用して、船積込みをしていたため、車輪がくいこまないように丸石をもって石畳を敷きつめられていたと考える。現存している石畳は明治11(1878)年の明治天皇行幸のみぎり、当下河渡付近の坂道が改修され山石を敷きつめて石畳みとしたものである。 | |
171 | 県 | 名勝 | 阿弥陀ヶ滝 | 郡上市 | 前谷地区から石徹白方面への道を進むと4kmほどで阿弥陀ヶ滝に至る。養老6(722)年に白山の開山泰澄大師がこの滝を発見し、長滝とよび長滝寺を建立して天台の霊場とした。その後、天文年間(1532〜1555年)道雅法師がこの滝の岩洞に入って修行を行った時、阿弥陀ヶ滝と名付けたという。 | |
172 | 県 | 名勝 | 横谷峡四つの滝 | 下呂市 | 横谷峡四つの滝は馬瀬川の支流横谷川沿いに町道を西へ約1kmのところに一の滝(別名:白滝)がある。ここから1kmの間に二の滝(二見滝)、三の滝(紅葉滝)、四の滝(鶏鳴滝)がある。 | |
173 | 県 | 名勝 | 白水滝 | 白川村 | 県道白山公園線を約12.5kmいったところの道路下の遊歩道で5分の位置にある。滝の高さ72m、幅8m。対岸150mの観瀑場からの眺めは壮観で、流れ落ちた水の色が乳白色のところから「白水滝」とよばれ、「白川郷」の名の由来とも伝えられている。 | |
174 | 県 | 名勝 | 宇津江四十八滝 | 国府町 | JR高山本線飛騨国府駅から西へ約8kmのところにある。海抜1000mの猪伏山から発する渓流は奇岸珍石の間を流れ、段々と瀑布を作っており「宇津江四十八滝」とよばれている。「魚返滝」、「瑠璃滝」、「平滝」、「函滝」、「上段の滝」、「楚音の滝」、「王滝」、「銚子滝」、「障泥滝」、「上平滝」などの数10の滝がそれぞれに異なった風趣を展開している。 | |
175 | 静岡県 | 国 | 登録有形文化財 | 木和田川砂防一号堰堤 | 岡部町 | 石造堰堤。下流両岸護岸付。堤長14m。堤高4.8m。護岸10m。 |
176 | 国 | 登録有形文化財 | 木和田川砂防二号堰堤 | 岡部町 | 石造堰堤。水叩き部および下流両側護岸付。堤長27m。堤高5.8m。護岸9m。 | |
177 | 国 | 登録有形文化財 | 木和田川砂防三号堰堤 | 岡部町 | 石造堰堤。堤長18m。堤高5.1m。 | |
178 | 国 | 登録有形文化財 | 木和田川砂防四号堰堤 | 岡部町 | 石造堰堤。堤長25m。堤高7.9m。 | |
179 | 国 | 登録有形文化財 | 木和田川砂防五号堰堤 | 岡部町 | 石造堰堤。水叩き部および下流両側護岸付。堤長15m。堤高4.9m。護岸10m。 | |
180 | 国 | 登録有形文化財 | 木和田川砂防六号堰堤 | 岡部町 | 石造堰堤。水叩き部および下流両側護岸付。堤長22m。堤高3.5m。護岸8m。 | |
181 | 国 | 登録有形文化財 | 木和田川砂防七号堰堤 | 岡部町 | 石造堰堤。水叩き部および下流側流路。堤長23m。堤高3.6m。護岸25m。 | |
182 | 国 | 登録有形文化財 | 木和田川砂防八号堰堤 | 岡部町 | 石造堰堤。堤長14m。堤高4.0m。 | |
183 | 国 | 登録有形文化財 | 木和田川一号流路工 | 岡部町 | 石造流路工。堤長70m。上幅6.5m。敷幅4m。 | |
184 | 国 | 登録有形文化財 | 木和田川二号流路工 | 岡部町 | 石造流路工。堤長15m。上幅4.2m。敷幅2.8m。 | |
185 | 国 | 史跡 | 島田宿大井川川越遺跡 | 島田市 | 川会所及び旧東海道に沿う番宿跡を含めた川越しの諸施設の遺跡。 | |
186 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 白糸ノ滝 | 富士宮市 | 芝川にかかる白糸の滝と音止めの滝とからなる。 | |
187 | 県 | 名勝 | 木枯森 | 静岡市 | 藁科川の川中の島で土砂が堆積したものではなく、岩盤が浸食を受けながら残ったものである。 | |
188 | 愛知県 | 国 | 重要文化財 | 船頭平閘門 | 立田村 | デ・レイケによる木曽川下流改修工事の一環として、明治35(1902)年、木曽川と長良川をつなぐ水路に築造された閘門。 |
189 | 国 | 名勝 | 木曽川 | 犬山市 | 犬山市付近の木曽川は、木曽川のなかでも最も景色のよい所で、古生層の角岩で構成される崖谷林木の幽致は瑞瀬岩礁の奇趣と相まって、犬山城(国宝)を点景としてとりこんだ名勝地。 | |
190 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 木曽川堤(サクラ) | 江南市、一宮市 | 明治18(1885)年に堤防の両側にヒガンザクラ、シダレザクラを主とし、少数のヤマザクラを列植した名勝。 | |
191 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 乳岩及び乳岩峡 | 鳳来町 | 宇連川の支流乳岩川の峡谷。上流の乳岩(洞窟)、通天橋(天然岩橋)、地獄洞門(天然隧道)は流紋岩質凝灰岩という岩質と特異な侵蝕作用によってできたもので、特に乳岩にみられる鍾乳岩は石灰岩以外の岩石に生じたものとして非常に珍しいものである。 | |
192 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 阿寺の七滝 | 鳳来町 | 阿寺川の上流に所在し、第3紀層基底礫岩の断層崖にかかる瀑布。上流から2番目と5番目の滝つぼは深い円筒状の欧穴を形成し、礫岩層にかかる滝つぼのものとしては学術的に貴重。下流1qまでは谷が迫り、樹木が密生し、樹間にシャクナゲが多い。 | |
