会議記録


  5−1.ショートスピーチ (石井和紘委員)
 

 今日、話させていただくのは、今、川勝さんから話がありましたように、実は木造の話で、私は木造をむしろ公共建築に使っていきたいということを遅々としてやってきたわけである。辺境に木造の仕事は成立しやすいが、木造は本当に建築界で言うどさ回りの仕事である。建設省が昔、建築基準法をつくった時代に、吉田茂首相とかの世代が不燃都市建設を目標にし、木造を嫌がったことはよくわかる。今では例えばコソボとか、前のイラクとかの悲惨な目に当時日本は遭ったわけで、大変な空襲を受けた恐怖の後に政治家のすることは当然、都市建設ということだったわけである。それが大変な悲願だったということは十分に理解できる。日本は、とにかくほとんどの住宅等が木造の建築であった。アメリカには申しわけないけれども、コソボよりすごいのは、炎が一瞬にして10何万人という人に対して、恐らく史上最大の虐殺が起こったわけである。しかも2発の原爆つきで。その後、木造という燃えるものを一掃しようとして、今日ほぼその目的を果たしてきた。ところが、今また有事の問題が起こっており、あるいは北朝鮮がミサイルを撃ち込んでくるかもしれないけれども、そういうものはスポット的な対応で何とかかわせないかと思う。だから、私は木を使う。人間にとって燃えないものと一緒にいることがいいわけはないということは言えるわけである。
 有馬孝禮先生が静岡大時代ににネズミのマウスで調査された。ネズミの子は大体1腹15匹生まれる。それを25度Cで、ゴールデンウィークの時くらいの暖かさの気候の中の杉の箱で育てたところ、14匹大きくなった。親が見放す子がどうしても1匹はいるというのがネズミの子育てのシステムらしく14匹は最大である。ところが、それをコンクリートの箱で25度Cの中で育てたところ、 0.5匹しか大きくならなかった。コンクリートの箱の中では、まず母親のネズミが子供をかき抱くという行為をしなくなるらしい。このことから、今いろいろな教育問題とかの一つの理由として、やはりコンクリート化がものすごく進んだということもある程度あるのではないかと思う。特にこの間の埼玉県の例でも、保健室へ行くなと先生に注意された子供が、授業が終わった後もう一回念を押された。そこでバタフライナイフで先生を刺し殺してしまったわけだけれども、本当に生きて行くところがその子にとってはもうコンクリートの競争空間しかなかったといえる。そんなことを考えながら、木造をやっていると、なかなか大変だけれども、一つ一つそういう非常に興味深い話がある。それをちょっとスライドで見ていただこうかと思う。

  (スライドNo.1、No.2)
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 実は、今日出席の座長の川勝平太さん、それから加藤秀樹さん、あとは地球物理学の松井さんとか、ビッグバンの佐藤勝彦さんとかと一緒に「地球学」というメンバーをつくって、それぞれの専門と地球との関係を語るというふうなことをやっている。御覧のように、地球というのは球であって、回転している。右のは雲を取り払ったところの合成写真なのだが、都市というものは人間がつくったと言うけれども、実はこの電気のついている明るい濃淡の分布が本当に上空から見ると星の分布と非常に似通っているそうだ。だから、都市とはいえ、人間がつくったものであるけれども、やはりこういうもっと大きな存在のシステムの中にあるということで、それは先ほどの木造の話とも重なっているのではないかと思う。

  (スライドNo.3、No.4)

 右は、中野の上空である。それで、ああいうふうに白いコンクリートの都市である。とにかく不燃都市をつくるということでこういう結果になった。左は、東京湾の周りに建物が一杯あるように見えるが、実はあれは星雲がこの宇宙で一番混んでいるところの写真だそうである。そうすると、何だ、東京湾も宇宙も同じかなと思える。その分布の形態は中野と宇宙とえらく似ているではないか。建築は今まで、都市というのが上位概念でそれ以上のものはなかったわけだけれども、こういうふうにしてもう一つ上の考え方へいけるのではないかと思う。
 先ほどのスライドの1個1個の丸は、実は1個に 1,000億単位の星が凝縮している星雲のわけで、だからああやって一目見ているだけでものすごい数の星が見えているわけである。

  (スライドNo.5、No.6)

