歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会 -日本文学に見る河川-
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歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会 -日本文学に見る河川- 第五回議事録
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平成14年6月7日(金)
日時:14:00〜17:00 場所:中央合同庁舎3号館4階特別会議室 |
5.懇談(2) |
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○委員長 | |
ありがとうございました。今の御報告に対して御質問、御意見をお願いします。 |
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○委員 | |
福知山の由良川の堤防祭りは、環境問題で言うと大変皮肉なことでして、ずっと堤防があったことはあったんですけど、地震で崩れちゃったんです。平場が余りないものですから、余り大きい堤防もできない。それから、勾配がきついので、洪水になると、洪水になっている時間が長くて悩み抜いていたところなんですが、初めて鋼矢板という鉄板を入れることをやったんです。それでもってわずかの面積で非常に強い堤防ができたということで大変感謝されて、それを採用した岩沢さんが、岩沢堤とあえてつけられたくらい地元では大変な感謝をされまして、それが今の花火大会まで続いているということですね。 |
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○委員 | |
矢作川ではなくて、矢作川に入る巴川だったかな、あそこも毎年8月の第1土曜日は大花火大会をやりますね。なかなかの見もので、私は毎年夏、第1土曜日はそこに行くようにしております。やはり、川と花火というのは非常に相性がよくて。あれ、山でやってもしようがないですね。危ないしね。 |
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○委員 | |
福知山のやつは山車が出るんです。花火をやる前に、みんな回るわけです。山車が回るところが排水門とか、ポンプ場とか、いかにも治水の祭りということを出していますけど、地元としては非常になじんでいます。最近は、そういうポンプ場とか、施設とか、鋼矢板というのはものすごい悪口を言われますけど。ここの場所は、もともと鉄道の要衝なんで、そういう面では鉄路の拠点地みたいなところなんです。そんなようなこともあったのかもしれません。 |
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○委員 | |
堤防神社というのは、本当にそういう名前ですか。何だか随分殺風景な名前だな。 |
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○委員 | |
もう一つ、治水感謝祭というのが北海道であるんですけれども、これは保原元二さんという北海道の役人の方の功績で、これは保原元二さんを祭ったんですが、御神体は日高から持ってきております。この2つだけが治水祭りだと思います。 |
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○委員 | |
木曽川の平田靭負ところもあります。そのほか、もっともっとあるんだと思います。 |
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○委員 | |
そうですね。特に今御紹介になっていた近代のやつは極めて珍しいですね。近代人の河川の技術の人がそのまま神様になるというのは、大変すごいインパクトというか、強引というのかわからないですけれども。 |
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○委員 | |
祭りを取り上げるクライテリアといいますか、琵琶湖はだめというのは全然説明になってないと思うんです。昭和56年からもう20年たっているわけですね。だから、200年たてばいいのか、20年だとだめなのか。 |
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○事務局 | |
琵琶湖に関しては、確かに年数としてはあるんですが、いわゆる川と人とのつながりを理解するのに役立つかどうかという観点で、イベント的かと思って、こういう整理にしております。 |
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○委員 | |
それは全然曲解じゃないかな。別に私は第3回世界水フォーラムがあるからと滋賀の肩持つわけではありませんが、多分、世界湖沼会議で湖沼の問題を考える、それをずっと続けていこうということのはずなので、それなりに水の問題を考えるという意味では、はずす理由には僕は今の御説明では全くならない。逆に、入れるべきだという御説明のように聞きました。 |
