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河川局

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会 -日本文学に見る河川-

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会
-日本文学に見る河川-
第十一回議事録

平成17年5月31日(火)

4.懇談
 
○芳賀委員長
   では、山田先生の話を踏まえて論議に入りたいと思いますが、山田先生、もう少しお話しすることはありますか。
○山田臨時委員
   はい。
 この資料を持っているのは私ぐらいだと思います。そんな艱難辛苦を乗り越えて、グルヌイエール友の会まで行った人って。訪れている人は私ひとりです。  
○芳賀委員長
   そうでしょう。
○山田臨時委員
   何かないと行かない。そこは行きにくいところです。
○芳賀委員長
   そうですね。では、今度だれか車を運転するやつに頼んで一緒にこちらがガソリン代と一晩泊まりぐらい出してやって、それで一緒に回るといいんですな。では、今度この研究会は一度パリでやらないかな。京都なんてしみったれてばっかりいないで。パリでやると言うと坪内 さんもちゃんと来るよ。
○山田臨時委員
   確かにフランス流、うまいですよね。
○芳賀委員長
   そうですね。なるほど今この河川局で考えた、ミシシッピはちょっと我々のお手本にならないでしょう。ドナウ川もだめでしょう。とにかくライン川もそうおもしろくないね。あんなローレライぐらいじゃ。それよりやっぱりセーヌですな。
○山田臨時委員
   規模が小さいところがいいです。
○芳賀委員長
   小さいし、それから都市から都市へと抜けていって。
○樋口委員
   印象派というイメージがありますけど、点在しているんですかね。
○山田臨時委員
   点在してまして。ゴッホなんか。
○芳賀委員長
   セーヌの方ね。だから、日本でだったらどの川をそういうふうに一つのモデルにできますかね。日本国内で。この文学や絵画と結びつけて、いわばこのセーヌ川のまねをやってみるなら。やっぱり鴨川かな。
○山田臨時委員
   そうですね。鴨川ですね。
○芳賀委員長
   木曽川とか最上川とか北上川といったらそこまでいかないですね。
○山田臨時委員
   首都を流れる川。
○芳賀委員長
   淀川もできないことはないですね。でも、やっぱり歌で言うとやっぱり古典からいえば鴨川ですね。それか保津川か。
○久保田委員
   ええ、そうですね。
○芳賀委員長
   嵐山の。
○久保田委員
   たくさんありますからね。
○芳賀委員長
   奈良は。
○樋口委員
   この前の行った。
○芳賀委員長
   ああ、飛鳥川か。
○久保田委員
   ちょっと小さいですね。
○芳賀委員長
   ちょっと小さいですね。水がないですね。やっぱり鴨川ですね。
○芳賀委員長
   鴨川ですよね。
○久保田委員
   桂川もあわせて。鴨川と。
○芳賀委員長
   桂川と、そうそう。
○久保田委員
   大堰川の方も。
○芳賀委員長
   それから、清滝川もあわせてね。今、保津川下りがあるぐらいでもったいないですね。それから、鴨川の渡月橋のちょっと上の水がたまっている、あそこで水の前でお能をやったり、それから和太鼓をたたく会があったり。それから、今、鵜飼もやっていますね。
○山田臨時委員
   ああ、そうですか。
○芳賀委員長
   それで、何か1000円ぐらい払って、ちゃんと。1000じゃなかったかな。2000円ぐらいかな。本当にアユをとっているかどうかよく見えませんけれどもね。あれは鵜がもぐって。ああいうところはもうちょっと上手にできる。その指導をするといいんじゃないですか。河川局は。せっかくこれ10何回も研究会をやっているわけですから。
○樋口委員
   ぜひ。
○芳賀委員長
   鴨川を選定して、鴨川は河川局の管轄でしょう。一級河川で。
○事務局
   一応、管理は京都府が管理しております。ただ、厳密に言いますと、国の財産管理を京都府に権限委譲しているということになります。
○芳賀委員長
   鴨川の河川敷を何かやるときにも非常にうるさいですね、あれ。あれはおととしかな、出雲の阿国の歌舞伎が始まって400年というので、2003年、鴨川の四条大橋のちょっと上のところの東側の土手に舞台をつくって、そこで出雲阿国の歌舞伎をやって、それをこちらの川の西側の床の方から見たんですけどね、あの舞台をつくるだけでも大変だったようです。許可が、河川局から消防署から。
○芳賀委員長
   光田さん、あれ、そうですね。
○光田委員
   そうでしたね。大変でしたね。
○芳賀委員長
   大変だったと言ってましたね。
○事務局
   我々が悩めばいいんでしょうけれども、一般的にはそういう許可をするとなるとちょっと違ったほかの役所の了解もすることに。
○芳賀委員長
   そんなことをお役所はすぐに言うんです。もしも悪い宣伝になるのであれば許可しなければいいじゃない。
○事務局
   例えば事業費とか、社会実験というような形でもう少し弾力的にいろいろやってみようということでいろいろ取り組んでいるところです。
○芳賀委員長
   じゃ、国土交通省は鴨川を特別指定して、鴨川特区でやってくださいよ。いろんな文化的行事をやるならば特区として簡単な紙1枚をファクスで送れば許可を出すと。それぐらいはやってもらわなきゃ。鴨川なら危険は全然ないです。3日前から大雨があったらすぐに撤収すればいいんだから。あんなの溺れようにも溺れられないですよ。ひざまでも水がない。
○事務局
   決して後ろ向きではなくて前向きにやろうとしておりますので。
○芳賀委員長
   前向きにやってこの夏からでも。京都新聞にでかでかと鴨川特区と、第1ページの1面をかざって、鴨川自由開放区と。
○光田委員
   常設的な舞台をつくっておくといいかもしれないですね。
○芳賀委員長
   三条と四条の間かな。
○光田委員
   そうでしょうね。
○芳賀委員長
   三条、四条、五条の間ですね。
○光田委員
   その間でしょうね。
○芳賀委員長
   昔からやっぱりあれは河原でいろんな芝居が始まったのは、大体四条の上と下。
○光田委員
   昔はあの床が川の中にできてましたでしょう。ですから、ああいうものを一つ。
○芳賀委員長
   もっと突き出してね。
○光田委員
   つけて。
○芳賀委員長
   今、あの何というんでしたでしょうかね。
○光田委員
   あれは何川でしたかね。
○芳賀委員長
   ミハラギじゃなしに。
○光田委員
   あの下鴨神社から流れてくる川ですね。
○芳賀委員長
   ああ、そうそう。
○光田委員
   あそこに出てますけど。
○芳賀委員長
   高瀬川じゃなくてね。
○光田委員
   あの内側にあるやつ。
○芳賀委員長
   きょうはそれをいろいろと計画して、今からちょっと電話して京都府の人を呼んで。本当に。
○事務局
   今、大阪では少し実験的に、ちょっと違うセンスなんですけれども、どちらかというと。
○芳賀委員長
   いや、でも今は印象派の。
○事務局
   こういう文化的な感じで。
○芳賀委員長
   そうですね。
○光田委員
   今、心斎橋のところでやってらっしゃるのが、その今のお話ですか。
○事務局
   そうですね。全然意図は違うんですけれども、ある種やっぱり人と川とのかかわりみたいなものをいろんな格好でやろうとしていることでは同じだと思います。許可の体系といいますか、そういう許可の扱いの工夫も含めて実験的にやっているという意味ではそういうのもあります。
○芳賀委員長
   ああ、そうですか。それはぜひ鴨川でもやってくださいよ。京都府と、それから京都市の商工会議所、それから京都文化博物館、ああいうところが連携して。
○芳賀委員長
   祇園祭のときなんかはわざとあの水の中をじゃぶじゃぶと神輿が渡っていくようなイメージで。祇園祭のときに鴨川全面開放と。何をやったっていい。河川敷も水の中も構わない。それで、そういうイベントもやって。
○山田臨時委員
   先生のお話を聞いていると、どこが管轄権があるのかというのは大変大きいですね。
○芳賀委員長
   大きいですよ。
○山田臨時委員
   セーヌ川のどこまでがパリ市になっているかというのが、いろいろあるでしょうけれども、それがもう最大ですね。
○芳賀委員長
   セーヌ川はどうなっているんでしょうかね。あれも国管理ですか、それともそれぞれの市が管理ですか。
○事務局
   それは国ですが、ちょっと国とほかの機関が入った流域委員会というのをつくって、最近では淀川の流域委員会という、似たような名前の、あれとは全然違うんですけれども。そこで決めるようにはしております。基本的には国が。フランスはどちらかというと中央集権の国になります。
○芳賀委員長
   そうですね。かえってその方が柔軟なのかもしれません。
○山田臨時委員
   そうですよ、話が早いです。
○芳賀委員長
   話が早いかもしれない。だから、この辺はブージヴァル市とかシャトゥー市がするのではないんですかね。
○山田臨時委員
   いや、シャトゥー市がやっている。
○芳賀委員長
   この河川の管理は。
○山田臨時委員
   河川の管理はどうかしら。だけど、河川脇に立っているところをいろいろいじっている。河川は違うと思いますね。
○芳賀委員長
   セーヌ川は洪水、水の調整とか、沿岸に堤防をつけるとか、それは国ですか。
○事務局
   フランスは国だと思います。済みません、多分そうだと思います。
○芳賀委員長
   何省ですか、フランスは。
○事務局
   環境保全省。
○芳賀委員長
   ああ、環境省。
○事務局
   いや、環境省と違って、我々が行ったり来たりしている間柄なんですけれども。2年に1回行ったり来たりして、両方で共同でいろんな勉強会をしておりますが。
○芳賀委員長
   ああ、そうですか。今のポンセ・ショセは今もあるんでしょう。橋梁と道路の学校、専門学校、その技師の養成学校、エコール・デ・ポンセ・ショセ。