 それから回転だが、これは台風の目を上から見ているところである。今まで建物を構想するときに、直角に方眼紙を引いて建物を考えていったわけだけれども、実はそれらを含めて本当は回転でできているのである。
 地球の特徴はまず回転と、それからもう一つは陸水地球であると言われている。水地球の中の花崗岩が地球的な物質だそうで、地球はそれによって水と陸とが同居しているという非常にユニークな星だそうである。その中で我々日本人は水耕田の風景、水平線によって陸の高さを知る。それは水があるからであって、そういう特質を欧米人よりもよく知っている。
 やはりこういう風景が地球の基本にあるということを忘れてはならないだろうと思う。

  (スライドNo.7、No.8、No.9、No.10)

 それで、回転の方は、私は昔そういうことをしている大それた自覚はなかったけれども、何か面白いからやってみようみたいな感じのところもあった。回転、それから回転の平面を変えていくいわゆるジャイロ的な回転である。今振り返ってみると、こういう建築ををつくらせていただいた方もみんな亡くなってしまって、私にこういうものをさせてくださったということにただただ感謝するばかりだ。地球というものと我々がつくる建物の関係をつなげて考えようと思っている。それで、東京というのは何と面白い都市であるかというのを、こういう地球的なことでみて見る。つまり、その真ん中にある皇居のランドスケープがまさに緑と水と、それからさっきの陸水地球を表している等高線である。それで左の写真を見て、これがどこの国の首都だと思うかということを留学生などに聞くと、大体南米の都市を想像するようである。これが日本で、その主都の中心はランドスケープそのものだと話すと皆感心する。手前が気象庁だと言うと、四角い建物というのはなかなか地球的自然と合わないというようなことになる。けれども、こういうものを吉田茂のときになっても壊さなかった。今こういうものが保存されて残っているということの方が私たちに多くのことを教えてくれる。こういうことは、やはり感謝すべきことと思う。曲線と傾きが陸水地球をつくっているのである。

  (スライドNo.11、No.12)

 これは北九州市の八幡のコンサートホールを設計したときに、あそこの市長さんに「今回は木造は絶対やっちゃだめだ、うちは鉄とガラスの町だから」と釘を刺されて、それでこのガラスを少し5度ぐらい傾けて曲げてみたのだが、これによって非常にたくさんの光や反射の濃淡が出てきて、お金の割には効果が高かったんじゃないかと思っている。

  (スライドNo.13、No.14)

 支倉常長という人が 400年前にいた。初めて行ったスペインで国交の話がまとまらなくて、ローマまで行ってローマ法王に会って、帰ってきてからキリシタンの弾圧で寂しい一生を終わった。それを何か記念しようと宮城県がお考えになった。この船がサンファンバウティスタ号というのだけれども、長さ55メートル、それから船の全高が50メートル、というものすごい船だった。その船をオール木造で復元して博物館をつくろうというお話で呼んでいただいた。ここに地球的じゃない建物をつくってもしようがないだろうというような感じは最初から皆さんにあった。ここはリアス式海岸が始まるところなのだが、そこに海抜10メートルの線を引っ張り出して、船も木造だから建物も木造でやろうということで、こういう建物をつくった。吹雪になるといよいよこの船は雄々しく見えるのだが、吹雪の日でも、ガラスの中から船を見ているというものをつくった。

  (スライドNo.15、No.16)
 もう一昨年になるが、大爆発的ブームを呼んだ「もののけ姫」だが、「もののけ」という言葉の「け」というのは怪しいという意味である。人間と地球との葛藤の中で、最後は地球を食いつぶしてしまう人間の宿命ということを宮崎さんが非常に優しい言葉でロマンチックに描かれていたが、ちょうどそんなころ木造のすごい遺跡が青森で出た。確か一昨日のニュースだったか、土器の一番古いのが1万6,500年という。今まで我々は遺跡とか古い歴史というとギリシャとか中近東にかなわない、あれは石で、我々は木だからということでずっと思っていた。しかし、全然こっちの方がすごい。それもけた違いにすごい。5倍ぐらいすごいという感じがしてきた。我々も自覚してそういう役割を果たさなければ、これからは歴史を持っている国としての役割をもっと果たさなければいけないということだと思う。
 左は、高さ16メートルの三内丸山の復元された塔で、これは栗の材でできている。歴史の方々は謙虚だから、やり過ぎはいけないということで籐で縛ってあるが、あれは3年ぐらいしたら崩れ落ちてきそうな気がする。その直後に富山県の方の遺跡からちゃんとほぞで差し口があるものが出てきて、どうも歴史の方が常に我々建築関係者よりもすごいみたいだと思っている。

  (スライドNo.17、No.18)

