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河川局

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会 -日本文学に見る河川-

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会
-日本文学に見る河川-
第七回議事録

平成15年1月24日(金)
日時:14:00〜17:00
場所:国土交通省11階特別会議室

3.報告書案について
 
○委員長
   それでは、今3時半ですが、事務局の方から、この懇談会のこれまでの経緯と、それから報告書が仮につくられておりますので、それを御紹介いただきたいと思います。
○事務局
   それでは、これまでの懇談会の経緯と報告書案について、資料3と資料5をごらんいただきながら簡単に御説明させていただきます。
 この懇談会は平成12年8月に始まりました。これまで9名の先生方に話題提供いただきまして、いろんな文学から見た川の姿とか川と人のかかわり、そういったものをたどり直してみる。そういったことを眼目として、日本人が川をいかに表現し、川に対してどういうイメージ、河川観を持ってきたのか、そういうことを主に先生方に御議論いただいてまいりました。
 具体的には資料3にございますが、もう見てのとおりでございますが、最初に「隅田川の文学」ということで、久保田先生から、隅田川を取り上げているさまざまな文学作品について御解説いただきました。
 それから、2回目は明日香村、橿原市を訪ねまして、明日香川の現地視察、それから、明日香村長さんからお話を聞きますとともに、今井町における先人から現在に至る飛鳥川とのかかわり等について伺いました。また、千田先生から飛鳥の都、これは水の都でございますが、その源泉である飛鳥川の役割というもの、遺跡の解説等を中心に御解説をいただきました。
 第3回は東京でございます。「映画に描かれた川の風景」、それから、川が今様にどのように描かれているか。前者については荒川放水路の風景などを中心に、川本先生、五味策生から御解説いただきました。
 4番でございますが、第4回、今橋先生から江戸絵画の特徴について、それから、高橋先生から「河内様」につきまして、それぞれ御解説いただきました。
 第5回は、「川の暮らしと民族」ということで、聞き書きの手法によって最上川の川の民の姿、渡し舟とか、渡し場とか、太子信仰、そういった舟運とか信仰とのかかわり等についてお伺いしました。
 それから、事務局からは、全国一級水系についてどんな和歌や祭りがあるのかということを調べて、簡潔に発表させていただきました。
 それから、前回は最上川、北上川の御視察をいただきました。きょうの報告書でも出てまいりますけれども、最上川の舟下りをしていただいたところでございます。それから、芳賀委員長から「斎藤茂吉の最上川」ということで、斎藤茂吉とか、松尾芭蕉によって詠まれた最上川の姿、そして川とのかかわりについてお話をいただきました。
 それから、今回、宮村先生から「平安時代の一級河川について」ということで御報告をいただいたということでございます。
 資料5に移らせていただきます。報告書案と書いてございます。1ページおめくりいただきまして、目次をごらんください。概ねこのような構成になっております。これは今回、報告書案としてどのような感じでまとめたかを最初に報告させていただきますと、これまで9名の先生方に御報告いただいていますが、非常に参考になる高尚なお話を伺ってきたわけでございますが、この話をぜひ我々のような河川管理者、全国に非常にたくさんおりますので、この話を直接聞くことができなかった河川管理者、文学に詳しくない我々のレベルでも十分に理解ができるようにということで、先生方の話題提供の中の情念が伝わるような形で、それぞれの発表をまとめさせていただいております。それが2.の(2)の(イ)から(ト)に至るところに入っております。
 その前には、これから御説明いたしますが、川と人とのかかわりがあるから、ぜひひも解いて歴史・風土に根ざした川というものを調べてみましょうということを、はじめにとか、背景というところに書いてございます。また、3.では、そのような川とのかかわりについてどのように調べていけばいいのか、そのことについて簡単にまとめさせていただいております。
 2ページでございます。ここでは、はじめにということで、これまでの川づくり、どうしても効率的な治水を優先せざるを得なかったというところから、現在では治水・利水のほかに水質浄化、癒し、生態系保存等のいろんな機能を充足するような個性を生かした川づくりが求められておりますが、そういったときに、我々のよすが、よりどころとなるのが和歌とか俳句等の文学に見られる、その時代時代の切り口から捉えられた川の姿である。
 そのことから、先ほど申し上げたようにこの懇談会の中で、川に対するイメージ、河川観を御議論いただいてまいりました。
 近年、求められております多自然型の川づくりとか、環境保全等の川に対する機能でございますが、こういった取り組みを通じて地域の活性化に寄与するということが今河川管理者に求められております。河川管理者は、こういったことをやる中で、川の魅力や川の本来持っていたさまざまな機能を十分に認識する必要があろうということを書いてございます。
 3ページは背景でございますが、ここには日本における、最初の段落では、日本の地形であるとか、多様な降雨形態をとる。そして多様性の富んだ川がある。そういう中で川が人々の交流の場であったり、地域共有の公共財産であったということを書いてございます。
 その次の段落では、洪水と隣り合わせに生きてきた日本人が、川を管理し利用してきたわけですけれども、その日本人にとって川が重要な交通路であったり、あるいはコミュニティの境界であったり、対立の場ともなっていた。非常に日本人が川と深いかかわりを持っていたということを書いておりまして、この証左として、川が文学作品等に頻繁に登場していること、弔い等の信仰の場として、あるいは行事や祭りが行われていることを書いております。