 ある日本国内で選んでしまって、そこを文化行事の舞台に選定する、そういうことを急遽やったらどうですか。鴨川を特別扱いにして。無許可とはいかないけど、簡単に。それで、鴨川をもっと河川の文化史と実験室として。
 古今、紀貫之の歌にも鴨川は出てきますよね、夏の夕方、鴨川で。
○久保田委員
   みそぎの。
○芳賀委員長
   源氏物語の中にも出てきます。
○久保田委員
   出てきますね。
○芳賀委員長
   鴨の葵祭の。
○久保田委員
   夏、鴨川でとれた魚をいただく、魚を食べるんですけど。
○芳賀委員長
   鴨川でとれた魚というのはつまりアユですか。
○久保田委員
   アユとかゴリとか。
○芳賀委員長
   ああ、そうか。
 とにかく下鴨、上賀茂神社の、あの賀茂の祭りがあるから、幾らでも古典に出てきますよね。枕草子もわんさと出てくるし。
○山田臨時委員
   セーヌになくて日本の河川にあるのは魚ですね。
○芳賀委員長
   そうですね。
○山田臨時委員
   それはもう絶対有利ですね。
○光田委員
   フランスはあんまり川魚は食べないんですか。
○芳賀委員長
   そうやね。
○山田臨時委員
   おいしくないですね。
○光田委員
   スズキとかいないんでしょうか。
○芳賀委員長
   いない。
○山田臨時委員
   いないですね。
○芳賀委員長
   よっぽど上流に行けば、山の中に行けば、マスが。害のある魚なんて、口にしないと思う。2匹食べたら、もうそれで病気になっちゃうから。
○光田委員
   ラインはそんなに汚いですか。
○芳賀委員長
   汚いよ、そんなもの。
○光田委員
   日本のアユに当たるような魚は向こうの川にはあんまりいないんですか。1年に1度ああいう香り高いような魚は。
○芳賀委員長
   いない。
○久保田委員
   マスなんかは。
○芳賀委員長
   マスでしょうね。シューベルトの歌のあのマス。
○久保田委員
   でも、やっぱり上の方ですかね。
○芳賀委員長
   ずっと上の方でしょう。シューベルトの時代はまだね、産業革命以前の。だから、スイスの山の中にでも行けばそれは何かいるでしょう。イワナみたいなのがいるかもしれない。日本はスイスみたいであって、そしてこれだけ工業化しているんだから、非常に特殊なんですね。
○山田臨時委員
   思い出しました、先生。モーパッサンをやっていますと、そのセイレーンのピクニックで、定番コースは魚フライを食べるんです。
○芳賀委員長
   クラゲ。
○山田臨時委員
   違う。魚のフライ。必ずそれを食べないと気が済まない。魚フライ屋の絵が。これ。これは全部屋台の魚フライ。
○芳賀委員長
   これはフライですか。
○山田臨時委員
   屋台。
○芳賀委員長
   屋台が出て。
○山田臨時委員
   これを食べないと気が済まない。
○芳賀委員長
   これは何かカエルじゃないですか。
○山田臨時委員
   その次のページのこれも魚フライなんです。
○芳賀委員長
   ああ、そう。魚のフライ。
○山田臨時委員
   思い出しました。モーパッサンの小説を読んでいると必ずデートコースにこの魚フライが。だけど、おいしかったとは書いてないですよね。その当時は何か食べる魚があったんですね。
○芳賀委員長
   あったのかな。
○光田委員
   それは現地で採っているんですか。
○山田臨時委員
   もちろんそうです。
○芳賀委員長
   どの魚かな。フライで食べる。小魚でしょうか。そのまま揚げるのか。
○山田臨時委員
   そうです。そのまま揚げる。
○芳賀委員長
   で、骨ごと食べるのかな。
○光田委員
   宇治川のハヤみたいなもんでしょうか。
○山田臨時委員
   そんなにおいしくないですね。
○光田委員
   今でも三十石船では投網を打って、とったハヤをフライにしてくれますけれども。きょうはないんですか、そのメニュー。三十石船に乗りますか、きょう、投網を打って。
○芳賀委員長
   ああ、そうですか。
○光田委員
   これぐらいのハヤをいっぱいとって。
○芳賀委員長
   ハヤですか。
○光田委員
   寒バヤですね。ハヤですね。
○芳賀委員長
   ハヤならフライだな。
○光田委員
   フライにしてくれます。
○芳賀委員長
   清滝川あたりのあのアユはうまかったですね。
○光田委員
   ああ、あそこはいいですね。
○芳賀委員長
   清滝川と保津川の合流するあたりの山の斜面に昔小屋があって、そこの小屋に行って、日文研の連中と一緒に行って、5時間ぐらいうろうろして、アユを次々、1人10匹ぐらいずつ食べて、ビール飲んで、1人1万円ぐらいなんです。
○光田委員
   平野屋の、あれ先代が。
○芳賀委員長
   何か掘っ立て小屋みたいでした。
○光田委員
   平野屋という大きなアユ料理のお見せがあるでしょう。
○光田委員
   あそこの人が隠し小屋としてあそこにつくっていたんです。
○芳賀委員長
   ああ、そうか。で、アユがなくなるとそこのおじいさんがつってきて、また焼いてくれる。
○光田委員
   だから、我々がふらっと行ってもやってくれるわけではないんです。話を通しておかないと。
○芳賀委員長
   あれはもうなくなったんですね。
○光田委員
   そうらしいですね。残念ですね。見晴らしもよかったし。
○芳賀委員長
   そうですね、見晴らしもいいし、本当に風通しもよくて。
○久保田委員
   愛宕山の下あたりにあるのが平野屋ですか。
○芳賀委員長
   そうでしょう。
○久保田委員
   あそこのアユというのはやっぱりそこでとれた分ですか。
○光田委員
   清滝川です。
○芳賀委員長
   保津川の方よりは清滝川です。
 それから、八瀬からずっと福井の方へ抜ける鯖街道ですか。何というんですか。あの街道をかなり奥まで入っていくと比良山荘というのがたしか。
○光田委員
   坊村というところに比良山荘がございますね。
○芳賀委員長
   行ったことないけど。
○光田委員
   京都大学の先生方が御用達だったので樋口先生御存じないですか。
○芳賀委員長
   そこは今も。
○光田委員
   今も盛んにやっています。あそこは安曇川のアユですから。
○芳賀委員長
   安曇川ですか。
○光田委員
   はい。
○芳賀委員長
   あの辺では比良山荘のあたりは川はこっち側に流れているんですか。
○光田委員
   琵琶湖に流れます。
○芳賀委員長
   ああ、琵琶湖にですか。そうですか。
 人口140万の大都市で、先端産業をこれだけ抱えていて、学校がこれだけ京都市内周辺だけで50大学があって、そこで東に鴨川、西に清滝川と保津川、ああいう清流が流れていて上流域にアユもいるというようなそんな都市は世界にないですよ。パリもない。ペキンなんて水もない。ソウルもない。モスクワもない。ニューヨークはもちろんない。パリもない。ロンドンは全くだめだし。フィレンツェもあるのは全くそんなきれいな川じゃないし。
 観光は主に国土交通省でしょう。
○事務局
   はい。部署は違いますが。
○芳賀委員長
   全省を挙げてとにかく京都を、まあ京都だけじゃ悪いから奈良とかね。それなら日本国民、文句言わないし。
○事務局
   それはやっぱり各地に。
○芳賀委員長
   だけど、各地と言うからだめなんで、まず当面これから10年間は京都、奈良集中する。それがうまくいったら広島でもやる、青森でもやる、札幌でもやる。
○事務局
   試験的にというのではいいと思います。都市再生本部というのがありまして、それのプロジェクトというので、琵琶湖・淀川都市再生プロジェクトというのが始まって、去年からやっています。それは、総理みずから相当関心を持っていまして。
○芳賀委員長
   予算は幾らですか。
○事務局
   それは今は検討調査費だけですので一応終わったんですけれども、そこにメニューをいっぱい書いてありまして。川沿いというか、川のところで歴史とか文化が育まれたものを何とか元に戻せないかというのを、観光、ビジット・ジャパンみたいな形の中で、外国から来ている方が単に歴史的建造物とかいうだけじゃなくて、少し周りの自然だとか、いろいろな風景だとかいろいろあわせて見に来ているというのが大分あるらしくてですね。総理も堤防の上を歩くと気持ちがいいとか言っていました。
○事務局
   京都大学から今、立命館に行かれた土岐先生という方がおられますが、あの方は京都の文化財を地震の災害から防ぐ、特に燃えてしまったら取り返しがつかないということで、防火用水を確保するために、琵琶湖疎水などから引っ張ってきて清水あたりの文化財を守ろうということでいろんなところをやろうという先生の提案をかなりいろんなところへお話に行って、皆さん感激をされておられました。米軍でも第二次世界大戦のときに文化財保護のために爆撃しなかったようなところですし。
○芳賀委員長
   今、京都市としては、京都市の古都保存法ですか、あれを特別に京都に向けて、京都に特別の国家予算をつけてくれというのを3年ぐらい前ですか。
○事務局
   それでちょっとそのお話をしましたのは、先ほど芳賀先生がおっしゃるようなお話を土岐先生からもお聞きして、京都の話をと。
○芳賀委員長
   そうそう。だめよ、日本全国なんて。特殊化してやって、うまく成果を挙げて、それから広げればいいのでね。10年ではないなら、5年は短いな。7年。ちょっとそういうことでやってくれないと、京都は今のまんまだと文化も悪くなるから。
○光田委員
   鴨川は随分アシみたいなのが繁って、昔のきれいな石を清流が流れている感じじゃなくなってきましたね。
○芳賀委員長
   そうですか。
○光田委員
   金沢の浅野川ですか、ああいう川みたいになってきて。
○芳賀委員長
   どの辺で。
○光田委員
   いや、もう至るところ。
○芳賀委員長
   そうですか。
○光田委員
   うっそうと中州に何か。
○芳賀委員長
   中州はね。
○光田委員
   草が繁っていますね。
○芳賀委員長
   上賀茂に住んでいますけれども、その前のところに中州があって。
○光田委員
   上賀茂もいっぱいそうです。植物園のあたりも中州は全部背丈以上の草が生えて。
○芳賀委員長
   背丈以上までいかないけれども。まあ中州があってもいいんじゃないですか。
○光田委員
   それはいいんですが。
○芳賀委員長
