音無の滝
「音のしない滝」の意味である音無の滝として知られるこの滝は、来迎院から山道を少し入ったところにある。
地元の伝承では、この滝の名前の由来は、僧円仁が、近くの寺で行われている「声明」の邪魔をしないように静かになれ、と滝に命じたことからきている、とされている。
死後の「慈覚大師」の名前のほうがより広く知られている円仁は、838年から9年間にわたって中国に滞在したのちに帰国し、僧侶の宗教儀式のひとつとしての「声明」を自らの信徒に伝えた。
伝説によると、円仁は滝の下で声明を唱え、滝に呪文をかけて静かにさせたのだという。この逸話の別のバージョンでは、円仁は滝が流れてぶつかっていた下の岩を動かして、音が静かになるようにした、とされている。
この寺院はその後、1109年に聖応大師良忍(1072 -1132)によって修復されるまで使われていませんでした。もともと比叡山の僧侶であった良忍は、来迎院での「声明」の音律を復活させ、統一されたスタイルを考案する前に仏教の詠唱の7種類すべてを習得したと言われています。
広大な寺院の建物は1426年11月に火事で消失しました。現在の「本堂」は16世紀に建てられたものです。
このあたりの森はうっそうとしていて、昆虫から鳥類、大型動物まで、野生生物の宝庫である。この森は紅葉したときが特に魅力的である。