 近年の国民のライフスタイル等の多様化によりまして、非常に川に愛着を持って人々が暮らし始めているということがございます。そういった中で地域活性化の取り組みが河川管理者に求められているのであろうと書いています。
 一番最後は、今のことを敷衍して、川の姿というのは地域の歴史・風土を反映したものでありまして、それを地域の人々自らが河川管理者を含めて見詰め直して、川づくりに取り組んでいく必要があるということを書いております。
 以上のように、日本人と川のかかわりは非常に深くて、そのことが文学にあらわれている。
 それでは、それぞれの文学などにどのようにあらわれているのかということを2.に書いてございます。その中には、繰り返しになりますので簡潔にいたしますが、例えば地域固有の川の姿や川の持つ無常感といったものが、多くの文人や画人に表現されて、日本人の特有の河川観をつくり上げていくわけですけれども、日本人の記憶の奥底に入っている川を我々は持っているわけです。
 また、地域固有の川の個性としては、祭りとか、雨乞いとか、そういった行事として数々のものが残されております。
 このようなことから、(1)の最終段落でございますが、一つの川・流域の歴史や風土を表す俳句・和歌などの文学や絵画などの芸術を系統立てて収集・整理することによって、その川が持っていた個性・役割・特徴を浮かび上がらせることができるだろうということを書いてございます。
 (2)は、先ほど申し上げましたが、この懇談会での話題提供・議論をもとに、それぞれのジャンルに基づきまして、表現されている川の姿について報告がされております。
 (イ)和歌、歌枕、俳句でございますが、例えば飛鳥川のことを4ページの下に書いておりますが、飛鳥川が非常に急流であったこと、これが月日の流れの早さの比喩と使われ、その後、無常観につながっていくということ。
 それから、斎藤茂吉が最上川に関する多くの和歌を残しておりますが、それが彼にとっていかにかけがえのない川であったか。そして、傷ついた彼の心を大きく包む、大きく育む「母なる川」であったということが、斎藤茂吉の歌からよくわかるということが書いてございます。
 また、その下、5ページの真ん中ほどでございますが、歌枕について扱っております。歌枕が日本において古くから和歌の中で歌われておりまして、その地形を分類して、地形が存在する地名を特定するとともに、日本の国土の索引となっているということで、こういったものが存在しております。
 それから、俳句でございますが、芭蕉と蕪村という二大俳人ですが、同じ淀川水系の水を飲んで育っておりまして、茂吉ほどではございませんけれども、身近な川を母なるものと見て、そこに還って行く自分をイメージしている。具体的には5ページの下にありますが、「清滝や波に散り込む青松葉」、ここに、母なる川に還って行く姿を造形している。
 また次のページには、淀川やその近くの風景をよみ込んで、蕪村が、母の面影や故郷毛馬の川沿いの道を思いやっているということがございます。
 一方、地誌的な側面を6ページの上の方に書いております。「五月雨をあつめて早し最上川」ということで、最上川が舟に乗ってみたら非常に急な、「五月雨をあつめて涼し」ではなくて、これは「早し」だという実感が非常に込められて、その近辺の雨を全部集めてそれで早いんだと。そういう地理的な感覚を非常に持って書かれているというもの。
 また、柿本人麻呂の穴師川のことでも、地理的な観点、あるいは流域的な概念をもって詠われているということがございます。
 それから、(ロ)の今様でございますが、いわゆる昔の歌謡曲でございます。これは人々の暮らしにいかに川が大きくかかわっていたか。具体的に申しますと、「梁塵秘抄」をひも解きますと、淀川の話が、鮎や鵜飼の姿と自分の境涯を重ね合わせて、嘆いている女性の姿が見受けられたりする。その次、「八幡へ参らんと思へども」という歌につきましては、現世のしがらみや、彼岸と此岸を分ける境として、川を謡い込んで救いを求めている。いわゆる信仰につながるものでございますが、そういったものもございます。
 それから、7ページの上にございますけれども、大堰川、嵯峨野の饗宴ということで、当時の川の姿、風俗を謡い込んだものなど、さまざまなものが残っておりまして、当時の日本人がどんなことを考えていたのかということを伺い知ることができます。
 一方、今様には神(若宮)と言いますけれども、神に捧げる謡という特徴もございまして、巫女が今様を捧げると、神も巫女の口を通して今様を返すということを申されまして、今様に書いておりますけれども、「天から降りてくる神は、河原に降り立ち、そして河原で遊ぶ」。川が当時から信仰と大きくかかわりを持っていたことを見ることができます。
 このように、中世の社会での川が、交通の要所、遊興の場、信仰の場所として、非常に役割を果たしていたということを見ることができます。
 それから、7ページの(ハ)でございます。民俗にみる川の姿。これは「聞き書き」という手法を通じまして、その地の民俗、あるいは地誌を見出すことができる。その中で、このときは最上川を中心にお話をいただきしたが、「山の民」が山から降りてきて「川の民」になり、その姿が「聞き書き」という手法で追いかけてみますと、昔、「渡し場」があった、「渡し舟」があった、そういったことを見出すことができ、また、そこは美しい風景として取り上げられることも多いんですが、実際にはいろんな争いとか、そういう悲惨な記憶も絡まっているものがございます。
 また、7ページ下、太子信仰でございますが、太子信仰を携えて、物資の輸送とか、交易等の生業をする人々が存在していた。川の民が存在していた。そういう痕跡をたどることができます。
 また、民話の中にも川の民の姿を見出すことができまして、ここに書いてございます「サケの大助」という有名な伝承では、水産資源を保護する教えが伝わっているというものがございます。
 8ページ、(ニ)でございますが、祭りや信仰にみる川の姿とございます。これは先ほどの今様のところから入ってございますけれども、川や河原が、神々が降り立ち、遊ぶところと考えられていた。昔から神々が集まる神聖な場所として、日本人の信仰の対象になってきた。それがゆえに神社が建立されたということでございました。