193 | 県 | 史跡 | 起渡船場跡 | 尾西市 | 東海道と中仙道を結ぶ美濃路にかかる木曽川の重要な渡船場。この街道を使えば、鈴鹿の険難である七里の渡船、あるいは木曽の難路を避けることができたため、勅使の下向、将軍家の上洛、朝鮮通信使の来朝、大名、旗本の往来、参勤交代などに使用された。 | |
194 | 県 | 史跡 | 前芝の燈明台 | 豊橋市 | 豊川河口の旧堤防上に存在し、江戸時代、吉田湊、前芝湊に入港する船舶の便を図るために建設された燈明台。 | |
195 | 三重県 | 国 | 登録有形文化財 | 猫谷第一堰堤 | 菰野町 | 朝明川支流の最も奥地に築かれた堰堤群の一つで、70〜80cmの石を用いて堅固に石組された空石積堰堤。大正期の砂防ダム。 |
196 | 国 | 登録有形文化財 | 猫谷第二堰堤 | 菰野町 | 朝明川支流の最も奥地に築かれた堰堤群の一つ。猫谷第一堰堤と同じ構造である。 | |
197 | 国 | 登録有形文化財 | 朝明川砂防堰堤(T11-1) | 菰野町 | 朝明川本流に築かれた堰堤群の一つで、大正11(1922)年に築造された三重県初の練石積堰堤であるとされている。 | |
198 | 国 | 登録有形文化財 | 朝明川砂防堰堤(T11-2) | 菰野町 | 朝明川砂防堰堤(T11-1)の上流約130mの地点に設けられた堰堤。当時の砂防関連技術の高さを示している。 | |
199 | 国 | 登録有形文化財 | 伊勢河崎商人館主屋・南蔵一ほか | 伊勢市 | 伊勢市を貫流する勢田川沿いに形成された河岸問屋街の河崎にあり、おもに酒卸業で栄えた旧株式会社小川酒店の一連の施設である。川沿いに並んで建つ蔵と街路を挟んで建つ本邸が一体となって当時の様相をよく伝えている。 | |
200 | 国 | 史跡 | 熊野三山 のうち、御船島 |
紀宝町 | 熊野速玉大社の境内地の一部として指定された、熊野川中州の無人島である。御船島は、熊野速玉大社の祭礼の場で御船祭などが行われる。 | |
201 | 国 | 史跡 | 熊野参詣道 のうち、熊野川 |
紀宝町 紀和町 |
熊野参詣道は熊野三山への参詣に使われた道で、熊野本宮大社と速玉大社との往復には「熊野川」の船運が利用されていた。 | |
202 | 国 | 特別名勝及び天然記念 | 瀞八丁 | 紀和町 | 熊野川の支流である北山川が紀伊山脈を横断する際に造った蛇行谷も一部である、田戸、玉置口間之渓谷で、田戸から下流は下瀞、上流約1kmは上瀞と呼ばれている。絶壁が屏風のように深い淵の両側にそそりたつ景勝地である。 | |
203 | 国 | 名勝 | 赤目の渓谷 | 名張市 | 赤目川に浸食された渓谷。「赤目四十八滝」と俗称されるように、不動滝、布引滝、荷担滝等大小の多くの懸瀑と碧譚をつくりだしている。 | |
204 | 県 | 史跡 | 七里の渡 | 桑名市 | 慶長6(1601)年に本多忠勝が就封して桑名の町並みも整理され、この年にはこの渡しのルートが東海道の本道と定められた。川に面して突き出た石垣があり、そこに川口御番所、前に制札を掲げた高札場、正面は船着場、その右に船役所等があった。伊勢湾台風の後、修復され、最近地盤沈下のため嵩上げ整備された。 | |
205 | 県 | 史跡 | 天武天皇迹太川御遥拝所跡 | 四日市市 | 壬申の乱の際、天武天皇が伊勢を経て美濃に赴く途中に伊勢神宮に戦勝を祈願した場所とされる。また、周辺の大矢知地区には、この史跡地以外にも天武天皇に関する様々な伝説が伝わっており、迹太川を朝明川としたり米洗川とする説や、遥拝所を羽津の糠塚山とする説もあるが、この高松の地が指定されている。 | |
206 | 県 | 史跡 | 雲林院井堰 | 芸濃町 | 安野川の上流にある。寛政2(1790)年、長さ14間の川幅一杯に、高さ8尺余の松材をたてて井堰をつくり、用水路はこれ以前の延宝年間の水路を堀り下げ、さらに延長し、3条に分岐させて村内全域約50町歩の水田が開拓された。現在は新しい堰が造られ、古い堰の上端部分が見られるのみである。 | |
207 | 県 | 名勝 | 宮川堤 | 伊勢市 | 宮川は古くは度会川、豊宮川ともいわれ、名勝地として古人により多くの詩歌に詠われるとともに、古くから宮川の下の渡を「桜の渡」と呼んでいる。桜の名所になったのは、明治6(1873)年に時の度会県参事が、古木の保存と若木の補植を市民に奨励したことによるもので、堤上一帯に多数の桜が群生している。 | |
208 | 滋賀県 | 国 | 史跡 | 琵琶湖疎水 | 大津市 | 近代、京都活性化の為の琵琶湖水を利用した多目的運河。 |
209 | 国 | 名勝 | 醒井峡谷 | 米原町 | 石灰岩地形の峡谷。 | |
210 | 県 | 史跡 | 旧東海道横田渡跡 | 水口町 | 近世東海道の渡場の跡(野洲川)。 | |
211 | 県 | 史跡 | 西野水道 | 高月町 | 江戸時代、余呉川の通水の為のトンネル。 | |
212 | 県 | 史跡 | 芦浦観音寺館跡 | 草津市 | 中世末から近世にかけての琵琶湖水運の船奉行を務めた寺院の遺構。 | |
213 | 京都府 | 国 | 重要文化財 | 舞鶴旧鎮守府水道施設 | 舞鶴市 | 明治時代軍港都市を建設する中で、艦艇補給用水の確保を目的として建設された上水道施設である。旧海軍の建設による最古の本格的水道施設であるばかりでなく、わが国最古の越流式水道堰堤をはじめとし、技術の時代的特色がよく表れた多様な堰堤遺構群がまとめて残る水道施設として、水道技術史上価値が高い。又、配水施設、砂防施設、石垣・境界坑等の附属施設は、近代水道システムの構成を知る上で重要である。水道堰堤五基、砂防堰堤二基、旧配水池二基、旧接合井一基からなる。 |
214 | 国 | 史跡 | 琵琶湖疎水 | 京都市、大津市 | 大津と京都の間を舟運で結び、その水は水力発電等にも利用された疎水。 | |
215 | 国 | 史跡 | 高瀬川一之船入 | 京都市 | 京都と伏見を結ぶ運河として角倉了以が開削した高瀬川に設けられた舟入りの一つで現存する唯一のもの。 | |
