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(林 泰義委員講演資料)
今「愛」という話があったが、私は今日はコミュニティとまちの再生というテーマを話したいと思っている。
「王川まちづくりハウス」は地域の人々と1991年から始めた無認可NPOである。私も時間を都合しながら、本職以外の時間を投入している。地域のいろいろな人たちのまちづくり組織で、住みよいまちを実現したい人たちを応援する組織である。
(スライド1「ねこじゃらし公園」)
この組織はいろいろなことをやっている。写真で公園になっているところが我々が一等初めに住民参加の公園設計のお手伝いをしたもので、地域の人たちが参加してつくった「ねこじゃらし公園」である。世田谷区がプロの設計者にも参加してもらい、その人も一緒になってつくった公園である。これはこの春に5周年のおまつりをみんなでやっているところ。
(スライド2「サロンコンサート」)
このシーンは、地域でサロンコンサートをやっているところである。なかなか優雅な雰囲気に見える。実はそうではなくて、左側の演奏している女性は住専の担保にこの家をとられていて、もうじき追い出される。そのため、彼女の応援団をつくろうと急遽、催した古楽器のコンサートなのである。こういうことをやっている。
ところで、コミュニティとは随分昔からの言葉なので、ややカビが生えていると言う人もいるが、世界的に言うとコミュニティの価値が再発見されている状況だと思う。よく話が出るように、最近はグローバル・エコノミーだから、地域の中からお金がどんどん吸い出されていく。私たちもつい銀行にお金を預けたりすると、今は本当にゼロの金利で世界の一番儲かりそうなところへお金が行ってしまうので自分の地域からはお金がなくなってしまう。つまり、お金を預ければ預けるほど地域は虚金症というか、そういう症状になってしまい、地域の中のお金のめぐりが大変悪くなってくる。
そこへまた大規模開発でそれを回復しようとすると、これまたグローバル・エコノミーに巻き込まれているものだから、結局、地域からお金が吸いあげられ、失われていく。そういうことの最終的な結果としては、損失の極限に、とうとうコミュニティが自分で始めた取るに足りない自発の試みしか頼りにならないのではないか、ということがあちこちで見えてきたというような状況である。
日本には黒壁の例がある。これは長浜の昔銀行だった建物を再生したものである。10年足らずの間に二十数軒の歴史的建築が再生され、ガラス工芸のお店が北国街道に並んだのだが、これが大ヒットして中心市街地が活力をとり戻している。そういう意外な形で再生が起こることもある。
アメリカのサウスブロンクスは有名な荒廃した地域で、日本で言うと震災後の長田みたいになっているところだが、そこが復活していったのは小さなバナナケリーという通りで、ある人が何とかしないといけないと思ったことから始まった。どうもそういうことを見ると、地域の中で「何とかしたいな」という人からしか、やはり本当の意味の再生が起こらなかったということが世界中でわかってきたのである。
(スライド3「真野地区の復興NPO活動」「野田北部の復興NPO活動」)
ところが、まだまだ私どもの世界ではコミュニティへの認識が欠落している。ソフト・ハードが一体になったまちづくりの制度仕組が現実には我々の前にないということである。阪神・淡路大震災後の復旧と復興のときには、私も大分現場に行ってお手伝いをした。悲劇的な状況である。
左側の写真は真野地区というところと、それから野田北部というところ。いずれも長田区で非常にしっかりしたコミュニティがあったので、復旧・復興にかなりの成功を収めたところである。しかし、そういうところ以外はどういうことになったかというと、みんな本当に真剣に頑張ったのだが、縦割りの細かい制度が生活の隅々まで日本の場合には貫徹しているものだから、高齢者の問題、子供の問題、仕事の問題、家はつぶれる、といういろいろなものが同時発生的にあったときに、対応の術がなく混乱に陥るだけであった。自治体の職員も、みんな死ぬ思いをして頑張ったのだが、一つ一つの細い糸を全部たどって解決しないとだめだという絶望感、つまりこの現場での苦労が、全部を縦に割られた結果どうしようもないということになったわけである。
結局現場に行ったら、やっぱりソフトもハードもない生活者としては、うちのばあちゃんの問題とうちの子供の問題と、それから自分の仕事・就業の問題とみんな一緒になっているわけなので、そういうことを現場で解決するにはとにかくソフト・ハード一体のまちづくりということが必要不可欠なのである。
そういうときに一番キーワードになるのは、持続するコミュニティというか、そういうものを制度の目標の中に入れてあるかどうか、この辺は重要なことではないかということを当時痛感した。
