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河川局

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会 -日本文学に見る河川-

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会
-日本文学に見る河川-
第二回議事録

平 成12年12月1日(金)
13:00〜15:50

場所:橿原ロイヤルホテル

4.話題提供(2)
○千田委員
  私は建設省の道路局のこういう委員会のメンバーでもあります。だから、道路局のやっていることが良いというわけではありませんが、こういう委員会の議事録が完全にホームページに出ています。それを河川局もやっていただいたら国民の皆さんに飛鳥をアピールできるのではないか。そして縦割り行政が前から言われているわけですが、道と河川というのは、もう少し歩み寄った形でしないと飛鳥全体の計画ができないという感想を持つわけです。今後、そういう方向性は当然出てくるとは思います。
 今日お帰りになりましたら、早速道路局のところをクリックしてみてください。道路局が割と公平だなと思うのは、私は奈良盆地の今計画している京奈和道路の悪口を大分お話をしましたが、その悪口どおりにホームページ載せてくださっている。大変ありがたい話です。そのようにして徐々にこれから変わっていくのだと思います。
 私は悪口を言うのは決まっているわけですが、その道路局の京奈和道路建設促進委員会で、またしゃべらされました。結局道路というのは、どんなふうにつくっても、奈良盆地というものと風景がうまくいかないかもしれないが、今、奈良盆地で飛鳥だけが、保存問題で非常に話題が集中している。奈良盆地全体は、やはり飛鳥と一体化しているんだから、その全体を含めて奈良盆地全体を景観保全するような機構、オーガニゼーションをつくって、そこで、先ほどの話に出ているような非常に質の高い検討会をつくっていかないと、明日香が守られたら奈良のどこはもうつぶしてもよろしいというふうな議論がやっぱり出かねない。
 明後日には、また、橿原市の問題ですが、大和三山の景観保全のシンポジウムがあります。橿原市は、大和三山の風景を守れば、あと橿原市はどんなに宅地化してもよろしいという免罪符をそこでとろうとしている。これはありありと見えるわけです。だから、拠点、拠点が守られればよろしいというのではなくて、やっぱり全体的に守るような考え方を持っていかないと、明日香の人たちは大変だと思います。自分達が、言うなら言葉は良くないですけれども、犠牲者になれば、それで他は開発しても良いという方向でこれから日本のいろんな土木行政が進んでいく可能性は大いにあります。
 また、関連しますが、例えば都会でマンション生活をしている人が、日曜日に自分の疲れた心をいやすために明日香に来て、田園風景を見てああきれいだな、だからこの田園風景を残してほしい、あるいは白壁の家を残してほしい、というのは、これは非常に僣越であると思います。自分たちがマンション生活をして、そして車の排気ガスをどんどん吹かしながら、ああ、環境保全をしましょうという自分達の持っている立場というものを全く無視して、明日香は日本の宝です、という言い方はやめるべきだと思います。
 さらに幾らすばらしい一流のデザイナーが来て、ここをいろいろしなさいと言っても明日香で生活している人は、やはり犠牲者にならざるを得ない。だから、その犠牲をできるだけ少なく食い止めること、それができたら一流のデザイナーと言ってもいいかもしれないが、そういう方向性は、僕は絶対持っていただきたい。
 なぜ明日香が、今のように保存されてきたか。もちろん明日香特別立法で保存の網の目がきちっと張られたこと。もう1つは、関西にあって明日香にアクセスする交通手段が近鉄であったこと。これはすごく明日香にとって良かった。近鉄はおっとりした会社ですから、そうがつがつした開発はしない。これが西武なら完全に商業化になって壊れていた。だから、東京のデザイナー、西武で飯食ってるようなやつが来たら完全につぶすと思いますね。ここが大事なんです。ここは世界遺産にすると言っても、よほどおっとりとしたデザイナーでないと、余りピカピカにしてもらうと、大変なことになると思います。先ほど村長もおっしゃったように、橿原市なら宅地として高く売れるけれども、ここは売れない。だから、サラリーマン生活を続けるという、そういう難しい問題を持っている場所であるということを理解するような人でないと、どれほど世界的なデザイナーが来ても僕はここを壊すと考えているんです。
 お話に出たように、明日香では執筆者であるとか、あるいはカメラマン、そういう人たちに対しては、高い入村料を取るべきだと思います。明日香はそういう場所である。入場料取ると、今度は金を払って明日香村に入っているので、いろいろ文句や注文がでてくる。明日香の人は、そういう点ではすごく苦労していることをまず認識しないと、明日香の問題というのは発展しないのではないかと思います。そういうものを認識して、しかも最大の歴史遺産であることを両方合わせたうまい発展計画を立てる。そのためには先ほどおっしゃったように、その経済的に潤うような、そういうものを目指すことが必要です。
 