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○委員 | |
この歌枕というのは、万葉以来の日本の勅撰歌集の中に出てきたような歌、そこに詠み込まれた地名、川の名前を選んで、それを網羅して、川の名前からも歌が引けるようにしてあるわけですね。 |
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○委員 | |
どうも万葉に1回出たぐらいでは、初めは歌枕とは認定してないんですけれども、万葉の歌を本歌取みたいな形で中世なんかで詠みますね。そうすると、もう歌枕になると思うんです。たった1回だけというのは、厳密に言うと歌枕とは言えないだろうと思います。 |
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○委員 | |
ああいう歌枕の編成というのは日本だけですか。中国にはないでしょう。大体平安、鎌倉のものは。揚子江というのはあるけれども、あれは歌枕というのかな。それから、三峡とか、あれはよく詩歌に出てくるけれども、歌枕というのとちょっと違うんだよな。一種の歌枕ですか。それから、五山。泰山とか、衡山とか、廬山とか。ああいうところから来たんですかね、歌枕というふうにして地形で文学とを組み合わせて、いわばインデックスをつくるというのは。 |
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○委員 | |
これは外国の影響というよりは、日本的なものじゃないでしょうか。中央政治の支配とは非常にかかわってくるので、中世になると、特に後鳥羽院なんかは、かなり政治的な意図で歌枕を名所として。それこそ、宰相しているのにショウジワカというのをやりますから、そうすると中央政治の支配が行き渡ってないところは非常に歌枕は少ないですね。四国はほとんでないです。 |
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○委員 | |
歌枕にしてやって、中央の支配を自覚させる。表彰する。 |
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○委員 | |
それから、官人が受領なんかになって行きますね。それで、いろいろ東北のものを歌う。それで、都びとに、東北にはこんないいところがあったということを伝えます。そうすると貴族たちは行かないで、ただ想像するだけですけど、歌枕にする。平安の後期ぐらいになると歌学びの本ができますね。そこで歌枕がリストアップされて、この歌枕にはこの景物を詠むのがいいんだという、そういうハンドブックができちゃいますから、どうしてもそうなっちゃうんです。 |
○委員 |
俳句は一応それを排除するわけですね。 |
○委員 |
芭蕉なんかは受け継ぐと思いますよ。歌枕を見に行くわけですから。歌枕の歌集がたくさん中世から近世にかけてできまして、その中で「マツバメイショ和歌集」というのがあるんですけれども、それは芭蕉の愛読書だったようです。しょっちゅう座右に置いていて。ですから、芭蕉は陸奥の歌枕は非常によく知っていて、一応その歌枕を見に行くということで。また、芭蕉の研究者に言わせると、知っているところばかり寄っているんだというんですけど。 |
○委員 |
最上川というと、「いなにはあらずこの月ばかり」と。最上川というと稲舟、稲舟というとつまり農の稲、そういうふうにつながっているけど、そんなことは芭蕉は全く関係ないでしょう。最上川を詠みはしているけれども。 |
○委員 |
連歌の中では大分それを使っているんじゃないですか。芭蕉も。 |
○委員 |
使っています。歌枕的発想をね。芭蕉は「五月雨をあつめて早し最上川」と言ったときは、最上川というのは歌枕として言葉では使われていたけど、しかし、「五月雨をあつめて早し」というところは全く新しい。歌枕の系譜は、最上川という地名に入っているだけであって。 それから、最上川で舟に乗ってみたら、だれでも「あつめて早し」というのではなく、初めて芭蕉が言った。「五月雨をあつめて涼し最上川」、それが「早し」になって。それで、舟に乗ってみて、これは「涼し」どころじゃない、「早し」だと。最上川はダーッと行きますからね。しかも、「あつめて」というのが見事な把握であって。最上川の背景にある吾妻連峰から、朝日岳から月山、それから奥羽山脈、蔵王山、あの辺の山形側に降った水は全部最上川に合流していくわけですから、「あつめて早し」と。芭蕉はそういう地理的観念が非常に頭にあったんだと思うんです。「奥の細道」を読んでいくと、かなり彼は地理的に、頭の中にその土地の図形が頭にあって、それで書いている。地図を持っているんでしょうね。でも、あの当時の地図だよね。等高線なんかあるわけないから。寒河江川も、米沢の川も、結局はみんな最上川に集まっていく。そのことを踏まえて「五月雨をあつめて早し」だから、あの歌は山まで詠んでいるわけです。だから世界水フォーラムのモットーは、この芭蕉の俳句を一つ置けばいいね。(笑声) それから、今、山の木を増やすと川がきれいになるとか何か言うでしょう。それもそういうところで言っている。「五月雨をあつめて早し」の「あつめて」という中に。山の斜面に降って、それが滝になって、谷川になって、支流になって、結局最上川に集中していく。その過程を全部詠み込んだ。その動詞の使い方一つで、芭蕉は天才であった。それから、行った先が「あつきひを海に入れたり最上川」でしょう。これも海と川と山との関係、歴史との関係を置いて、これ以上の詞はちょっと世界文学にないんじゃないかな。 |