 それから、木だが、我々はよく木は人間的という言葉を使う。それは機械で生産された鉄などに対して人間的と言っているものだ。人間の歴史の常識からみて、1万6,500年という土器が出てきただけでも驚いている。大体人間圏というものは今までは1万 2,000年程度に考えられてきた。その関係の松井さんとかは大分書きかえないといけないような事実が出ている。松井さんの研究の時間スケールで言うと、隕石が落ちて滅びたという恐竜が実は木の一番の愛好者だった。枝と葉を大体1日に5トン食べていた。ものすごい量である。10頭ぐらいで1ファミリーだったそうだが、彼らが森林の中へ入っていくと、バーッと食べていっちゃうという。木の方も上へ逃げるし、恐竜も追いかけるしで、一番首の長い恐竜が全長32メートルぐらいだから、木もものすごくなっていく。とうとうたまらなくなって果物を実らせるという方法を木が身に備えた。恐竜は葉は食べたけれども、不思議に余り果物は好きじゃなかったみたいである。それで低い木であっても、木というのものが食われずに生き延びていくことになったのである。
 今2000年が来るということは、キリストという人が生まれてから、2,000年たったということなのだが、今2000年といってもそういうすばらしい人が現れたという記憶は、いわゆるマス社会の中に風化しているようである。しかし、このスライドは火星に人間が到達して 2,000年かけてここまで緑化するというものである。地球の富が続くという前提の上だけれども、ロケットをどんどん飛ばしていってここまで緑化できる。だから、紀元4000年になると、ほぼ理想通りいけば火星に移住できるであろうというような絵だそうである。だから、それはやはり木がそういう人間圏のバロメーターになっていることを示している。

  (スライドNo.19、No.20、No.21、No.22)

 所は火星から変わって十和田湖だけれども、これは、子供たちが冬でもここで頑張って暮らしている様子である。真冬の十和田湖というのはやっぱり非常に人気があって、民宿にお客さんが真冬でも来てくださる。民宿のお父さんやお母さんや子どもたちも頑張って過ごす。だから、これは分校じゃなくて本校である。かわいそうだから秋田杉で学校をつくろうと、川口博町長が考えた。これは実は左の山の上が八甲田で、あそこで若い兵隊さんが 200人ぐらい死んだのだけれども、右の方が生き残った部隊が降りてきたところで、対角線上にある。それで、右を見ると、いわゆる人間的というか、心が休まる。これを見ると、ひょっとすると恐竜的なDNAが我々の中に生きていて、すごい冬の中でもまずはともあれ食える物を見つけたという感じがするから、やっぱり、こういうものがいいなと思っているのではないかと思う。それで、スキーの非常に強い学校になった。実は小中学校全校で生徒が12人しかいない。だから、9学年で12人しかいない学校。それで激励してあげようというので、秋田杉で、角がよろけない尺角ピン角というので造った。造ると、本当にギリシャ神殿みたいというか、我々が日本人だからかもしれないけれども、木のこういうものというのは本当に文句なしという感じがする。この学校は、実は全日本のノルディックのチャンピオンが既に5人出ている小中学校なのである。冬は、毎日午後はスキーばかりやっている。向こうに十和田湖が見えている。よく埼玉県の教育委員会と話すのだが、交流して留学というか、この学校にはまだ余力があるので、埼玉の子供たちをこの学校に移して、コンクリートと木との違いということを実感してもらおうと思っている。

  (スライドNo.23、No.24、No.25、No.26、No.27、No.28)

