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関川の歴史
高田城の一部だった関川
関川は、いくつもの蛇行を繰り返してきました。
高田城は、慶長19年(1614年)に現在の高田城跡に築城したものです。その頃は東側に関川、西側に関川の支川矢代川が蛇行しながら流れており、築城にあたり、関川の流れを変え一部をせき止めて外堀としました。
築城後の高田は城下町として栄え、城跡は桜と蓮をシンボルとする高田公園として、市民の憩いの場になっています。
高田城跡の夜桜
高田城築城後の関川・矢代川の河道
暴れ川の教訓を生かして
関川の水は高田平野の農業や上流域の発電事業、生活用水に幅広く利用され、流域の暮らしや産業発展の基盤になってきました。しかし、その一方で、河川延長が短く勾配も急なことから、古くからたびたび暴れ川となり住民を悩ませてきました。江戸時代では、特に大きかったと思われるものだけでも23回もの記録が残されています。
最近では、平成7年に「7.11水害」と呼ばれる大規模な水害が発生して、流域に大きな被害をもたらしました。現在は、景観や環境にも配慮した新しい川づくりが進められています。また、支川にあたる保倉川でも、かつては下流域で蛇行が多く水害の原因となっていましたが、河川改修が行われ改善されています。
7.11水害時の関川
7.11水害時の支川保倉川
地形を活かした用水路の開発
高田平野は、扇状地の発達による日本海側への緩傾斜地形であり、用水路の開発への自然条件がよいことから、比較的早期に開発が進められてきました。
高田平野には農業用水路を通して水が供給されるため、いくつもの農業用水がはりめぐらせれています。この中で代表的なものが、中江・上江・稲荷中江・大瀁用水で、高田平野の四大用水といわれています。高田平野では、農業基盤整備により、これらの水が円滑に行きわたり、豊かな恵みを与えてくれています。
稲荷中江用水取り入れ口である関川頭首工
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