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河川局

審議会等の情報 社会資本整備審議会河川分科会について


第39回河川整備基本方針検討小委員会

平成18年5月15日


出席者(敬称略)
委員長  近 藤   徹
委   員  池 淵 周 一

伊 藤 和 明
海 田 輝 之
楠 田 哲 也
黒 澤 正 敬
越 澤  明 
澤 本 正 樹
塚 本 隆 久
辻 本 哲 郎
浜 田 康 敬
福 岡 捷 二
渡 辺  寛
増 田 寛 也
村 井 嘉 浩
野 呂 昭 彦


1.開      会

(事務局) それでは、ただいまより第39回社会資本整備審議会河川分科会河川整備基本方針検討小委員会を開催いたします。私、本日の進行を務めさせていただきます河川計画調整室長の○○でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 まず、お手元に配付しております資料のご確認をお願いします。まず、議事次第が1枚ございます。名簿が1枚ございます。次に、配席図が1枚でございます。それから、資料目次が1枚でございます。次に、資料1−1、付議書及び付託書でございます。資料1−2、社会資本整備審議会運営規則でございます。資料1−3、社会資本整備審議会河川分科会運営規則でございます。資料1−4、一級水系にかかる各種諸元でございます。次がカラーのA3判でございます。資料2−1、北上川水系の特徴と課題でございます。資料2−2、雲出川水系の特徴と課題でございます。次が資料3−1、北上川水系工事実施基本計画でございます。資料3−2、雲出川水系工事実施基本計画と雲出川水系河川整備基本方針(案)でございます。資料4、雲出川水系河川整備基本方針(案)の骨子でございます。資料5、雲出川水系河川整備基本方針 基本高水等に関する資料(案)でございます。資料6−1、北上川水系河川整備基本方針 流水の正常な機能を維持するため必要な流量に関する資料(案)でございます。6−2、雲出川水系の同じものでございます。資料7−1、北上川水系河川整備基本方針 土砂管理等に関する資料(案)でございます。7−2、雲出川水系の同じものでございます。参考資料1−1、冊子になっているものでございます。北上川水系の流域及び河川の概要(案)でございます。参考資料1−2、雲出川水系の同じものでございます。参考資料2−1、北上川の管内図でございます。参考資料2−2、雲出川の管内図でございます。参考資料3−1、北上川の流域図でございます。参考資料3−2、雲出川の流域図でございます。
 以上でございます。資料に不備等ございましたら、お申しつけください。よろしいでしょうか。
 それでは、会議に先立ちまして、本委員会の新しい委員をご紹介させていただきます。
 北上川水系の審議のため、地方公共団体からの委員として○○委員でございます。
 ○○委員でございます。
 地元に詳しい委員として、○○委員でございます。
 雲出川水系の審議のため、地方公共団体からの委員として○○委員でございます。
 地元に詳しい委員として、○○委員でございます。
 本日は、○○委員、○○委員、○○委員は、ご都合によりご欠席されております。
 また、傍聴の皆様におかれましては傍聴のみとなっております。議事の進行にご協力願います。
 本日、本委員会でご審議いただく水系は、北上川水系、雲出川水系の2水系です。北上川水系及び雲出川水系の河川整備基本方針につきましては、去る2月8日付で国土交通大臣から社会資本整備審議会会長に付議がなされ、2月13日付で同会長から河川分科会会長あて付託されたものです。
 それでは、委員長、よろしくお願いいたします。
(委員長) 本日は、委員の皆様にはご多用中のところご出席いただきまして、まことにありがとうございます。
 それでは、議事次第に沿いまして、北上川等2水系の河川整備基本方針について審議をいただきたいと思います。事務局から説明をお願いいたします。   
(委員)  

2.議      事

(事務局)  事務局側の○○でございます。それでは、座ってお話をさせていただきます。
 まず最初に、北上川のほうは、恐縮ですが、画面のほうをごらんいただきたいと思います。
 非常に大きな、全国で4番目の流域面積を持ちます1万平方キロ、大きな水系でございます。上流から今ずっと下流のほうへ下っていきます。盛岡のまちが今ちょうど真ん中ぐらいで、その上流に四十四田ダムというダムがございますが、盛岡のあたり、四十四田ダムだとか幾つかのダムが、昔、TVAというか、あれにちなんでKVA(北上VA)というので周りにたくさんのダムがつくられまして、洪水対策とかんがい、水道などの利用、それから発電の開発というのが計画的になされてきてございます。
 胆沢ダムというのは、昔ございましたダムを水没して大きなダムにするというダムです。盛岡のところを北から南へ今見ていただいておりますが、この北上本川の周り、両方、東と西から川が合流しております。雫石川と中津川です。こういう川が集まるところでございますので、昭和22年のときなどに非常に大きな水害をこうむっています。ここからだんだん下流へ見ておりますが、少し田園地帯でございます。後でまたご説明しますが、堤防のまだできていない区間がたくさんございますので、周りのこういう水が、これ、22年のカスリンのときあふれたのが、今、水色でかいてございますけれども、そのような浸水状況もまだある地域がたくさん残されてございます。江刺を今過ぎます。水沢です。これは22年のときの水沢の状況でございます。水沢工業団地も水につかっているものがあります。この北上川は、昭和22年、23年と連続して大きな水害をこうむってございます。
 このあたりまで同じような風景なんですが、この後、今、狐禅寺と書きました下流に狭窄部がございますので、この上で水がたまりやすい地形になってございます。それは一関の市街地を水害に合わせるということで、その両方の、一関の水害を守る、それから全体の洪水をためるということで、今、一関遊水地ということで整備されています。砂鉄川とかこういう途中の狭窄部、合流しております川は非常に土砂の流出が多くて、河床が上がり、それで水害が近年になりましても起きたりしております。この狭窄部を過ぎますと、ここは大きな田園地帯に入ってきます。穀倉地帯といいますか、宮城の一連の平野につながるところです。北上川は、今、右側に見えました旧北上のほうへ流れておりましたものが、過去、本川、今見ていただいているほうへ切りかえてきてございます。
 このまま、これはだんだん東のほうへ向いているわけでございますが、左へカーブして、東へ向いて太平洋に流れ込むというものです。これは旧北上川のほうをごらんいただいています。全体的に平野部穀倉地帯でございます。これは後でまた絵でご説明をさせていただきますが、石巻のあたりの水害を守るといいますか、下流部の水害を守るため、たくさんつけかえが行われてきまして、今、石巻のほうへ流れているのは旧北上川でございます。これは石巻市街地でございます。
 これに合流します江合川、今、旧北上川の西のほうから流れてきている川でございます。このあたりも昭和22年、23年の洪水でたくさんの被害を受けてきたところで、今、水色で塗ってありますのが22年のときの浸水の状況でございます。下流のほうで相当水が流れないので、新江合川という放水路をつくりまして、鳴瀬川という別な川のほうへ放水をしているという事業も過去行われてきてございます。先ほどの旧北上川に合流をすると。合流地点が、今、この旧北上川の基準点の和渕というところになってございます。
 以上でございます。
 じゃあ、お手元のA3判のカラーの資料をごらんいただきたいと思います。右肩に資料2−1と書きました資料です。北上川水系、1枚目は流域の概要というものから始まるものでございます。お時間もあれでございますので、ちょっとはしょった説明になるかもしれませんが、ご容赦お願いしたいと思います。
 流域の概要でございますが、今ごらんいただきましたように左のほうに諸元が書いてございますが、東北で一番大きい、全国で4番目の流域面積、1万km2の流域を持つ大きな川でございます。流路延長も250kmという長さを持っております。かなり穀倉地帯でございまして、米の収穫というものがかなり中心的になされている場所でございます。その他、下のほうに産業の状況を書かせいただいております。右のほうに、ごらんいただきました雨の降り方でございますが、左側といいますか、西側は奥羽山脈でございまして、奥羽山脈のほうには2,000mm前後の雨が降ります。それよりも東側のほうは全国平均よりも少ない1,000とか1,300mmという降雨の状況でございます。右下、土地利用状況がありますが、山林78%、先ほどのように水田が非常に多くて、畑、宅地というような状況でございます。
 1枚おめくりいただきたいと思いますが、恐縮です、お時間の関係でちょっと細かい説明を省かせていただきますが、北上川、原始河川の状態から江戸時代1、江戸時代2、明治時代と書きましたように、過去、非常に先人が苦労して水害対策、それから舟運といいますか、舟の便のためなどで川をつけかえております。一番左側がもともとの川でございまして、北のほうからずっと北上川が流れて石巻のほうへ流れるという、こういう川でございました。途中のところは、恐縮ですが、後でまたごらんいただきたいと思いますが、結果、右の明治時代というところをごらんいただければと思いますけれども、現在、北上川の本流というのは、今、右側の新北上川の開削というのがございますけれども、こちらのほうへ流そうとしてきたものでございます。それから、石巻が下のほうにございます。この左側、江合川の上流のほうで新江合川の開削というのがございますけれども、この辺で石巻のほうへ行く水は横へ導水すると、こういうふうなことが行われてきてございます。左下のほうは、今度変わりました上流部、先ほどの盛岡のまちでございますが、盛岡中心部を北上川が流れます。昔の流路は濃い青でかきましたものを、この辺の城下町の形成の過程で今ちょっとずらしたりしているというようなことでございます。
 次のページをおめくりいただきたいと思います。先ほどちょっと触れました北上川のKVA(特定地域総合開発計画)というのがございます。左側に少し経緯がございますが、ダム計画が昭和16年に立てられましたが、22年、23年と大きな洪水がございました。こういうこともあって、その他の目的も含めて昭和28年2月に北上川特定地域総合開発計画という、TVAになぞらえましてKVAというものが始まって、右側の絵にございますような幾つかのダムを周りでとめて本川の洪水を防ぐ、または発電をする、その他農業用水等々の開発をするというようなことが計画的に行われてきてございます。
 次のページをおめくりいただきたいと思います。洪水の被害を振り返っていただきたいと思いますが、北上川、左側の年表で書いてございますように、盛岡のところ――明治橋と書いてあるのが盛岡のところでございまして、ここは明治43年9月の洪水が今までで一番大きかったものでございます。明治時代なので詳細なデータはあれですが、一応、2日で257mm、それから明治橋の洪水は大体6,200m3/sぐらいだったのではないかと見られてございます。それから、北上の本川としては、昭和22年、23年、これは流域水系全体に雨が降って、被害のほうはどちらかというと中下流部にたくさんの被害が出るというような状況でございます。一番大きいのは昭和22年の7,900m3/s、狐禅寺というのがありますが、これは一関のあたりでございますけれども、こういう流量が出てたくさんの被害が出てございます。下のほうをずっと見ていただきますと、現在の工事基本計画、昭和48年に本川のほう、それから昭和55年に旧北上川のほうの工事基本計画というのができてございます。河川のマスタープランとして今の計画でございます。その後も、昭和56年8月に少し大きな洪水がございました。それから、最近では平成14年にまた、それと似たようなものですが、洪水が発生してございます。右のほうに、昭和22年、23年、最近の平成14年というものの浸水状況・被害を載せてございます。左側2つは全般的な水害、右のほうはさっきちょっと画像でも出ておりましたが、狭窄部といいますか、そのあたりで合流しています砂鉄川だとか、こういうところの合流部で土砂で河床が上がったりすることも含めまして被害が顕著に出たものでございます。
