肝属川の本格的な治水事業は、大正3年の桜島(さくらじま)火山の大噴火でもたらされた大量の火山灰が大きな被害を招いた大正6年6月洪水を契機として、大正7年から同11年まで県営事業でした。県営事業では肝属川本川は鹿屋市から大姶良川合流点までの区間、支川串良川は林田堰から本川合流点までの区間について掘削や築堤が実施されました。それまで肝属川では、利水のための小規模な工事しか実施されていませんでした。
その後、昭和4年7月洪水を契機として、昭和12年に肝属川改修計画を策定し、国直轄の河川改修事業として、築堤・掘削や蛇行河川の直線化を行う捷水路工事に着手しました。昭和13年に大規模な洪水等が発生し、計画の改訂等を行い、昭和28年に一連の捷水路工事が完了しました。
昭和30年代から40年代にかけては、主に下流部の水門工事や高山川の築堤工事などを実施しています。
昭和51年6月洪水では、鹿屋市街部のいたる所で河岸が崩壊し家屋が流出するなどの被害が発生し鹿屋市街地の抜本的な治水対策を迫る水害となりました。
このため、人口・資産が集中し、河道が狭小となっている肝属川本川の鹿屋市街地区間をバイパスするために鹿屋分水路工事を実施し、平成12年3月に一連の分水路工事は完成しています。