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河川局

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会 -日本文学に見る河川-

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会
-日本文学に見る河川-
第二回議事録

平 成12年12月1日(金)
13:00〜15:50

場所:橿原ロイヤルホテル

3.懇談(1)
○委員
  明日香村は大変遺跡が多く、研究者や観光客の人も随分来ると思います。その人たちはどこに泊まるのですか。
○明日香村長
  20年前に明日香立法ができ、この地域の凍結的保存が行われ、宿泊施設や新しい建物は許可されなかった経緯があります。その間経済の動きが大きくこの地域は完全に取り残されてしまった。現在の第3次整備計画の中では一定の場所を決めて開発ができるように変更していただいた。凍結から創造的活用という言葉を歴風審の中でいただいております。将来的には明日香村をまるごと博物館にして、ある程度の観光客を呼び込もうと考えています。そして、100年間かかっても掘りきれない遺跡の発掘を活かして文化財産業を興そうとも考えております。

○委員
  明日香村を通るきには、必ず通行料とか入村料を取ったらどうですか。
○明日香村長
  昔、今の入村料のアイデアもありました。その当時は農林業もきちっと生計が立っていましたので、明日香村の人を見せ物にするのかという意見もあって、拒否した経緯があります。今であればもらっておいたらよかったなと思います。しかし、日本国明日香村で結構ですから、別段お金はとらなくても国の方できちっと管理してくれれば、いろいろな形で明日香村の住民は生きていけると考えます。

○委員
  明日香村の観光客の大観光スポットですが、本当は縄文の青森の三内丸山、佐賀県の吉野ケ里とか、あれ以上ですね。今以上にまだ出てくるわけで、何か国としても管理を考えなくてはいけない。
○明日香村長
  ですから、建設省の方に大変ご苦労いただいています。今度キトラも国営公園の整備をしていただく。亀型石造物のところもできたらと思います。もう1つ大きく言いますと、50年、 100年かかってもいいから、飛鳥京を全部表に出して見せてください。そうすると、石舞台周辺の集落や役場のところの集落・飛鳥寺の集落全部移転します。そういう夢は見させてください。そこまで言っているんですが、難しいようです。

○委員
  先ほど見た景観としての棚田が、うまくすれば、治水の方に猛烈に役立つ場合もあります。早期の稲だと、台風シーズンに余り役に立ちませんが、棚田のあぜの高さを3〜5cm上げれば治水池という位置づけで飛鳥川整備事業の一環としてあり得るかなと思います。多分、明治以前に棚田の水深はもう少し深かったと思いますのでその頃の状態に戻せばいい。風景を変えずに治水機能を上げる。こういう花崗岩の地帯では棚田は洪水のときに水を溜めるだけではなくて、森林よりもはるかに保水能力がある。
 それから、先ほど小綱池の話がでました。この辺の溜池地帯を一つの歴史遺産だと考えて、それをさらに利用する。つまり流域変更して吉野川が下流に来てますので、それを一つの安全弁としながら、溜池をファームポンドみたいな、全部個別にやっていく形で細かいシステムができるように思う。大滝ダムの関係があって水が来るのかどうかわかりませんが。この地区を古い歴史と人間生活のちょっと近代的になった近世以降の歴史の風景というものを織りまぜながら環境整備、飛鳥川の整備を考えられた方がいいという気がしました。
 いきなり治山事業、あるいは砂防事業をやって、この原風景守られるかなという心配があります。石を取ってしまうと、かえって砂が流れてくる心配があるような気がします。

○委員
  日本的な遺産というか、世界遺産というのは、人工物としての立派なお寺とか、棚田でも何か人工的につくった東南アジアみたいなすごい力の入ったものしか評価しない傾向があります。しかし、ここは少し違うと思います。人為と自然とがうまく調和して、誰が見ても誰もがパッとする、そういう雰囲気の遺産と言ってもいいと思います。そういう意味での世界遺産として、説得するのは非常に大変なことらしいです。ヨーロッパ人に文化庁の役人が行って、こんな文化財を世界遺産として価値を認めてもらうのは、彼らの価値観からすると非常に難しいということらしい。しかし、ぜひともここを舞台にしてその難題を実現してもらいたいと思います。京都はかなり近代化されて難しいけれど、ここは面的な形で自然と田園風景があって遺跡もある。世界にはまたそういうところあるかもしれませんが、そういう意味で非常におもしろい遺産ではないかと思います。
 日本の守るべき景観をどのようにこれから守り、世界にアピールできるのか。それが問われている印象がします。そういう意味でぜひともこの文化財を管理、一元化して、一つの文化的な政策を展開していただきたい。