 次のページをごらんいただきたいと思います。こういうことについてどういうことをしてきたか、どういう課題がその川の洪水対策としてあるかというのを載せてございます。まず上流部、盛岡周辺でございますが、先ほど申し上げました明治43年の洪水が非常に大きかったわけです。これは左下に等雨量線図がかいてございますが、一般的には先ほどの昭和22年、29年だとかは、北のほうから台風でどんどん上がっていって、全体の雨量としてはまんべんなく降る感じなんですが、これは前線性の降雨で下流のほうはあまり降っていませんが、盛岡だとかその上流域のところにどんと降ると、こういうのが明治43年です。近年では昭和57年にも、これほどの雨ではありませんが、似たような傾向がありますが、一般的にはこういう降り方はあまりしない。ただ、降った場合には、右に写真と地図がございますけれども、盛岡の真ん中で――左の真ん中ぐらいの写真ですと上から北上川、左というか、西のほうから雫石川、東のほうから中津川と合流する、そのあたりが盛岡でございますので、右の図のように、これは赤い点線が43年のときの浸水域、青だとかで塗っておりますのが現在の浸水想定区域ということで、盛岡の中心部が水害に遭うというようなおそれがあるところでございます。これはまた後で改修のところでお話をしたいと思いますが、右下のように河川改修をしないといけないのでございますが、この北上川、盛岡のど真ん中を流れているものですから、川を広げたりすることができない。それから、掘削も、今これ、書いておりますけれども、周りの緑だとか憩いの空間がなくなってしまわないかというような心配がされるところでございます。
 それから次のページでございます。今度は、今の盛岡から下がりまして、盛岡の下流からずっと河口部、下流部までを載せたものです。先ほど来申し上げていますように、主な洪水としては昭和22年と23年でございまして、北上川全体としては22年が最大の洪水でございました。この雨も、先ほど盛岡中心に降っております明治の雨を見ていただきましたが、昭和22年、それから最近の平成14年の雨というのは、トータルで見るとこんな降り方をしているというのを下へ載せさせていただいております。
 先ほど画像でごらんいただきましたが、ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、右上に書いてございますように、右上の図は、右側が上流で、一番左側が河口部でございます。青でかきましたのは川幅を書いてございますけれども、川幅が一関の下流ぐらいでぐんと狭くなります。これが何十kmか続きますが、勾配も、その上の茶色の絵のように、そこぐらいまでは一定の勾配でどんどん流れていきますが、この後は緩くなるというところでございまして、狭窄部の上というのが非常に洪水に遭いやすい、浸水しやすいという場所になってきているのがこの特徴の一つでございます。
 それからもう一つ、特徴の一つとして真ん中にございますが、多く残る無堤部と書かせていただきましたが、これは後でまたもう少し詳しい図をごらんいただきたいと思いますけれども、北上川の堤防の整備率はまだ37%ぐらいです。特に岩手県側と書きました一関より上流の部分は、無堤が40%ですね。暫定も入れますと6割というような状況でございます。このあたりの備え方をどうしていくかというのは一つの課題でございます。
 それから、右側にありますのは緩勾配の拡散型、これは狭窄部よりもうんと下流部でございます。それはある程度広がる低平地の地形でございます。勾配も緩いというので、一旦あふれますと広がるような地形でございます。ここはある程度掘削をしていけば、河道の能力があれば大丈夫な状況かとは思われています。
 あと、地震と津波が書いてございます。宮城県沖地震が過去起こりました。何十年に1回か起こっておりますので、またしばらくすれば同様の地震が起きる。もしくは、もう少し長いレンジでは非常に大きなものも起きるかもしれないと言われているところでありますので、その備えが必要になっているというものであります。
 次のページをご覧いただきたいと思います。今度は旧北上川のほうでございます。過去の主要な洪水、ここは22年――23年がちょっと抜けてございますが、23年も大きゅうございました。それから最近、14年とかがございます。
 それから、真ん中にございますが、全体的に広い穀倉地帯の平野でございます。拡散型の氾濫域の低平地でございます。浸水想定区域図が載せてございます。それから、最近の浸水状況が下にございますが、こういう浸水の仕方をするというのが一つです。
 それから、ここの特徴の一つで右上でございますが、旧北上の河口部は石巻のまちのど真ん中を流れます。ここは人家のほんとうに密集している地帯でございまして、堤防の整備をする予定ではございますが、その部分のやり方につきまして、過去、大変苦慮してきたところでございます。大体5km区間ぐらい、こういう密集地帯の中を流れている川でございます。それから、右下ですが、いろいろ分派してきました。最近のものとしましては、北上川と旧北上川、これは今、ゼロ分派といいますか、完全にその対策は終わってございます。それから、江合川から新江合川を通じまして鳴瀬川へ800m3/sという分派の計画でございます。これは大体500m3/sぐらい現況ができておりまして、残りも整備をするという予定でございます。分派の部分の写真も載せてございます。
 これで状況を見ていただきまして、じゃあ、今度、計画としてどうしていくかということで、まず、基本高水のピーク流量の検証についてお話をさせていただきます。
 基本高水の考え方につきましては、工事実施基本計画では、北上川本川につきましては、一関の狐禅寺で100分の1、基本高水のピーク流量、ダムなどで調節しない前の流量が1万3,000m3/s、ダムなどで調節をいたしました後、用水池で調節をしました後が8,500m3/sということで、4,500m3/sの洪水調節を行う計画でございます。
 近年の雨は右上のグラフでございまして、先ほど来申し上げていますような22年とかのものが大きゅうございますので、最近はそれに匹敵するような大きなものは出てございません。そのことから計画を改定しないといけないということはないのではないかと思われます。
 それから、真ん中下ですが、最近まで入れました流量の確率で、大体今の1万3,000m3/sが妥当かどうかという検証をしてございます。いろんな確率手法の中で妥当なものと思われる手法のものをみんな並べてプロットしたのが真ん中の図でございまして、そこで見ますと、100分の1というのは大体1万700m3/sから1万3,200m3/sという幅でございまして、計画の1万3,000m3/sというのは最近のデータを見ても妥当なものではないかと思われます。
 それから、既往洪水で見たりしておりますが、昭和22年が1万2,000m3/sぐらいでございました。それから、もっと湿潤な状態を考えると1万6,000m3/sみたいなことも想定できるというものでございます。大体1万3,000m3/sが妥当な、このまま今までの基本高水流量が妥当ではないかというふうに思われます。
 次のページでございますが、少し変わった問題がこの川にはございまして、これは北上川の盛岡の部分でございます。明治橋のところを見ましたものでありますが、これは今申し上げました水系全体からいうと100分の1で計画をしております。それも昭和22年なんかが基本波形になっておりますが、左のところ、文字で恐縮ですが、明治橋地点(盛岡市)の取り扱いというのが書いてございますが、現在の計画では、明治橋というのは工事実施基本計画の基準地点とはしてございません。ただ、明治橋地点につきましては、1つは先ほどの狐禅寺という水系全部の安全度は100分の1というのを立てたわけでありますが、明治43年9月の洪水を見ますと、それよりも大きな雨、流量が発生してございます。6,200m3/sぐらいだと思われるわけですが、そのもののデータが当時まだございませんので、大体想定するものとして見ると、雨量のほうは実際発生したよりも小さくなっておりますが、実際は257mmですが、226mmでそれぞれのいろんな波形、ほかの波形を入れてみて、安全度150分の1相当――「相当」と書きましたのは、150分の1にしようということなのかではなくて、明治43年の洪水、実際発生してございますから、これを評価すると大体そのぐらいにこの地点ではなるということかと思います。こういう計算をいたしまして6,200m3/sということにしてございます。幾つかのダムでカットして3,700m3/sにするというようになってございます。左下は、雨のこういう特異な降り方というのはありますが、明治43年、それから昭和57年にもこういう降り方をしてございますけれども、多くは全域に降るというほうなので、こういうやり方で現在の計画は成り立ってございます。ですから、繰り返しますが、全部100分の1の計画をするんだけれども、盛岡のあたりのは、実際もっと大きな洪水が発生していますので、それに対応すると。それをある種の確率評価でやると150分の1ぐらいになるという計画で北上川本川が成り立ってございます。
 最近までの流量とか雨を見るとというのが右上でございまして、その後、大きなものは、昭和23年度から以降は計画に行くようなものは発生してございません。
 それから、流量確率で見ますと、右の大きいほうがわかりやすいと思いますが、100分の1で見ると、近年までで見ますと4,800から5,500m3/sぐらいと。それから、150分の1で見ると5,000m3/sから6,500m3/sぐらいという状況の川でございます。
 次をおめくりいただきたいと思いますが、これはお時間の関係で飛ばさせていただきますが、6,200m3/sの明治時代のことでございます。再現のやり方をつけてございます。ちょっと省略させていただきます。
 次のページでございますが、今度は旧北上川の流量はどうかということでございます。これは左上にございますが、和渕地点150分の1で基本高水のピーク流量4,100m3/sというふうにしております。それで、上流のダムでカットいたしましたりして、和渕地点で川のほうの流量は2,500m3/sということでございます。150分の1とはなっておりますが、この4,100m3/sというのは実は昭和23年の実績でございますので、ここも先ほどの盛岡と同じように実際4,100m3/sぐらいの洪水が出ているので、それをあわせてみると150分の1であるということと、ある種の全体の水系としての統一はとれているのかもしれません。
 それから、右上のほうはその後の流量を入れておりますが、ほかのところと先ほど来と同じでございます。
 それから、真ん中下は最近までのデータでの流量確率で検証しております。150分の1でと思いますと3,400m3/sから4,400m3/sと。4,100m3/sの基本高水というのは、最近のデータを含めても確率的にはおかしくないだろうというものでございます。
 それから、次のページに行きたいと思います。今、基本高水の流量につきまして述べさせていただきました。今度は、各川の治水対策の課題みたいなものをお話しさせていただきます。
 これは相当大きな川ですので、ちょっと時間がかかっちゃうので、少し飛ばさせていただきますが、12ページでございますけど、左側、先ほどから何度か申し上げています盛岡のまちの中、これは上流部、盛岡のことを書きましたページでございますが、3つの川が合流するところが盛岡の中心部よりちょっと下流でございます。そういうので水害が出やすくなっていると。ところが、この写真が非常に見づらいかもしれませんが、盛岡駅の右側のほう、少し狭い区間が何kmかつながっております。ここは過去から非常に苦慮しております。右上の写真のような風景でございますが、洪水、非常に流しづらいというのがあって、真ん中、現況河道水位というのをごらんいただいてもわかるんですが、もともと河道掘削というようなところについて、計画高水、ハイウォーターレベルというのが黒い線で書いてございます。これもこの区間だけは下がってございます。堤防そのものも過去つくることがまち中のあり方としてできないということで、河床を当時から下げて対応するというような思想でなってきておりますので、計画高水はこういうふうに下がるというような川のつくり方です。これに対して、現況水位というのが少し上のほうに出てきておりますが、やっぱり流量自身もここが足りないというのが現況でございます。
 一方、右上にございますように、こういう川の空間でございますので、まちの潤いの中心部みたいなところでございますけど、これをばさっと掘削をすればいいのかどうかというところはあるかと思います。断面図につきましては右側にございますが、赤いところを、今、掘削をすると。例えば右側の河川敷だとか、生えております樹木なんかについての取り扱いをどうするのかということがございます。
 それから、ダムとか上流の洪水調節施設ですが、四十四田ダムだとか御所ダムだとかがこれまで整備されてきております。例えば四十四田があります北上川が、今、能力が非常に足りない状況でございまして、今、2,600m3/sの上流から流れてきますものに1,500m3/sをダムでためまして、1,100m3/sぐらいの計画流量になっておりますが、残り四、五百トンぐらいございますので、これが今後の洪水調節としても必要な量になっております。ダムの再開発なりその他の施設なりというのを考えていかないといけない状況です。
 一方、雫石川につきましては、現状でも1,700m3/sでございますが、川幅が先ほど平面の写真でありましたが、それなりに現況流下能力もございますので、大体それでいいかと。中津川は県のほうでご管理をされていますが、まだ掘削のほうを残しておりますが、北上川みたいにほんとうのまちのど真ん中というわけではございません。それでもまちの近いところを流れている川ですので、この辺も河道掘削等の対応が必要になってございます。