 それから、これはちょっと自治体的にはおもしろい試みの話なのだが、阿蘇のふもとに、清和村と言うところに、百姓文楽が残っている。それがたまたま近代的な株式会社の形態を江戸時代からとっていた。やる人が亡くなっても株式会社は残っていたから、文楽はずっと続いてきた。ところが、もうさすがにだれも見てくれない。1カ月に2回はやらないともう忘れてしまうというので、開き直ってアートポリスで知事にお願いして、それからあと竹下さんの1億円のふるさと創生基金で劇場を建てようとした。文化庁などはそんなのは無理だと非常に反対した。大体、国立で文楽をやっているだけで大変なのに、田舎で、県でもない、市でもない、町でもなくて村がやるということは無理だからやめておけという話だった。どうせだめならやるか、やるなら木造でやろうというのでやった。実はこれが昨年は、電車もない村なんだけれども、何と14万人、文楽を見に来てくれた。例えば東京からでも、靖国神社のところにある大妻学園などは、6台のバスを連ねて修学旅行でここに見に来てくれた。今まで都市化、近代化という全部同じような路線の上で、一定の成果をあげてきたものの、ここに来て何かやっぱりその中にちょっと疲れるものがあるということを感じる。それは国土計画全体の問題だろうと思う。そういうことで今は大体1カ月に1,300万円売り上げている。切符と、それからお土産を皆さん買ってくれる。じいさん、ばあさんが野菜を煮たりして、ビニールの袋に入れて自分で値段を書いて置いておくと、それが非常に売れるということで、これはちょっとびっくりしている。日本中にこういうことが一杯あるだろうと思う。だから、それをうまく引っ張り出して、何か活力を与えていく。それは、お金で1億円貰ったとしても、とてもできなかったわけで、何か工夫や方法が必要だろう。
 初めはそんなにお客さんが来ると思わなかった。弁当を食べるところもなくて、それで左の建物を後でつくった。初めは、雨の日は困っていた。外の芝生で食べていただいていたのだけれども、なかなかそうもいかないというのでこれをつくった。
 村中総出で上棟式をして、文楽人形が餅をまいた。この文楽の人形などは、大体淡路から昔ずっと回ってきてくれている一座から売ってもらって、それで村の人で一年中文楽ができるようにしようというのでやったのが起こりだったということである。
 近代建築というのではない木造をやろうというのは、文楽のおじいさんたちも意見が一致していて、それじゃというので、長さが2間で尺五寸角の角材を組み合わせてこういう天井にした。そうすると、おばあさんとかおじいさんとかは僕が設計した人間だと聞くと、「これは本当に大丈夫なんですか」と聞いて来るので、「まあわからないですね」と答えて、「文楽の人たちも非常に大変な思いをして生きているのが劇になっているんだから、劇場の方も危なく見えるものの方がいいんじゃないんですか」という話をした。本当はいろいろ計算して、県庁の方とも相談して、そのときに最後は建設省の方に伺いに行かなければいけないということになった。けれども、「これは建設省に持ち込んでもだめだろう。もう熊本県で確認申請をおろしちゃいましょう」という話になって、そうしたら知事が細川さんだったので、それで判子を押してくださってできたというようなことである。あれが一同全員である。10人のおじいさんと10人のおばあさんで、20人が一座になっている。

  (スライドNo.29、No.30、No.31、No.32)

 これはその展示場で、これは直角ではなくて回転を使って上の方へ上がっていくような感じにしている。

  (スライドNo.33、No.34、No.35、No.36)

 「都市に第二の森林を」ということを言っておられる有馬孝禮先生がおられて、「木は切った方がいい、ただそこに植林するんだ」と主張されている。木は実は炭酸ガスが固定されているものなので、それを燃したり刻んでしまったりするということがだめなんだと。それがこの間の京都会議で議論された地球の炭酸ガスの問題である。これは、それを実践してみようということで、目黒区青葉台でコンクリートの建物の中に丸太を延べ20本建ててみたものである。これは本当はあんな丸太はなくたって建っている。ただ、丸太を見て、「これがなければもっと広かったのに」と言われる方はめったにいないみたいである。「ああいい」と言ってそばへ行って撫でたりしている。やっぱり木の欠乏症というのが都会の中で起こっているんだなと思った。
 それでかわいいのは、ああいうふうにやにが入っているところが、雨の日になると大きくなって、晴れると小さくなるというようなところ。何か不思議なところである。昔、床柱とか、そういうものを日本人は非常に愛してきたんだけれども、そういうものを現代にもう少し炭酸ガスの問題で復活できないかなと思っている。

  (スライドNo.37、No.38、No.39、No.40)

