櫛田川魚見上流(通称中山)付近は湾曲が甚だしく、水勢をまともに受けることで、決壊が多発したため人柱を設置すると堤防決壊を防げるという伝説を基に、藤八翁は1822年、人柱として生き埋めにされた。
それから水害も無くなり、藤八翁を郷土魚見の守護神として崇めた。
1933年の櫛田川大改修において、中山堤防から人骨と鉦が発掘され、人柱は事実として実証される。
生き埋めの準備として、棺桶に食料と鉦、撞木を用意した。3日後に鉦の音が停止したと伝えられている。
人柱の言い出しは藤八翁自身であり、くじ引きを行ったところ、本人が人柱くじを引き当てたと伝えられている。