水管理・国土保全

  

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地域と太田川

太田川と舟運

 太田川は、古くから川舟による輸送路として利用され、太田川上流からは木炭、鉄、紙などが運ばれ、材木は筏によって運搬されていました。それに併せ、船乗り、船大工、舟問屋などの職業も発達し、また、神田(かんだ)の渡し、ときはの渡しなど随所に渡し船が行き来していました。水辺に今も残る雁木(がんぎ)は当時の荷揚場として往時の盛んだった舟運を物語っています。江戸時代後期(1862)には川床が埋まり通船などに支障がでてきたために藩に願い出て町民の出資で川ざらえが行われた記録もあり、舟運によって発達していた当時の暮らしを伺い知ることができます。


筏ながしの風景


雁木



太田川の水利用

 太田川の豊富な水は、古くから農業用水、上水道用水、工業用水、水力発電などに利用されています。現在においては、中流部に建設されている高瀬堰(たかせぜき)の貯水池内に貯められた太田川の水は、広島市はもとより太田川流域外の水源に乏しい呉(くれ)市や瀬戸内島しょ部まで送られ水道用水などに使われています。


高瀬堰




太田川の水辺利用

 太田川上流部は、西中国山地国定公園内にあり、一帯は自然景観美を誇り、中でも戸河内(とごうち)町にある三段峡(さんだんきょう)は国の特別名勝にも指定されています。また、平成13年度末に完成した温井(ぬくい)ダムはアーチ式ダムにおいては、富山県の黒部(くろべ)ダムに次ぐ2番目の156mのダム高を誇り、年間30万人の方がスポーツや自然観察などに訪れています。太田川下流部の広い河川空間では、地域の方々にとって手軽に自然とふれあえる場であり、一帯が魚釣り、水遊び、バードウォッチング等の場として親しまれている他、河口部は潮干狩りや魚釣りなどの身近なレクリエーション施設の場として、市民に深い愛着をもたれています。また、支川古川(ふるかわ)では、市街地近くにありながら自然豊かな環境を活かした多自然川づくりが行われ、年間を通じた清掃活動や夏には「せせらぎの夕べ」と題したお祭りが開催されるなど、地域の方々の取り組みが盛んに行われています。太田川下流デルタ域では、広島に原爆が投下された8月6日には、元安川を始めとする市内各所において灯籠流しが行われるなど、人々が水と接することができるようになっており、周辺の原爆ドームや平和公園などとの景観にも調和しています。


温井ダム


古川での川遊び




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