 具体的に京都で見てみますと、稲荷社、祇園社、下賀茂社、上賀茂社、貴船社というふうに、川沿いに多くの神社が建立されていた。あるいは、賀茂川の治水がしっかりなされてくると、東側に新しい場が形成されて、洛中を此岸、賀茂川の東を彼岸とするようなとらわれるようになった。
 また、京都には、雨をとめる祭りとか、雨が降ってほしいという祭り、そういったものが行われて、今も夏の風物詩となっております祇園社の祭りでは、賀茂川に舟橋をかけて、彼岸側の祇園から此岸の洛中へと、賀茂川の瀬を神輿が渡って、再び返っていくというさまを描いております。
 また、淀川についても、宇治の平等院等、琵琶湖を浄土の海ととらえて、さまざまな祭りがございます。
 それから、8ページの下側でございますが、古座川におきましては、「河内様(こうったま)」という変わった祭りがございまして、「河内様」という川に祀られている水の神様、それから、九龍島という島は、海の神と川の神の双方が祀られていて、夜中に舟が「河内様」を3回回って神様を迎えるとか、そういう川の神様にまつわる祭りが伝わっているというものがございます。
 それから、9ページの上の方、若干手前みそではございますが、逆に河川事業が祭りを生み出していることもあるということを書いてございます。このように川が地域といかに関係が深いか、その川と闘ってきた歴史というものがこういった祭りにあらわれているということを見ることができるかと思います。
 9ページ、中ほどの(ホ)でございますが、絵画に見る川の姿ということで、江戸時代の絵画について、ヨーロッパの絵画に影響を与えたものとして、今橋先生から御発表いただいております。
 具体的には、パノラマ的な表現、連続画面の表現として、このページの真ん中よりちょっと下のところと一番下のところにそれぞれ、司馬江漢の絵と谷文晁の絵が書かれております。
 10ページでございますが、こういったものには当時の日本人が、地図のような正確さはないんですけれども、あたかも旅をするように、その当時の画家が美しいと思ったものをことごとく取り込んで、一幅の絵の中に表現しようとしている。
 そして、その絵の中には「旅」を表現することによって、空間の移り変わりだけではなくて、時間の流れもあらわし、一つの物語を醸し出すような役割をなしていると考えられます。その要因としては、陶淵明の「桃源郷」のような古来からの物語、叙述も何らかの影響を与えている可能性がございまして、日本人がユートピアといいますか、理想的な場所を求める物語の中で、川がいかに大きな役割を果たしていたか、そういったことを推測することができます。
 また、江戸時代の絵には、水辺をもって絵画に描かれたものが幾つかございます。これは、いかに当時の物資の輸送とかそういったものが重要な役割を果たしていたか、また、水辺を中心に盛り場が形成されていたり、芝居小屋が水路を使って人々を大量に運ぶような構造になっていたことなど、いかに生活に重要な役割を果たしていたかということを書いております。
 こういったことがヨーロッパの画家にいい影響を与えて、10ページの真ん中の下の方にあるような、水辺を書いたパリの絵が描かれているという影響を及ぼしていることもございます。
 それから、10ページの下の方の(ヘ)映画にみる川の姿でございますが、東京の低地を流れる荒川(放水路)、歴史が浅い川でございますけれども、実に多くの映画に描かれております。
 11ページの上から順に、「綴方教室」で、子供たちが土手で遊んだり、草を取りに来たりする非常に明るいシーン、その下の「風の中の牝鶏」では、田中絹代が荒川にピクニックに出掛けるという明るいシーン、また、その下の「東京物語」でも遊ぶシーン、「渡り鳥いつ帰る」では出会いのシーンとして描かれております。
 このように、荒川だけにつきましても、川が憩いの場として人々の役に立っている、公園の場として生きる人々の姿がその映画の中に描かれている、ということがございます。
 また、「千と千尋の神隠し」という映画につきましても、川と人のつながりが大きなテーマとして映画に表現されていると考えられます。
 このように、川が多くの映画で描かれ、当時の風景を残す貴重な資料となっているということがございます。
 それから、11ページの(ト)でございますが、近代文学にみる川の姿、これは非常にたくさんございますけれども、川をモチーフとして書かれたものがございます。「すみだ川」、「あにいもうと」、「田舎教師」、「千曲川のスケッチ」等々、非常にたくさんございます。
 では、どんなふうにとらえられてきたかということを12ページに簡単に書いてございますが、永井荷風が隅田川沿いを散歩しているんですが、永井荷風は茫漠たる風景に癒されて、3日に1回ぐらいの頻度で荒川を訪れ、「墨東綺譚」という名作を生み出すことになった。近代文学の作家が描くに当たって、川の存在がそういう癒しの存在だったのであろうということを「断腸亭日乗」というものにも見ることができます。
 このように、川と文学のかかわりでは、それぞれの文人たちが、どのような美しさを発見していたかというものを、それぞれその中に伺いつつ、人と川とのつながり、かかわり合いの姿をそれぞれの文学作品の中に見ることができると思います。
 13ページでございますが、ここは、これまでざっと振り返ってまいりました川とそれぞれの文学作品に描かれている川の特徴がございますけれども、そういったものをどう調査していくかということを2ページにわたりまして、ごく簡単に書いてございます。
 (1)につきましては、今求められていることということで、地域の特性に合った川の魅力を引き出す。そして、地域の活性化に寄与するということを書いております。そのためには、じゃあ何をしなければいけないかといいますと、川と地域の歴史・風土を十分に理解しなければいけない。まずそこであろうということを書いています。