○今西家保存会理事長
  私は橿原市民ですが、橿原市のために弁じますと、橿原市は飛鳥・藤原京歴史的風土保存地区です。藤原京は、実は橿原市なんです。藤原京が平城京に移転した後、飛鳥川から水利とって水耕田をやって今日にきておるわけです。明日香ばかりが日の目が当たって、藤原京は、一体どないなってんねんと。これは市民として偽らざる心境です。

○委員
  河川の整備方法について一言。先ほど飛鳥川再生計画のパンフレットとか見せていただきましたが、日本中、こういうたぐいの再生計画が出て、どこにでもあるような形になります。こういう計画がどういうプロセスを経て出てきているのか、ちょっと疑問に思います。つまり世界遺産に手を加える、また世界遺産を目指す、ということであれば最終案が出てくるまでには相当もまれて、相当鮮度の高いもの、宣伝度の高いものが出てこないとまずいと思います。

○委員
  飛鳥川が日本の中でどういう地位を占めているのかを全然頭に置かずに計画をつくっていることが一番大問題。
 それと、飛鳥川だけが良くなってもダメで、例えば飛鳥川の甘樫丘のところでも、飛鳥川のところ両側に道路が走っています。飛鳥川だけを綺麗にしても何ら意味ないわけで、道路そのものを振らないといけない。飛鳥川−この明日香地区全体の公共事業をやるときには、非常に質の高い委員会を設けて、すべて委員会の決定を受けない限りやらないというようなあらゆる公共事業をそこで審査する枠組みをつくる必要があると思います。

○委員
  明日香にお世話になりまして、多分40年近くになります。昭和30年代の終わり頃から、自分自身学生だった頃から毎年寄せてもらい、今も伺っています。今年あたり8月の終わりに10人の女子学生と自転車で伺いました。
 昔の犬養孝先生ですと、朝から夕方まで歩いたわけですが、今では、自転車の世話になっています。サイクリングロードを整備してくださるのは非常にありがたいですが、どこを走っていても、川と離れないで川の風情を味わえるような心遣いをしていただけるとありがたいと思ってます。

○委員
  明日香に伺ったのは本当に久しぶりで、今日は楽しく過ごさせていただきました。私の場合、昭和30年代の始めぐらい、まだ大学院の学生だったときに、研究室の修学旅行ということでまいりました。
 そのとき、犬養孝先生が先頭に立って引き連れてくださいました。それで、香久山を臨む地点で何か神社のようなところだったでしょうか、そこで、ちょうど夕方になりました。犬養先生は、ロマンチストなんですね、ここでローレライを歌いましょうというので、ローレライを歌わされました。
 万葉の風土であることは、言うまでもないことですが、その後、都が京都に移った後も、この大和のあたりは歌枕としてずっと歌人の記憶には残っているわけです。岩出とか、高市の里とか、桧前川も近くにありますが、こういうのはずっと後々まで出てくる歌枕です。そういうところは実際に歩くとまことに楽しいことです。テレビの番組等でこの飛鳥川の流域も時々全国に紹介していただくと、日本人全体が明日香に関心を持つようになるのではないかと考えてます。

○委員
   こういうところでの計画づくりのは、どう進めればいいかなということをずっとお話聞かせてもらいながら考えていました。やはり明日香なり、こういう土地の重要性を十分おわかりの方達のご意見を聞く。ただ、そのとき、聞くご意見がたまたま一回来てもらうような形ではダメで、やはり月に1回か2回ずっとおいでいただいき、1年ぐらいかけて計画をつくる、そんなスパンで物を考えないと、こういう地域の計画として本当のものになってこないのではないかなと考えたりしています。
  そういう計画づくりを本当にどうやっていくのか。住民の方にお入りいただくのは勿論それは非常に大事ですが、日本全体あるいは世界との比較においてこの地域の持ってる特性をわかっている方たちが、本当に取っ組み合いをされるような形で出てくる計画にならないと、本当のものにならないのではないか。そういう計画づくりを奈良県さんが中心になってやっていただければありがたいなと私は思います。

○委員長
  どうもありがとうございました。いろいろとかなり突っ込んだご意見いろいろ出ました。それでは、千田委員から「飛鳥と水」ということでお話を伺おうと思います。
 

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