 それから次のページでございますが、今度は盛岡を過ぎまして、中流部からうんと下流部、河口まででございます。真ん中上に現況の水位、流下能力が書いてございます。青い線だか黒い線だかが計画の水位でございます。それに対して現況の水位は赤い線で上に行ってございますので、大きく上に行っているところはそれだけ足りないと。下流部、左側のほうは、大体計画どおりやれば河道の掘削で大丈夫かなというものです。それから、狭窄区間がございます。狭窄区間の直上流に狐禅寺がございまして、その上流部は河道掘削とか築堤が必要というような状況であります。
 左側に行かせていただきまして、洪水で調整する施設につきましては、過去つくりましたダム、それから一関遊水地、それから胆沢ダム、それに加えまして今まであります県のダムもみんな含めて総合運用をやりますと、一応、今つくってきた施設で調節は大体足りるのではないかという状況でございます。
 それから、左下は狭窄部でございますが、ここはちょっと漫画がかいてございますように谷間の場所でございますので、何か堤防をつくったりというんじゃなくて、宅地のかさ上げなど、宅地等水防災対策事業というのがございますが、そういう事業などで整備をしていこうというところでございます。
 それから、右側の中流部でございますが、これ、後ろにまた大きなページでございますが、無堤部が非常に多く残っております。この絵で見ますと、赤い線が無堤部です。黒い線だとかが完成をしたりしているものでございまして、その無堤部から水があふれると緑のところに水があふれると、そういう状況がまだございます。これを相当な延長、早く効率・効果的に効果を上げるというようなことで、輪中堤、その他の対策等も検討しないといけない状況かと思います。右側のほうに掘削の絵がかいてございますが、盛岡の先ほど申し上げましたようなところ以外は大体、少し掘っていけば一応目的の流量が流せるのではないかというような状況です。
 次のページでございます。一関遊水地の資料を入れておりますが、時間の関係もあるので、ちょっと飛ばさせていただきたいと思います。一部できておりますところで平成14年の洪水のときも既に役に立ったりしております。あと、完成に向けて今後やっていこうということでございます。
 その次のページからは少し縦横が変わりますが、先ほどの無堤部、その他をごらんいただきますために、3枚にわたりまして盛岡から下流のほうへずっと見てございます。絵のかき方はちょっと小さい絵で見ていただいたのと同じで、黒い線が完成堤防です。それから、点線が暫定の堤防、赤い線が無堤部(堤防がない部分)でございます。もし無堤部でそのまま水があふれますと、大体緑のような浸水があるというところが、1枚目、それから次のページの上半分ぐらいまでが非常に大きな状況で残っている状況でございます。
 ついでにと言うと恐縮ですが、この下流部もごらんいただきますと、3枚目にがあります。ずっと狭窄部とか平野がありますが、浸水の状況からいうと旧北上川と江合川の合流点、それから一番下の石巻のところが、これはちょっとタイプが違いますが、人家密集地帯で対策がなかなか難しいというところで無堤部等々の対策が残っているという状況が見てとれます。
 それから、次のページをごらんいただきたいと思います。本川のほうの治水対策の課題、今後の対応について述べさせていただきました。今度は旧北上川の分でございます。
 旧北上川につきましては、右上のようなのが現在の河道の流下能力です。青い線が計画の水位です。ハイウォーターレベル。これに対しまして赤い線が現況の水位でございますので、この高い分を下げないといけないと。大体河口部の0から4kmと書いていますが、長いところで5kmぐらいあるかと思いますが、このあたりが先ほどの石巻の市街地で堤防がつくれないと。ほとんど似たような線に見えますが、700m3/s程度流下能力が不足しております。それから、その上は少し田園地帯が続きますが、堤防の拡幅と河道掘削でやっていくという場所であります。
 左側下に行っていただきますと、先ほど来お話ししていますような2,500m3/sに対して石巻のところが700m3/sぐらい流下能力が不足してございます。ちょっと見づろうございますが、左下の絵のような状況でございまして、大体地盤を少し上がるぐらいまでの計画の水位になります。特に河口部でほとんど水面勾配がない、あと海の影響を受けるというようなことで、その辺の処理が大変になってございます。
 真ん中には旧北上川の和渕あたりの掘削断面があります。
 それから右のほう、江合川につきましての河道の状況を入れておりますが、この辺も計画どおり使用していけば大丈夫かなというものでございます。
 あと、洪水調節施設につきましては、真ん中下にちょっと述べさせていただいておりますが、過去、ダムができたりしておりますが、一部洪水調節施設が今後も必要になってきます。ただ、既存のものも活用いたしましたものを整備しようということでございます。現在、和渕地点で1,600m3/sの調節が必要になってございますが、大体1,300m3/s相当の調節ができております。残り300m3/s分につきまして、既存の施設の有効活用とその他で新しいものがあれば、そういうものを含めて検討するということでございます。
 それから、次のページをお願いしたいと思います。自然環境でございます。
 これも、非常に大きな川でございますのでいろんなところで特徴的なものがありまして、ちょっと時間が長くなって申しわけございませんが、左、全川の特徴ということがございます。大きな特徴の一つに、川の横断構造物が極めて少のうございます。そのため、海から盛岡のほうまでサケが上がってくるという川でございます。それから、ずっと田園地帯、その他を流れますので、上流から下流まで河畔林がずっと連続していると。そういう川を形成しているというのが川全体としての特徴でございます。
 右のほうへ行きますと、源流部・上流部、それぞれについて書いてございますが、ちょっとお時間の関係ではしょらせていただきますと、上流のほうは、瀬と淵のそういう状況をきちんと整備しようと。魚類の産卵場等々、先ほどの魚が上がってくることもございまして、その辺が主要な課題でございます。
 中流部につきましては、そういう魚が上っていく話、それから河畔林等が続いているもの、そこはオオワシとかオジロワシの休息場にもなったりしてございます。その辺に配慮した適正管理みたいなものが必要になっているというものであります。
 一番下は狭窄区間ですが、ここはあまり瀬や淵とかいう場所ではございません。ちょっと字が間違っていて、「産地斜面」というのが真ん中の3行目ぐらいにありますが、「山地」をちょっとワープロミスしておりますが、ケヤキやコナラなど山地斜面に見られる群落が多うございます。あと、オオタカとかミサゴなどが生息してございます。右の絵のように、あまり掘削だとか行わないで、現在の状況が保全される形で、必要なところについては宅地のかさ上げなどをしていこうという考えでございます。
 1枚おめくりいただきまして、下流部及び旧北上の環境の状況です。
 一番上、下流部は、田園地帯の非常に緩やかな流れでございますので、周りがヨシ原だったりしております。それから、河口部は感潮域でございます。ヤマトシジミなども生息しておりますので、そうした状況を考えたものにしようということであります。
 旧北上川はもっと平たいといいますか、平野部をゆっくり流れる川でございます。一番下のほうは、汽水域の特有の環境もございますので、河道内の樹木、汽水環境の配慮というのが課題かと思います。一番下に伊豆沼というのが旧北上の支川のところにございます。ラムサール条約にもなっているというのを載せさせていただいております。
 次のページ、水利用でございますが、先ほど来、川の横断構造物が少ないというのは、実は取水はこの支川ですね、本川じゃなくて、本川に流れ込んでいます支川の途中から水をとっています。この地図にはそういうのをあちこち載せてございますが、そういうので本川にはあまり河口堰がなかったと。こういう水利用がなされております。農業用水が非常に多うございますし、発電の利用も非常に多いというのが左下でございます。
 ただ、ちょっと右上新聞にもございますように、ダムの貯水率がゼロになるような事態も近年も発生したりしてございますので、きちんとした対応をしないといけないということで、今、胆沢ダム等の建設が進められているところでございます。
 次のページでございます。水質でございますが、各環境基準点をおおむね満たしているという状況でございます。ただ、右上に書きましたように、ここは松尾鉱山ができまして、そこに松川という支川がございます。ここがものすごい酸性の川になって「死の川」となったわけでありますが、その後、中和処理工場がつくられて、56年にそういう最初の施設が、一番新しい施設ができて、57年からは、最初、国でつくりまして、県のほうでご管理いただいていますが、図にありますように、これはpHでございますので、7前後のところで今推移をしているということで、効果を上げているところでございます。
 次のページでございますが、史跡・河川景観・河川利用等、左上にあります「柳之御所」等の奥州藤原の歴史がありましたり、そういった歴史をたくさんしょっている川でございます。それから、良好な河川景観ということで、先ほどの盛岡のまち中の北上川でございましたり、支川には厳美渓があったりして紅葉などで非常に有名でございます。右上、石川啄木だとか宮沢賢治――石川啄木の「柳あをめる北上の」と歌われていますような、まさに北上川でございます。また、宮沢賢治も「イギリス海岸」など、そういうような表現をしたりして北上川について親しんできたものでございます。いろんな最近の利用もされてございますが。
 次のページでございますが、旧北上川のほうでは、ちょっと特異な話としまして、歴史的にたくさんつけかえをやっておりますので、そういったものが近代土木遺産としていろいろ認定をされたり、実際にそういうものが大事にされたりしているものがございます。右のほうには伊豆沼――ラムサール条約になりましたもの、それから鳴子峡などの風光明媚な場所等が出ております。また、北上川本川、それから旧北上、両方とも非常に地域のかかわりが深い川で、ちょっと説明をはしょっておりますが、たくさんのかかわりがございます。
 次のページに、中でもというので、最近の動きとして例えば北上川流域市町村連携協議会というものを市町村等でおつくりになって、子供たちの川の健康診断だとか、いろんなことがなされています。第7回の日本水大賞の国土交通大臣賞にも受賞されたものであります。また、NPOの人たちが66団体で北上川流域連携交流会というのをつくって、リバーマスタースクールだとか、舟運・航路調査だとか、ガイドブックの作成だとか、非常に地についた全国の先を切るような活動がここではたくさんなされてございます。
 次のページでございますが、流水の正常な機能を維持するための流量でございます。北上川は非常に大きな水系で、かつ延長も長うございます。二百数十kmということでございますが、幾つかの主要な点について、左側にございます項目別の必要流量を出してございます。動植物、景観だとか流水の清潔の保持等でございます。
 これを右のほうに狐禅寺地点の正常流量というので期別に書いてございますが、代かき期でございますと、各グラフが、左側は河口部、右側が上流のほうでございまして、200とか100とか書いてあるのが河口なら何kmです。狐禅寺の地点のところ、結果的に申し上げますと、これ、点がたくさん書いてございますが、各項目でそこそこで必要な流量を検討して、その中の全体を包括する流量というのはどこかというのを見ているわけです。一番包括して大きいのが狐禅寺のちょっと下あたりで、動植物のための必要流量68.1m3/sというのが多うございます。これに対して、水利権だとかを足し算いたしまして還元のほうを見て、狐禅寺地点で69.4m3/sというのが正常流量といいますか、流水の正常な機能を維持するための必要な流量と。これが6月から9月が真ん中でございまして、同じような方法でございますと、今度はちょっと場所が違いますが、上流のほうで一番ネックになります一番右側のというところがございますが、ここでネックになって、これをずっと引っ張ってくると狐禅寺では幾らというのを出しますと、72m3/s、おおむね70m3/sということでございます。非かんがい期も下のようなものでございまして、この川としましては狐禅寺でおおむね70m3/sが確保されていればいいのかなというのが結論でございます。
 その次に、土砂の状況です。これは長うございますので、上流のほうから一番上の図、だんだん下へ行きまして河口部まで行っております。グラフは、下に何kmというのが河口からのkm数がありまして、右上が一番上流です。昭和55年から平成10年の変動量を見ますと、一番上流の盛岡〜花巻のあたりは少し下がりぎみでございます。特に上流のほうは少しありますが、途中から下流は大体数十cmの状況です。それから、下3つにつきましては、一部河道の急縮だとか何か原因が明快にわかっているものがございますが、それ以外は大体50cm程度までの変動でございまして、おおむね安定しているのかなという状況です。