 では、河川管理者がすべて地元のことを十分に理解しているかといいますと、必ずしもそうだと断言することはできませんで、実際には、地元の地域住民の方が非常に豊富な知識、地域固有の自然等に関する豊富な知識を有していることが多い。一方、河川管理者は、そういった地元の知識については必ずしもないんですけれども、河川整備の計画手法とか、工学的判断とか、そういったことについてはそれなりのものを持っている。ですから、地域の活性化に寄与するような、地域の特性に合った川をつくるには、地域の住民と大いに協力して、接触して、十分に調査していくことが必要だということを(1)で書いてございます。
 (2)でございますが、歴史・風土に根ざした川づくりのための「よすが」、よりどころでございますが、それについて基本的考え方と調査段階のよすが、計画段階のよすがと、3つに分けて書いております。
 基本的考え方としては、川は、日本人の記憶の奥底にまで入っておりまして、それがそれぞれ固有のものを持っております。河川管理者は、それぞれの川の歴史・風土を十分に調査、把握して、画一的ではない、個性ある河川整備に取り組んでいくのが肝要であるということを書いております。
 そして、じゃあどう調べるんですかということでございますが、これまで見てまいりました和歌・祭り等々、いろんなものがございますけれども、例えば15ページ、16ページには、和歌の全国分布、祭りの全国分布を事務局で懇談会の先生方のお話を受けて整理したものがございます。こういうものを初期情報として河川管理者が自ら調べ、こういった情報を大いに補完していく必要があろう。
 また、時間的な整理というのも大事で、そういったことを行ってみたのが17ページ、和歌にみる最上川の変遷ということで、時間的な整理も大事だということで、例として示しております。また、「聞き書き」の手法も大事でございます。
 それから、舟運や交通ということで、川だけではなくて、川周辺のものについても、歴史的な街道とか宿場についても整理しておくと総合的な理解ができるということを書いております。
 その下ですが、歌枕が国土の索引、インデックスとして非常に有効であろうということも書いてございます。また、祭りや年中行事、信仰が、地域と川とのかかわりを示しているということも書いています。
 一番下になりますが、計画段階における「よすが」ということで、これは先ほども申し上げましたけれども、地元住民、市民団体との連携が不可欠でございます。また、流域における地位、日本における地位。その川が大きなスケールでどういうものなんだろうなということを考えて、計画を策定する必要があるのではないか。また、その川の役割を知っているさまざまな方の意見を十分に聞いて、そして、十分な時間をとって策定することが必要であろうということを書いております。
 概ねこのようになっておりまして、最後のページには、先生方の名前一覧を入れさせていただいております。
 今回につきましては、本日この案をお示しさせていただきまして、事務局としては、先生方がおっしゃったことをなるべく忠実に、かつ河川管理者にわかるレベルに書いたつもりでございますけれども、これについて御意見をいただければと思います。
 以上でございます。
○委員長
   どうもありがとうございました。
 きょうを含めて全部で7回に及んだこの懇談会のさまざまな話題、そこで話された内容を随分上手にまとめてくださったと思います。これにつきまして、それから、皆様のお手元に赤いシールがついた各懇談会のときの記録もありますので、それも御参考にしながら、今の事務局がまとめてくださいましたこの報告書について御議論いただきたいと思います。
 小さいことですが、5ページに、芭蕉と蕪村は、芭蕉は伊賀上野で、蕪村は大阪の郊外の毛馬という場所で、くしくも同じ淀川水系の水を飲んで育ったとあるけれども、伊賀上野も淀川水系でいいんですか。
○河川局長
   はい。
○委員長
   あの辺の山を越えて、淀川に入っているの。山越えないですか。
○河川局長
   木津川の上流ですから、笠置があって、その上に上野盆地があるんです。
○委員長
   そういうことも含めまして、細かいこともいろいろとあるでしょうけれども、どうぞ。
○委員
   私その方の専門家なので、引用されている作品の仮名遣いだけちょっと正しておいていただきたいんですが、6ページ、上から3行目の蕪村の「うれいつつ丘にのぼれば」の「うれい」は「うれひ」でございます。それから、下の方に参りまして、「梁塵秘抄」の「淀川の底の深きに鮎の子の 鵜という」の「いう」が「ふ」ですね。仮名遣いですから。それから、2つ目の「鵜飼いはいとほしや」の「鵜飼い」の「い」が「鵜飼ひ」ですね。飼うですから。「鵜飼ひ」でしょう。
○委員長
   そうだっけ。
○委員
   そうですよ。飼わない、飼ふ、書きますよ。
○委員長
   鵜を飼う方だよ。
○委員
   違いますか。
○委員長
   これだけは、あいうえおだったような気がしたな。
○委員
   そうですか。それではもう一回確認しましょう。
○委員長
   物を買う買わないは、はひふですね。鵜飼いは何か……。
○委員
   わ行ですか。
○委員長
   わ行だか、あ行だか……。
○委員
   そうかもしれませんね。もう一度確認します。
 それから、「八幡へ参らんと思えども」の歌ですが、最後の「迎え給え」は「迎へ給へ」にしてください。それから、7ページでございますが、引用の第3種目、「大将立といふ河原には」という今様ですが、その2行目も「給へ大将軍」ですね。これも「給え」になっていますけど。それから、この意味の続きがわかりにくいんですが、「あづちひめぐり諸共に降り遊ぶ」ですか、これ。何でしょう。
○委員長
   「あづちひめぐり諸共に降り遊び給へ」かな。
○委員
   「び」かなんかじゃないとおかしいですね。「遊び給へ」ですね。それを御確認いただけるといいと思います。それだけでございます。
○委員長
   同じことで、6ページで、「五月雨をあつめて早し最上川」の芭蕉の俳句のところで、「「あつめて」という言葉の中には、最上川の背景にある山々に五月雨が降り注ぎ、それが滝になり、谷川になり、支流になって、最上川に合流していったものが」とありますが、「合流することを見事にとらえ、舟に乗ってみたとき川の流れの実感としてそれを表現されている」じゃなくて「している。」、ちょっと言葉遣いね。主述の関係と、もうちょっとはっきりさせるために。