それと同時に、まちづくりの再定義も当然必要になってくる。日本の場合は縦割りだから、まちづくりというと建築の部局だとか都市計画の部局がまちづくりの部局ということになっている。しかしアメリカ版で、コミュニティ・デベロップメントというと、福祉もあれば、仕事起こしもあれば、職業訓練もあるという、さまざまなものが入って地域が元気になるということなので、まちづくりを再定義していかないと、どうも全体をトータルに扱えないのではないかと思う。
実際には、自治体の現場では、太子堂のまちづくりを例にとると、ある一部が行政がやっているまちづくりで、それ以外は市民がやっているところである。ああいうもの全体でまちづくりだというのが市民なのである。
そういうことなので、そこら辺が仕組みの中に入ってこないといけない。アメリカの場合にはHousing and Community Development
Act が1974年にできている。Community Development は日本語に訳すと「再定義をしたまちづくり」ということなのだが、そういうものが四半世紀前にできているので、彼らはコミュニティを元気にするために総合補助金の予算の枠をとるというようなことを当然のこととしてやっている。
日本は、全部これが物事に分かれて、縦にばらされてしまったりするものだから、大変な苦労になっているわけで、やはりコミュニティということで一つのトータルなことが現場で実現するようにならないといけないのではないかと思っている。
ところで、コミュニティが大切だと言っても、コミュニティは一体どうやったら力を発揮するのかというのが問題で、若干これを出していきたいと思う。
コミュニティは、歴史的には実にさまざまなことを地域の人たちが生み出していたり、さまざまな発明をしてきたわけである。1つのポイントは水平のコミュニケーションという言葉に集約される。「対話の世界」である。これを我々はまちづくりのワークショップで生みだしている作業型の集会の方式である。写真は江戸川区篠崎で、区画整理のためにそれぞれの街区ごとに人が集まって、自分たちの行き止まり道路を何となくつないで、行き止まりではなくしようということをやっている。それぞれが必ず自分のまちから出てきて参加し、対話をかさねる、そういうコミュニケーションの直接のやり方をしているわけである。
(スライド4「篠崎の区画整理地区で」)
本当にみんな熱心に、身を乗り出してやっている。
こういうふうに個々にいろいろな意見を出したものを次第次第にまとめていくわけである。これは、道路の次にどんなまちのイメージにしようかということをみんなで選んだりすることをやっている。
(スライド5「篠崎の区画整理地区で」)
総会の場合も教室型に並ばないで、各グループになって、要するに「小グループ理論」によって、対話・相互認識・相互学習を積み重ねて、自分たちの考え方を発展させていくというやり方である。
常に作業をする。話すだけではなくて、書く・見る・自分たちで操作する、そういうことをやって、その中から言われなくても自分たちで自己啓発的に物事を考え出して、解決を発見していく。場合によってはある種の創発的な考え方が出てくる。そこでの共同体験を通して、地域の中に、参加した人たちの中にいろいろな共有の資産としての合意過程の方式や知恵が蓄積していくのである。それがコミュニティの力を開放する1つの秘密になると思っているわけである。
人々は道路の上にでき上がるまちのイメージはどんなだったらいいかとみんながそれぞれ書き出していく。たくさん書いたからまとまらないのではないかというと、全くそういうことはない。日ごろは話をしない人も、日本人は書くのは得意である。そして、書いたのを並べると、1枚は1枚ずつの権利があるので、大きい声の人も小さい声の人も1枚は1枚という世界になる。同じ重なり合いがたくさんあったりするのは一目瞭然にわかってくる。そういうことで、自然にまとまって収束していくというのがグループの積み上げの1つのポイントだと思う。
コミュニティが力を発揮するのは基本的にはコミュニケーションの力ということである。もう一つはコミュニティが力を発揮することをベースにして、コミュニティの中に「再生の仕組み」を次第次第につくっていくことが課題になる。左側は新潟の村上市が中心になっている岩船地域という広域圏である。ここで地域の中の起業とかまちづくりを市民が提案してくるものを受けとめて、それに助成をする仕組みを今年からスタートさせた。これは県がやっている「理想プラン」という県独自のお金でやるプロジェクトである。6月に公募したところ、人口8万人の地域なのだが、32件の提案が出てきた。8万人の中からそれだけ出るのはかなり多い数だと思う。神戸市でやった最近のコミュニティビジネスの起業の募集では、1件当たり
300万円もあげると言ったところ50件ぐらい出てきた。これはベースの人口が 150万を超えるようなところでのことである。岩船地域の方は総額が
300万円しかないというところに、わずか8万の人口の中から30件も出てきたので、これは大変に提案力が大きいということが言える。