 それから、右上には四十四田ダムの堆砂状況がございます。計画の線が赤い線ですが、それに対して相当たくさん堆砂している感じがございますので、今、この堆砂しているものを取ったりしてこの対策を進めようとしているところでございます。
 河口部につきましては、写真2つございますが、平時は一部河口が閉塞しているように見えますが、洪水時にはきれいにフラッシュして流下が安全でございますので、大丈夫かなというものであります。
 その次のページは旧北上川でございますが、旧北上川につきましては取水施設だとか何かのところの一部河道急縮なんかによります局所変動がございますが、ただ、大体安定をしている。河口部もそんな状況かと思います。
 非常に大きな水系ですので、ちょっと大量で時間を要しまして大変申しわけございませんが、以上が北上川でございます。
 続けて、雲出川についてお話をさせていただきたいと思います。
 ちょっと画像のほうをごらんいただきたいと思いますが、雲出川は三重県の真ん中あたりに位置いたしております。右側は伊勢湾でございます。あまり大きな流域ではございませんが、ずっと山間から海へ流れます。上流のほうはこういう山間の川でございます。上流には君ヶ野ダムという県のほうでつくられたダムがございます。このぐらいからだんだん平野部に入っていきますが、全体的に途中までずっと扇状地形が広がってつながっているという感じの川でございます。ちょっと見づろうございますが、昭和57年、平成16年の出水での浸水範囲につきまして色を塗ったところがあふれてあります。上流部は、これまでの対策、場合によったら生活の知恵かもしれませんが、堤防をつくりましても、一部、堤防に開口部といいますか、そこがあけてありまして、全体の川の整備だとかに合わせて順番に閉めていくということをしてございますので、あけたところからこういう農地あたりに水が行くという手法をとってきてございます。支川、波瀬川という川が入ってきます。このあたりはずっと扇状地形、周りは農業が行われたりしております。平成5年の浸水の状況です。16年はこの近くの宮川というのは非常に大変な被害がありましたが、ここは一部被害はございますけど、宮川ほどではなかった状況でございます。また、支川の中村川という川が合流いたします。下流のほうの左岸側は津市の端のほうになります。ここから二またに分かれまして右側が本川ですが、左が雲出古川でございます。ちょうど大きな三角デルタのところにまちが広がっているという地形でございまして、このあたりは非常に勾配が緩うございまして、太平洋に、伊勢湾のほうに流れ込むという川でございます。
 恐縮です。資料2−2というカラーのA3のほうをごらんいただきたいと思います。ちょっと時間が押しております、すいません。
 資料2−2、雲出川でございます。典型的な扇状地形の川でございます。蛇行した雲出川の流れが浸食と堆積を繰り返して、河岸段丘なんかできています。真ん中上の写真、中流部でございますけれども、河岸段丘が川のところでちょっと色が変わって見えます。この上が大体市街地というか、人が住んでおられて、この下は水田で使うという、土地利用もそれに合わせた土地利用がなされてきております。それから、河口部はデルタで土砂がたまりやすくなっております。そういうところで過去も苦しめられてきているものです。右側のほうには河床の縦断図がございますが、途中までずっと勾配がきつくて、途中からほぼレベルという川でございます。流域面積が550km2でございます。
 真ん中に土地利用とございますように、氾濫区域がブルーであわせてございます。大体は農地が氾濫区域の中に入ってございますが、当然、名古屋、津のベッドタウンがどんどん広がっている場所でございますので、市街地も真ん中にあります。大きな市街地としては、津のまちのつながりが一部大きく入り込んでいるという川でございます。主要な産業は米、それから河口部でアサリ漁だとか、上流では杉の美林の産地でございます。
 1枚おめくりいただきまして、主な洪水と治水計画の変遷です。主な洪水としましては、左側に、昭和34年に伊勢湾台風がありましたが、これは4,400m3/sぐらいでございました。大きなものとしては、その後、昭和57年に台風10号が観測史上最大の5,400m3/sという洪水が流れてございます。昭和41年などに工事実施基本計画が決定されてございます。一級河川に指定されてなされているわけですが、昭和57年の台風10号、最大というものを踏まえまして、昭和61年に計画が改定されて、現在、基本高水量8,000m3/sというふうになってございます。最近まで、16年の水害、その他幾つかの水害が起きております。
 それらの状況が載せてございますが、昭和57年、上のほうは、先ほどムービーで見ていただきましたように、上流のほうが平坦なところから扇状地になっている、そのあたりで氾濫をしてございます。この年は上で破堤をいたしましたので、上流部で浸水をしている状況です。
 それから、下のほうは、これまでに実施された治水対策というものを載せております。浸水氾濫の防止対策としまして書きましたように、12カ所ぐらい、これまで堤防をつくって一部分はあいているようなタイプの整備をしております。この開口部を順次閉めてきておりまして、今、6カ所ぐらい閉めた状況でございます。君ヶ野ダムの整備、それから、支川のほうなんかにつきましては河道掘削という状況でございます。それから、一番下流のほうは、右のほうにちょっと書いてございますように、築堤と引堤、それから伊勢湾台風による被害を契機にした高潮堤防というものを中心に整備をしてきている状況でありまして、真ん中ぐらいにございますが、堤防が大体、八、九割できているという川でございます。
 次のページは、現在の計画につきましての基本高水の検証をしてございます。現在の工事基本計画は、本川、雲出川(雲出橋)で100分の1で8,000m3/sでございます。ちょっとこの川は変わってございまして、横に比較的小さな支川が2つ合流しております。中村川と波瀬川です。これらにつきましても基準点を設けて、50分の1の――基準点を設けてというか、表示上は主要地点となっておりますが、計算上、基準点の扱いをして、50分の1でここの流量を出してございまして、それぞれが基本高水が1,400m3/sとか580m3/sになってございます。
 まず本川中心にお話をさせていただきますが、左下は、最近はこれらを超えるものは出ておりませんので、改定しないといけないようなものはないと。それから、本川の先ほどの8,000m3/sという流量は、近年までの流量を全部入れまして再計算をいたしますと、大体100分の1で5,800m3/sから9,100m3/sになります。現在の計画の8,000m3/sが基本高水ピーク流量ですので、それは最近の流量のデータを見ても妥当ではないかと思われます。それから、右のほうは、少し過去のものではシミュレーションをしておりますが、過去も8,000m3/sのような洪水が起きていたりしていることが検証されてございます。ということで、近年までのデータを見ましても、現在の計画によります基本高水のピーク流量8,000m3/sというのは、基本方針の中でもそれで妥当ではないかというのが結論でございます。
 次のページでございます。基準地点でございますが、先ほど申し上げましたようにちょっと変わってございます。普通ですと、こういう小さいのでわざわざ基準地点みたいな形の検討はしていないわけでございますが、支川の基準点につきましてちょっと左の上に幾つか書いてございますけれども、一般的には1点でいいような川かと思われます。理由として、当時、洪水調節施設などを上流に、その支川のほうに考えるというようなこともあって、ちょっと細かいそういうセッティングをする必要からなったのじゃないかと思われていますが、若干定かでない部分がございます。
 左下でございますが、現在、ほかの川も含めまして、また治水対策のあるべき形を見ますと、本川の雲出橋1地点でよろしいのではないかというのが事務局の考えでございます。流域面積550km2でございますし、流域も結構シンプルな形のものでございます。雨の降り方にも大きな隔たりは見られません。左下に降雨分布の特性も少し載せさせていただいていますが、すごい隔たりがありまして、とある流域はちょっと別に考えようという必要性はございません。それから、本川、それから先ほどの2つの基準点が設けられているような中村川、波瀬川という支川でございますが、実は氾濫域そのものも連続しているような場所でございます。そういうこともあって、基準地点を別に設けるということはあんまり必要性もないし、適正ではないのかと思われます。
 それからもう一つ、右下の絵にちょっと別な検討をしてございます。これを仮に基準点をなくしまして、雲出橋1地点で流域全部を計算いたしまして、中村川だとか波瀬川というのを通過流量といいますか、雲出橋100分の1のときの流量というのを出してみますと、右の真ん中ぐらいにございますように、現在の計画は、例えば小川橋が1,400m3/sというのは今のような計算をいたしましても1,400m3/sですが、波瀬川というほうの八太新橋のところにつきましては580m3/sというのが410m3/sでよいのではないかと思われます。これで十分な100分の1の安全度が確保できるんじゃないかと。これを下のように流量確率、最近の流量で見てみますと、大体50分の1で見ましても――八太新橋のところで見た50分の1です。当時計画で考えておりました50分の1と最近のデータまであわせました流量で見ますと、360m3/sから440m3/sですので、実際発生している流量も、大体当時と同じ50分の1と考えても410m3/sではこの間ぐらいに入る流量かなというのでございます。それから、実際の最大ピーク流量も過去振り返りまして380m3/sということでございます。結論的に申し上げますとということで、全部、雲出橋1地点で計算をし直した流量配分でよろしいのではないでしょうかと。その場合、雲出橋本川のほうは当然変わりませんが、中村川につきましては結果として同じ流量になってございます。それから、波瀬川につきましては580m3/sというのが410m3/sということでもう少し小さくなりますが、安全度においては何も下げているものではないというものでございます。
 次のページでございます。治水の課題と対策ということでございます。
 雲出川の流下能力につきましては左上の図でございます。一番下が河床でございますが、青い線が計画高水の線、それを超えております赤いところは、実際、現在の洪水が流れますと来る線です。そこの分、足りないと。河口部は途中からずっと足りない感じでつながってございます。これは、河床の掘削と上流でためるというようなことが必要だというものでございます。
 ちょっと個別にごらんいただきたいと思いますが、左下は河口部の付近です。アサリ漁への配慮とか干潟の保全等から必要最小限の河道掘削とする。一番下流部は、ちょっと上のほうに書いてございますけれども、非常に勾配が緩くて、かつ、この辺、アサリだとかその辺の関係もございまして、河道をあまり大きく改変できるような状況ではございません。こういうので必要最小限の河道掘削とすると。これが少しコントロールポイントといいますか、これに支配される格好でございますが、それから上流は、これよりも川を大きくしても、このところで洪水があふれてしまうということでございますので、上下流バランスのとれた中流域の対応というのが必要になります。
 中流部は雲出古川分派点から大仰付近、これはこの絵のさらに上流の十七、八km地点ですが、河道の掘削につきましては下の図のように考えてございます。低水路幅が結構広うございます。一番河口部の先ほどの場所は別にいたしまして、途中からは川幅が広うございまして、雲出川5.2kmというところが標準な形かと思っていただければと思います。これの低水路幅が十分あれば、こういう形で行くと。それよりも低水路幅の非常に狭い場所がこの下の5.2kmなんかの低水路幅と同じような連続するぐらいの形で上流のほうへ行くというので、今、絵をかいてございまして、全体的にそれで十分流れるのではないだろうかと検討されます。
 それから、そのうち、中村川合流付近から長野川合流点付近、これは先ほどの雲出古川から大仰までの間の途中でございますが、ここにつきましては先ほど来幾つか遊水をさせてきた経緯もございます。その部分のことも考慮して、地元のご了解も得て遊水地の整備を考えてはどうかというふうに思われます。
 それから、中村川につきましては、河道の掘削を今の計画のとおりやりますのが右側の断面図でございます。ここが限界で、やはり1,100m3/sぐらいしかできないだろうと。それよりも増えます1,400m3/sとの差分につきましては、上流のほうでダムなり遊水地なりといった新たな洪水処理施設が従前から計画をされておりますが、必要だというものかと思われます。
 波瀬川につきましては、残りの河道掘削をやればそれで整備が整うという状況かと思います。
 次のページ、河川環境でございます。
 河口域の環境は、湿地等がございます。干潟等がありますが、そういう保全。
 それから、下流域は、アユの産卵場となる場所がございます。それから、オオヨシキリ等がございます。こういったところの保全。