 それから、その下の人麻呂の歌でも、「穴師川の川波が高いから、巻向山にきっと嵐が来ているんだろう」じゃおかしいんじゃないかな。「いるのだろう」ぐらいで。そういうことまで言いますと、いろいろとございます。でも、そういう軽微なことだけで。
 それから、8ページの「河内様」の上のあたりが賀茂川のところで、「なお、川に関わりの深い京都の祭りは多くあるが」というところ、「止雨の祈り」ですか、雨をとめる。もう一つの方は、これは降雨じゃない。雨を祈る祈りということね。
○委員
   「止雨」、「祈雨」、それでいいんです。
○委員長
   「祈雨の祈り」というのでいいの。
○委員
   はい。
○委員
   ダブるけど、「祈雨」という言い方は、よく中世はしますね。
○委員長
   それから、すぐその上のパラグラフの終わりのところ、「賀茂川の東側を彼岸とするようなとらわれ方もされる」じゃなくて、とらえ方もされるようになった。今の「止雨」、「祈雨」のすぐ下の行で、「また、京都の夏の風物詩でもある」だろうな。「夏も」じゃなくて。それから、「こうったさま」の「さ」は要るんでしょう。「こうったま」じゃいけないんでしょう。
○委員
   これでいいんです。「こうったま」でいいんです。
○委員長
   「さ」はなくていいのか。そんなふうなことがいろいろとありました。
 あと、どうぞ。
○委員
   14ページですが、調査に当たっては、既往の文献調査というのはあるんですけど、今この関係ですと、かなり自治体史ですね。いろんなところの自治体史でかなり網羅的に集めていますので、その自治体史というのはちょっと入れておいていただいて。自治体史などを利用してというふうなものを入れていただけると、いろんなところで出ていますので。恐らく淀川水系をやろうとしたら、それを徹底的に拾ってしまえばかなり出てくると思うんです。
○委員長
   あと、いかがですか。
○委員
   非常によくまとめていただいていると思いますが、一つ、せっかくこれだけ議論いただいたわけですから、具体的な提言が要るのではないかと思っておりまして、例えば、2番の「よすが」というか、「よすが」になるものというものをしっかりまとめる。例えば流域単位でしっかりした何々川というものをまとめる。そこには川の歴史、文学に基づくもの、聞き書きのもの、そういうものがすべて入ったものをなるべく至急まとめて、一般の人の使用に供するようにする。それをCD−ROMのような形でできれば整理するというようなこと。あるいは海外の人にも使えるように、できれば複数言語が望ましいんでしょうけれども、とりあえず英語版ぐらいはつくるということを、具体的なアウトプットとして各河川ごと、今後計画をつくってそういうものをまとめていくことをこの委員会として提言いただいてはどうかと思います。
○委員長
   ぜひ。
○委員
   それから、資料をまとめるときに、それをまとめるに際してはいろんな分野の方の共同研究としてまとめる。その流域の中の研究をされている方はもちろん、それ以外のでもそれをまとめるに際してはお知恵を拝借するというような、あらゆる方の立場が入ったものでまとめて、なおかつ、それにずっと補充が効いていくようなまとめ方をすることも、ある意味では河川管理者の重要な責務かもわからないですね。
○河川局長
   気持ちよく気軽に、大変な宿題をいただきましたけれども、大変重要なことだと思いますので、事務局はうんざりしているかもしれませんけれども、これはやっぱりやった方がいいと思います。
○委員長
   でも、そういうことはこの委員会で前から随分言っていましたね。こういうのは今のコンピュータの時代だったら、割合に容易にダーッと編成できるんじゃないですか。北上川は、岩手県史、何とかの自治体史や地方史があり、堤防のつくり方についての記録があり、その流域の何とか村の村史もあり、いつかの洪水の記録もあり、写真もあり。それから、小説にもなっているし。石川啄木もあるし、宮沢賢治もあるということでダーッと出てきて、北上川河口までくくることができる。最上川も同様。全部でなくても、大きな各地域の有名な大きな川について、利根川、信濃川、淀川、そういうのでずっとくくっていけば。
○河川局長
   本当に失礼ですけど、また国会関係で失礼させていただきます。次回は最終回なんですか。中間ですか。次回は最初から最後までちゃんと出るようにしたいと思います。
○委員長
   でも、大事な話を聞かれましたからいいですよ。
○委員
   1つだけでもやりますと、それに基づいて次々にできますので、1つだけきっちりしたのをまずやるのが大事だろうと思うんです。
○委員長
   どこがいいんですか。淀川かな。
○委員
   一番いいのは淀川ですけどね。ただ、水系がさまざまだから。でも、やっぱり1つ。
○委員長
   今度、世界水フォーラム記念事業で残った金を全部こっちに回すとか。
○委員
   それで今のお話に触発されて、インターネットを使ってみんなにいろいろ入れてもらうようなシステムをつくると、ものすごくおもしろいですね。多分初めてで、ウェブ上に川の住所を決めてそこにどんどん入れてもらうようなシステムにしたら、ものすごいおもしろいのができますね。
○委員長
   でも、時々それを選択して編集しなければね。
○委員
   もちろん。
○委員長
   受けっ放しでは。やっぱり淀川かな。琵琶湖から大阪の難波洲の河口までね。そういうときには難波洲とかああいうところも入れていいんでしょう。
○委員
   広くとらえていただいて、河川の名前がずっと横にあって、縦に時間軸があって、そのボックスのところにいろんな情報がズーッと入って行くようなものにすれば、ものすごいおもしろいのができますね。
○委員長
   おもしろいですね。
○委員