   水が少ないからどうしてもできちゃうし。
○光田委員
   川が大水が出ても流れないんですよ。
○芳賀委員長
   そうね。
○光田委員
   きれいな清流が戻るという感じじゃなくて。
○芳賀委員長
   ときどき少し洪水になるぐらいだと一遍に海に流していいんですけどね。
○光田委員
   そうするときれいになるんですけどね。
○芳賀委員長
   1年に1回洪水をやるという。
○事務局
   河川清掃。そういうのもやっております。全然別な観点ですが、山あいのダムの下の川ぐらいですと、アユがコケを食べるんですけれども、なかなか流れの変動がないと汚れが出るというか、きれいなコケが生えてないものですから、フラッシュ操作といって、ダムの水をボンッと流して、石をごろごろときれいにして。
○芳賀委員長
   回転させて。
○事務局
   ええ、回転させまして。やっています。
○芳賀委員長
   それもやるのはそれぞれの場所の河川の事務所なんですか。
○事務局
   ええ、そうでもありますが、ただ共通してどういうふうなことが価値観なのかとか、どういうふうにやっていくべきかみたいなのは、少し号令的でないと進まない場合がありますので。
○芳賀委員長
   そうですね。
 日本全国でアユのいる川というのは登録するといいですね。
○事務局
   それはアユ前線みたいなのを、桜前線じゃないんですが、出しておりましたので、全部アユの溯上をつかんでいると思います。
○芳賀委員長
   どの川にアユがいるか。
○事務局
   ベースとして多分押さえてあって、そういう情報を知っていると思います。
○芳賀委員長
   宇治川はアユはいますかね。
○光田委員
   案外とっていますよ。
○芳賀委員長
   宇治川でやっていますか。
○光田委員
   鴨川も上ってきますから。
○芳賀委員長
   鴨川も上ってくる。
○光田委員
   ですから、もうそれは。
○芳賀委員長
   ああ、そうか。宇治川を通ってくる。
○光田委員
   稚アユを放流しているはずです、琵琶湖で。
○芳賀委員長
   鴨川はかなり上流に行かないといけないという。
○光田委員
   四条と三条の間でも釣っていますでしょう。
○芳賀委員長
   アユを。
○光田委員
   はい。料理やへ行くと今釣ってきたというのを食べさせてくれますよ。本当に釣っています。四条の橋のところで。
○芳賀委員長
   あれはアユを釣っているの。
○光田委員
   そうです。
○芳賀委員長
   このあたりでもよくしょっちゅう釣りをやっている人がいるのはアユなんですか。
○光田委員
   いやいや、おとりアユもきちっと販売していますから、それはアユです。
○芳賀委員長
   きょうのパリのお話を、セーヌ川の話を聞くと、もうちょっと日本は川を活用、まだまだ経済的に活用、文化的に活用できるのでは、ということですよね。あしたからでもできる。そんな難しいことじゃない。地元にそのNGOだか何か、NPOだか何かそういうのができて、河川をおもしろくやって、その文化史を掘り起こして客を入れる。それを国土交通省はバックアップして。地方自治体と一緒にバックアップする。国土交通省は地方自治体をその方向に向けて促進する。やれと、おまえのところは何でやらないのと。そのぐらいやってくれないかな。
○事務局
   思いというか、センスは全くそういうふうな方向でやろうとして、この委員会も含めてお願いしているところだと思いますので。それから、先ほど次長が申し上げましたように、いろいろ社会実験ということでやってみて、いろんなご意見の方がいることは事実なんです。ただ、現実のものが見えないと今はよくわからないので、とりあえずどこかで決めようという、そういうやり方をやり始めているんです。
○事務局
   いろいろな取り組みがたくさん始まって、始まってというか前からあるのも含めてですけれども。それに対して、国土交通省の方でも、歴史と文化という点について、どっちかというと、しばらく置いておかれたというわけではないんだけれども、治水の安全度だとか、特に環境という大きな流れが来ているわけですので。歴史文化というものを河川管理の中でどうとらえていくかと。そういうようなことを私どもも勉強しつつ一番やっているのは自治体ベースで、これはもう地域の方々と一緒になってどうしたらいいかというのを取り組んでいくわけです。
 なかなか、本省に行くとかたいことを言っているという話があると、とまってしまうということもあるので、一番大もとの方でもしっかりと勉強したいと思っています。
 その構造特区にしても社会実験にしてもやはり公共団体がまずどういう形で考えるかというのが必要なので。
○芳賀委員長
   鴨川の場合はどっちですか、京都市がいいんですか、京都府がいいんですか。
○事務局
   河川については府が基本的な権限主体になっています。
○芳賀委員長
   鴨川をそうやって活用するようになれば、鴨川の多くの山も高野川も東山もみんな関連して、それの環境保全という形で、すぐにつながる。何だ、早く何かやってしまわないとね。
○芳賀委員長
   来年から。この秋からとは言わないけど、来年から。京都府鴨川特別特区、鴨川特区。鴨川特区で、鴨川は非常に文化史的に、最もいろんなものを背負い込んで持っている川なんだから。利根川以上に。それが京都の町の中には、もう全く世界でユニークなんだからね。どこを探したってないです。皆、中南米あたりも探してみたって、北米を探してみたって。カナダあたりにきれいな川はあるかもしれないけれども、そこに人口140万で、大学が50あって、先端産業がこれだけ集まっていて、これだけの川を持って、山を持ってというのはないですね。
○芳賀委員長
   だから、今ちょっと電話して、京都府の人だれか。本当にちょっとね、初めから京都府の人を呼んでおけばよかった。
○事務局
   大阪はいろんなことを今やっていますけれども。東京は都知事がいろいろやろうといってやっています。
○芳賀委員長
   市の方が動きやすいんだよな。
○事務局
   地域が沈滞しているところは地域起こしの起爆剤として非常に熱心に取り組むところがある一方で、昔からの伝統というか、歴史とか風土を保全していこうというところが強いところは、保全系に近いような土地になるというのは一般的にあるみたいです。
○光田委員
   私、きょう午後ちょっと失礼するので、ぜひお聞きおきしていただきたいのですが。きょういらっしゃる三栖の閘門のところに、太閤がつくったという水路があるんですよ。そこが公園になっていまして、いいところなんですが、そこにケヤキの並木がありまして、これはとてもいい並木なんです。もう100年を超えている。それに3000を超えるヤドリギがついておりましてね。フランス人を案内すると感嘆の声を上げるんです。ヤドリギというのはフランスではクリスマスの飾りとして親しまれているので。すばらしい日本一のヤドリギだと私は思っていたんですが。2年前に、京都府か市かわからないんですが、完全にヤドリギだけを削るように撤去してしまいましてね。恐らく何百万かかけたんだろうと思いますが。知り合いのフランス人にそれを聞くと、何て野蛮なことをするんだというふうに随分なげいていたことがあります。あれはまだこれから復活すると思うんです。削ったところから出てくるヤドリギが。あれはですから、これから何十年かかけてもう一度ヤドリギ3000本を復活させると。
○芳賀委員長
   地元の人はそのヤドリギのことは、おもしろさはわかっていたんですか。
○光田委員
   いや、それは不気味だと思ったのかもしれませんね。地元の人が、あれはちょっと気持ち悪いから削ってくれという要望が上がって、やったのかもしれないですが。あれは私、天然記念物にしたいぐらいの景観だったんですよ。ちょっと残念なので。
○高橋委員
   万葉集でも「ホヨ」で出てますけれども。
○光田委員
   はい。そうなんですが、あのあたりはこのごろマンションがふえて、新興の住民はああいうものは不気味だと思うんでしょうね。ケヤキが落葉すると緑の丸い玉があらわれて、そこにいっぱいきれいな実がついているんですが、それが冬でも何か怖いという気持ちか何かで。
○芳賀委員長
   木の葉っぱが落ちるのが嫌だから倒せとか言うでしょう。
○光田委員
   ああ、汚れるから。
○芳賀委員長
   掃除が大変だから。
○光田委員
   きょういらっしゃれば復活が少し始まっているかもしれません。ただ、今は葉っぱが繁っていますからわからないでしょうけれどもね。
○芳賀委員長
   それはどこですか。
○光田委員
   三栖の閘門って、きょういらっしゃる予定になっていますが。そうでしたね、三栖の閘門。あれの上流に公園になっていまして、太閤がつくったという水路があるんですよ。三栖の閘門のちょうど北側です。そこに水路に沿って並木がありまして。
 はい。これで見ますと、伏見港広場というところに面した並木なんです。高さ30メーターぐらいのケヤキとかエノキとかの並木が続いていまして、そこに、あれは並木が60本ぐらいあるかな。1つの木に六、七十のヤドリギがついていましたから。全部で約3000と私は踏んだんですが。
○芳賀委員長
   そうですか。
○光田委員
   そんな見事なヤドリギの林というのは、日本であそこだけにしかなかったと思う。
○芳賀委員長
   すごいね。
○光田委員
   はい。天然記念物に指定してもらおうかという矢先に完全になくなって。また芽は復活していると思います、一部。
○芳賀委員長
   それは地元に、市民の景観保存の運動というのはあるんですか。市民に。
○光田委員
   きょうは案内するとかいう人がいるんじゃ。
○事務局
   まだここへ来ておりません。
○事務局
   現地の方に参りましたら案内してもらうことになっています。
○芳賀委員長
   では、そのヤドリギのこともぜひ。
○光田委員
   今度は削らないように。地元の要望があったんでしょうけれども。
○樋口委員
   きょうは山田さんの写真で私は思ったんですけれども、15ページの先ほどのレストランのところですか。これを見て、セーヌ川は100年以上たっても、全然ここのところは変わっていないと。河川改修はやっていないということでしょうか。
○山田臨時委員
   そうですね。
○樋口委員