 それから、中流域の環境につきましては、瀬や淵が連続する空間等々でございます。ネコギギも生息してございますので、こういったものの保全を図ると。
 上流域の環境につきましては、山林部のところで清澄な渓流には、アマゴ、カジカなどがすんでございます。
 テーマとしては、河道内の樹木の適正な保全もしくは伐採というようなことが一つでございますのと、川の連続性の確保ということで、魚道が一部整備されていない部分がございますので、右下にその内容が書いてございますが、連続した川の行き来ができるものにしようということであります。
 次が河川水の利用ということで、農業用水、水道用水、工業水などに使われてございます。水質つきましては、一部、両国橋と書きましたところで少し基準を上回っておりますが、一応、計画目標の下水道ができますと改善をされる予定でございますので、今後もそういった整備を連携してやっていこうということであります。
 次のページをお願いしたいと思います。河川空間の利用につきまして、まち中もしくはその近くでございます。いろいろ地域の方がかかわりの中で幾つか桜づつみをつくられましたり、カヌーの公園があったり、いろいろな利用がされてございます。ちょっと時間のお関係で恐縮ですが、はしょらせていただきます。
 流水の正常な機能を維持するために必要な流量の設定でございますが、先ほどの北上川と同様に、動植物の生息だとか、景観、流水の清潔の保持、左側にございます9項目について各地点で検討しております。それらの点で必要だとプロットされておりますのが右のグラフでございまして、左側が下流、右側が上流です。赤い丸とかオレンジの丸とか緑の丸とかかいてあるものです。一番聞きますのが、10kmぐらいのところのオレンジの丸がございます。そこの上にと赤でかいてあるのは、ここにあるという意味じゃないんですが、その左下のオレンジが点でございますけれども、この地点で2.4m3/s、これは動植物のものから決まるものであります。これに水利権量、その他を入れまして正常流量として2.5m3/sというものが必要だということでございます。
 その次のページ、土砂でございますが、ここは昔、砂利採取が行われておりまして、砂利採取の状況につきましては右のほうの棒グラフがございますが、最近まで細々と続けられてきました。50年代ぐらいまではそれなりにあったと。左上の図が一番わかりやすうございますが、37年、50年、57年、平成2年、平成9年、平成16年というところの河床状況を入れております。左側が下流で、右側が上流です。全体的に、昭和50年ぐらいまでにどんと下がりましたものから見ると、そこの後は似たようなところで上がったり下がったりしているわけです。ということは、昭和50年ぐらいまでに一度、砂利採取等の影響で下がります。その後は結構安定していると。特に平成になりましてからは極めて安定をした状況でございます。河口部につきましても閉塞等の問題は発生してございません。
 ちょっと時間がかかりまして恐縮ですが、以上でございます。
(委員長)  ありがとうございました。
 ここで残りの審議時間が少し厳しくなりましたが、全委員からご意見を承りたいと思いますので、1時間ぐらいは確保したいと思います。もしそれぞれのご用で先に席を立たれる方は私のほうへ合図を送っていただきたいと思います。
 そういうことで、特に北上川で約1時間近く時間を食いましたので、まず、雲出川のほうからご意見を承りたいと思います。雲出川の流域に詳しい委員としてご出席の○○委員からご意見を承りたいと思います。
(委員)  地元ということで、あんまり詳しくないんですが、私、文学、文系、歴史なものですから、技術的なことでなくて歴史的・環境的な面でコメントさせていただきたいと思います。よろしいでしょうか。
(委員長)  はい、どうぞ。
(委員)  時間の関係でお話しにならなかったんだろうと思いますが、雲出川は旧伊勢の国、今の三重県のちょうどど真ん中を走っている川で、私どもの立場から、畿内、大和のほうから伊勢に入ってくる文化の道、文化の川というふうに位置づけられる川です。そして、氾濫はしばしばあるようですが、弥生時代ぐらいからの河川が大体河口までずっと残っている、私どもの立場からは非常に良好な川だというふうに認識しております。そして、この川は歴史的にも上流から河口まで史跡が非常に豊富であり、それも単なる地域的な全日本的な史跡。触れておりませんが、上流の八手俣川というのがあるんですが、雲出川に入る、そこのところには北畠遺跡といいまして、日本の十四、五世紀から信長の統一以前ぐらいまでの間の一つの日本の中世都市のセンター的な北畠遺跡、南朝の北畠城址がある。そして、下流に行きますと木造城という、これは久居市――今、津に合併しましたが、下流の左岸に接しておるところです。そういう性質を持っていますし、それからもうちょっとさかのぼりますと、さっきの話の雲出橋のところには平安末期の平清盛ですね、平氏というのはここから出るんです。雲出橋のすぐ横のところに、数年前に発掘をしまして島貫遺跡というのがありますが、そこがちょっとした工事のところだけの発掘でも非常に大型の建物が検出されております。もし雲出橋近辺で橋にかかわる改修工事のときなどにはぜひ注意しておいてほしいです。
 そして、これはごく最近なんですが、今年に入ってからですけれども、もっと下流の雲出橋その近辺の右岸ですが、右岸から氾濫原ですが、現地表面から約2メーターぐらい下げたところですけれども、今、ちょうど中勢バイパスというのが雲出川を横切ろうとしているんですが、旧嬉野町というところですけれども、雲出川の右岸の氾濫原みたいなところですけれども、筋違遺跡といいまして、日本で現在のところ初めてなんですが、弥生時代前期、紀元前5世紀ぐらいの――弥生時代は今、1,000年前にさかのぼるとかいろいろ議論があるんですけど、弥生前期の、私どもの考えでは500年ぐらい前、紀元前、水田跡、見事な田んぼの跡です。水田跡。そして、それには縦穴住居が伴って、水田の遺構と建物遺構が出てきたのは、今まで日本の考古学史上では初めてです。これは知る人ぞ知る、やがてものすごい注目されるんですが、今、道路の幅だけの小さい発掘面積なんですけれども、それが雲出川右岸に出ております。
 このようなことを考えると、河床を下げる掘削の場合には、十分にそういう遺跡――どの川でも同じでしょうけれども、ぐっと下がったところに大遺跡の可能性があります。そういうことも配慮した河川の整備といいますか、そういうことをこの間に特に強調しておきたいと思います。
(委員長)  ありがとうございました。
 それでは、河川工学の立場から○○委員お願いいたします。
(委員)  この川は工事実施基本計画の踏襲ということになるんでしょうけれども、この基本方針を踏襲と踏襲しないの2つにただ単に分けるという、ステレオタイプ的に言うのはほんとうはおかしいんですけれども、踏襲ということになっているんでしょうと思うんですけれども、現実にはかなり変わっていますね。支川の基準点らしきものが消えたりというふうなことで、説明するときにも注意していただいて、その後の工実の決定以降についてもデータを検証して、新しい基本方針が立てられたというような形で説明いただきましたので、非常に結構かと思います。
 私自身、中部地整の方々とも打ち合わせして気になったところは、波瀬川が流量が小さくなったことですね。きょうの説明でよろしいかと思うんですけれども、こういうふうな問題は非常に注意しなければいけない点だということで、例えば、そのままただ単に数値だけ変えていますと、じゃあ、以前の計画は一体どうだったんだと。五百何十m3/sのところを110m3/s放水路で抜いている計画を、今回それを変えて、もともと流出してくる流量が小さいというふうな判定になったわけですけれども、この辺は、じゃあ当時の計画は過大評価して、構造物をつくりたいために、工事をしたいために、そんな大き目の計画を立てたのかと言われかねない。非常に小さな計画とはいえ、十分注意して取り扱うべき点だったと思います。その辺について十分ご配慮いただきましたので、私はこれで結構かと思うんですけれども、例えば、前も少し言いましたけれども、4ページの図で波瀬川の流量確率の検定をやっておられるんですけれども、注意しなければいけないところは、この380m3/sのプロットだけが非常に上位に飛び出している。すなわち、累積確率を下から順番に見ていくと、一番最後のところで非常に立ち上がっているということですね。これは一番最後のところがまだ流量が出てないためにそのところにプロットされたわけで、例えば矢作川、庄内川で東海豪雨を経験したような川ですと、最後の点が右側にぽんとずれるようなところがあります。これによって実は累積確率の曲線というのは大きく変わってくるわけで、そういうところをやはり細かく注意してコメントを入れておく必要がなおあるのかなという気がしております。それは前回の矢作川でも申したとおりでございます。
 いずれにしましても、非常に注意深く今回の説明でも工実改定後の新しい流量・降雨データについても検証したというご説明がございましたので、私のほうとしては了解いたしたいと思います。
 それからもう1点ですけれども、一番最後に総合的な土砂管理のところで資料が出ております。これもある意味ではありきたりのことで、最近は安定しているというふうなことですけれども、一方では、環境のところで、この川の特に新川のほうですね、古川でないほうの河口部は干潟が非常に展開されていまして、それが環境上、非常に重要だというとらえ方をしていながら、流出土砂が減っているということが問題だという認識があまりない。すなわち、安定していて、例えば10ページの写真なんか見ますと、過去にはかなり河口まで洪水のたびに土砂が排出されていた、あるいは突出されていたと見られますのに、それが少し減っているのかなと。これは航空写真を撮る時期の違いもあるということで、あまり明確ではないんですけれども、例えば横断図なんか見ますと、やはり土砂の安定という視点では非常にポジティブな減少なんですけれども、干潟を将来にわたって持続的に保全していくという視点では少し注意しなければいけない点だということをどこかにコメントとして書くべきだと。すなわち、河道管理としての土砂管理と、環境保全としての土砂管理の視点についての若干注意すべきポイントというものをコメントされると、なおいいのかなという気がいたしました。
 以上でございます。
(委員長)  ありがとうございました。それじゃ、また表記の段階でご相談したいと思います。
 それでは、○○委員のほうから、最終的にはまたお伺いしますが、現時点でコメントがありましたらお願いします。
(委員)  57年の災害を受けて61年に改定されている工事実施基本計画を踏襲していただいていますので、治水上は、先ほど委員が言われたように安全なものかと思いますので、今の段階で特に意見はございません。
(委員長)  それでは、北上川のほうの委員にお伺いしたいと思いますが、大変説明も長くて、問題点も大変多いということがよくわかったと思います。やっぱり陸奥四郎ぐらいの格付ではあるんだと思います。それでは、地元から詳しい委員としてご参加いただきました○○委員からお願いします。
(委員)  北上川の河口から上流まで250kmありますので、すべてわかっているかというと、それは無理な話です。私、盛岡に二十数年住んでいますので、その辺のところからお話をしたいと思います。
 北上川は河口から200km、250kmという非常に長い川なんですが、その最上流部近いところに盛岡という、この中で人口が一番大きな都市があるところが一つ大きな特徴だと思います。それから、岩手県内の主要な都市が北上川に張りついて発達してきています。その中で、例えば盛岡に来られた方はよくご存じだと思いますが、北上川という景観とか環境も含めて盛岡と北上川が一体化しているような状況になっています。例えば開運橋から岩手山を見ると、その景色の中に北上川があります。そして河川敷があり、今はいろんな木があり花が咲いたりしている。そういう一体化した中で、先ほど話がありましたが、計画の流量を流すのには充分でない。じゃあ、どういうふうにして整備をしていくのかというところをやはりもう一回考えないといけないんじゃないかと思います。もう一度言いますと、要するに、河川景観とか環境が一体化しているところなんだということです。
 それから、サケとかアユが盛岡にも毎年上ってきます。250km上ってきます。過去、例えば江戸とか明治時代には、盛岡から石巻まで舟運が発達していました。北上川というのはこれだけ大きな川ですが、やはり流れ方向に連続性を保っている川と言ってもいいと思います。そういう連続性、少なくとも流れ方向の連続性、それから川の流れと鉛直方向というか、河畔林とか河岸も含めた連続性というところを考慮していただきたいと思います。舟運を始めとして歴史とか環境というのが連続しているということです。