   報告書案の17ページですが、和歌にみる最上川の変遷で、上の方に歌集・句集名の欄があって、下に作品が挙がっていますね。確かにこうなるんですけど、勅撰集の場合は、古く詠まれた歌がはるか後の時代に選ばれるケースがかなりありまして、そうしますと、この例歌の中には、この表で見ると例えば室町時代に詠まれたような印象を与えるけれども、実際その歌が詠まれているのは平安時代であるというようなケースがかなりあるんですけど、これ、それでもいいでしょうか。つまり、集として編纂されたのは室町であっても、歌そのものが詠まれているのはずっと前というケースですね。
○委員
   考え方は二通りあるんです。詠まれた年代に戻すべきだという考え方と、もう一つは、その歌は当時は評価されなくて、後の勅撰集の時代には皆さんの意識に上って名歌とされたという考え方に立てば。
○委員
   考えればそうなんですけれども、実際は本当のところ言うと、だんだん時代が下ると種切れになってきて、古いのでまだ漏れていたのを拾うんですよ。ですから、これはできることなら、詠まれた時代に近いところに出すようにした方がいいかなと私は思うんですけど、いかがでしょう。そうすると出典が当然変わってくるんですけど。
○委員長
   それはちょっと大変な仕事になるね。
○委員
   いや、いやそんなに大変じゃないですよ。
○委員長
   100年も後の歌集に入って。でも、さかのぼって一体いつごろだろうと。
○委員
   だから、大体こういう欄をつくってありますから、それに近いところの方がいいんじゃないかという気がするんです。例えば室町時代のおしまいの方に、「いとゝしく 憑るゝかな 最上川 しはしはかりの いなとみつれは」ですか、それで、藤原相如とありますけど、相如は平安ですし。ですから、ずっと前に行くわけですね。相如の歌集にはきっとこれには出ているんだろうと思います。そういう形で出典名を変えれば大体時代順にはなると思うんです。それから、勅撰集にこだわるならば、まだこれ以外の例を挙げることができるだろうとも思います。でも、いいですか、その辺は。
○委員長
   国文学者がこれだけいらっしゃるから。
○委員
   それから、これはまた表記の問題ですけど、ショウコキンの歌で、先の内大臣は当然藤原の何がしなので、フルネームで出した方がいいですね。それから、先の関白太政大臣にしてもそうですね。そういう点で、少しわかりやすくする工夫はした方がいいかと思うんです。
○委員
   それはまことにもっともで、それは本当だと思うんですが、ただ、後世に対する影響ということを考えると、それがどの勅撰集に載ったかということも知っておきたいんです。詞花集の場合は流通していないわけで、それは当時全然知られてなかった歌なのに、勅撰集の例えば18番目に載ったから、それ以降は大抵の人が知ることが常識になって、中世の文学に大きな影響を与えたと。そういう文化史的な面から見ると、もちろんどの勅撰集に載ったかということも知りたい。両論併記ということが一番望ましいと思います。
○委員
   江戸時代なんかは確かに勅撰集中心のキョウユですから、それはそうだと思います。詞花集にしても、これは実際に挙がっていますけど、山家集というのはまた非常によく詠まれたから山家集で挙げて、これはこれでいいだろうと思うんです。
○委員長
   ついでに最上川で言うと、何と言っても最上川を一番よく絵にしているのは、小松キンという画家ですね。あれは山形の出身で、川端竜子について学んで、それから京都に住んで、後半世は京都の岩倉の奥のあたりに住みついたんですが、最上川の源流から河口に至るまでをずっと高さ2mぐらいの大きな絵で、全部合わせると30mぐらいになるんじゃないでしょうか。何回かに分けて書いていて。ああいうのもありますね。ああいうのも珍しいな。淀川についてあれだけ大きい絵はないんじゃないでしょうか。淀川図一覧というような、北斎の隅田川両岸一覧みたいな絵まき、もうちょっといろいろあるんでしょうけれども。あんなふうに一人の画家が源流から河口までをずっと書いたというのは、ほかになかなかないかもしれませんね。これは本当にやり出したら大変ですね。大変だけれども、一度はやっておいていい仕事でしょうね。最上川、北上川、利根川、信濃川、淀川、紀ノ川とかあちらも。熊野川もあったかな。それから四国の吉野川とか、九州も筑後川があり、球磨川があり。いろいろあって、超一級河川をやっただけでも膨大な量になってきますね。各川の工事事務所に、何年までに何百件集めて報告せよと。報告が立派であったら昇格させてやるとか、それくらいしないと集まらないかもしれないね。
 黄河とか揚子江についても、それこそたくさん昔から詩があるわけですが、ああいうものを集めてありますか。黄河支川とか、ありそうですね。黄河、揚子江、洞庭湖から、杜甫、李白から。黄河の方が多いか。
○委員
   水に関するポエムを集めた本が英語では出ていますね。そこに日本とかそういうところが入っているのかどうか、ちょっとあれですけれども。ただ、俳句は相当訳されていますね。フランス語にも相当訳されています。
○委員長
   芭蕉とか、蕪村とか、一茶とか、正岡子規ぐらいになると英訳も仏訳も出ております。独訳もあるし。これは河川文化史ですね。
 世界水フォーラムが終わると、河川文化史研究センターとか何かそういうものの設置を後に残してくれるんじゃないの。集まっておしゃべりするだけですか。
○委員
   第3回世界水フォーラムが終わった後どうするかというのは、私どもの事務局の仕事としてはもう終わろうと。あと必要なものがあれば、新たな組織をつくることは、それはそれでまた別途お考えていただければいいことではないかと。
○委員長
   世界の主要河川について、それぞれ文化史的、社会史的記録の修正を行っていこうというふうな決議。ナイル川、ガンジス川、黄河、揚子江、最上川、淀川、ミシシッピー川。
○委員
   ものすごいおもしろい提案になると思いますが、日本が言えば、金出せと、こういうことになりますので、そこの覚悟が必要だと思います。確かにおもしろいアウトプットの一つですね。現に「水と文化」というパネルが一つありまして、これに関係してフランスと日本とが共同して、「水と文化」に関する展示会を京都の植物園の中で特別にやろうとしております。あそこにそういうパビリオンをつくろうという計画で進めていますので、そういうところから本当にそういうのが出てくればおもしろいんでしょうね。