   そうでしょうね。堤防みたいなのは昔もあったんでしょうか。こんな程度だったんでしょうか。
○山田臨時委員
   先生、何ページですか。ああ。いえ、堤防ができたのは第一次世界大戦の直前か1920年とかです。
○芳賀委員長
   洪水か何かがあった後ですか。
○山田臨時委員
   そうです。洪水があって。
○樋口委員
   それだけ上がったという。
○芳賀委員長
   これは建物は昔のままですか。
○山田臨時委員
   昔のまま復元したんです。老朽化していたので。
○芳賀委員長
   補強して復元したと。
○山田臨時委員
   そうです。復元技術は、ヨーロッパのイタリアとフランスはそれはすごいですよ。同じ材料、イタリアなんかすごいですよね。500年前の瓦を同じのを持ってくる。これはだって、先生、19世紀、100年ぐらいしかたっていないですから、割と簡単です。全く同じで建っております。
○樋口委員
   堤防が拡幅されていると位置も変わっているんですか。
○山田臨時委員
   先生がおっしゃったのは、ここの堤防ですか、木の下。この堤防はいつどのように整備されたかわかりませんね。でも、ボートマンたちがここに船をつけたわけですから、ずっと。
○樋口委員
   日本の河川だとかなり改修して変わっているところが多いですね。
○山田臨時委員
   そうですね。
○樋口委員
   そういうところに違いがあるんでしょうね。そういうところがちょっと。鴨川は余り変わってないけど。
○芳賀委員長
   鴨川も変わっていないですね。珍しいですね。
○樋口委員
   そういうところを重点的に、幾つかタイプに分けて、その中で変わってないところ、変わったところでやり方は違うでしょうね。
○事務局
   鴨川は本当の昔の川は先ほどおっしゃったような感じで。人工的に削った人工的な川ということになります。
○芳賀委員長
   でも、まあ同じ。高野川と賀茂川が下鴨、出町柳で合流して。
○事務局
   そこから下はほとんど人工河川。
○芳賀委員長
   そうですね。殊に堤防はね。あの堤防は今我々が見るといいなと思いますけども、前はもっと自然で京阪電車が表を走っていた。
○事務局
   京阪も人工的なものではあるんですが。道路で川端通りになっているよりはあれの方がいいという方も。鴨川は川底が極めて人工的にずっと削って削って整えて、せせらぎを、薄く水が流れるようにして。あれは普通の自然の川ではああいうことは普通はならないですね。
○芳賀委員長
   それはやったのはいつですか。
○事務局
   わかりませんが、あそこまで丁寧なのは多分戦後だろうとは思います。
○芳賀委員長
   鴨川が最後の洪水になったのはいつですか。戦後もありましたか。昭和20何年ですか。
○光田委員
   丸太町の不動産屋までウナギが泳いできたという、それは昭和10年ぐらいじゃなかったですかね。八瀬に住んでいる人が八瀬の高野川のところを牛小屋が流れてきて、牛が小屋の丸太の上で鳴いていたのを記憶していると言うていましたから、それが昭和10年代ですね、たしか。最後の大洪水じゃないでしょうか。
○樋口委員
   掘り込んでいるんですか、鴨川は。
○事務局
   ええ、そうです。基本的には掘り込んでいる。川からすると、結構、中流・上流の川ですから。普通ですと、れきが大きくてざらざらなるような川だろうと思うんですけれども。
○光田委員
   大きなれきが全くないですね、鴨川は。
○事務局
   本当はれきはあるんです。
○光田委員
   (手を肩幅ほどにひろげて)こんなものはないでしょう、もう。
○事務局
   ああ、そんなものはないと思います。
○光田委員
   大抵、手のひらに乗るような石しか、あの川にはないですよ。
○事務局
   ずっと上流に来て谷川になっているところにはあるでしょうけれども。
○芳賀委員長
   うちのすぐ前のところなんかには、川底には全部ブロックみたいな四角い石がずっと敷きつめてあって。
○事務局
   今はさっきの四条、三条、五条のあたりの、川の中のアベックがいっぱいいるところも、石ではありますけれども、つくったものですし。
○光田委員
   鴨川の石というのは随分何か人気があるらしいですね。頼山陽も拾っていたという話が伝わっていますが。ですから、今コンクリートで固めてあるものに昔のいい鴨川の石が埋められているみたいで、雨降りのときはとてもきれいな石がいっぱいありますよ。ああいうのはみんな埋められているから残ったので、そうでないものはみんな家に持ち帰ったんだろうと思います。いや、本当です。ああいうきれいなものは川に一つも残ってませんから。
○芳賀委員長
   ああ、中にね。
○光田委員
   今、だから、石垣に埋められているものが昔の鴨川の石を博物館のように。あれをうまく活用するとまたおもしろいと思うんですね。昔の鴨川の石はこんなきれいな石だったというふうに。
○芳賀委員長
   あの堤防を今のようにきちんと整備したのは、あれは1950年代ですか、60年代ですか。今の京阪を地下に入れる前。前にもう堤防修理をやったの。
○芳賀委員長
   そのときはいろいろ地元の先生方にも反対する人がいたようですね。鴨川の天然の、まさに柳、桜を織りまぜた堤防を壊して、それをコンクリートや石で固めるのは反対だと。崩れるところは崩れて、別に破れたってそれでいいんだと。
○光田委員
   そうですか。
○芳賀委員長
   それを特に強力に発言したのが生田耕作先生。京大の。
○光田委員
   では、そんなに昔ではないですね。
○芳賀委員長
   そんなに昔ではない。
○光田委員
   昭和40年ぐらいですか。
○芳賀委員長
   そのぐらいですね。随分強力な反対を。
○光田委員
   京阪電車が。
○芳賀委員長
   埋めるよりもっと前に、鴨川の土手を国土交通省が整備したんです。
○光田委員
   でも、あの土手に生えていた木は随分古い木だったですが。
○芳賀委員長
   今はそれ以後です。
○光田委員
   ああ、そうですか。
○芳賀委員長
   今、あそこの柳や桜は皆若いです。
○光田委員
   それはあの京阪電車を。
○芳賀委員長
   北に行けばね、あの古い今出川よりももっと北に行けば、高野川沿いの桜なんか、あれは相当古い。あれは50年ぐらいたっているような。
○光田委員
   はい。
○芳賀委員長
   丸太町から下あたりの桜は皆若い。大木はない。
○光田委員
   京阪を地下に入れるときに、あれは改修しましたね、切り倒して。
○芳賀委員長
   ええ。
○光田委員
   それはそんなに昔ではないですが。
○芳賀委員長
   でも、あれうまいこと柳、桜、それぞれ、桜もいろんな種類を取り混ぜて植えてありますね。
○事務局
   お話の途中ですけれども、もう既に具体的な提案に入っておりますが、後半の部分では全体の懇談会についてのご議論をしていただきたいと思います。その前に休憩をおとりしますか。
○芳賀委員長
   僕は構いません。みなさん続けてよろしいですね。
 はい、では。
○事務局
   マイクは特別要らないとは思いますけれども。きょうはできましたら、たくさんさっきもお話が出ていましたけれども、こんなふうにしたらどうだ、あんなふうにしたらどうだという話をなるべくたくさんいただいた方がありがたいと思っております。
 ただ、一応報告書というか、提言する、それから少し体系立てた整理をするということで、若干「論点メモ」というのをお手元に渡していただいていますが、それをさっとだけお話をさせていただきます。
 1枚目、「川と歴史・文化」というのですけれども、川というのがどういうふうな意味で歴史文化のことかどうかということで、歴史と文化というのが、人とのかかわりという時代のことでもあるとは思うんですけれども、やはり人とのかかわりがあるから歴史や文化があるんだろうと思いますのと、そこに@からありますように、一体人は川とどういうふうにつき合ってきたかということで。
 1つは恵を受けてきた。それから、水害とかそういうおそれの対象であった。3つ目は舟運だとかで産業の動脈だったり、場合によったらある時代は情報の導入口であったり、心の癒しとかやすらぎとか、あとは遊ぶという場であったり、楽しんだり遊んだりする場であったり、自然を育み、つなげる空間ということで、地域社会のある種健全な自然度を保つ、現代社会は特にそうでありますが、川のところだけぐらいが依然として残っていると。7番目には空間としての広がりということで、空間であったがゆえに戦場になったり、いろんな場面がそこで行われたりということがあったと思います。
 あと、ちょっと下に若干書いておりますのは、川は自然物ということで、単なる「もの」というだけでなくて、特に東洋文化なのかもしれませんが、一つは心境とか人生とかいろんなものを川に写すような精神的かかわりでとらえられていることも多くて、川に人格を与えている場合もあると。
○芳賀委員長
   人格だけじゃなくて神格を与えると。でしょう。
○事務局
   神格も人格も。
○芳賀委員長
   人格以前に神様がある。
○事務局
   それから、2枚目でございますが、「現状と課題」ということで、これで言えているかどうかわかりませんが、2つに分けています。1つは川にかかわるもの。もう1つは社会的なトレンドというか、最近の状況をまとめていっております。
 川に関することでありますが、@は高度成長に代表されますように、少し前までは社会面からも、どちらかというと単一機能といいますか、例えば洪水対策であったり、産業の育成であったり、場合によって環境なんかも環境だけを見つめるということがあったり、そういう単一的な目的達成みたいな概念だったかと思うんですが、その分、他の面も合わせた総合的な価値が失われてきたところであります。人とのかかわりが薄れ、歴史・文化も育まれにくくなっているかと思います。
 川そのものが単調になって、自然性も失われるなど、川そのものの魅力が薄れた。それから、川の原点であります、水があって川でありますので、これが清廉でなくなった。それから、構造そのものが人が近づきにくいものになっていないか。川に背を向けるような都市空間、町の方も、川の方の状況も関係すると思いますが、背を向けたようなあり方に変わってきた。結果、人々の関心が薄れた。