 それから、水質のほうでいきますと、北上川の最上流部に旧松尾鉱山があります。そこに中和処理施設があります。現在、その中和処理施設によって北上川の水質がやっと保たれているという状況になっており、北上川は水質的には非常に危うい川だと思います。ですから、その施設を例えばどういうふうにこれから管理し、リスクに対してどういうふうに持っていくのかが重要だと考えます。今は岩手県が管理して、名前は変わりましたが、昔でいう金属工業事業団が管理し、実際には運転しています。河川の管理という意味からすれば、これは個人的な意見ですが、やはり河川管理者が中和処理施設を管理・運営するのが私は一番いいんじゃないかという考えを持っています。その辺のところもいろいろと考えていただきたいと思います。
 それから、先ほど舟運という話がありましたが、説明にもありましたが、北上川では連携のうまくいっているところがいっぱいあります。自治体についても連携して、NPOも、例えば先ほど66あるというような話がありました。国交省も学習館というようなちょっと立派過ぎるようなものも建てています。そういうところで連携とか協働とかという言葉だけでなく、さらにこれからうまくオーガナイズをしてやっていくかというようなところも考えなければいけないという気がしています。
 以上です。
(委員長)  それでは、河川工学の立場から○○委員お願いします。
(委員)  ○○でございます。基本的に、今、○○委員がおっしゃったように連続している川であるということで、私も同じような印象を持っています。とにかく大きな川なんですね。長さ、面積が広いだけじゃなくて、流域図を見ていただくとわかりますように、岩手県に入ると川と道路と都市の鉄道、全部同じところを流れております。要するに、大きな川であるということは、文化、生活、すべてがそこで今まで培われてきたところであるということでございますので、単に川の計画じゃなくて、その地域全体に対する計画であるということを基本方針の中でもはっきり認識していただきたいと思います。それで、そういうような場なんだけれども、この説明では明治42年の洪水から始まっていますけど、北上川流域は江戸時代から大変洪水が大きな川でございます。伝承で、「洪水のときには白いひげの老人が川の面を走っていく」、白ひげの洪水という言い伝えでございますが、それが何度も何度も起こっているというような伝承がございます。そういう洪水と立ち向かいながら、やはりそこで人々が生活してきたという場所でございますので、そういう意味で、いわゆる川として大きいんじゃなくて、流域として非常に大きな場所であるということを一つ認識していただきたいと思います。
 それからもう一つは、これがまた県境を下って宮城県に変わるとまたがらっと変わります。河川の縦断図で見ていただくとわかりますけれども、宮城県内に入りますと、実は北上川が乱流しながら大崎平野を埋めてきたのがここ5,000年ぐらいの歴史で、最近の数百年で言うと、それをどうやって丸め込むといいますか、河道を変えたり、氾濫原を埋めたり、そういうことを繰り返しながら繰り返しながら先人たちがやっとの思いでつくってきた流域でございます。そういう意味で非常に多くの手が入っている人工河川といいますか、そういうような営々とした努力の積み重ねでございますので、そういうものが流域全体の大きさの中で非常に重要な意味を占めておるんです。それで大事なのは、やはり連続性ということで、特に上流、中流、下流、それぞれがつながった河川。生活だけじゃなくて河川の場合ですね、特に今回の説明で非常に問題になってくるのは、いわゆる実績流量で議論するのか、あるいは確率流量でやるのか。100分の1でやっていると、そこを超えたところについては150分の1相当であるというような説明方法ですけれども、盛岡では触れなかったけれども、盛岡から下に行ったらあふれてしまったというような計画だと非常にまずいことになろうかと思います。その辺の説明がうまくできるような形で基本方針をまとめていただけるとありがたいなと感じております。
 以上でございます。
(委員長)  この段階でもしコメントがありましたら、岩手県の○○委員からお願いします。
(委員)  ○○委員、○○委員からコメントございましたので、治水の重要性につきまして少し述べさせていただきたいと思っております。岩手県、1都3県よりも広い面積でございますが、既に10年くらい前から人口減少が始まってございます。○○委員からのコメントもございましたように、JR、国道4号、高速道路、新幹線、すべて北上川に沿って出てきております。そういう意味で、企業の立地、そういった部分で工業出荷額も県民所得も人口も北上川流域に逆にシフトしてきておるという状況でございます。したがいまして、総体的には北上川の治水の安全度、重要性、これはむしろ高まってきておるんじゃなかろうかなと思っております。一方で、まだまだ改修途上の河川でございますので、その部分につきましてどういう安全度で設定していくのかということにつきましては、よく協議させていただきたいなと思ってございます。
 それから、○○委員からもお話がありましたように、非常に水量が豊かで、美しい景観で、もう市役所のすぐ裏の中津川で普通にサケの産卵が見られるようなほんとうに豊かな川だと、市民に親しまれている川でございますので、どうか治水・利水・環境、いいところを生かしたような計画にしていただきたいというふうにご要望申し上げます。
 以上でございます。
(委員長)  それでは、○○委員のほうからもお願いします。
(委員)  ○○でございます。ご説明にもありましたとおり、宮城に入りますと一挙に北上川は低平地河川になります。そういった状況の中で、宮城県の北上川といいますのはものすごく水位が高い状況が長時間続くという特徴を持ってございます。そういった滞留を前提とした低平地河川ですので、どうしても連続堤で守らなければならない状況があるわけでございますが、滞留を意識した、ある意味では太くて強い堤防に頼らざるを得ないのかなと。ぜひ配慮いただきたいなと思ってございます。
 それから、北上川に合流します宮城県内の河川というのは、本流につきましては小河川が多いのでございますが、その河川の合流につきましてはどうしても水門合流とか樋管合流にならざるを得ない状況がございます。先ほど申し上げましたように本川の滞留時間が長いということは、すなわち小河川区域の内水が湛水するということも意味してございまして、やっぱりそういった水門等と内水排除対策、はっきり言いますと機械排水なわけですけど、それを組み合わせた計画をぜひお考えいただければなと思ってございます。
 それから、旧北上川になってきますと、大昔からとにかく一に石巻の疎通能力がないということでもって、上流支川から先ほどの他河川への分水放流まで含めまして、上流側でいろんな治水施設、ダムや遊水地でもって一生懸命洪水調節をしまして、石巻に負荷をかけないという方策をずっととってきたわけでございますが、そろそろ限界が来ている状況がございます。それで、特に石巻河口部につきましては、宮城県としましてはどうしても津波対策の話がございますので、それと合わせた格好で本格的にどうしても整備に努めていただきたいなと、そういうご要望でございます。
 以上でございます。
(委員長)  それぞれ流域の関係委員からご意見を承りましたので、これ以降はそれぞれご自由にご議論をいただきたいと思いますが、河川工学の立場から、○○委員、ご意見がありましたら、両河川についてどうぞ。
(委員)  では、2つの川について意見を申し上げたいと思います。きょうの両河川とも計画規模を決めるのにどちらかというと流量確率で説明しています。少なくとも今までは雨量確率からいろいろ議論してきて、流量確率についてはデータ数の問題などを考えて、むしろ基本高水流量の検証の意味で使ってきたんだろうと思うんです。しかし、この2河川は、流量確率を中心に説明しています。私は、流量確率が悪いという意味じゃなくて、これまでのいろいろな質疑応答の中で流量確率の位置づけというものはそういうものだと考えてきたのではないのかと思います。そうしますと、雲出川も北上川も雨量確立の手法でやってみていただきたい。
 雲出川についてですが、今回の計画では、中村川と波瀬川を含めて計画規模は全川が100分の1で考えていると判断すればよろしいんでしょうか。すなわち、中村川と波瀬川が50分の一であったのを、流量確率でやったら100分の1、そして波瀬川については雨量確率でも調べてみたということなのですね。すなわち、先ほど課長のご説明では、全体でやってみたらこうであったというご説明だったように思いますが、この辺もわかりづらかったと思います。雲出川の8,000m3/s、中村川についての1,400m3/s、波瀬川410m3/sをどういう方法で出したのか、これを説明を加えていただきたいというのが2点目です。
 それから、雲出川の川底を下げるということを非常に重要な方策としていますが、5ページの雲出川整備方針のところにありますように、この河川は、頭首工が非常に多い。頭首工が多くて、このため、計画高水位よりも相当高い水位で流れることになります。これを計画高水位以下で流すには、頭首工を有する他の機関と連携してやらなきゃなりません。本格的にこれをやらない限りは、二、三メーターの水位を低下させるのは難しかろうと思います。そういったことを河川整備基本方針に書き込まなければならないのではないかということです。
 それから4点目になりますが、堤防開口部のお話がありました。50年代に6カ所、開口部を閉じたということですが、今なお6カ所あり洪水時にそこから水が出て、遊水氾濫しているということですが、計画で考えられている遊水地との関係がよくわかりませんでした。多分、遊水効果を保全しながらやるんだろうと思うんですが、そこのところはもう少し丁寧な説明が必要と思って聞いておりました。
 以上が雲出川です。
 それから、北上川について続けてお話しさせていただきます。これもやはり流量確率を中心に出していますので、よくわかるようにしていただきたいということが第一点です。私は盛岡市を流れる北上川を見まして、平常時の北上川というのはすばらしい川だと思って見てきました。しかし、盛岡市内を貫流している北上川に大流量流れたとき、果たしてどうなるのかということが気になります。掘り込み河道ですから、破堤をすることではないんですけれども、大被害が考えられます。実際は150分の1の河道を意識しながら整備をされると思います。計画ではもう人家が連檐して河道を広げることが出来ないんだということを決めてかかっている上に、非常に河道線形の悪い川にしてしまっている。「引堤をしてください」ということは非常に難しいとは思うんですが、橋も含めて河道線形が悪く、それが流下能力を相当落としているのではないのかと私は感じました。しかもその狭い区間は特殊堤で守るわけですよね。あの大都市を特殊堤で守るということ、しかも「引堤もやりません」と言っていること、しかも150分の1じゃなく100分の1ぐらいの規模でやると。堤防ができていない中流部あるいは下流部を見たときに、私は上流の規模は、それが当然のことだと思ってはいるんですが、が上流河道の構造が不十分だと思います。100年、150年規模の計画を立てるわけですから、そこについてはもう少し、こんなものにするんだという検討がなされてもいいんじゃないかなと思っています。河川が市民に親しまれているからといってほんとうに大洪水が出て氾濫が起ったとき、それでいいのかということについて私は強く意識せざるを得ないということです。
 旧北上川、石巻の150分の1というのは、上流との関係で必要と思います。石巻は300m3/s流下断面不足といいますから、その部分は連続堤方式でいくんだろうと考えております。先ほど宮城県の委員の方が宮城県区域では洪水が延々と続くということで、連続堤が必要だと言いましたけれども、あの延長にわたって、狐禅寺から三十数kmにわたる部分も含めてそれの下流を連続堤にするのが良いのかという議論もあると思いますので、これについてはよく考える必要があります。どんどん下流河道に流量を集めるやり方でないあり方というのが、この川にとっては必要なのではないのかと考えます。輪中堤方式とか宅地をかさ上げする方式とか、そういった方式を合わせながら、どうやったら被害を少なくするのかということを考えていただきたいというのが私の気持ちです。
 いずれにしましても治水上大変難しい川ですので、はっきりとこうだと言えないところも多いんですが、きょうのご説明を聞いた中で私の感じたところを申し上げました。
 以上です。
(委員長)  それでは、○○委員のほうから北上川のほうにもコメントありましたら、お願いします。
(委員)  はい、ありがとうございます。やはり北上川も同じ、○○委員もおっしゃいましたけれども、流域で一体どういうふうに基本高水を考えているんだということの説明に少しひっかかりがあるような気がいたしました。確かに基本高水が流量が幾らであるかを決めるのは行政の範疇であるとはいいながらも、今、いろんな市民がどうやって決まっているんだということに非常に興味を持っていますし、我々河川工学を大学で口述している人間にとっては、ある程度基本がこうであって、それぞれの川ではその基本からどういうところに問題があるか、それぞれの流域に対応させて計画を立てているんだというふうな説明であってもらわないと、我々河川工学の講義を持ちながら河川工学の講義ができない、計画の講義ができないということになりかねないところが少しあります。それ、特に言えますのは、大流域で100分の1で計画しているというふうな中で、そのうちの小流域、上流域について、151の、しかも明治43年の雨について議論しているというものの整合のさせ方が、今回の説明では十分されていないような気がいたしました。それで、基本高水といいますか、流量配分を書くときには、計画高水流量で通過流量なり、あるいは地点流量なりを書いていくわけですけれども、これが上流151の明治43年の雨を使いながらどの点を決めて、それから、どの部分は流域100分の1の計画のいわゆる流出解析から不等流計算で決められたのか、やはりきちっとしていかないと、少し説明力という点でごちゃごちゃしてくるんじゃないかというのが、私、ずっと思ってきたところなんですけれども、それが今回、北上川でも、あるいは先ほど指摘しました雲出川の大きな支川のある川でも気になったところです。