○委員 |
ただ、今の話はエジプトの連中にしてはわかるかといいますと、カイロは年間降水量が30ミリですから、どうしてナイル川が増減したか彼らは全然わからなかったはずなんですね。ですから、星占いとか、星を見てとか、そういう技術が発展したんだろうと思います。彼らには水を集めてナイルが流れているという感覚は全く持ち得なかったんだろうと思うんです。ですから、日本の俳句とか日本の文学は、日本の川の特性を踏まえて成り立っていると思うんです。 これは一つ私の希望なんですが、例えば飛鳥川なんかで、万葉からずっといろいろ詠まれているはずですね。これはもう空間的に集めていますが、時間的にある特定の川でずっと集めて、その流れの中で、今の飛鳥川なら飛鳥川をどう考えるべきかという、そういう議論を1回ぜひもらえると僕はおもしろいんじゃないかと思います。そういうところもこの懇談会のねらいの一つじゃないかと思っています。 |
○委員 |
去年の2月でしたか、一度、千田稔さんを船頭にして飛鳥川に行きましたね。何か水がちょろちょろでしたね。それでも、明日香村の方はよく保存されていてありがたかったです。 巻向の川というのは今もちゃんとしていますか。巻向の穴師川の瀬音が高いから、これは巻向の山に今きっと嵐がきているんだという人麻呂の歌がありますよね。あれはやっぱり、「五月雨をあつめて早し最上川」の原流になっている。山と川が。特に日本では、急斜面に雨が降って、すぐに滝になって、谷川になって、急流に川に注ぐ。だから、人麻呂の歌もあるし。川の波音が高くなってきた。つまり今、山で嵐がきているんだろうということで非常に不安な感じもある。それから、「五月雨をあつめて早し」とは、ちゃんと日本の地形の基本の型をつかまえている歌だと思うんです。 |
○委員 |
ちょっと補足ですが、川の問題を考えるときに、流域単位で考えるべきだというのが今やっと世界的認識になってきておりまして、そういう意味で言えば、日本ではまさに柿本人麻呂の時代から水循環というか、それをアプリオリにつかまえておったんです。これは世界全体の中の比較で言えば非常に特異な事例で、大体雨の水が降って、それがいずれ川に出て、そして海に行ってまたというこの水環境は、レオナルド・ダ・ビンチなんかも全然実感できてないんですね。あのイタリアに住みながら。やっぱり幾らかタイムラグがあります。これを実感できているのは、水問題を考える上において、私は日本人はものすごい特性を持っているんだろうと思います。 |
○委員 |
だって、自分たちの住んでいるところのすぐ裏に山があって、あそこの山に雨が降ったら、さあ、川は大変だというのはすぐわかるわけでしょう。それが大きな川に入って、例えば最上川なら海に出る。大体、山の民でも川沿いにいろんな情報が入ってきているわけだから、これが海に出て行くんだということがわかっていたんでしょうね。そうか、エジプトじゃわからないか。 |
○委員 |
わからない。全くわかりません。そういう問題を考えるのに一番適した世界のモデル河川が、日本の川だというイメージだと思います。 |
○委員 |
昔から水利の技術が発達し伝えられてきているわけですね。水利をやってなければ年じゅう洪水を浴びているわけで。 この歌枕をこうやって集めて、国土交通省としてはどう使いますか。 |
○事務局 |
やっている立場からちょっと申し上げたいと思いますが、今はまず先生方の御指導のもとに全国的にあらあら調べたんですが、やはりこういうことについて現場の事務所の所長なり課長なりが理解して、常にこういうことを念頭に置いた河川整備をすべきであると。先ほど尾田先生からも流域を考えなければならないという話が出ていますが、当然、川の上流から下流、流域を見た上で、その歴史・風土をバックボーンとして、環境の中の今までは景観、それから、エコロジーにきたんですが、やはり歴史・伝統・文化ということから見ると、人とのふれあいも非常に大切だと。それで、最上川とかそういう舟運の復活も必要でしょう。祭りによって地域活性化も必要でしょう。画一的に例えば多自然型とか、水辺整備とかやるのではなくて、どの場所がどの特徴を持っているから、こういう整備、こういう祭り、こういう舟運が必要なんだというのをみんなで理解した上で、少ない予算を回して河川整備に持って行きたい。その理解を深めるために、各所長さん方にわかってもらうために、今後頑張りたいと思っています。 |
○委員 |