216 | 国 | 史跡及び名勝 | 嵐山 | 京都市 | 小倉山・嵐山を含む平安時代からの名勝地であり、桂川(保津川)が中央を貫流している。 | |
217 | 国 | 史跡及び名勝 | 笠置山 | 笠置町 | 笠置山では至る所に花崗岩質の露石が点在し、磨崖仏が刻まれている。山の麓に木津川の流れが眺まれる。 | |
218 | 国 | 名勝 | 瑠璃渓 | 園部町 | 新江川が丹波高地から平地部へ流出する部分に生じた浸食谷で奇石怪石に富んだ渓流景観が形成されている。 | |
219 | 府 | 有形文化財 | 不動川砂防施設 | 山城町 | 石積堰堤8基、明治時代、ヨハネス・デ・レイケによって築かれた砂防堰堤、現在は「水と緑の憩いの広場」として整備され保存が図られている。 | |
220 | 大阪府 | 国 | 登録有形文化財 | 築留二番樋 | 柏原市 | 大和川に設置された明治末期築造の煉瓦造構造物。 |
221 | 国 | 登録有形文化財 | 天野川砂防堰堤 | 交野市 | 明治30(1897)年頃に築造された石積みの砂防堰堤。 | |
222 | 国 | 登録有形文化財 | 尺治川砂防堰堤 | 交野市 | 明治後期築造。河川合流部に築かれた特異な形式を有する砂防堰堤。 | |
223 | 国 | 登録有形文化財 | 尺治川床固工 | 交野市 | 明治後期築造。多用な構造形式を駆使した砂防設備。 | |
224 | 国 | 名勝 | 箕面山 | 箕面市 | 箕面の滝と箕面川がその下流に続く平地に注ぎ出る付近の渓谷一帯。 | |
225 | 府 | 史跡 | 清浄泉 | 柏原市 | 生駒山地の地形生成時に生じた岩盤から湧き出る清泉水で、昔から天皇や僧侶、村人がこの井戸水を使っていたと伝えられ、歴史的に大切なものとして井戸と水脈を含む地域が史跡として保存されている。 | |
226 | 府 | 史跡 | 伝茨田堤 | 門真市 | 仁徳天皇の時代に淀川水系の洪水を防ぐために渡来人により築かれたとされる堤防跡。 | |
227 | 府 | 史跡 | 摂津峡 | 高槻市 | 芥川が中堂山と三好山の間を流れ出る途中に形成された峡谷。夫婦岩・屏風岩・行者岩等の奇岩や険しい断崖が景勝地をなす。 | |
228 | 府 | 史跡 | 磐船峡 | 交野市 | 天野川上流は峡谷をなし、水勢にえぐられた岩間を縫うように流れて自然美あふれる景勝地を形成し、これらの巨岩をご神体とする磐船神社とともに名勝として親しまれている。 | |
229 | 府 | 史跡 | 牛滝山 | 岸和田市 | 和泉葛城山への登山口である牛滝山大威徳寺の寺域は広く、寺の背後には清流と多くの滝が連なる景勝地を形成する。 | |
230 | 府 | 史跡 | 犬鳴山 | 泉佐野市 | 役行者開祖、役の小角が開いた真言宗犬鳴派総本山の七宝瀧寺を中心とする日本最古の霊場とされ、山門から行者の滝までの参道は、大小48の滝とともに渓流とヤマモミジ等による森林景観を成す景勝地となっている。 | |
231 | 府 | 史跡及び名勝 | 狭山池 | 狭山市 | 7世紀の初め頃に築かれた日本最古ともいわれる灌漑用のため池で、その景観は風光明媚な池として親しまれ、奈良時代の行基や鎌倉時代の重源といった歴史上の重要人物による改修工事等の史実とともに史跡名勝に指定。大阪府立狭山池博物館が土木遺産狭山池のサイトミュージアムとして設置されている。 | |
232 | 府 | 史跡及び名勝 | 久米田池 | 岸和田市 | 府下ため池中、最大の水面面積を誇る農業用水・養魚池で、神亀2(725)年から天平10(738)年にかけて、僧行基によって作られたと伝えられ、そうした歴史的な意義とともに景勝地として史跡名勝に指定。周囲はオアシス事業により整備。池と接して府史跡久米田寺境内がある。 | |
233 | 兵庫県 | 国 | 登録有形文化財 | 神戸市水道局烏原立ヶ畑堰堤(烏原ダム) | 神戸市 | 明治38(1905)年建設。コンクリート造堰堤、高さ33m、長さ122m、堰体敷幅27m。後に約2.7m嵩上げ。神戸市水道第1次拡張時の水源となる水道用大規模堰堤。 |
234 | 国 | 登録有形文化財 | 神戸市水道局千苅堰堤(千苅ダム) | 神戸市 | 大正8(1919)年建設。コンクリート造堰堤、高さ42m、長さ106m、堰体敷幅42m。神戸市水道第2次拡張時の水源地ダム。粗石コンクリート造石貼の直線重力ダム。 | |
235 | 国 | 登録有形文化財 | 神戸市水道局布引五本松堰堤(布引ダム) | 神戸市 | 明治33(1900)年建設。コンクリート造堰堤、高さ33m、長さ110m。神戸市水道創設当時の水源地堰堤。日本最初の本格的ダム。粗石コンクリート造石貼の非越流型重力ダムで左岸寄に溢流部を設ける。 | |
236 | 県 | 名勝 | 鹿ヶ壺 | 安富町 | 雪彦山から流下する川の小瀑群が岩盤を侵蝕して作った甌穴群である。 | |
237 | 県 | 名勝 | 飛龍の滝及びその周辺 | 上月町 | 滝は3段からなり、水は豊かではないが、岩盤上を変化豊かに落下する景観が風情に富んでいる。 | |
238 | 県 | 名勝 | 猿尾滝 | 村岡町 | 2段からなる60mの滝で、その落下する様が猿の尾に似ているところから名づけられたという。 | |
239 | 県 | 名勝 | 霧が滝渓谷 | 温泉町 | 多くの瀑布群による景観と、動植物の化石包含層、原生林、植物群落と生息する動物相により、学術上の総合的価値が高い。 | |
240 | 県 | 名勝 | 小又川渓谷 | 温泉町 | 標高780mから落下する高さ65mの滝で、落下途中に霧散するため、幅広く奥行きの狭い滝壷を形成している。また、周辺の植生も注目に値する。 | |
241 | 奈良県 | 国 | 特別名勝及び天然記念物 | 瀞八丁 | 十津川村 | 奈良県十津川村、三重県、和歌山県にかかる景勝地。 |