 雲出川に関しては、それぞれの支川流域についての解析をうまく全体流域のところに合わせているなというところは見えるんですけれども、北上川は多分そういう合わせ方ではないような気がするんですね。上流側で150分の1で、上流側小流域で立てたものを全体流域の100分の1の計画の中にそのままぶち込むことはできないはずですね。盛岡の明治橋での流量は全体の計画の中でも実は上流域の150分の1で決められて、それをこの全体の計画の中に一つの所要条件として与えられているのかとかというふうな、この辺もちょっと詳しいことはわからないので、そういう意味で、先ほど○○委員が、流量確率で決めているのか雨量確率で決めているのかすら、どちらに重きを置いているのかもわからないというふうなご指摘もありましたけれども、計画論の筋道を、基本的な筋道をやっぱりきちっと示されて、それからバリエーションはどこなのかをもう少しきちっと説明されていかないと、幾つかの川でこういう複雑なパターンが出てくると思いますので、その辺、よろしくお願いしたいと思います。
(委員長)  それでは、○○委員から雲出川のほうでもご意見がございましたらお願いします。
(委員)  その前にちょっと幾つか、今までの委員に対して私の意見も言わせていただきます。
 ○○委員の連続堤云々という話ですけれども、宮城県からの発言ですけれども、宮城県のいわゆる低平地河川のところでは連続堤をしてほしいという趣旨の発言で、そういうふうにとらえていただけると――資料の17ページで幾つか抜けているところがあるので、そこはちゃんとやってほしいというような意見だと私は思って聞いておりました。それが一つでございます。それからもう一つは、宮城県内の堤防の現状は17ページに出ていますが、それでいうと、宮城県内はどちらかというと連続堤がかなりできて、ところどころ抜けているところはあれしてほしいというお話の要望だと思います。
 それから、流量確率でやるのか雨量確率でやるのかという話ですけれども、東北のリバーカウンセラーの会議でよく集まって話しているときは、とにかく流量確率でやるべきだということで、やっとこういうのがちゃんと出せるようになってきたのだなということで、私はむしろいいんじゃないかなと思っています。ただ、雨量確率でやった話とそごのないような説明方法は必要であろうかなと。
 それからもう一つ、以前のこの会議で、どうして2日雨量でやるのかという話を何度も文句を言っていたんですけれども、今回の雲出川の話では1日雨量で出ていますね。そういう意味ではだんだんデータがそろってきたんだろうかというようなことで、好ましいのかなというふうに感じております。
 以上でございます。
(委員長)  それでは、○○委員、ありましたらお願いします。
(委員)  北上川のこれについては、私自身、きょうご説明があったやつをもう少し勉強させていただいて、今、いろいろ出ておりますように、基準点、主要な地点、それから実績最大洪水、基本高水の算定、流量もそうですけれども、一方では上下流バランスとかそういう形の展開として、それがどう超えてもいいとか、そういう話も含めて、きょうご説明等いただいたやつをもう少しよく読ませていただいてということで、私としては十分なそういう形の意見を申すまでには至っていないということでお許しいただきたいと思います。
 それと、これは全く別なあれなんですけれども、北上川の奥羽山脈系のほうからの内容で、結構、冬季とか雪ですね、降雪とかそういう形のものの水位あるいは融雪とかそういうものは考査してないのか、あるいは奥羽山脈系のほうから入ってくる、そういう形のものが、流況のパターンのシフトがあるのか否か。これが夏季の渇水まで行くとは思わないんですが、農業用水とか非常に量が大きいので、そういう意味合いからして、実態として従前に比べてこの二、三十年、そういう流況の、例えば4月、5月とか、そういったところが若干融雪等が早目に出て、6月ぐらい持ち得ているのかどうか。若干、北陸とか東北の諸河川のいろんな意味での流況のシフトパターンを意味するデータなり、そういう形のものをるる見ることが多くなっておりまして、そういった意味合いで、この計画論にまで、あるいは利水なり渇水、そういった形と、多くの水需要が農業用水ということになりますので、そのあたり、あり得る話なのか否かも含めてちょっと教えていただくなり、そういうことをしていただくとありがたいなというふうに思っております。
 以上です。
(委員長)  河川技術の問題、工学の問題でお伺いしまして、それぞれご質問なりご意見がございましたので、この際、私からも若干申し上げたいと思います。
 まず、流量確率、雨量確率の関係ですが、しばしば関係の委員からご質問があって、皆さんが一応現在納得しているのは、日雨量の記録は、明治の初めから観測所始まって以来、記録はありますよと。ただ、時間雨量の記録は比較的新しいと。したがって、期間は短いけど、時間雨量があって、流量が算出できるので、それを用いて流量確率ということになりますが、結果、資料の期間が短いことです。したがって、雨量の長い期間と組み合わせて雨量確率をやっているというのが一般的という説明で皆さん納得していたんです。最近、必ずしもそうでないのがどんどん出てくるものだから、どうなっているんですかということだと思います。したがって、十分流量確率にたえるぐらいの計算期間があるんですと。例えば100年、200年を類推するだけの資料があるんですといえば、それは当然、流量確率に行くんでしょうけど、行かない場合にこれを雨量確率と言っています。いずれにしても、ほんとうの雨量確率でも流量確率でもないですね。例えばドナウだとか外国の大河みたいに延々と数百年間に及ぶ長い間観測して、水位がちゃんと記録されていれば、もうそれはずばりでそれでとっていきます。わが国ではいわゆる流出解析と総雨量とをうまくつないでやっているまでのことなので、必ずしもこれが流量確率と言えるかどうかわかりません。事務当局が今まで出したのと今回の提案との関係で違っている部分についてはひとつ次回ご説明をいただいて、納得できるならそういったことにしますし、あるいは、やっぱり従来手法のほうがいいということになるか、次回で議論させてもらいたいと思います。
 それから、盛岡の150、下流の100分の1ということについては、各委員から疑問符が出ていました。おそらく盛岡150というのは、県庁所在地で大事だから150なんだよと。そう言えば、津だって県庁所在地だけど、なぜ150にしないのという議論にもなりかねないわけです。ここはちょっとワンパターン過ぎているのではないかなと思います。盛岡で150で集めた水が氾濫しないで、仮に狐禅寺なり宮城県内で破堤したとすれば、下流の人はどう見るんだろうと。上も破堤しないで下流も破堤しないというのは目的どおりですが、上で破堤して下流で破堤しなかったというんだったら、上は仕方ないと。能力の範囲で盛岡に水を集めるだけの流下能力がなかったので、氾濫してもやむを得ないと言えますが、上で安全に流しておいて、下流で破堤させたとすると、「破堤させた流量の中には人為的に上で集めた水が入っているんじゃないか。なぜ上で氾濫させないで私の家の前で破堤氾濫させるのかとの不満が出ます。この計画には瑕疵があるんじゃないの」という批判を浴びかねないという問題があると思うんです。したがって、先ほど、雲出川で本川100、支川50なのに、基準点を減らしたにもかかわらず流量は変わっていないというか、ちょっと小さくなったじゃない、おかしいじゃないのという議論があったけど、計画をつくるときは、上は少な目に、川の中に下流で氾濫させない程度に洪水を引き受けると、こう言ったら非常に語弊があるんですけど、下流はどんなことがあっても破堤させないぐらいの能力を持った計画にすべきでないかなと思います。極端なことを言ったら、せめて上が100で下が150というふうにあってほしいというのが、安全工学の視点です。いわゆる安全工学では、鉄道だとか航空工学だとか原子力発電所とか、安全というものは有害なエネルギーをわざわざかき集めて人間の社会へ持ってこないで、どこか無害な状態でシステムから外へ放出するというのが基本ではないかと思います。したがって、まことに盛岡の人には申しわけないんですが、掘り込み河道でしょうと。150で溢れたら大変だって言うけど、例えば利根川は200分の1で大洪水になったとき、おそらく利根川の下流は水浸しでしょう。内水ポンプの計画で30分の1ぐらいで雨を汲んでも、おそらく水浸しなんですね。それから見れば、かなり安全度は実質高いと見ることもできるんじゃないかなというのが、私の意見でございます。
 これらも踏まえて、きょうは事務局からは基本高水の原案が提出されておりません。次回、お考えいただくということで、極端な話、上が150だったら全川150、宮城県内200ぐらいにしないと、つじつまは合わないんじゃないかと思います。したがって、仮に盛岡が県庁所在地にもかかわらず150を切り下げるということは、住民に不安感を招くかもしれませんけど、津だって100ですよと。津のほうはむしろ堤防で守られていて、こっちは掘り込み河道ですから、実質大変安全と言えます。明治42年ですか、氾濫があったとはいいつつも、氾濫形態が大分違うんじゃないのと申し上げたい。要は、破堤だけは絶対させないという治水計画でないとまずいんじゃないかというのが私の意見であります。皆様方からご意見もありましたら承りつつ、次回、資料を出していただきたい。
 ○○委員、意見があると思いましたが、どうぞ。
(委員)  前回、庄内川のときには、今、委員長のおっしゃった方針で上流の安全度を下流より落として、あるいは基本方針の中で整備計画等工事を進めていく中でも、上流のほうの安全度は下流の安全度が確保されてからでないとというようなただし書きがついたような気がいたしました。今回、それに対して、文面上は真反対に上流のほうが150で下流が100ということに、やっぱりそのままでは抵抗があるということだと思うんですけれども、これは実は可能なんですね。すべて河道疎通だけで議論しているときには確かにそうなんですけれども、上流でダムによる洪水調節をやるという手法は直下のほうが効果があるわけですから、ダムとかいうふうな形の洪水調節でやれば、上流のほうが安全率が上がって、下流になるとそんなにきかないということもあり得るわけで、実は北上川の場合も上流の150分の1はかなりKVAとかダム計画の中で担保されている部分があると思うんですね。その辺の安全度の考え方をもう少しやはり明確にしないと、特に庄内川からの流れもありますので、上のほうが安全度が高いというのはなかなか流域としての安全工学的な視点から理解しにくいところがありますので、そこをもう少し検討いただきたいと思います。
(委員長)  若干ご意見を申し上げると、150でダムで効果があったよと。そのときの洪水パターン、例えば明治42年で狐禅寺はどうなっているの、宮城県内はどうなっているのとか、あらゆるケースで下流だけは破堤させないための安全度は確保してほしいと思います。計算上とか何かというのもありますけど、いわば仮に破堤したときに、住民の皆さんが「何で上は安全に流して、私のところで破堤させたの」と言われないようにしたいですね。それは全く別なところの外力であればいいですけれども、慎重なご検討をお願いしたいということで、この問題は次のときに事務局から資料を出していただいて基本量を決めたいと思います。
 それでは、関係委員からもその他の委員からもご意見を承りたいと思います。○○委員、どうぞ。
(委員)  中座しますので、先に。
 北上川でございますが、本日の資料には書かれておりますけれども、一関遊水地と平泉遺跡の関係ですけれども、過去も「柳之御所」の関係で計画変更があったというふうに聞いておりますが、現状、その後、今、地元では世界遺産の指定とか、特にこれはやはり東北地方の歴史・文化の中心地でもありますので、現状での御所の遺跡の想定の範囲と遊水地の事業の関係がうまくいっているのかどうか、次回で結構ですので、教えていただければと思っております。
(委員長)  私は、藤原氏は洪水で滅びたと信じています。決して鎌倉幕府に攻められたんじゃなくて、水害と、後で聞くと冷害もあったそうですけど、経済がだめだったときに遠征軍に来られたこ。そんなに簡単に破れるような東北軍団じゃなかったと思うんですけど、経済的に疲弊したところにやられたんだということを、昔の衣川の町長さんにお聞きしたことがあります。水害の歴史は上流ばっかりじゃなくて下流も厳しいということが、一応推定されていると思います。