明治時代の村上銀行の建物が市に買い取られて空き家になっている三ノ丸記念館というところをこのために借りて使っている。公開の審査をするので30のチームの人たちに来てもらった。下が畳のところで、向こうにいるのは審査員なのだけれども、市長さんとか信金の理事長さんとかそういう人たちがいて、それぞれ公募したものをみんなの前で審査をしていった。提案は大別すると、ひとつはいわゆるマーケットに乗る起業の提案と、もう一つはまちづくり提案という、これはノンプロフィットエコノミーの方向に乗っかるものである。
山辺里(さべり)織りを継承しようという提案は、村上でもう2人しかこの織物技術を受け継いでいる人はいないので、これについてはみんなでトラストをつくって支えないとだめだという話をしている。中心商店街の若者は「お人形さま巡り」という企画を提案している。女性の人形劇のグループが発表したのは、高齢者の施設だとか子供の施設だとか、そういうところへいろいろ訪問をして活動しているというもの。
こういう3つのものは普通に商売でできるというものではないから、これを支えるトラストなり何なり、社会的なお金のシステムを地域の中でどうつくるかを工夫しようということになっている。
このプランに提出したある農業青年はアイオワ大学で勉強してきて、インターネットで世界中から原種に近い種を集めて、それを地域の中でどれが合うか育ててみるという面白い試みをやっている。そういう農業青年とまちの中でできるだけ本物を使って食べ物をつくりたいと言っている女性のグループとの交流関係がこの中にはでき上がりつつある。つまり農村と都市の中でいろいろな新しい関係を結ぼうというもので、これは別々のプロジェクトとして出ているのだが、お互いに相互補完関係を意識している。
農村地域でできるハーブを使って染め物をしようという女性の染め物店をやっている人もいる。農業との関係を活かして、新しいマーケットに乗せていきたいと張り切っている。このように起業といっても、先端産業的なキラキラしたものではなく、非常に身近なものを軌道に乗せるということが1つのポイントになっているわけである。
全体としては、ローカルエコノミーあるいはノンプロフィットエコノミー、要するに地域独自の資金的バックアップの仕組みを一つ一つのプロジェクトをもとにして発展させる仕組みを構想している。運営したり経営したりする仕組みをやはり地域の中でいろいろな形で形成する構想である。そういうバックアップシステムを一つ一つのプロジェクトをもとにして具体的に展開していこうという方式である。これは全くローテック版の、みんなが集まって、みんなでシステムをつくっていくというものである。全体としてはこれが地域の起業支援のOSに当たるものになっている。
そういう場合に非常に重要なのが、すべてのプロセスを透明にするということである。ここでは公開審査のときに各審査員が各プロジェクトを前に、自分はどれに票を入れるかをシールで貼り出した。その様子をみんなが見ている。審査員は7人いたのだが、3人しか入っていないと過半数に達しないから復活のスピーチがそのチームからあって、それに「なるほど」というと、もう一遍チャンスがあるということをやっている。
最後は、各審査員が各プロジェクトに幾らお金を投入したらいいかというのを全部自分で決めて、上の表に書き出すものである。だからお金の話もすべて透明で、その場で全部決めてしまうということである。実はこの方式はいろいろなところで私たちがやっている方式なのである。お金のことほど住民の判断は正確である。しかもみんながそこまでやれば納得するという性格のものなのである。隠したらかえってうるさいことになる。だから、できるだけクリアにしておくことが必要である。つまり、こういうシステムとは本当にすべてをクリアに、オープンにしていくことによって成り立つというのが1つのポイントだと思っている。
こうやって見ると、コミュニティはいろいろな共同の作業をやり、ワークショップによる参加を重ねてプロジェクトをやることによって、コミュニティの中に次第次第に共有の資産を自分たちでつくり上げていくことができる。そういうことを想定していくのが非常に重要だと思う。地域自身の積み重ねで地域の力、「地域力」ができてくるのだと思う。
それは言ってみれば、バザールみたいなものである。はじめの小さい起業が金の卵だとすると、それをみんな寄ってたかってバックアップしていくと、だんだん大きなその中での基盤が育ってくる。バザールが発達すれば発達するほど、その中でまた金融のシステムも発達していくように地域の自立が進んでいく。やはりこういう力が働くような形にしていかないといけない。だから、コミュニティを芯に据えて、まちの再生を図るためには、コミュニティの自発の力をいかに発揮させることができるかそこに焦点を合わせた仕組みを制度化するというところに一つの一番大きなポイントがあると伝えたい。
ちょっと長くなって、失礼しました。以上で終わりです。(拍手) |
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