242 | 県 | 史跡 | 益田池の堤 附樋管 | 橿原市 | 弘法大師によれば弘仁13(822)年前に和州監察藤納言、紀大守末等は溜池を作ることを奏請し勅許を得て高取川を200mにわたり堰き止めた。現在は廃池。堤も約55mほど残存するのみである。昭和36(1961)年の高取川改修工事の際、川底から樋管が2ケ所出土。昭和43(1968)年には樋門と思われる遺構も検出された。平安時代以来の治水事業の貴重な資料。 | |
243 | 県 | 名勝及び天然記念物 | 神野山 | 山添村 | 神野山のうち鍋倉溪。山腹に露出した斑紋巌。 | |
244 | 和歌山県 | 国 | 特別名勝及び天然記念物 | 瀞八丁 | 熊野川町 | 大台ケ原を源流とする北山川の田口と玉置口間の渓谷で、両岸は絶壁となる名勝。 |
245 | 国 | 史跡 | 熊野参詣道(熊野川) | 新宮市、熊野川町、本宮町 | 熊野参詣道を構成するものとして、熊野川が指定されている。熊野本宮大社と熊野連五大社の間の舟運として熊野川が利用されてきた。 | |
246 | 国 | 名勝 | 那智大滝 | 那智勝浦町 | 那智原始林を流れ、石英粗面岩の断崖を落下する大滝。 | |
247 | 県 | 史跡 | 中世農耕用水路跡 文覚井 | かつらぎ町 | 文覚上人が開削したといわれる用水路で、約5qに及ぶ。 | |
248 | 県 | 名勝 | 玉川峡 | 九度山町 | 高野山を源流とする玉川の渓谷で、奇石、怪石の間から大小の滝をつらねる景勝地となっている。 | |
249 | 県 | 名勝及び天然記念物 | 百間山渓谷 | 大塔村 | 百間山(999m)の南西斜面に位置する。両岸の断崖には巨岩、奇石群がそびえ、滝が多く、甌穴もみられる。 | |
250 | 鳥取県 | 国 | 名勝 | 小鹿渓 | 三朝町 | 標高360mの丹戸付近から標高540mの中津ダム付近まで延長約3kmの渓谷。 |
251 | 県 | 名勝 | 三滝渓 | 河原町 | 曳田川上流、標高220mの権現の森から三滝不動滝まで標高差600m、延長4.5kmの渓谷。主谷部は、流紋岩質凝灰岩質角礫岩や花崗岩からなり、狭く深いV字谷を形成している。落差60mの千丈滝等、滝が高く渕が浅いのが特色となっている。渓谷の下流域は、常緑、落葉広葉樹の原生林(権現の森)、中流域は、夫婦岩など渓流中の巨岩、上流域は、連続する滝、渕がそれぞれ景観の中心となっている。 | |
252 | 島根県 | 国 | 名勝 | 千丈溪 | 桜江町、石見町 | 延長4qの渓谷。 |
253 | 国 | 名勝 | 断魚溪 | 石見町 | 魚切地形の渓谷。 | |
254 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 立久恵 | 出雲市 | 集塊岩峡石。 | |
255 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 鬼舌振 | 仁多町 | 3qにわたる大峡石。 | |
256 | 県 | 名勝及び天然記念物 | 雲見の滝 | 三刀屋町 | 雌雄二瀑。 | |
257 | 岡山県 | 国 | 登録有形文化財 | 井風呂谷川砂防三号堰堤 | 総社市 | 高梁川に注ぐ槙谷川の支流で、岡山県の砂防工事発祥の地とされる井風呂谷川中流域に築造された巨石堰堤。現存の堰堤は、明治33(1900)年ごろ造られた1段目(空積)、明治44(1911)年ごろ嵩上げされた時の2段目(空積)、昭和初期に再嵩上げされた時の3段目(練積)に分れる。堤長約70m、総高約12mという大型の石造砂防堰堤。現在は砂防学習ゾーンとして整備され、一般に親しまれている。 |
258 | 国 | 史跡 | 笠神の文字岩 | 備中町 | 高梁川の支流である成羽川の笠神の瀬にある鎌倉時代の河川交通の遺跡。徳治2(1307)年の航路が完成した旨の碑文があるが、現在では新成羽川ダムの貯水池の底に沈んでいる。 | |
259 | 国 | 名勝 | 豪渓 | 総社市、賀陽町 | 高梁川支流の槇谷川が花崗岩の台地を深く削って懸崖を形作り、主峰の天柱山(海抜330m)をはじめ、剣峰、雲梯峰など奇岩怪岩が天を突くようにそびえ立つ渓谷。 | |
260 | 国 | 名勝 | 鬼ケ嶽 | 美星町、矢掛町 | 小田川支流の美山川にあって、板状節理の典型的な構成を示しており、淵あり、滝あり、浅瀬ありといった明暗とりどりの水景が約4kmにわたって景観を形作っている。 | |
261 | 国 | 名勝 | 磐窟谷 | 川上町、備中町 | 成羽川支流の磐窟谷川が、石灰岩台地を深く浸食して、生じた渓谷である。高さ100mにも及ぶ垂直な断崖と、川底の深淵が壮絶な景観を生んでいる。中心地点に鍾乳洞があって、磐窟谷の名はこれに起因している。 | |
262 | 国 | 名勝 | 神庭瀑 | 勝山町 | 旭川支流の神庭川から落下する高さ110m、幅20mの西日本有数規模の滝で、粘板岩に当たる水しぶきは虹を描いて神秘的な美しさを見せている。 | |
263 | 国 | 名勝 | 奥津渓 | 奥津町 | 吉井川上流の奥津川に望み、花崗岩の柱状節理と水蝕の美とをもって構成されていて、臼淵、天狗岩、鮎返りの滝などと呼ばれる八景がある。甌穴(おうけつ)なども見られる。 | |
264 | 県 | 有形文化財 | 田原用水水路橋 (石の懸樋) |
熊山町 | 江戸時代の元禄年間(1688〜1704年)に岡山藩の郡代津田永忠らによって、数々の技法を駆使して作られた、川を横切って渡る石製水路橋で、長さが12.97m、幅3.19mの県下最大規模のものである。 | |
265 | 県 | 史跡 | 倉安川吉井水門 | 岡山市 | 吉井川を下る高瀬舟を直接岡山城下へ導く倉安川(運河)の取入口の水門で、二重の水門と船だまりの遺構が現在もほとんど完全な形で残っている。 | |