○委員長
   実際にパビリオンをつくったら、その物も集めて、植物園でいいからそこに残しておいてくださるか、隣に京都府資料館があるから、あそこに寄託してお帰りになるか。
○委員
   いろんなものを集めるというよりか、現在、川と文化のかかわりみたいなものを日本とフランスと、それともう一つ乾燥の国の川と3つの比較みたいな展示をしようということでして、こういうデータベースをつくろうという本格的なものとはちょっと違います。
○委員長
   もうちょっと啓蒙的なものですか。
○委員
   見ておもしろいというものです。
○委員長
   なるほど。今はやりのやつね。パネルとか。
 しかし、世界じゅうで水が問題になって、川が問題になって、つい去年もヨーロッパで大洪水があったりしました。この際、河川と人類というのでだんだん大きくなって、記録大修正の編成にいよいよ取りかかる。尾田さんはそのために金集めにまた奔走するというぐらいになってくださるといいですね。その場合に日本のは割合ちゃんとやれるけれども、中国でも、インドでも、ロシアのボルガ川でも、一体どれぐらいのものがあるか見当もつきませんね。
○委員
   JICAの一つの計画として、現地政府と組んでそういうことをやる。例えばメコン川ですと中国、ガンボジア、ベトナムが重なる話ですが、そういうところが一緒になってやるようなプロジェクトに育つと、おもしろいプロジェクトになるかもわかりませんね。
○委員長
   メコン川なんかへ行くと文学とか民俗とか、そんな暇なこと言っちゃいられないというんじゃないですか。
○委員
   ただ、後ろにある文化の関係を捨てては、本当にその川の議論ができないというのが共通認識ですので。
○委員長
   あれも早くやっておいた方がいいかもしれませんね。かつての日本と同じように直線にしたり、えぐったり、やたらに簡単な河川管理をやるかもしれないから。メコン川も大自然の威力を持っているわけで、それを生かしていて、かつもっと民生の安全を図り、かつメコン川が育んできた国、幾つもの国境を越えて渡っていく神話とか、それにまつわる民俗のさまざまな行事、祭り、風俗の川に沿った流れとか、歌とか、そういうものまで集める。そして、メコン川を人類が総がかりで管理する21世紀の理想の川としていいプランを立てていく。そして実行していく。世界水フォーラムの最後の決議にするのもいいな。あの辺が一番問題のある川だし。いまだに年じゅう、決まって毎年あふれるわけでしょう。
○委員
   そういう意味では、メコンに限らずナイルも。
○委員長
   ナイルは既に管理されているわけですね。
○委員
   そうでもなくて、10カ国集まって関係者が一堂に会したというのはここ高々数年のことです。意外とそういう取り組みはまだまだこれからですね。日本ですらそれは全くないわけですので。
○委員長
   でも、こういうことは余り目を向けてこなかったんじゃないですかね。フランスだって、ドイツだって、ないんじゃないですか。テムズ川についてもろくにないんじゃないか。
○委員
   どうですかね。例えばナポレオンが遠征するときに、歴史家を連れて行ってザーッと調査したその成果がルーブル博物館ですよね。そのときにナイル川の奥地まで全部引っくるめて流域全体図をどれだけまとめているかというのは、ちょっとわからないところがありますね。
○委員長
   ナポレオンは、占領して管理するために調べたんでしょうね。でも、そういうはっきりした目標がある方がかえってよくやるかもしれませんね。
○委員
   そういう河川の問題に取りかかる前に、そういうことを日本がやったとなれば世界的に、特にヨーロッパあたりからものすごく高く評価を受けるでしょうね。そういう人と文化の関係も含めて。
○委員長
   今度、何かいかにもやっているというふうに報告して、緒についたと。日本の主要河川、各地域の主要河川について、太古から現代に至るまでの流域の変遷、経済活動、社会生活上の意味と、それから、それを生み出してきたさまざまな文化の集大成とそれの作品化を国土交通省河川局を中心として現在進行中であって、私もその重要な委員になっていると。そういうことを世界水フォーラムで言ってしまえば、もう後にさがれないと。それくらいのことは今の日本国ならできるんじゃないですか。そういうことは景気がいいだの悪いだのに関係なしに、やっておかなければいけないことでしょう。もっと貧乏国であった明治の時代に、古市公威がちゃんとそういうことをやっているんだから。今の経済大国日本で……。
○河川局次長
   どれぐらいのスピードでやっていけるかということですね。
○委員長
   どこか一つの河川、淀川なら淀川について。あるいは淀川が大き過ぎるなら最上川でも、何か集約してやってみる。一つかなり完璧なモデルをつくって。飛行場をつくるとか、学校を建てるというのと違うんだから、そんなにお金かからないですよ。
○河川計画課長
   ある意味では、さっきおっしゃったインターネットで既存の既に研究されている方が、こういう資料がこうあると、そういうのをどんどん出していただく。それを取捨選択する部分もありますけど、それを整理していくという形ですと、余りお金もかからないという部分はありますね。
○委員長
   各工事事務所、河川局、各県、地域ごとにある河川の事務所に、とにかく宿題として出す。何年何月まで、まとめて出す。出さないと次の予算を削ると。それくらい。
○河川局次長
   どうするのかという話になりますと、またちょっと考えなければいけませんが、先ほど局長も言いましたように非常に大事なことだと思うので、どうやるかということをまた担当課の方で考えたいと思います。
○委員長
   あと、どうですか。
○宮村委員
   まとめることは大変大事なので、一つのきっかけとして大変いいことで。それから、9ページの上の方の千歳川は、夕張川にしておいてください。しかし、こういうのをまとめられると、川に関係して管理をやっている方は大変大きな衝撃を受けると思います。もっとやれという話、大変重要なんでしょうけど。これでも出たら、大変大きなインパクトがあると思いますから、ぜひまとめて出て。