 Aはちょっと違うあれでありますが、川が歴史・文化とかのいろんな素材を持っているにもかかわらず、余り今までは余り知られるようにはなってきていない。
 B、川とのかかわりの希薄が招く問題ということで、1つは、自然環境の面でも、生活環境でも、地域ぐるみで自分たちの川ということが薄れてきているのではないかと。そういうところが、いろんなところへ、自然環境の保全であろうが、いろんなものも悪くなっていないかと。1つ次の点で、防災の面で昨年いろいろ災害がありましたが、自助・共助・公助というふうに防災のことを分けますと、自助・共助みたいなことがやっぱり大事であるということを再認識したのが昨年の災害でしたが、やはりそういうことを。
○芳賀委員長
   昨年はまたすごかったからな。
○事務局
   緊急じゃないときから川とつき合っている格好がないと、何かこういうふうにちゃんとなったなということはなかなか難しいのではないか。
 それから、これは行政的なあれでありますが、いろんな川の事業みたいなものですけれども、いろんなものを理解してもらうという点でも、日ごろからの川への関心というのは大事ではないかと思っております。
 次のページでありますが、これは社会的に見て最近の川利用というか、最近のものを並べて見ております。1つはこれは少し前から言っていることですが、物質的に豊かになったということで、真の豊かさといいますか、やすらぎとか潤いとか、そういうものに対する欲求が出てきます。2番目は余暇の過ごし方で、最近、私どももそうでありますが、どこか非常に身構えて出かけるというのではなくて、身近な風習を、歴史とか自然とかを触れるというふうな過ごし方というのが、これは相当ふえております。
 3つ目は、観光地におきましては、先ほどもちょっと出ておりましたが、何か観光の従来のものから何か刺激といいますか、そんなものを質のよい格好で触れられるというようなものに対する欲求が高まってきております。
 それから、まちづくりでありますが、これまで過去の全国総合開発計画なんかでも、東京にあるような機能というか、都市にあるような機能が、田舎でもみんな同じようなことがあるというのが幸せであるというような指向性があったかと思いますが、今は個性のある地域づくりというか、個性あるまちを目指すと、そういうようなことが出てきているのではないかと。
 それと、これは憲法論議の話はあれですけれども、歴史と文化というものを大切にする国民性というようなことも議論が高まっていると。
 それから、ボランティアですとか、市民団体とか、地域でのいろんな活動に加わりたいという人たちがふえているという状況にあります。
 次のページでございますが、ではどのような川、それからどのような川と人との関係にしていったらいいんだろうかということで、メモってきております。
 1つは歴史・文化の貯蔵庫としての川ということがあるのではないだろうかと。川は人とのかかわりがあって、川そのものが歴史・文化を育む母体となり題材となってきたと。川にまつわる情報を知ってもらい、川そのものに歴史・文化が貯蔵され残ていくようにすると。そのために、川にまつわる歴史・文化の情報・データを掘り起こして、それから知ってもらい、それを継承すると。それも単に情報・データではなくて、川そのものを歴史・文化が香りを増していけば、それがうまく貯蔵庫として文化そのものが築いていけるかと思いますし、周りの関連したものともそれによってつながっていけないだろうかと思っています。
 2つ目は歴史・文化を感じやすいものとするということですけれども、人々がそういう歴史・文化に感じやすいようにするというのは、町と川、川の中の動線、人が歩いていって、どういうふうに触れて感じるかという動線をつなぐ。それから、川そのものを魅力ある空間にすると。それから、川の現地で歴史・文化の情報に触れやすくすると。また、どこに行けば何があるかを知ることができるようにすると。
 3つ目でありますが、文化が育まれやすいようにするということで、歴史が出ておりますが、歴史・文化が育まれやすいようにするということであります。1つはどういう川がいいかということでありますが、やはり川にまつわるといいますか、歴史文化ということを考えますと、川そのものは、川らしい川であるということが大事なのではないと思います。自然的に見ても例えば川の瀬や淵があったりだとか、その他いろいろありますが、川らしい川というのを川そのものがらしいということが大事なんじゃないかと。さらに、清流、流れそのもの、自然環境を大切にすると。2つ目は人とのかかわりというのをふやしていく必要があります。人が近づきやすい、活動しやすくすると。それから、3つ目、個性豊かな川にすると。どこもかしこも同じじゃなくて、この川はこういう個性を、それにその川を生かした町の方もこういう個性をというようなものになっていくようにしたらどうかと。4つ目、川を舞台とした文化的な活動が行われやすくするというような方向性で進めるべきではないかと。
 大きな4番になりますが、今ずっと過去の歴史をつないでいったり、それから正しく歴史や文化がこれからも育まれるようなものとしての話がありますが、そういういろんなことをやるのに、あんまり人を育てるというとちょっとおこがましいかもしれませんが育つように配慮していくべきではないかということで、具体的な話はできませんが、そういう人を育てていくと、いろんなことをうまくやっていくために人が育つようにするというようなことを考えました。
 具体策が次のページからでございますが、具体策というか、アイデア的なものが書いてありますので、さっとだけ申し上げますが。
1つは川の歴史でありますが、川にかかわる歴史・文化の素材をきちんと調査・収集、整理、蓄積というのをしておく必要があるだろうと。それから、2番目は川そのものを歴史・文化の貯蔵庫にするという先ほどの話で、歴史・文化に身近に触れられるよう配慮した空間に整備・保全、それから歴史・文化の資料を川の博物館などに蓄積というようなことを具体的にする。(3)でありますが、川そのものを歴史・文化・自然のミュージアムにする。川の博物館とか結構あるのではございますが、川という素材がずっと歴史・文化もそうでありますし、自然も何か川そのものが博物館であるというようなことをしていくべきではないかということであります。このために、先ほど繰り返し的なものがありますが、散策路となる人の動線を調査し、途切れているものをつなぐ。散策路上などにセンスがよく風情がある案内標識を設置。これは簡単な情報をそこで知り得る。川の博物館等をビジターセンターとして活用して、散策の拠点となって、詳細な情報はここで知る。それから、どこにどのような歴史・文化の素材があるかを知れる。さまざまな人々のニーズに合わせた複数のガイドブックも作成・提供、それから人のガイドですが、どこへ行きましても、いいガイドをしていただいていますと、非常に豊かに仕事ができますので、ガイドのそういう仕組みをつくって、地域で案内役を募って、登録・検収などの体制をとっていこうかと。それから、各ビジターセンターでありますが、それも個別のビジターセンターではなくて、少し大きなネットワークを図って、琵琶湖であれば琵琶湖全体でのネットワークで展開するというようなことをするのではないかと。
 (2)になりますが。これは番号が(1)(2)(3)の後、また(2)になって変で済みません。歴史・文化を身近に感じられる水辺にするということで、1つは歴史の、これは過去の歴史・文化を身近に感じられる水辺の空間といいますか、ハードそのものをどんなふうにするかということを並べております。1つは地域の歴史・風土を反映した川の姿や文学・芸術の背景となった景観等を考えた、そういう点をトータルデザインされた川というものにしていこうと。それから2番目は、川全体を歴史・文化の博物館とみなしという、先ほどのミュージアムでありますが、自然のアンケートとともに歴史や文化を感じることのできる空間の形成。それから、もう1つはフットパスの整備。それから次のページですが、過去の治水施設なんかも川の施設も歴史的遺産として保全活用する。それから、歴史・文化を醸し出す水辺に必要な工作物や樹木の設置等の積極的な支援。
 それから(3)は、今取り組みしておけば、これからその空間、川が歴史・文化がそこで育まれていくためには今どういう川でしていこうかというものであります。川らしい川にするというので、先ほどのようなことの確保をしようと。それから、人が近づきやすい川の構造、障害物の排除とか、人の動線の確保、川とまちを総合化した計画を進める。一部、幾つか都でやっておりますが、合わせた計画、川は川だけ、町は町だけということでない計画で進める。川の維持管理へのNPOなどの参画を進める。実際かかわって、人々が川と町とをつなぐとか、川への関心を持っているのか、どのような活動ができるかということからすると、川のそういう具体的な行動に参画すると、護岸は川を舞台として文化的な活動が行われやすくするため、使用許可等を点検して、必要な見直しや円滑な使用のためのマニュアルなども整備してはどうか。川のにぎわいが高まるよう、必要な使用許可等も点検・見直しをしてはどうか。
 それから(4)、人が育つようにするということで、歴史・文化の橋渡しの担い手となる人の育成。それから、人のネットワークづくりということで、ちょっと中身がこの辺、うまく書けておりませんが、かかわります方々の募集・登録だとか、ネットワーク、データベース等々をしていってはどうかということで。
 ちょっと先生方の前であれでございますが、私どもの稚拙な頭でさっとたたき台として、こういう点でどうかなと思って書いてあります。先ほど冒頭申し上げましたように、ぜひこういうことをしたらどうかということをきょういただけましたら、次回までにそれも入れて、少し提言の案にしまして、次回にお披露目させていただければと思います。
○芳賀委員長
   大変要領よくまとまっているんじゃないでしょうか。宮村さんいかがですか。
○宮村委員
   よくまっていると思うんですが、いろんなことを言った方がいいということで、ちょっとつけ加えさせてください。日本語の特徴みたいなものが表現として出てくるようなものがいいと思います。川の場合、自然というと、瀬や淵ということで終わっちゃうんですけれども、瀬や淵じゃ、日本の川らしさかどうかもよくわからない。で、日本の国土というのは地球上で一番新しいということで言うと、滝というのがあるんですね。意外に大事で日本的なんですよ。