各現地、現地で地元固めになるわけですね。この川はこういう歴史があって、昔から歌になったり俳句になったりして、それが地元だけではなくて日本国民全体に分かち持たれて、この川、あるいは一般に「川」というものについての日本人の考え方をつくり上げてきている。今の国土交通省の各地方の河川の事務所は、その先端を担っている。過去と現在を結びつけるエージェントである。重要な役割を持っている。過去を生かしながら現在を守って、よりよき未来につなげる。 やたらめったらに現在を変えてはいけない。なぜなら、過去にはこれだけの、この土地に住んだ人、この川を詠んだ人たちのこういう思いが託されているのだから。それを無にしてしまうような形の改修とかそういうことを考えない。なるべく生かすようにする。人々の霊、思いがそこに込められている。 |
○委員 |
現役の皆さんは言いにくいところがあろうかと思いますので、私の方から申しますと、やはり、敗戦後何とか経済復興しようということで、少々の雨が降っても氾濫しない川にしたいということで、治水優先でずっとやってきたのが事実なんだろうと思います。その結果が今の日本の川の現状で、確かに少々の雨が降っても、少々の大きな台風がきても、死者を出すとかそういう大きな被害が出ないところまで、確かにきたんだろうと思います。もちろん、超大型といいますか、アイオン、キャスリンクラスが来れば話は別ですが、そういう現状まできて、日本の川を翻って見たときに、本当にこれでいいのかという反省が、川の管理をしている人の胸にあるんだろうと思います。 これから、川が本来持っていたいろんな機能を充足するような本当の意味での川づくり、それぞれの川の個性を持った川に仕上げていく。そういう作業をするときに、今時点での物の見方ではなしに、長い歴史の流れの中で今の現在があって、それを今後どう考えていくべきか。その軸で考えるときに、我々のよすがになるのは、こういう古くからの歌であり、和歌であり、文学である。だから、そういうものをもう一度訪ねてみようというか、そういうものがある意味では唯一の指針になるのではないかと思っています。 それから、川が本来持っているいろんな機能を満足するような川に、これからある意味ではつくり直していく。これからやっとそういうことができるところまで、とりあえずばたばたと敗戦後、走ってきたんじゃないかという感じがしております。 |
○委員 |
事務局の方に御質問したいんですが、和歌、祭り、能ときましたので、きょうの赤坂先生のお話ともかかわる部分があるかと思うんですが、例えば今後この資料をさらに充実化させて、昔話とか説話といった分野で、河川の資料というのをぜひつくっていだだければなと思うんです。 |
○委員 |
絵もあるし、写真もあるしね。さっきの赤坂さんの話に出てきたような、いろんな聞き書きもしなければいけないですね。 |
○委員 |
そうですね、すでに活字化された昔話の集成のようなものではなくて、今も人々の中で生きているそういった聞き書きとか、伝承とか、芳賀先生の先ほどのお話にもありましたが、結局、土地に暮らす人々の記憶の深いところに流れている川との接触という問題を考えるときに、多くの庶民は、万葉集や古今集を知らずに一生終える人もたくさんいたわけです。また、松平定信の記録の中に、私は現物は見たことはないんですが、諸国全国の歌枕の地を家臣に旅をさせまして、そこここの土地に伝わる話など聞き書きしたものが、まとまってどこぞやにあるといううわさを聞いてはいるんですけれども、そういったものも今後、本来は歴史学なりの方が発掘していただけるといいと思うんです。あと、江戸時代のころの随筆のたぐいに分類されているようなものの中にも、河川と説話や聞き書きのようなものが、まとまっている形ではございませんけれども、入っておりますので、明治以降途切れてしまった記憶が、そういったものの中からも多少は拾遺できるのではないか。きょうこの資料をお示しいただいただけにそれを感じました。 |
○委員 |
大変な御苦労をなさった資料だろうと思います。これが単に目先の批判をかわすためにやっているということでないといいなと僕は思いながら見ていました。 実際、僕が聞き書きして歩いていても、昭和50年代に戸沢村の古口に特殊堤防ができるんです。それまでは、あそこは本当に年がら年じゅう水びたしになっている、大変な水上がりとの闘いの歴史を刻んできた土地なんです。やっと特殊堤防ができて、洪水、水上がりから解放される。立谷沢川も大変な暴れ川で、もう聞き書きしていると竜神信仰がたくさんあるんですね。もう神にすがるしかないような。そして、木とかで足場を組んで、洪水のときに一生懸命に立てて、対岸に水が流れるようにする。そうするとまた向こうでやる。そういうけんかのようなことがもう命がけで行われた。そういう歴史がついこの間まであるんですよ。 ところが、とにかく堤防ができた。治水がかなりきちんとできた。そうした歴史はすぐに人間は忘れちゃうんです。忘ると同時に、忘れることを非難するよりも、多分人間と川とのかかわりをめぐる歴史というのが、新しいステージに入ったんだと考えるべきじゃないかと僕は感じています。 つまり、高い堤防を建てることによって、確かに洪水や水上がりから人間は解放されたんです。それが同時に、人間たちが川とかかわってつくってきた歴史そのものをまた消しちゃったんですよ。川がすごく遠くに行っちゃったんです。川が遠いということは、川にごみを捨てても何も感じないわけです。川とかかわる暮らしというのがあれば、川を汚せば魚がとれなくなる。そういう具体的な日常の場面で自分にはね返ってきますから、そこは川とのかかわりも大事にする。