 この資料4は、どういうふうになるんですか。
○河川情報対策室長
   資料4は既にインターネットで出ています。これをこの会に出ない人であっても、我々の河川管理者の各事務所の人間であっても、わかるようにといいますか、そのようにできるだけまとめたつもりが資料5です。4は既に公表されているということであります。
○宮村委員
   私は、これが出ることで大変満足しております。
○委員長
   いかがですか。
○委員
   特にありませんけど、インターネットのアドレスはこれですか。
○事務局
   そうです。河川局のところからたどって行くと入ることができますので、後ほど御連絡申し上げます。
○委員
   日本には川の博物館というのはないんですか。川を対象にしたもの。大阪にサヤマ池の池の博物館というのができましたね。あれはなかなか建物が立派で、みんな建物を見るために。安藤さんのだから。そういう一つの川でも対象にしたものができると。そこの川だけではなくて、そこを拠点にしながらいろんなものを結びつけて。
○委員長
   我々がずっと前に行ったのは、荒川の分かれ際のところにできた資料館でしたね。
○宮村委員
   個別の川には結構たくさんでき始めているんですよ。ですから、さっき言ったようなものは、そういうところでやったやつをまとめというのも一つですね。
○委員長
   そういうところに集めて、それをまた中央の方に集める。
○宮村委員
   それはサテライトだと思って、どこかにセンターがあればいいですね。そういうセンターとして、まとめ役だけというのもあるかもしれない。
○委員長
   しかし、そうやって個々の河川について集めた上で、さらに日本人と川と、あるいは水ということで、もうちょっとジェネラライズした意見を出しておく。イントロダクションの部分で出しておく必要がありますね。川と日本神話とか、歌との結びつきはどう始まっているか、信仰はどうか、そういうことをうまくまとめて概観して、それから各河川ごとにワーッと分かれていく。その河川からさらにその支流にまで入って行くこともできる。
○委員
   今各河川にある資料館みたいなものは、それぞれの思いでみんなつくっておりまして、それはそれで私は非常にいいことだと思うんですけれども、最低限、先ほど来議論が出ているような時間軸と広がりとを持った形で資料を全部、蓄積している機能をそこへ持たすというそういうコンセプトははっきりないんで、それは一つ持たした上で、あとは特色はそれぞれの川ごとに出していいということですね。そこは非常に大事だと思います。
○委員長
   そうですね。とにかく集めておけと。古い写真でも絵でも、それをコピーして。
○委員
   あらゆるものを入れておいて、それをデジタル化する。いまやデジタル化できるわけですから、デジタル情報に変えておいて検索できるようにする。それをやってもらえると、ほかから使う人はものすごく楽ですよね。それさえできれば、将来自動翻訳機で海外の言葉にずっと変わるのも可能でしょうし。
○委員長
   しかし、万葉や古今の歌をそう簡単に自動翻訳機が翻訳できやしないけどね。「五月雨を あつめて早し 最上川」なんてできっこないけど。
○委員
   意外に簡単かもわからない。
○委員長
   いやいや、難しい難しい。掛詞があったり。前はこの委員会では、そういう資料、本とか絵とか集めて博物館をつくりましょうということもあったけど、今は電子機器が非常に発達してきたから、そこへ納めてしまうのが一番いいですね。早いし、安上がりだし。それから、地方、各個人からの参加が容易になるし。
○宮村委員
   今の個別の資料館でいつもネックになるのは、やはり評価をどういうふうにするかということで、入り込み客数がどのくらいあるかとか、どのくらい周りに使われているか。そちらの方にウエートが多くなると、ついついベースの集録が非常にやりにくいので、そういうところを鼓舞するような、余り気にしなくていいよということは言えるのかどうか。それができると、かなり個別の川の博物館でもできるんじゃないかと思います。
○委員長
   今は入館者数というのをすぐにやって、減ったとなると、あんなものつぶしてしまえと市議会とか県議会はすぐに言う。もう待ってましたと。
○委員
   そのデータベース機能を第一義にして、第二義的にそういう展示機能がもし必要ならそれぞれ持たして、こちらはもうサブだという機能ですから、こっちを主体にしないとだめですね。
○委員長
   せっかく迫っている世界水フォーラム、絶好のチャンスですから、ぜひそういうことをまとめて次の出発に向けての取っ掛かりにしてください。非常にいいんじゃないでしょうか。ちゃんとそういう決議を出しているかどうか、時々見に行きましょう。宝ヶ池の国際会議場でしたね。私のところから近いから。
 何かよろしいですか。
○委員
   結構です。
○委員長
   きょうは5時までの予定でございましたが、大体の御報告もいただきましたし、このまとめたものもいろいろと皆さんに御意見を出していただきまして、ありがとうございました。これはもう一回ちゃんと見直してまとめ直して、次の懇談会に。
○河川計画課長
   御欠席の先生方もおられますので。
 
4.閉会
 
○委員長
   御欠席の方も何人かいらっしゃるので、その方々にも見ていただいてね。それから、皆様がこれまでの懇談会で報告なさったようなものは大体うまく今の報告書の中に入れられていたと思いますが、それでも、ぜひあれは入れておいてくれというのがあったら、それはまたこちらに申し出ればよろしいかと思います。次回の懇談会のときに、これを最後の報告書としてまとめたいと思います。
 この次いつ懇談会かというのは、まだ翌年度も続きまして、次回については4月ごろということで、日にちはまた事務局の方で皆さんに御相談の上で決めていただくことにいたします。
 きょうは、大変ありがとうございました。非常に活発なお話を伺いましてありがとうございました。それから、関東学院のあの学生さんにもどうぞよろしくお伝えください。非常に偉かった。
 

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