266 | 県 | 史跡 | 高松城水攻め鳴谷川遺跡 附工事奉行の墓 |
岡山市 | 岡山市長野に所在する高松城水攻めに関連する遺跡。羽柴秀吉による備中高松城水攻めの際、鳴谷川からの導水工事が城攻略に間に合わず、未完に終わり、この工事を担当した奉行が切腹したと伝えられている。 | |
267 | 県 | 史跡 | 田原井堰跡 附田原用水路一部、百間の石樋、切抜き | 和気町、熊山町、瀬戸町 | 岡山藩主池田光政が津田永忠に命じて吉井川に建造した灌漑用井堰。井堰の延長は約550m、幅約20mを測る大堰堤であったが、昭和61(1986)年の新田原井堰の完成に伴って撤去された。井堰の一部と石の懸樋等は移築保存されている。 | |
268 | 県 | 名勝 | 道祖渓 | 井原市 | 小田川支流の雄神川が、黒い輝緑岩の台地を深く削ってできた渓谷で、多くの滝、岩など、素晴らしい景観を呈している。 | |
269 | 県 | 名勝 | 天神峡 | 芳井町 | 小田川上流の上部古生層の地磐約1kmにわたって生じた断層に老樹、巨樹が混成した景勝地。紅葉時は特に素晴らしい。 | |
270 | 広島県 | 国 | 重要文化財 | 本庄水源地堰堤水道施設 | 呉市 | 呉へ給水するため海軍が建造した水道施設。大正元(1912)年着工、大正7(1918)年2月に完成。当時は東洋一といわれた大規模なもの。この完成により軍用水の余りが市民への水道給水となって始められた。重力式コンクリート造堰堤。緩やかなカーブを描く堰堤の表面は花崗岩の切石で覆われ、当時の土木技術の水準を示している。 |
271 | 国 | 登録有形文化財 | 呉市水道局宮原浄水場低区配水池 | 呉市 | 煉瓦造明治23(1890)年造。幅37m。長さ44.4m。 | |
272 | 国 | 登録有形文化財 | 呉市水道局平原浄水場低区配水池 | 呉市 | 煉瓦造。大正6(1917)年。幅37m。長さ71.5m。 | |
273 | 国 | 登録有形文化財 | 呉市水道局二河水源地取入口 | 呉市 | 石造。明治22(1889)年。坑口流入側高さ2.80m。幅3.10m。流出側高さ4.67m。幅3.28m。長さ11.8m。 | |
274 | 国 | 登録有形文化財 | 呉市水道局三永水源地堰堤 | 東広島市 | コンクリート造堰堤。昭和18(1943)年。提長145m。提高14m。 | |
275 | 国 | 登録有形文化財 | 中の峠随道 | 東広島市 | 鉄筋コンクリート造アーチ坑口。昭和5(1930)年。全長327m。 | |
276 | 国 | 登録有形文化財 | 三永の石門 | 東広島市 | 旧国道2号線の開削工事に伴い分断される既設の農業用水路を確保するため架けられた、石造アーチ型の水路兼歩道橋。 | |
277 | 国 | 特別名勝 | 三段峡 | 芸北町、戸河内町 | 広島県の北西、太田川の上流にある長さ約10qの長大な峡谷。水流は石英斑岩や花こう斑岩の基盤を深く侵食し、幾多の滝・急流・深淵を形成している。春の新緑、秋の紅葉が非常に美しい。 | |
278 | 国 | 名勝 | 帝釈川の谷(帝釈峡) | 東城町、神石町 | 高梁川の上流にある石灰岩渓谷で侵食によって諸所に天然橋や洞窟が形成されている。わけても雄橋(長さ65m、幅12m、高さ30m)は天然橋としては世界有数のものである。 | |
279 | 県 | 史跡 | 草深の唐樋門 | 沼隈町 | 福山藩の財政施策として寛文年間(1661〜1673年)の頃およそ50haの干拓が行われ、造成された新開地への農業用水調整のために造られた。がっしりと石垣を積み上げ、水路に石柱や大きな木の柱によって樋門を組み上げ、巻きろくろによって用水を調整した施設。 | |
280 | 県 | 史跡 | 官立綿糸紡績工場跡 | 広島市 | 現在の工場敷地には石垣が残るのみであるが、延長600mの水路と動力の中枢であった水車に通ずる水門、余水の調節口などによって、往事の様をしのぶことができる。 | |
281 | 県 | 史跡 | 小鳥原砂鉄製錬場跡 (大谷山たたら) |
西条町 | 本精錬所跡は、近世以降中国地方で発達した”たたら吹製鉄”を代表する一つと言える。大正7(1918)年に、屋根の葺替を行うとともに、天秤鞴が水車鞴に代えられた。建物の現存しないのは残念であるが、写真、見取図、スケッチなどや道具類の残る貴重な例である。 | |
282 | 県 | 名勝及び天然記念物 | 二級峡 | 呉市 | 黒瀬川によって浸食された花崗岩の基盤からなる峡谷。長さ1qと短いが二級滝をはじめとする滝が多い。峡谷の源頭右岸には、最初の流路が跡をとどめ、河底には無数の甌穴群があり、河川の浸食の進行に伴う落ち口の変遷の跡や甌穴の成長する過程をよく示している。 | |
283 | 県 | 名勝 | 石ケ谷峡 | 湯来町 | 太田川の支流の水内川の一支谷で花こう岩の河床に清流が流れ多くの滝がある。 | |
284 | 県 | 名勝 | 龍頭峡 | 福山市 | 吉備高原の縁辺部を刻む浸食谷で、龍頭の滝およびその下流に続く峡谷。滝の高度は57mに達し、峡谷内にも大小の滝や急流が連続している。 | |
285 | 県 | 名勝 | 弥栄峡 | 大竹市 | 安芸国と周防国の国境を流れる小瀬川の中流、魚切から南約3qの峡谷。一帯は花崗岩からなり、方状節理、板状節理が発達し侵蝕によって両岸には屏風岩、重ね岩などの奇勝を生んでいる。川底には甌穴群がみられる。 | |
286 | 県 | 名勝 | 常清滝 | 三次市 | 江の川水系作木川の支流にある滝。常清滝は灰白色流紋岩の断崖にかかる上下三段からなる滝で上を荒波(約36m)、中を白色(約69m)、下を玉水(約21m)といいあわせて約126mの高さをもつ。中国地域ではこのような高い滝は他に例がなく貴重である。 | |