○芳賀委員長
   あちこちにありますものね。
○宮村委員
   そういう意味では、国土の中の滝という、これは文学的なこともあるでしょうし、我々の工学的な方に聞くと、どのくらい水の音が違うかということで川の特性がとれるんですね。水力の多い川とそうでない川とか。洪水のときはどのくらい出るかとか。とらえ方によって、滝が一番文化的、あるいは自然的、あるいは工学的な。ただ、都市の中にあるかどうかというのは結構難しいんですが、取りようによって、滝というのは上から落ちるだけが滝じゃなくて、華厳の滝みたいな滝もあれば、あるいはせせらぎも広い意味で。そうすると、何となく、日本の川の一つの代表の。
○芳賀委員長
   水音だね。
○宮村委員
   表現としては、そう、水の音ですね。表現としては、この瀬・淵のところに滝も入れられると少し広がるかなと。
○芳賀委員長
   その点ではいかがですか。久保田先生。
○久保田委員
   清滝なんていうのは、小さな滝の連続みたいなものですよね。それで非常に水の文学というのは昔からありますし。もちろん、大きな滝はまたそれこそ神様ですからね。
○芳賀委員長
   そう。那智の滝、華厳の滝もそうでしょうし。滝そのものが神様だというのが。
○久保田委員
   那智の滝はやっぱり神になるんじゃないでしょうか。
○芳賀委員長
   神様でしょう。
○久保田委員
   神であり、また仏であるんでしょうね。
○高橋委員
   神様です。
○久保田委員
   神様ですか、本来は。
○高橋委員
   注連(しめ)があります。神様です。
○樋口委員
   神仏混淆で。
○久保田委員
   昔は本当に山伏なんかがみんな修行していて。
○芳賀委員長
   今でもやっぱり滝の下で、この水のすごいところでこうやって浴びながらね。あれは大体修験道系ですか、滝の下で。別に修験道でなくてもいいのか。そうか。あれは神道ですね。滝の水を浴びながら。
○久保田委員
   今の修験道は仏教の一派だと思いますけれども。昔はあれは本当に混淆じゃないですか。
○芳賀委員長
   混淆ですよね。
○久保田委員
   むしろ原始的な山岳信仰と仏教が習合したんですよね。
○ 芳賀委員長
   高野山でも羽黒山でもね。
 やっぱり川の持つ、聖なるものとしての川というのは強調してもいいかもしれませんね。物語がある、歴史があるというだけじゃなくて、もっとさらにさかのぼると聖なるもの。それは日本の河川に限らず、中国の川だって、やっぱり神様、そこから龍が飛び出したりするんです。それから、ナイル川だってまあそうでしょう。聖なる川でしょう。それからガンジス川でもそうだし。川には聖なるものが宿っていて、つまりそこから人間は生命を賜り、人間の生命を維持していくと。死ねばそこに流されていくと。
○久保田委員
   洪水なんかだと、龍神、川の神の怒りというふうに昔はとらえたわけですね。
○芳賀委員長
   そうですね、確かに。淵も瀬も、それから和歌だけ考えても滝もあるし、瀬もあるし、それから淵もある。
○久保田委員
   それから、大堰川の井堰も、堰ですね、あれなんか本当によく。
○芳賀委員長
   そうですね。堰というのはやっぱりあれも昔からあるでしょう。
○久保田委員
   大堰の「堰」が大体「堰」なんですね。
○芳賀委員長
   つちへんのね。
○事務局
   農家の稲作が始まったぐらいからだろうと思いますけれども。
○芳賀委員長
   そうですか。そこから水をとって、やっぱり水をとるという。あれはやっぱり音を立てるし、水がきれいになるし。
○高橋委員
   それね、この間、月半ば学会で盛岡に行ったんですけど、それでバスでずっと回ったんですが。水沢の近くに石手堰(いわてい)神社というのがあって、石の手の堰(せきのい)と書くんですけれども。石手堰(いわてい)神社というんですけど、式内社だと言うんですけれども。今はもう祭神はそれらしい神様になっているんですけれども、どう見たってあれは北上川、川の神様を祭っている神社だと思います。今は鄙びているんですけれども。あれは東北の河川の人たちにどういうふうに皆さんとらえられているかもしれませんけれども、そんなのもまだありますね。
○芳賀委員長
   そうでしょう。そこはじかに北上川ですか。支流じゃなくて。
○高橋委員
   北上川、本流で。その脇に。
○芳賀委員長
   水沢という名前からして。
○高橋委員
   だから、あの堰というのは何でつけているのかなと思うけれども。今、祭神だという神様から見たら当てはまらない名前なんですけれども、神社の名前の方が古いと思いますけれども。それにしても、まあ式内社だというところ信じてあれしてみれば、その当時に川の堰を特に大事にしていたというのがわかりますけれどもね。
○芳賀委員長
   一関の関所の関と、水の川の堰は何か意味が似ているようですね。どっちもとめるという。
○久保田委員
   とめるという点ではそうですね。
○芳賀委員長
   漢字は違うけれども。
○久保田委員
   意味的には何かつながっているんですかね。
○樋口委員
   6ページのところの具体策のところの(2)のところですね。歴史・文化の貯蔵庫とするとあって、ミュージアムにするとあって、下の方に(1)(2)(3)となっていて(2)になっていますが、(4)ですね。この(4)のところも何か、川全体を歴史・文化が身近に感じられる水辺にするということがありますが。こういうところが、日本の歴史・文化というのを、スタティックな、既にもうあるものと見ている視点があって、ちょっと抵抗を感じるんですけれどもね。
○事務局
   昔の1000年でつくられてきたものは、それは大事だと思いますし、ちょっとあれですが、後ろの(3)番というか、次のページも(3)なんですが、これからの歴史・文化が育まれるという空間としてはどうしていったらいいだろうという、この2つをするのかなと思うんです。多分、過去のやつを大事にしていればこれからのやつも育みやすいというか、大事にするような。
○芳賀委員長
   貯蔵庫と言わないで、貯水池と。
○事務局
   これは言葉が若干。
○芳賀委員長
   貯蔵庫だとそこで終わりという感じですね。
○事務局
   歴史・文化というのは書物上とか何とかではなくて、大きなフィールドそのものが何かですね、川というのがうまくできないかなという感じがします。
○樋口委員
   自然という言葉は一切出てこないんですけれども、それでいいんですか。
○事務局
   多分、前の方に少し出させていただきましたようにしたように、一般の方が例えば川へ行って何かしようとする分には、自然と歴史とか文学というのはそんなに区別はあんまりないだろうと思いますので。それも全部一緒だろうと思います。
○樋口委員
   いや、よくわからないですけど。例えば、その(3)のところは「歴史・文化・自然のミュージアムにする」という。
○事務局
   済みません、これはまだ提言書的によく整理されておりませんので、どちらかといいますと、ペーパーでございますので。
○芳賀委員長
   川は鴨川ぐらいの規模になるとかなり大きくて、上に大空間が開けてきて、それから山が近い、その川から山を眺める、上流の山を眺める。あれがいいんですね。目の前の水が流れていくところだけじゃなくて。それはやっぱり風景が、川がつくり出している風景、それ自体が文化財なんです。東山でも北山でも。鴨川自身のあれなんか、四条大橋のあたりの、私のその上賀茂あたりでも。北山あたりの、こちらに叡山が見えて、大文字のあの山もあって、北山があって、愛宕山が向こうに見えて。そこに夏になると送り火がたかれる。その全体が、いわば京都で言えば町全体が博物館。だから、特別扱いしてくれと言っているんです。きょうはそれをちょっと懇請しよう。
 奈良は奈良でいいけど、まず京都はとにかく観光客が来るところだから。1つ目玉を決めて、選定しちゃって、京都ならだれも文句のつけようがないじゃない。それで、こういうことを全部まず京都でやってみようと。北上川もある、信濃川もある、筑後川あるけれども、京都で都市の川、河川と山を中心とした自然景観がそのまま、千何百年、歴史以前からそのままある。その原形が一応守られている。幸いなことに。
○事務局
   京都は特別な代表としてということはあるんですが。できれば、もう少しそんなに高度な文化の遺産がなくても、ほかの例えばあそこでもそうだなというのがちょっと欲しいところなんです。
○芳賀委員長
   ほかを二、三認めたら、四、五になり、きりがないから。というのは、この5年間は京都でやってもいい。完全に特化して、そこに何十億かかける。
○事務局
   モデル的にはそういうこともあり得ると思いますけれども。
○芳賀委員長
   実験都市として。古都保全法の1項か2項ぐらい、あそこに追加条項を加えるといい。
○高橋委員
   鴨川の写真というのは、大体古いものから集まっているんですか。
○芳賀委員長
   明治のころからありますね。写真機ができて以来。あれは日文研のシラハタ君がかなり集めていていますね。
○光田委員
   随分ありますね。外国の方のおみやげように撮った。いっぱい撮られていますね。
○芳賀委員長
   絵はがきのようなものもね。それが何千枚か集まっています。それからほかにも絵もあるわけだし。いろんな京都の画家たちが書いた、明治以後だけでも随分あるし。それ以前にさかのぼればもっとあります。それから、歌にいけば、源氏から古今集から。万葉集にはないですけど。古今から。古今は紀貫之に幾つもある。清滝川の歌もあるし、鴨川の歌もあるし。どれもいい歌ですよ。それから、枕草子にもいっぱい出てくるし。あれを読めば、何とこの鴨川というのは大事か。鴨川というか、清滝川も京都の川というのは大事かと。日本人と川の関係を最も美しい言葉で語っているのはあの辺です。あれを超えるものはそれ以降もないぐらい。
