大和川上流部には、古代、藤原京や平城京などの都があり、日本の政治・経済・文化の中心的な地域でした。このため、法隆寺をはじめ、飛鳥歴史公園等の文化遺産が数多く残っています。また、大和川下流部には、日本最古のダム形式の人工池である狭山池があり、古事記や日本書紀に築造の記録が見られるなど大和川流域は、たくさんの歴史文化を育んできました。
古来より大和川は舟運にも活用されていました。日本書紀には遣隋使の小野妹子とともに来た裴世清(はいせいせい)ら一行が難波津から舟で大和川をさかのぼり、初瀬川から三輪山麓の海石榴市(つばいち)に上陸、飛鳥の宮に至ったと記述されています。また万葉集には、藤原京周辺の農民たちが舟で初瀬川を下り、佐保川をさかのぼって平城京の建設に参加している姿が詠まれています。
このように、いろいろな時代に大和川は舟運として利用されてきましたが、近世以降は鉄道の敷設をはじめとする交通網の整備により舟運は衰え、現在は水量の不足も加わり利用されることはなくなりました。