287 | 山口県 | 国 | 登録有形文化財 | 江畑溜池堰堤 | 阿知須町 | 大正時代後半に建設されたといわれている、農業灌漑用のコンクリート造重力式溜池堰堤。なお、竣工記念碑文には、当時県技師であった武富憲時らによって手がけられたことが記されている。 |
288 | 国 | 史跡 | 佐波川関水 | 徳地町 | 文治2(1186)年、東大寺再建に当たり、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)らが、佐波郡の山間地を造営用材の主要採取地として材木を伐採し奈良へ送った。こうした材木の運搬はすべて佐波川の流れが利用されたが、水深が浅いため、川を堰き止め材木がよくながれるように工夫をこらした。それが関水である。関水は、水を堰き止めて水位を上げ、その一部を幅5.4m開いて細長い水路を造り、材木を流すための流材道とし、川底に平たい石を敷きつめたもの。佐波川の関水は、もともとおよそ百十八箇所あったといわれる。 | |
289 | 国 | 史跡 | 周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五挺唐樋 名田島新開作南蛮樋 |
小野田市、山口市 | 潮の干満差が大きく遠浅な海岸、特に湾入部で河口の近くに干潟が発達した場所では、古くから干拓(この地方では開作ともいう)が行われてきた。高泊の浜五挺唐樋、名田島の新開作南蛮樋は、江戸時代における周防灘での干拓の実態を示す貴重な遺跡である。高泊開作は、小野田の高泊湾を干拓したもので、寛文8(1668)年の汐止めによって完成した。岩盤を堀削してその上に組石造りの樋門を築き、石柱間の水門5列のそれぞれに、汐の干満作用により自然開閉する構造の招き扉と呼ばれる木製の扉5枚がつけられている。 | |
290 | 国 | 名勝 | 長門狭 | 阿東町、川上村 | 阿東町から川上村にまたがる、阿武川を中心とした生雲川、蔵目喜川、佐々並川の総延長約5kmの水と岩と植物とが調和して雄大な自然美をなす渓谷。指定地域面積は335万m2。両岸は断崖絶壁をなしている。川底には砂や小石はほとんどなく、岩石がむき出しになっていて、各所に滝や甌穴(おうけつ)や淵など流水でできた地形がみられる。 | |
291 | 国 | 名勝 | 石柱渓 | 豊田町 | 木屋(こや)川上流部、豊田湖に流れ込む白根川から分かれる通称ドウドウ川にできている延長1km余りの渓谷で、周りの岩石は石英斑石である。ドウドウ川がこの岩石の中を横切る間は、谷の傾きが急で、豊富な水量により川底がけずられ、多くの滝や淵などができている。 | |
292 | 県 | 有形文化財 | 土手町南蛮樋 | 平生町 | 南蛮樋は、開作地の西域を流れる水俣川(熊川)河口に設けられたもので幅1.3m、長さ4.5m、総高6.3mで3基の水門からなっている。樋門はロクロ(滑車)の回転により板戸を上下させ海水防御と排水を図るもので、板戸の寸法は、幅107、厚さ6、高さ183の松材である。このロクロを当時は南蛮と呼び、いままでの唐樋門より精巧で操作のしやすいオランダ技法による樋門の意味で南蛮樋の呼称が用いられた。平生開作(干拓)には42ヶ所の樋門があるが、この樋門は県内で最も早い時期に設けられた南蛮樋門の一つで、昭和62(1987)年の大内川防潮水門・排水場の完成により300年余りの現役としての使命を終えた。 | |
293 | 県 | 史跡 | 潮音洞 | 周南市 | 潮音洞は鹿野町にある潅漑用隧道。岩崎惣左衛門(いわさきそうざえもん)は、鹿野盆地の東にある漢陽寺の裏を流れる錦川の支流渋川の水を鹿野側に引けば農耕に役立つと考え、慶安4(1651)年、藩の許可を得て、自費で漢陽寺の裏山を刳り貫いて水を鹿野の台地に引く工事に着手した。この水路は取水口から洞入口まで270m、洞の長さ88m。 | |
294 | 県 | 名勝 | 寂地峡 | 錦町 | 山口県と島根県との県境にまたがる県下最高峰の寂地山(標高1337m)に源を発する宇佐川の上流の犬戻峡(いぬもどしきょう)と、龍が岳に源をもつ龍が岳峡(りゅうがだけきょう)の二つをまとめて寂地峡という。犬戻峡は、長さ約3.5kmにわたって滝と深い淵が連続しており、渓流と川底の岩石が周囲の樹木に溶け込んで変化に富んでいる。 | |
295 | 県 | 名勝 | 弥栄峡 | 美和町 | 広島県との境を流れる小瀬(木野)川の中流のある弥栄峡のうち、白滝橋から魚切の堰堤(えんてい)の間の上流部約1kmが、昭和41(1966)年に名勝に指定された。この一帯は、小瀬川が硬い花こう岩からできた山地を横切って流れており、川の両側の山は高度差約300mの急斜面となっている。川底には多くの滝や甌穴(おうけつ)ができており、川岸や川底には多くの割れ目(節理という)のある花こう岩が出ている。これらの間を清流が深い淵をつくって流れ、両岸の樹木と調和して、見事な峡谷美を展開している。 | |
296 | 徳島県 | 国 | 登録有形文化財 | 大谷川堰堤 | 脇町 | 吉野川の左岸側に合流する大谷川の下流域にある。緩曲線平面を有す提長60mの大規模な石造堰堤で、デ・レイケの計画と伝わる。 |
297 | 県 | 名勝 | 鷲敷ライン及び氷柱観音 | 鷲敷町 | 那賀川の両岸に奇岩が累々と立ち急流や深い淵が交互にあらわれる。そびえたつ岩は全て砂岩である。 | |
298 | 県 | 史跡 | 袋井用水水源地 | 鮎喰町 | 名東郡島田村の庄屋、佐藤吉右衛門が島田村を干害から救うため、元禄12(1699)年に完成させた用水。 | |
299 | 香川県 | 国 | 登録有形文化財 | 豊稔池ダム | 大野原町 | 唐谷川をせき止めて作られたダム。粗石モルタル積石堰、堤長128m、堤工30m 日本唯一のマルチプルアーチ式のダム。 |