 枕草子の中に2行ぐらいで、牛車に乗って川を渡ると、月の光で川の水が水晶のように割れる。まるでドビュッシーじゃない。本当に。たった2行ぐらいで。あれはどの川だとわからないけど、多分鴨川あたりかもしれませんし。あるいは、京都の中には幾筋も川があったから。あんなのね、あの1行を引けばいいわけです。それから、紀貫之の歌も、清滝川と鴨川の歌、鴨川で夕涼みをするという歌。紀貫之が何か上司たちと、上の役人たちと一緒に。この間何かそういう公演をやったんです。それでにわかに一生懸命集めて。久保田さんの本まで挙げているひまがなかったけれども。
○久保田委員
   JR東海でかなり京都の宣伝をしてまして、年に二、三回ですか、パンフレットを出すんですよ。それで、何か歌枕のことを4回か何かそのぐらい書けと言われて。最初、向こうから割り当ててきたんですけれどもね。清滝を最初取り上げろというので、それが多分6月に出るんだと思うんですけれども。
○芳賀委員長
   これから出るんですか。
○久保田委員
   それまでは京都の町中のことをスギモトさんがずっと連載してらして、それの後なんですが。
○芳賀委員長
   町中をスギモトさんが書いてね。スギモト何タロウだっけ。
○樋口委員
   秀太郎さん。
○久保田委員
   こっちはよそ者ですから、そのたびに勉強しないといけないんですけどね。
○芳賀委員長
   いや、だって、あなたは古今集をやっていればよそ者じゃないじゃない。古今集は京都じゃない。新古今も皆京都じゃない。
○久保田委員
   まあ本当に歌枕が多いところだから。
○芳賀委員長
   それはそうだ。
○高橋委員
   だから、これを伺っていて思ったんですけれども。僕なんかは割と、こういう古くから、都市じゃなくて、地方、田舎の場合を考えてみるんですけれども、例えば自分の村に人々が使っていた川が流れている。そこの場所が、その川をきれいに整備しちゃうと、もうかつて使っていた場所がみんななくなっちゃうわけです。例えば洗濯をする場所、それを僕の田舎では川戸場(こうどば)と言ったんですけれども。それは野菜などを洗う場所と、汚れ物を洗う場所と、場所を変えて。あんな川戸場(こうどば)なんて言葉だって。
○芳賀委員長
   川戸場(こうどば)ってどういう字ですか。
○高橋委員
   多分川の戸の場所ということだろうと思うんです。
○芳賀委員長
   いい言葉ですな。
○高橋委員
   ですね。そう思うんですけれども。
○芳賀委員長
   いつかテレビでやっていたのは、琵琶湖に流れ込む。
○久保田委員
   やってましたね。
○高橋委員
   あれはそういうのを今もやっていますけど。
○芳賀委員長
   今もまだやっていますか。
○高橋委員
   ええ。
○芳賀委員長
   九頭竜川の越前大野。あそこもよかったな。それでその洗い場にちゃんと神棚も祭ってあってね。ああ、越前大野もあれも特区だ。気に入ったところを特区にして。あそこは九頭竜川の水がちょっと減ってきて、昔ほど水か町中を通る洗い場にあふれてないですね。あれは上でダムをつくっちゃったからでしょう。やっぱり国土交通省のせいだな。九頭竜ダムのせいかな。
○久保田委員
   琵琶湖なんか、コイか何か泳いでいましたね。
○芳賀委員長
   いましたね。あれきれいでね。今はヨシ原というか、ヨシをあそこで刈り取っているところでしょう。あれはどの辺ですかね。東岸のかなり北の方ですか。
○久保田委員
   東岸ですかね。
○芳賀委員長
   近江八幡のあたりですか。
○光田委員
   あれは近江八幡のいわゆる財閥の方がいっぱい出た。
○芳賀委員長
   ああ、そう。
○光田委員
   そうなんです。外村繁とか。
○芳賀委員長
   ああ、ワコールの。
○光田委員
   外村繁というのは作家ですよ。
○芳賀委員長
   ああ、そうか。
○光田委員
   ああいう人です。五個荘町ですね、大体。
○芳賀委員長
   あの辺も特区にしてくださいよ。何かそういう。特別の方は表に言わなくてもいいからさ。何か国土交通省、黙ってこの予算をあそこに。何でこんな予算が来たのかと思うようなのをやってくださいよ。それぐらいのことできるじゃない。河川局とあれば。
○樋口委員
   文化庁の文化的景観になったんじゃないかな。
○芳賀委員長
   ああ、そうですか。文化庁と環境省と一緒にやって。どうせ文化庁や環境省はお金がないんだから。国土交通省はたんまりお金を持っているんだから。国家予算の3分の1ぐらいを握っているんだろう。
○樋口委員
   今度景観法では文化的景観も一緒にやるということになって。
○芳賀委員長
   そうですか。当然だね。
○樋口委員
   文化庁と一緒に。
○芳賀委員長
   文化抜きの景観というのはあり得ないものね。
○高橋委員
   それで僕が言いたかったのは、そういう消えていくんですけれども、これでこう見ていくというと、見て、ああこうだったのかというのを知るような形でというのが大体受け取れるんですけれども。そうじゃなくて、やっぱり川だから水に触れる、それがやっぱりどこかに生かされてほしいと思うんですね。
○事務局
   触れるようにとか、そういうことは可能だと思うんですけれども。ちょっと気になるのは、例えは先ほどの洗い場みたいな感じで、実際使うという行動はなくなっているわけですね。やっぱり家で蛇口の水道で洗濯機でと。それはあんまり、一部はあってもいいんですけれども。
○高橋委員
   見てという、それだけじゃなくて、やっぱり体で触って覚えるというのが。そこから割と親しみがわいてくる。水に浸って、石ころにしてみたってそうじゃないですか。親がそれをしてやらないと、子供ができません。
○事務局
   そういう体験をしろということを言うわけですか。
○高橋委員
   そういうふうなのをやるにはどうしたらいいか。子供たちが実際に触れて楽しむ、実感できるところを。
○芳賀委員長
   それは今すごくPTAがうるさいでしょう。危ないと。縄が引いてなかったら、おぼれるともうすぐに、最後は国土交通省の責任になったりして。
○高橋委員
   この間冊子をもらったのを見ると、どこかあちこちの学校がいろんなことをやっている、あれはいいと思うんですけれども。
○芳賀委員長
   やり始めたんですか。
○高橋委員
   あれは小学校どまりですよ。一番大事な成長期の中学生のあたりがないんです。だから、続かないんです。
○芳賀委員長
   それから高校生なんかもね。
○高橋委員
   一番人間の危ない時期の。
○芳賀委員長
   小学生のときは、僕らはそうですね、いとこで年上の、こっちが小学校3年のころ、もう中学5年生になる、必ず一緒に行って、きょうはここが深いから、あっちへ行くなと。そうやってね。それと年上の十五、六がそれとなく守ってくれたんです。我々は安心して、小学生は一日中遊んでいた。
○高橋委員
   遊び方をみんな教えてくれるんですよね。
○芳賀委員長
   そうです。ああいう兄貴分がいてね。縦で組をつくればいいんだな。今、せっかく中学と高校の連携の学校がなっているから、ちょっと文部省にも言ってくださいよ。
○高橋委員
   だから、人づくりというのか、人も集めるのだって、やっぱりその辺を考えないと。
○芳賀委員長
   そういうことも入れましょう。国土交通省も環境省もみんなここにからんでくるというような。文化庁はもちろんのことね。それから各地域の県庁、市役所、それからNPO、ああいうのが、一番下の組織がNPOで、NPOと地元の学校の連携ですね。そういう人たちが川は危ないとばっかり言ってないで、ちょっと危ない目に遭わせるぐらいのことをやるといい。そうすると子供が自分で身を守るようになるでしょう。ずるっと足がすべって、急に深いところになってがぶがぶになって、水が上に行っちゃって、空が上にあるなんていうような、ああいう経験をしなきゃ。
○事務局
   水ガキとか川ガキとかいうような、そういう活動をやっているところは大分、ちょこちょこと出てはいると思います。
○高橋委員
   例えば石を投げてはねさせるあの遊び、今の子はどれぐらいできますかね。
○事務局
   東京都心でもやってはいて、荒川でもしょっちゅう見かけましたけど。
○芳賀委員長
   それから琵琶湖なんかではもちろんできますよね。川じゃ川幅もあるんじゃないですか。
○高橋委員
   そうですね。

○樋口委員

   歴史・文化というと、治水とか災害とか防災訓練とかそういうのが入ってこないようなニュアンスでとらえていますが、防災訓練も文化だと思うんですけどね。これからそういう災害が非常にふえてくるわけで、こういうことを身をもって知るとか、そういうものを。
○芳賀委員長
   身をもって知るか。
○樋口委員
   そういうことを何か入れてもいいと思うんですけどね。歴史の中に洪水の歴史とか災害の歴史とか入っているんでしょうけれども。
○芳賀委員長
   どこまで水が来て、さっきどこかの古本屋でウナギが泳いできたとか、ああいうことね。
○事務局
   災害とか水防活動とか。
○樋口委員
   水防訓練とか、非常に熱心にやっているところと、そうでないところが。
○芳賀委員長
   そういうことをやると川に親しみが帰ってくるんですよね。どこの堤防が、どの辺が破れやすいとか。堤防が崩れかけたときに、本当にどういう手当てをするか。まず緊急措置として何をやるか。ときどき消防署が中心になってやっているんですかね。
○樋口委員
   やっているんですね。年に1回ぐらい。
○事務局
   出水期を前にやっております。
○樋口委員
   もうちょっと地域の人が総出で出てくるぐらいの、そういうものにしていかないと。
○高橋委員
   僕のところは信濃川で子供のころ結構危ないときがしょっちゅうあったんですけれども、それはやっぱり川の音を聞いて、あるいは川の水量、流れを見て、子供ながらに何となくわかっていた。
○高橋委員
   もちろん。ところが、去年の夏の五十嵐川なんかの洪水のときに、三条の人たち、いい大人が、どれだけ水が来たから家が危ないというのが、それが感覚でとらえられないんですね。河川局関係の皆さんがみんな一生懸命やってくださっているからみんな任せておく。それがやっぱり一番危ないんじゃないかと思いますね。
○芳賀委員長