人に言われなくても、村じゅう総出で、川が汚れてくれば浚渫工事をみんなしていたんですよ。川さらいをみんなやっていたわけです。そういうことも全部それこそ建設省や国土交通省に押しつけてしまった。それは、人と川との距離が非常に遠くなってしまったということが大きいと思うんです。それをこれからの新しいステージの中では回復しなくてはいけない。こういう歌枕とか祭りの調査というのもそういうことだろうと思うんです。 ただ、僕は今、5年ぐらいかけて最上川の調査研究をやろうと思っているんです。膨大な仕事があるんです。県も、最上川をきれいにするということで大きなプロジェクトを立てているんですけれども、文化にはさっぱりお金を出さないんです。出さないなら勝手にやってしまおうと思って、いろいろ考えています。5年かけて最上川の映像史をつくってみたいと思いまして、予算も自分のところでつけたんです。今撮りたいと思って、映画をつくろうと思っているんです。それも、自腹でやれる限りやろうと思っているんです。 |
○委員 |
今お話が出たような取り組みは全国の川で始まっておりまして、例えば千曲川では千曲塾というのが始まっています。これは1年ぐらい経過しているんですが、今まで河川管理者が物を知っておって、地元の人たちに教えるという形で接しておったわけですが、そうではなしに、本当に川のことは流域の方たちが御存じなのではないか。まず流域の方たちの教えを請うという取り組みが既にありまして、数カ月に1回ずつ地元のそういう方にお話を伺う。伺うのはまた流域の人たちというような、そういう取り組みが進んでおります。そういう取り組みの一つの形態として、具体的なこういう形でやっていこうというのが出てくれば、それを受けて地元の現地の事務所で対応をしていくことが、全国でこれから起こってくるのではないかと思います。そうなってくると、それぞれの川ごとに川の特性にあわせた具体的な取り組みが出て、それが一つのデータベースとして将来残っていくということになっていけば、すばらしいなと私は思います。 |
○委員 |
それは四国の吉野川でも同じようなことをやっているし、あるいは上流地域、中流地域、下流地域に分かれて、それぞれ河川浄化の問題から河川の研究までやっているけれども、しかし、最上川のところみたいに、大学の中に非常にしっかりした研究組織がイニシアチブをとって、それをきちんと学問的な形にまとめようとしている。それはなかなかないんです。今の千曲川だって、地元の人たちが集まって動き始めているだろうけれども、それを信州大学がきちんと受けとめてやるというのならいいけれども。学問的水準まで行っている河川研究は、まだちょっとないんじゃないかな。石狩川でも、信濃川でも、吉野川でも。吉野川でも、いわば地元の人たちの市民運動というものは県の推奨もあって動き始めているけれども、このように、これだけの本もあって、蓄積があって、それで映像から歴史、民俗まで含めて、一級河川の流域をずっと研究をやるというのは、非常に重要ないいモデルになりますね。 |
○委員 |
ただ、私これ(歌枕と祭り)の作業をなさった初めのころ見せていただいたんですが、歌枕と祭りをお取り上げになったのは、とてもおもしろい組み合わせだと思うんです。これは多分この資料づくりで終わったのではなくて、河川局関係で全国規模で作業をなさっていらっしゃるということですから、大変なものだと思うんです。これを正確性を期していけばいろいろ使われていくと思うんです。 |
○委員 |
今度の世界水フォーラムまでに、この川の「歌枕集」をつくってしまうといいね。それで英訳ぐらいつけて。大したお金じゃなくてできますよ。 |
○事務局 |
世界水フォーラムの話が幾つか出ましたけれども、私どもで、「水と文化」という展示を行いまして、そこに活用していくこと、それから、「水と文化」というセッションも用意されておりまして、発表したいと思って登録しています。 |
○委員 |
ちょっと補足しますと、「水と文化」ではフランスが非常に熱心でして、フランスと日本とアラブと3つの例にとって、水と文化の関係を展示で表現しよう。これ、京都でぜひやりたいという提案がきておりまして、そういう方向で多分動いていくんだろうと思います。どういう内容になるかは、今日本側とフランス側で話を詰めているところです。フランスに水アカデミーという、アカデミ・デ・ローというのがつくられておりまして、日本水アカデミーをつくってはどうかという提案もあります。これはぜひやりたいと思っております。そういうことになりましたら、よろしくお願いいたします。 |
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6.閉会 |
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○委員長 | |
きょうは、赤坂さんの発表を中心として大変活発にいろいろ意見、情報をいただきまして、ありがとうございました。大変おもしろい研究会で、河川局にぜひ予算手当てを。ふたをあけてみたら、ちゃんと回ってきたと。赤坂さん。ありがとうございます。 きょうは大変ありがとうございました。 |
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