300 | 愛媛県 | 国 | 登録有形文化財 | 除ケの堰堤 | 重信町 | 重信川最上流域の荒廃を防ぐため昭和7(1932)年10月に県直営工事として完成。以後重信川砂防工事のモデルとなった。瀬戸内の島石を使い、花崗岩17,000個余りによる石組みは、現在も揺るがず圧倒的な造形美を見せている。 |
301 | 国 | 登録有形文化財 | 宮ノ瀬窯水車小屋 | 砥部町 | 乱積石垣を基礎とする木造平屋建てで、砥部町南部の砥部川沿いに建つ。原石を杵で砕く「乾づき室」と水蔽に用いる「水づき室」を水車の両脇に左右対称に配する。陶土圧縮装置や石粉に含まれる粗い粒子を細かく摺り込むトロメルと呼ばれる回転式ドラム缶を備えるなど砥部焼の陶土生産工程を集約した近代的製陶施設である。 | |
302 | 国 | 名勝 | 面河溪 | 面河村 | 面河溪は節理がみられる岩石と屏風岩・兜岩・鎧岩などの絶壁、御来光の滝、霧迫滝などの滝、紅葉淵の深淵など変化に富み、渓谷はモミ・ツガ帯と呼ばれる中間温帯林で、植物相や動物相にも恵まれ、新緑・紅葉で有名である。 | |
303 | 県 | 史跡 | 仰西渠 | 久万町 | 江戸時代の明暦年間(1655〜1658年)から寛文年間(1661〜1673年)のころ久万川の上流天丸川に沿って安山岩の岩盤を掘削した用水路。長さ57m、幅2.2m、深さ1.5mで川水を取り入れ下流の水田25haを潤す。旧久万町村の商家山之内彦左衛門が私財を投じて掘ったもので、彼の号「仰西」にちなみ仰西渠と名づけた。用水源に乏しかったので恒久策として堰や樋ではなく、水路を切り開いた。石のみと槌だけで3年かけて完成させた。 | |
304 | 県 | 名勝 | 別子ライン | 新居浜市 | 国領川の上流にある渓谷で鹿森ダムを経て清滝に至る地域には、変化に富んだ景観が広がる。一帯は三波川帯の結晶片岩地帯に石鎚山断崖層が横断しており、急峻な山腹が続いている。旧別子銅山関係の遺跡も多い。 | |
305 | 県 | 名勝 | 金砂湖及び富郷渓谷 | 四国中央市 | 昭和28(1953)年に柳瀬ダムが建設され宇摩地方の水不足が解消した。銅山川には約8kmにわたり人造湖「金砂湖」が形成され、翠波高原の緑が湖面を彩る。富郷地区では銅山川が造る断崖や深い淵、奇岩、怪岩が続き、戻ガ淵や遠猿の甌穴等の景勝地が造られている。 | |
306 | 県 | 名勝 | 御三戸嶽 | 美川村 | 面河川と久万川の合流点にある高さ37m、幅137mの巨大な奇岩絶壁の三角状の石灰岩である、頂上に老松などが茂り、別名軍艦岩とも、淵の水色の変化で岸壁の色が変わるので七面鳥岩とも呼ばれている。 | |
307 | 高知県 | 県 | 史跡 | 山田堰 | 土佐山田町 | 藩政時代、野中兼山により寛永13(1636)年から寛文3(1663)年までの28年間の歳月を費やして構築された井堰。 |
308 | 県 | 名勝 | 大樽の滝 | 越知町 | 仁淀川の支流坂折川に、流入する大樽谷川の中ほどにある高さ50m程の滝。 | |
309 | 県 | 名勝 | 轟の滝 | 香北町 | 日本の滝百選の1つに選ばれたこともある本県を代表する滝。3段の滝で各滝壷の甌穴が発達し、高さは80mに及ぶ。 | |
310 | 県 | 名勝 | 長沢の滝 | 東津野村 | 四万十川上流の北川に注ぐ長谷川渓谷の上流部に位置する。古くから知られていたと見え藩政中期の土佐州郡志にも見える。 | |
311 | 福岡県 | 国 | 史跡 | 堀川用水及び朝倉揚水車 | 朝倉町 | 寛文3〜4(1663〜4)年にかけて、筑後川に初めて設けられた大規模用水と揚水車。 |
312 | 県 | 史跡 | 中間唐戸の水門 | 中間市 | 堀川運河の遠賀川の注入口の閘が崩れるので、備前(岡山県)の吉井川の石唐戸の構造を参考にして宝暦2(1752)年に築造が開始された。備前と違い、3枚構造で唐戸の形は掘川の上に家屋の中間部を設けそこに堰板戸を開閉する装置の鳥居巻と中戸を施し、その上に上屋を設け堰板戸を常備するようにした。砂泥の堆積が激しく文化元(1804)年に分流地点を上流に移した。 | |
313 | 県 | 名勝 | 白糸の滝 | 前原市 | 小蔵川が獅子舞岳の西側と荒川越間の県界から発源し鬱蒼たる国有林野に集まる多量の水流によって急潭をつくり高山性の後背地から下らんとする谷間に滝の飛瀑をかける。 | |
314 | 佐賀県 | 県 | 史跡 | 堤土塁跡 | 上峰町 | 7〜8世紀頃に築かれたと考えられる土塁跡。丘陵と丘陵の間の谷を塞ぐように築かれ、築成当時は両丘陵を東西につないでいたと思われるが、現在では切通川が流れ、東西に分断された形で存在している。切通川を堰き止めて農業用水を蓄えるためであるとの説があるがはっきりしない。 |
315 | 県 | 史跡 | 千栗土居 | 北茂安町 | 筑後川の治水を目的に、約12qにわたって築かれた堤防。成富兵庫茂安によって寛永年間(1624〜1644年)に十数年の歳月をかけて完成されたという。昭和30年代の筑後川改修に伴う廃提や昭和28(1953)年の大水害などにより、現在では部分的に当時の姿を残すのみである。 | |
316 | 県 | 史跡 | 姉川城跡 | 神崎町 | 佐賀平野特有の「クリーク」と呼ばれる水路に囲まれた「環濠集落」。中地江川の左岸に位置し、「館」地名がのこる大きな島と「奥館」「小路屋敷」などの地名の島群、「北ん館」地名の島群などからなる。文献史料や発掘調査の結果、14世紀前半頃の成立と考えられる。 | |
317 | 長崎県 | 県 | 史跡 | 対馬藩お船江跡 | 対馬市 | 久田川(厳原港の南、久田浦に注ぐ川)河口に構築された人工の入江にある、4基の突堤と、5つの船渠は、対馬藩のお船江の跡である。寛文3(1663)年の築造で築堤の石積みに当時の原形を保っている。江戸時代、水辺の各藩は藩船を格納する施設を設けていたがこれほど原状を残している例はない。 |
318 | 熊本県 | 国 | 重要文化財 | 通潤橋 | 矢部町 | 安政元(1854)年構築の眼鏡橋でサイホンの原理を用いた水道橋。 |