   洪水、それから出水の歴史を伝える、それからそれに対する防水訓練、その歴史・文化、それもずっと歴史があるわけだから、そういう体験をさせること、それから川のおもしろさも体験させる。幼稚園から小・中・高まで通してやる。それから、川におけるその自然というのも、その風景で、風景として守ると。河川局だからって、川から眺められる、まちとか周辺の山の風景とかそれも非常に大事だと。それも一緒に守るようにする。それから、その値打ちを教える。
 やっぱりセーヌ川は聖なるものなんて感じちゃいないですね、フランスはね。
○山田臨時委員
   キリスト教は泉の方ですね。
○芳賀委員長
   川までいかないですね。
○山田臨時委員
   いかないですね。もう1つは最上川でも鴨川でもセーヌでも、名前というのが大変大事ですね。名前ですべてあらわれている。セーヌがセーヌという名前でなかったら。
○芳賀委員長
   そうですね。ロワーヌ川はロワーヌ川。ああ、そうか。川の名前を守る。
○山田臨時委員
   表現されている川と。そう思います。
○芳賀委員長
   それは山の名前も同じですね。
○高橋委員
   さっきセーヌ川で女性が泳いでいるという、あれはやっぱり折口信夫のいう「水の女」の姿をずっと引きずっていますね。
○山田臨時委員
   ローレライに出たのなんか大変神秘的で。今で言う臨海副都心で。
○芳賀委員長
   あのグルヌイエールの女たち、あれは現世の俗世のローレライね。
○久保田委員
   水の精って、女性なんでしょう。
○山田臨時委員
   オンディーヌ。
○久保田委員
   オンディーヌ。それは水の精がたくさん泳いでいる絵というのが何かあったと思うんですけどね。
○芳賀委員長
   ありますね。いっぱいありますよ。
○久保田委員
   あれのいわば現代版みたいなものですね。
○芳賀委員長
   ベックリーンにもありましたね。
○久保田委員
   ベックリーン。
○山田臨時委員
   資料的なものはむしろ、1900年だからそうでしょうけど、音楽ですね。
○久保田委員
   デルボーにもありましたね。若いころのデルボーの絵で。ニンフがたくさん。
○山田臨時委員
   たくさんありますね。
○高橋委員
   ああいう女性を日本の古代語でいえばククリヒメ(菊理姫)ですね。
○山田臨時委員
   そうですね。
○樋口委員
   この前佐伯順子さんの淀川の川沿いに遊女がたくさんいたという、そういう話をされてましたね。
○芳賀委員長
   それが観音様だかに行って。
○久保田委員
   江口の。
○芳賀委員長
   江口の。化身になっていますが。
○久保田委員
   普賢菩薩。
○樋口委員
   そういう文化もありますね。
○芳賀委員長
   ありますね。そういうこともいいですね。「若竹や 橋本の遊女 ありやなし」、蕪村のね。清滝は芭蕉の俳句もありましたね。
○光田委員
   「清滝や 波に散りこむ青松葉」。
○久保田委員
   前にどこかで書いてらっしゃいましたね。
○光田委員
   そうですかね。自分で書いて忘れてた。
○芳賀委員長
   蕪村にも鴨川の句もあるし、大堰川の句もあるし。芭蕉にもありますね。床の夕涼みの俳句がね。芭蕉が京都に来て。
○光田委員
   「薄柿着たる」ですね。
○芳賀委員長
   そうそう「薄柿」。あれいいね。いろいろありますね。
 僕はちょっと失礼します。あとは樋口さん、ここのそばにいるから。僕はまた後で懇親会のときに戻ってきますから。では、山田先生、きょうは本当にありがとうございます。失礼します。これからまだこういうのをなさって、今の提案をめぐって。それでもう、伏見の方に行くんですか。
○事務局
   しばらく審議をお願いしまして。
○芳賀委員長
   樋口さん、お願いいたします。
○樋口委員
   ほかに何かご意見ございませんか。
○芳賀委員長
   きょうは人数も少なくて非常にくつろいでいるから。
○山田臨時委員
   私の思いつきですが。
○樋口委員
   どうぞ。
○山田臨時委員
   女性を人材として活用して。ここでも寂しいですよね。私しかいなくて。女性って、川とか風景が好きですね。聖なる者なり遊女なりとされているのもそうですけれども。まず、女性の方がひまがあるんですね。NPOでも私の友人の娘がたくさんいます。外国の川でもいっぱい行っています。女性を活用してください。山よりは川の方が体力的に。女性の感性はきっと役に立つことがあると思います。
○高橋委員
   事件の被害になることを考えると、女性が安心して川を。
○山田臨時委員
   ええ。山はちょっと怖いですね。
○高橋委員
   我々が気づかないことを出してくださるかもしれない。
○山田臨時委員
   ガストン・バシュラールという哲学者が「水と夢」というのは一番女性的なんですって。イシとかそういうものに比べて。大事なところが大変ありますから。女性をどうかご活用ください。
○樋口委員
   それは何か考えておられますか。この委員の中にも入っていましたっけ。
○山田臨時委員
   グッドアイデアだと思います。
○高橋委員
   若い女性が安心してひとりで川の散歩ができるように、どうするか。
○事務局
   かなり川の町と一緒になったような景観みたいなのは大分改善されてきていまして、テレビドラマなんかだとかなりの場面が、半分以上が川のところで撮っているのなんかもありまして。東京ですと、荒川とか隅田川とかよく使ったり。昔はそんなことはなかったのに、最近物すごく多いですね。
○久保田委員
   川は多いですね、テレビに。東京ですと確かに隅田川だし、京都のものだと鴨川がよく。私、京都のサスペンスなんかよく見るんですけれども、必ず鴨川の、さっき話題に出ていたんですか、石を飛ぶところが出ますよね。
○山田臨時委員
   今の言葉で言えばいやし系なんですね。やっぱり男性より女性の方がいやしが好きなんですよね。水と女って、大変絵になるというか。フィーリングがソフトですから、ぜひぜひ女性の人材をご活用ください。
○樋口委員
   水と文学をやっているけど、映画の話なんかもね。
○宮村委員
   小津さんはやっていますね。成瀬さんが同じ世代でしょう。ことしは成瀬さんの100年。荒川が一番出てくる。多分、昭和20年代、30年代の一番川をとって。しばらくなくて、金八先生で帰ってきた。
○久保田委員
   なるほど。
○樋口委員
   寅さんも出てたね。
○宮村委員
   ええ。
○山田臨時委員
   ちょっと思いついたことなんですけれども、フランスは4大河川がありますけれども、女性名詞、男性名詞で言うとセーヌは女性で、あとは全部男性です。だから、セーヌが一番やさしい川だと思います。日本って、そういう性別はないんですね。
○久保田委員
   一応、坂東太郎ですか、昔の言い方だと男ですね。
○山田臨時委員
   そうですね。
○久保田委員
   昔は男ですけれども、でもシラキヨ川なんていうのもありますからね、昔は。あれは何でしょう。あれは女性ではないでしょうな。
○山田臨時委員
   文法が既に違うんです。不思議ですよね、それって。
○樋口委員
   荒々しい川。男性になっちゃうんですかね。
○事務局
   洪水のときに。
○宮村委員
   イメージがあるからですかね。母なる川と。
○樋口委員
   日本の場合はやっぱり急流ですから、イメージとしては。
○山田臨時委員
   急流、山国だからですかね。
○宮村委員
   多分、川を管理している人との相違点、本当に違う実感なんでしょうね。
○山田臨時委員
   そうでしょうね。
○宮村委員
   ほとんどの都市で川が危なくてしようがないと。危ないというのは流されるじゃなくて、怖い場所。安心な川って、具体的に治安の意味での安心というのが。それを言われると相当つらいですね。どうしたらいいかわからない。
○山田臨時委員
   安心がなくなって退屈だからじゃないでしょうか。
○宮村委員
   川幅が広いところなんか怖いんですかね。
○山田臨時委員
   そうですね。
○宮村委員
   川が怖いんでしょう。川が怖いらしいですね。そういうときに地域でどう考えるか。治安のためにライトをつけるという話が結構出ています。それはちょっとね。でも、つけたところがありますよね。
○事務局
   隅田川のテラスなんかはライトがついているところがありますね。全体かどうかわかりませんが。
○宮村委員
   アシダ川はついたんですかね。
○宮村委員
   全然話は変わりますけれども、鴨川の近くの版画でタナカナオコさんという。
○光田委員
   鴨川だけかいている方、京都の方ですね。タナカナオコさん。
○宮村委員
   川の絵画展というのかね、昔の絵も含めて、今たまたまウエノで、若い現代の人のを。その方がいつもかいているのをちょっと聞いたら、川を好んで川だけに絞っているんですとお話だったので。
○光田委員
   特に鴨川に絞って書いているんですか。
○宮村委員
   出ている作品は。非常におもしろいですよ。何か古いのから新しいのまで、川の版画の絵画展をやっていると、そういうのに興味のある人は。
○事務局
   荒川の絵画展というのか、あれを皆さん結構熱心にご参加されていますよね。東京の荒川のところで絵画を皆、五月みどりさんとか、ああいう人たちも皆。あと相撲取りの何とかさんとか。そういう方まで、一般の人も応募が非常に多いです。
 それと、女性の話は東北なんかでも、「おんな川会議」というのがあります。
○山田臨時委員
   おもしろいですね。
○事務局
   熊本にもあります。
○事務局
   熊本にもあるんですか。都市部じゃなくて、結構地方でも女性の方が川に関心を持って、皆、少し語り合おうとか、何かしようという動きが出ています。
○山田臨時委員
   民族学というと絶対男文化・女文化ということで出てきますよね。そんな難しいことを言わずに、女性をどうぞ。
○事務局
   ウエルカムなんですけれども。
○山田臨時委員
   きっと男性が持っていない視点とかフィーリングで気がつくことがきっとあると思います。
○樋口委員
   水商売の話が出てましたね。
○山田臨時委員
   きょうの私の報告は本当にそうですね。祇園というのはそういう場所ですね。そういう意味では。鴨川の。
○事務局
   特段、よろしいようでしたら、本日の会議はこれで終了としたいと思います。
 
5.閉会
 

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