 ○○委員、どうぞ。
(委員)  3点ほどお願いいたします。
 第1点目は、河口のところの汽水域の記述です。北上川のほうは、塩害と河口閉塞のお話がありました。雲出川のほうを含めて、そのほかのところに配慮する必要性がこの場合はないのかというのを確認させていただきたいと思います。
 それから第2点は、先ほど○○委員がおっしゃられました土砂管理のところなんですが、きょうのご説明では、いずれもストックとしての――いわゆる河床の安定ですから、ストックとしての表現に重点を置かれていました。フラックスとしてのものを考えるというのも土砂管理の一つではないかと。そういう意味で、今回の両河川で河口に特に影響がなければよろしいんですが、ほかの場合を含めて、もし幾らか送ってほしいというケースがあるんでしたら、そういう配慮も必要ではないかというふうに思います。
 それから第3点目ですが、これはお教えいただきたいんですが、きょうも、防災上、家屋のかさ上げというのがございましたけれども、河川法でなくて防災のほうで家屋の移転というのは不可能なものかどうかというのをお教えいただきたい。
 以上です。
(委員長)  これは次回でよろしゅうございますか。
 では、○○委員、お願いいたします。
(委員)  私のほうの立場から2点ほど北上川について申し上げたいんです。ちょっと長くなるかもしれませんが、お許しください。
 北上川の上流域では、やはり火山性土砂の抑制管理の問題というのが大きいんじゃないかと思うんです。それで、例えば資料7−1、土砂管理等に関する資料の1ページ目の下から4行目ぐらいのところには、「奥羽山脈は新第三紀の地層で主として砂岩、頁岩、凝灰岩などで構成されており、これらの地層を安山岩溶岩、砕屑岩、泥流、ローム等の火山」――これ、「火山噴出物」に直しておいてください。「が覆っている」と書いてある。これは非常に一般論的な書き方なので、もう少し具体的にお願いをしたいのは、北上川の上流域は、八幡平とか岩手山とか栗駒山というような活火山が南北に並んで分布しておりまして、その噴出物が大変広く分布しておりますから、地質が脆弱でありまして、風化とか浸食による土砂生産が著しいんですね。特にその中でも問題なのは岩手山、これ、最も活発な火山でありまして、江戸時代には大きな噴火を2回ほど起こしております。最近の事例では1998年、今から8年前に火山性の地震が活発化しました。それから、GPSの観測によりますと、東岩手――岩手山は2つの火山、西と東にあるんですが、東岩手のほうが活発なんです。その東岩手火山の山頂部が南北に開いているというのが観測されて、これはマグマが地下から上がってきているのではないかということで、噴火に対する緊張がかなり高まって、観測体制もかなり整備しました。幸いなことにマグマが途中でとまってしまったので、噴火をするということはなかったわけなんですが、実はこれを契機にして、同じ年、98年の10月に岩手山のハザードマップ――これは当時の建設省が中心になってつくられたんですけれども、その中で特に重要なのが、噴火によって泥流が発生する。その泥流も、特に積雪期に噴火をしますと、雪が融けて、大規模な土石流泥流が北上川に流れ込むというところまで書かれているわけであります。ということで、もし上流部で、しかも土砂による河川の閉塞が起きて、それが決壊すると、盛岡市内は大変なことになるという、その可能性も捨て切れないということでありますから、やはり上流部での土砂管理というのが非常に重要なのではないかと。この点が一つです。
 それからもう1点は、これは中下流域の問題でありますが、北上川の中流から下流域というのは、最近、中央防災会議で指定が行われました日本海溝、千島海溝周辺海溝型地震の防災対策推進地域に指定されて、全部で119市町村――これは北海道から東北地方にかけてですけれども、それとともに防災対策の大綱もこの2月にまとめられたわけであります。この委員、私もしておりましたので、あえて申し上げるんですけれども、このときは中央防災会議で一応8つのタイプの地震を想定しました。その中でこの地域に特に関係するのは宮城県沖地震でありまして、先ほどご説明になった資料にも書いてありましたが、今後30年以内に宮城県沖地震の発生する確率が99%ということで、30年たってみればまず起きてしまっているということになるわけです。そのため宮城県下が全域推進地域に入っております。そして、この北上川の下流では4市2町が入っております。それから、岩手県下でも2つか3つの市町が入っていると思いますけれども、当然のことながら、これは堤防などの耐震性の強化というのが重要であります。防災対策推進地域に指定された基準というのは、一応この地震が発生すると震度6弱以上にはなるであろうというところでありますけれども、もう一つ大事なのは、先ほど宮城県からもお話がございましたが、津波の問題でありまして、宮城県沖地震がもし日本海溝の側と連動いたしますと大津波が発生する。これは、過去のモデルとしては1793年の地震があります。2月に起きた地震だったと思いますが、この地震は明らかに日本海溝側と連動した地震で、大体2メートルから5メートルぐらいの波高の津波が宮城県から岩手県の沿岸を襲ったということが当時の記録からわかっているわけなんですが、特に北上川というのは低平な河川でありますので、津波が発生するとかなり上流までさかのぼる。ご記憶でしょうか、2003年の十勝沖地震のときに、十勝川を津波が――やはり十勝川というのも北上川と同じように比較的平坦な川で、これは自衛隊のヘリが撮影したんですが、10.5キロ遡上しております。ですから、そういうことを考えますと、この北上川の下流域というのは津波防災の問題が大きいのではないか。特にこの下流域に先ほどからお話にありますように無堤地帯があるというのは、大変大きな問題でありまして、周辺が市街地でありますから、そこにあふれてしまいますと、やはり内水をどのようにして外に出すのかという問題も当然ありますし、大きな災害が発生する可能性もある。ということで、すぐに堤防ができないのであれば、やはりソフトの対策で対応するしかない。住民に対する情報伝達体制あるいは早期避難体制の整備を進めておかなければいけない。とにかく30年以内99%ということで、場合によっては大津波ということも考えておかなければならないということであります。
 申し上げたいことはそれだけなんですが、一つ、文字を直しておいてください。細かいことですが。資料7−1の1ページの下から5行目、「古世代」と。これ、「古世代」の「世」の字は違っています。この前もどこかの川のとき申し上げたんだけれども。参考資料1−1の1−4ページでも「古世代」、「中世代」、全部、世の中の「世」になっています。直しておいてください。
 以上です。
(委員長)  ご当局から出た津波の問題について、大変大きな課題なので、ずばりすぐ計画ができるのかどうか、ちょっと心もとないんですが、少なくとも方向については示したいと思います。
 今、○○委員、先に席を立たれましたが、松尾鉱山に関係する水質問題については次回でも発言するということでしたので、これについてはまた次回用意していただきたいと思います。
 それでは、○○委員からお願いします。
(委員)  私からは簡単なお願いですが、毎回、水系ごとに概要というのを配っていただいていまして、その中には取排水系統模式図というものが、例えば雲出川につきましては本日の参考資料1−2の55ページにありますけれども、北上川についてはこういうものが今回ついていないので、次回、おつけいただけないかということでございます。
 以上です。
(委員長)  最後になりましたが、○○委員のほうから。
(委員)  特にありません。
(委員長)  正常流量等、ご意見がありましたら聞かせてくださいということと、私から際どい質問をさせていただきますが、この資料の北上川資料2−1のページの15、16あたり、全く無堤地が連檐していて、これを河川事業でどんどん堤防を閉めていくと、宮城県内なり狐禅寺はどうなるのかなと心配です。今の安全度をむしばむという言い方は悪いでしょうけど、今まで氾濫しているおかけで来なかった洪水が下流に落ちてくるということになりますね。そうすると、計画内ではありますけれども、実質の安全度が総体的に低下してくるんじゃないかなと。大変大胆な話なんですけれども、農地は30分の1、住宅は例えば100とか150分の1なんていう計画があり得ないか。当然そういう計画をつくるについては、地域住民、土地所有者のご了解も得なきゃいけませんけど、そんな計画を北上川では考えてもいいのではないかなという私の一つのアイデアでございますが、もし……。
(委員)  私の個人的な意見になるかもしれませんけれども、それは当然あり得ると思います。財産価値によってそのものの確率というのは当然変わるべきだというのが常識だと思います。
(委員長)  そういう社会システムが今できていませんけれども、やっぱりそういう努力は北上川ではやっても意味があるんじゃないかなという思いがあるんですけど。
(委員)  正常流量、毎回同じようなことを言うんですけれども、雲出川の10分の1渇水流量が0.08m3/sなんですね。今、決めようとするのが2m3/s。いかにも差が大きいので、そういうコメントはそのところどころでつけておられますけれども、ほんとうにひとり歩きしないようなそういうコメントがこのぐらい違うと必要なんじゃないかなという感じがいたしますが。それは感じでございます。表現でございます。
 それから、雲出川の河川整備基本方針の本文でございますけれども、6ページの真ん中あたりにありますが、「災害の発生の防止又は軽減」のところです。その第1段落の一番最後でございます。「流下阻害の一因となっている取水堰の改築については」云々でございますけれども、これにつきまして、どの程度、どのようなものがあるのか、次回で結構でございます、どの程度流下阻害の要因になっているのか、資料がありましたらお願いいたします。
 以上でございます。
(委員長)  一通りご意見を承りました。
(委員)  先ほど言い忘れたんですが、北上川の資料の12ページの真ん中の上の図についてです。ここに河道掘削と書いてあるんですが、そこの計画高水位と現況の水面形が出ていますよね。この水面形、普通でない水面形状をしています。私が心配しますのは、ここは、おそらく河道が狭くて流速が上がって水位が下がっているように見えると。ほんとうにこうなんだろうかと。現況河道について洪水の痕跡を調べていただきたいと。ほんとうにこのような水面形なのかどうか。もしもこうであれば、相当の流速が出て、やはりちょっといろいろ問題があると思うんですよね。ここのところ、これまでの実績の痕跡がどうであったのかということを調べていただいて、もしもそれが実績と計算しているのが違うのであれば、それはチェックすべきと思います。ただし、H.W.Lもそうなっていますから、どういう条件で計算を行ったのか、計画を立てる上で大切になると思いますので、ご検討よろしくお願いします。
 以上です。
(委員長)  そのほかございますか。
 それでは、時間も大分超過しましたので、ここで締めたいと思います。
 本日、北上川水系については基本高水案の説明までには至りませんでした。従来の経過からの説明はございました。これについては、各委員の意見は大体、盛岡で150、下流100というのはちょっといかがかなというのが大勢の意見だったと思います。せめて上と下とは同じぐらい。ほんとうは堤防のほうが厳しいというか、安全度が増えているべきではないかというのが、私が少し強烈に言い過ぎたのかもしれませんが、大勢の意見だったと思います。それを前提に、次回は基本高水と計画高水流量及び本文について審議していただくように準備をお願いしたいと思います。
 また、雲出川水系は、資料として河川整備基本方針の本文(案)とその骨子などの資料を用意されていましたが、時間の都合でその紹介がありませんでした。次回は本日の議論も踏まえ、本文について審議していただくことになります。本日配付された資料も含め、お気づきの点がありましたら、次回以降の議論にも反映できるよう、あらかじめ事務局までご連絡くださいますようお願いいたします。事務局におかれましては、本日の議論や委員からの追加意見を踏まえて資料を作成し、次回、紹介するようお願いいたします。
 最後に、本日の議事録については、発言者の氏名は除いたものとし、内容について各委員の確認を得た後、国土交通大臣官房広報課及びインターネットにおいて一般に公開することとします。
 本日の議題は以上でございます。


3.閉      会

(事務局)    どうもありがとうございました。
 次回の委員会の開催日時につきましては別途ご連絡いたしますので、よろしくお願いをいたします。
 また、お手元の資料につきましてはお持ち帰りいただいても結構でございますが、郵送をご希望の方には後日郵送させていただきますので、そのまま席に残しておいていただきたいと思います。
 これで閉会いたします。どうもありがとうございました。







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