319 | 国 | 登録有形文化財 | 郡築二番町樋門 | 八代市 | 石造アーチ式3連樋門。昭和13(1938)年建造。 | |
320 | 国 | 登録有形文化財 | 郡築三番町樋門 | 八代市 | 石造アーチ式10連樋門。明治33(1900)年建造。 | |
321 | 大分県 | 国 | 重要文化財 | 白水溜池堰堤水利施設 | 竹田市、萩町 | 昭和13(1938)年に完成した堰堤(えんてい)。地盤が弱いためになだらかな曲線を描いて水が落ちるように設計されており、石張りで堰堤の左右は階段状にしたり、ゆるやかな曲線にしたりと工夫がみられる。 |
322 | 国 | 名勝 | 耶馬渓 | 中津市他11市町村 | 東西約40キロ、南北約35キロの広範囲に分布する山岳・岩峰・河川・瀑布など66カ所の総称。 | |
323 | 県 | 史跡 | 青の洞門 | 本耶馬渓町 | 僧禅海が享保20(1735)年から宝暦13(1763)年にかけて掘削した隧道。菊池寛の「恩讐の彼方に」によってその名を広めた。 | |
324 | 県 | 史跡 | 蝙蝠滝舟路跡 | 朝地町 | 竹田市から犬飼町までの河川交通を通すために、阿蘇溶結凝灰岩の河床にある滝の上部から舟路を開削したもので、明治8(1875)年に完成した。しかし明治20(1887)年に陸路が開設され、以降使われなくなったが、厳しい環境の中、先人たちの交通開発の苦労を見ることができる。 | |
325 | 県 | 名勝 | 藤河内渓谷 | 宇目町 | 花崗岩類の浸食地形で、随所に少瀑布と甌穴群がある。特に甌穴の形状は複雑多岐にわたる。新緑・紅葉とその景観美はすばらしい。 | |
326 | 県 | 名勝 | 九酔渓 | 九重町 | 玖珠川と鳴子川が合流する付近にある高低差約200mのV字型の谷。谷には瀑布も多く、特に震動の滝は落差83mで壮大である。秋は紅葉の名所でもある。 | |
327 | 県 | 名勝 | 由布川峡谷 | 挾間町、別府市 | 由布岳と鶴見岳の間にある猪の瀬戸湿原を源とする数kmに及ぶ浸食谷の大峡谷である。浸食により両岸が高さ30mほどの絶壁になり、40数条の滝水が落下する。 | |
328 | 宮崎県 | 国 | 登録有形文化財 | 黒北発電所 | 清武町 | 黒北発電所は、明治40(1907)年完成の水力発電所で石造平屋建、瓦葺、建築面積78m2の建物。外観は石積みの目地を表し、縦長の窓やアーチ型の明かり取り窓を用いる等、小規模ながら洋風の本格的な意匠が取り入れられている。現存する九州最古の水力発電所。 |
329 | 国 | 登録有形文化財 | 堀川運河護岸 | 日南市 | 明治期から昭和前期に飫肥杉を搬出する為に造られた運河の護岸。 | |
330 | 国 | 登録有形文化財 | 広渡川石堰堤 | 日南市 | 江戸中期に堀川運河の起点に造られた石造堤。 | |
331 | 国 | 登録有形文化財 | 享保水路井堰 | えびの市 | 明治22(1889)年、石造の井堰。 | |
332 | 国 | 登録有形文化財 | 塚原ダム | 諸塚村、西郷村 | 昭和13(1938)年竣工のコンクリート式重力ダム、提高87.0m、提長215.0m、当時の最新技術であったアメリカボルダーダムの技術を導入し、可動式ケーブルクレーンの採用など機械化施工の先駆けとなった歴史的にも価値の高いダムである。 | |
333 | 国 | 名勝 | 尾鈴山瀑布群 | 都農町 | 尾鈴山を中心とする尾鈴県立自然公園内にあり、その山中を流れる名貫川上流に30有余の滝からなる瀑布群が形成されている。その中の一つの「矢研の滝」は日本の滝百選にも選ばれてい る。 | |
334 | 国 | 名勝及び天然記念物 | 五箇瀬川峡谷(高千穂峡) | 高千穂町 | その昔、阿蘇山の火山活動により噴出した溶岩流(火砕流)が五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却されたためにできた柱状節理の断崖が見事な峡谷である。峡谷に流れ落ちる「真名井の滝」は日本の滝百選にも選ばれている。 | |
335 | 県 | 名勝 | 須木の滝(通称:観音滝、ままこ滝) | 須木村 | 指定当時は、高さ41m、滝壷の深さ22m。昭和33(1958)年の綾南ダム完成により、水位が上がり、かっての面影はない。(伝説)継母がままこを突き落とそうとしたところ、娘と伴に滝壺へ落ちた悲しい話が伝えられている。 | |
336 | 県 | 名勝 | 那智の滝 | 延岡市 | 川島神社より800mの参道を登った那智山如意輪寺本道右手の懸崖にかかる、高さ20m、幅6mの滝。 | |
337 | 県 | 名勝 | 鬼神野・栂尾溶岩渓谷 | 南郷村 | 椎葉村との村境:小丸川上流。 | |
338 | 沖縄県 | 国 | 重要文化財 | 喜友名泉 | 宜野湾市 | 喜友名集落の共同井泉として利用された。男性用と女性用に分かれ、各々周囲を石垣で囲い、自然の湧水を利用して水を溜める構造になっている。 |
339 | 国 | 重要文化財 | 仲村渠樋川 | 玉城村 | 地元ではウフガー(大きな井泉)とも呼ばれ、大正元年に現在の構造に改められた。西側は男性用、東側は女性用の井泉で、各々洗い場と水槽からなっている。 | |
340 | 国 | 登録有形文化財 | 潮平ガー | 糸満市 | 字潮平の大規模なムラガー(村の井泉)で、大正末期に現況に改修された。取水面は石灰岩の柱と梁で支えられ」たコンクリート造の屋根が設置される。 | |
341 | 県 | 名勝 | 宜野湾市森の川 | 宜野湾市 | 泉の湧水口とその周辺は切石積によって整えられているが築造年代不明。泉の西隣りには謝名西森御嶽がある。「羽衣伝説」の場所として知られている。 |
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