教旻僧都墓
輪王寺の開祖である僧侶・勝道上人(735ー817)の主な弟子である教旻僧都の終の場所がここです。教旻僧都は勝道上人に随行してこの地域(日光)を訪れ、厳しい窮乏生活に耐えることとなりました。817年に師匠である上人が死去すると、彼が指導者の地位を継ぎます。なお、教旻は「大千度行法」という歩行瞑想を発達させたことでも知られています。この地域では千年以上にわたって行われてきた修行です。修行者は日光の聖なる場所や神社の周りを千回にわたって円を描きながら無言歩行するのです。
東照宮を創建するにあたり、作業員たちはこの墓所を移転させるよう命じられました。しかし彼らがこれを実行しようとするたびに必ず奇妙な事故が絶えず起こり、怪我人が出るということが起こります。そのため、この墓所は結局のところ元にあった場所のまま、残されています。