 それから、これは実は茶室である。木造というのは、いろいろそういう創意工夫が振るえ、鉄骨やコンクリートと違って、やりたいことは大体何でもできる。大工さんさえわかってくれればできるということで、これは広島でつくった茶室で、二年かかってようやくできてきた。丸太を引っ張り材として使っている。柱は圧縮と、それから曲げとしては梁に使うけれども、この場合引っ張りとして使っているというところが、そんなの余り聞いたことないというような話なのだけれども、やればできるという面白さだと思う。
 引っ張りというか、つかむということの行為を日本人に最近一番示してくれたのは、フォン・エリックだと思う。鉄の爪で、あの彼の右手が本当に馬場のおでこにはまりやすくできていて、それであれでぐっと……。去年エリックが亡くなって、ことし馬場さんも亡くなったので、だんだんそういう日本が遠くなるなというような感じもする。それと、去年1年間、津本陽さんが「週刊朝日」で『風流武辺』という、上田佐太郎という秀吉のころのお茶の人の話を書かれていて、それによると今、京都、東京、鎌倉ではない家元の家というのはこの広島の上田流だけなのである。それで、上田先生が「おもしろい。私もプロレスは好きだ」と言われて後押しの御指導をしていただいて、茶室がようやくできてきたというところである。それで、馬場が鉄の爪を防ぐときに、右手で防いでいるけれども、あれではつかまれてしまう。演技か何かわからないけれども。あとはエリックの左手を防ぎにいった。彼の右手の上に彼の左手がかまってしまうと、もう抜けられなくなってしまう。だから、リングを使ってそういうディテールをやってみたのである。

  (スライドNo.41、No.42、No.43、No.44)

 これがそれで、右側が鉄の爪で、左が馬場のおでこなのである。それで、これでつかんで引っ張っていく。ああいう風に輪っかで締めて、もう逃れられないようにしてある。
 上は、後楽園のテントをかぶせたのだけれども、テントがああいう広いところにあるというのももちろん面白いけれども、こういう森の中でやると、木の影がテントに落ちて、中から見ていると非常にそれが動いていくし、葉は落ちるし、とても森羅万象に合っている材料だなと思っている。

  (スライドNo.45、No.46)

 これは、上に木の影が落ちているところ。昔と違って何でもこういうものはクレーンで吊り込めるので、思ったほど難しい工事ではない。

  (スライドNo.47、No.48)

 これは、右が雪が降ったときで、障子紙が微妙に日本の建物にそういう環境を映し出していたのと似ている。テントはそういう材料だろうと思う。

  (スライドNo.49、No.50)

 それで、雪が降ったときもなかなか茶室は乙なもので、こういうときはやっぱり暖房なんかはかけない方がいい。寒い中でお茶を飲むのがいいという感じがする。

  (スライドNo.51、No.52)

 左が、はてさてこれが上田流と呼んでよいものかと考えておられる上田先生。なかなか現代という時代は難しい時代である。こういう方にとっても。でも、上にちゃんとエリックの鉄の爪がついて、これでいいのだとお考えになっているというところである。

  (スライドNo.53、No.54)

 常陸太田市というのが茨城県の北の端にあって、そこは実は水戸黄門が隠居したところである。これは、水戸黄門が隠居していた西山荘で、助さん、角さんなどがここへお供して、「大日本史」の編纂をしたり、農業指導をしたり、いろいろ活動していた。その建物が今でもある。そのすぐ隣に、老人にいい場所だということで老人の福祉施設を建てたいというのが、渡辺という市長さんの願いであった。それをコンクリートや鉄ではなくて、木でやりたい、丸太でやりたいという話があって、それで丸太ばっかりやっている人がいるというので、こちらに来て頂いて、今、お話させていただいているところである。

  (スライドNo.55、No.56)

 うねった形をしているところが廊下で、そこに10メートルの丸太が80本立っていて、その部分はテントをかけるということである。後ろの建築も全部木造である。

  (スライドNo.57、No.58)

 径が大体40センチぐらいの丸太をぶっ立てて、それにテントがかかっていて、なかなか確認申請は大変だったんだけれども、建設省にお伺いして通していただいた。これは秘訣なのだが、木造と言わずにやってしまう。丸太というのはそもそも準耐火なのである。要するに、外に火がついても中まで燃えない。だから、生まれながらの準耐火の材料だということを生かせる。ということで、こういうものを通していただけるということがわかった。

  (スライドNo.59、No.60)

 これが最後のスライドだけれど、何かそういう木が人間にいいという情緒的なこと以上のことを市民皆さんの方にご理解いただけるような方法はないだろうかと考えた。それでは立て看板で書きましょうかとかいろいろな話をした。けれども、最終的には、人間的であるということのほかに、地球的である。要するに、木と草と海洋プランクトンが地球上の炭酸ガスを抑制してくれている。それで、炭酸ガスの問題だということで了解を受け、建物の平面をCO2 という形にした。こっちの高校の方から見降ろすと、CO2 だと。CO2 が今の地球の問題で、この下にCO2 が固定されているということをわかっていただこうということで、工事にかかっている。
 そういうところである。どうもありがとうございました。

石井和紘委員
 
 
石井和紘委員
石井和紘委員
 

 

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