富める時も、貧しい時も
和井内は妻・勝の支えなしには成功できなかったでしょう。勝は、お金がない中で9人の子どもを育て、夫がヒメマスの卵の購入資金を工面するのを助けるために愛用の着物や櫛、懐中時計を質に入れるなど、苦しい状況に気丈に立ち向かいました。1905年、ヒメマスが産卵のために初めて十和田湖に戻ってきた年、東北地方一帯は凶作に見舞われました。和井内家は多額の借金を背負っていたにもかかわらず、勝は食糧難の地元の人々に十和田湖で自由に魚を釣らせてあげるよう和井内を説得しました。勝は「良妻賢母」の鑑とされ、戦前の教科書に非の打ち所のない女性の模範として取り上げられました。
パネル3枚目「3. 十和田湖を日本一の観光地に!」①
・和井内貞行の総合観光開発(観光地になるまでのかつての十和田湖の姿を前段に、観光開発の経緯、活動について)
・遊覧船のある湖畔の風景(観光開発の活動についてのつづき)