 今はやりの明日香のキャッチフレーズは、「水と石の都」といいます。私自身はもう一つ木の都と言っている。「木と石と水の都」と言おうとしています。今日は水の話だけをしようと思います。その水の都になる源泉としてやっぱり飛鳥川があって、この飛鳥川は、飛鳥の都を彩る大変な役割をしてきた川であると思います。
 
 資料の写真が、4つほど分類をして出してあります。いずれも水に関係します。
 まず、右上の写真は、年老いた男と女が背中合わせにくっついている、石人像と言われています。その右が、これはお鏡のような三段重ねですが、一応、須弥山石と呼ばれています。いずれにしてもこれは噴水です。例えば、この石人像は口から水がピュッと出る。それから、須弥山石は一番下の方から小便小僧のように水が出る。サイフォンの仕組みであるという。その場所が矢印で示してありますが、明日香の北の方に石神遺跡とあります。明治年間に出土しました。この石神遺跡の性格がまだ良くわかりませんが、辺境の民を歓迎の宴をするとき場所のようです。蝦夷であるとか、トカラから来た人。トカラの場所はわかりませんが。とにかくここでは、朝鮮半島であるとか、中国から来た要人たちをここで歓迎する宴は全くされてません。そういう変わった迎賓館であるわけです。この石神遺跡の水がどこから来ているかは、今まだわかりませんが、恐らく飛鳥川からの水だと思います。
 
 今度は資料左上ですが、水落遺跡、これはずばり水に関係あるわけです。これは小字名が水落という字名だったので遺跡名になっているわけです。ここからもわけのわからない建物遺構が出ました。当時は大きな楼閣遺構と考えられていました。よく観察してみますと、ちょうど真ん中から漆塗りの箱のようなものが出てきた。その箱がどうも水時計の水を入れる容器に関係すると解釈されています。
 古代人にとって一番大事なのは朝の時刻なんです。役人達は朝出るわけですね。だから朝廷、朝の廷というんですが、昼からは帰るんです。だから早起きをしなければならない。何か鐘を鳴らすか何かあったんだと思います。
 これも飛鳥の水を利用していると考えざるを得ないし、あるいは先ほど言いました石人像とか須弥山石への水も、もしかしたらこの水時計のこの遺構から水が供給されていた可能性もないとは言えない。まさに水にかかわる遺構がたくさんあります。
 
 資料真ん中の下の写真ですが、すばらしい庭園遺構が出ました。苑池遺構です。最近また再開され、この中にもやはり噴水的な石がある。地図の方には伝板蓋宮跡と書いてあります。板蓋宮というのは少し斉明より前ですが人物は同じです。皇極天皇という。同じ女性が2回天皇についているわけです。大化の改新のときの天皇です。伝と書いてあるため、この場所が本当に板蓋宮であったかどうか若干疑問もあります。
 一番上に出ている遺構と二層目、三層目の遺構でそれぞれ時代が違うわけですから、当然宮の名前も違う。一番上の遺構は、この部分を含めて役場の東側に、もう一つ遺構がある。それらを含めて天武天皇の飛鳥清御原宮と思われているわけです。その宮域の北側、後ろにあったので、日本書紀での、白錦後苑、白錦公園と我々は呼んでおりますが、その苑池遺構であるとまず間違いない。
 この水も恐らく飛鳥川から何らかの形で引いたのではないか。だからこうなってくると、飛鳥川の果たした役割というのはすごい役割であったというふうになります。
 今までの遺構は大体奈良国立文化財研究所と橿原考古学研究所に発掘されてきました。しかし、大体国とか県の自治体は、いいところを掘るわけです。明日香村の人は気の毒です。道路つくるから掘る。そういう人たちが掘ると当たるんです。これがすごい。この先ほど見学した亀石は明日香村により掘られた。このような石は見ることができなかった。
 これは何ぞやということです。亀というのは仙人の住んでいる山です。崑崙山でも蓬莱山でもいいんですが、腕で支えるあるいは背中に乗せるという中国の神仙思想、広く言えば道教の考え方を反映しているわけです。
 ここから、南東の方に行くと多武峰という山がある。談山神社という紅葉の名所で、よく蹴鞠なんかやるわけですが、そこに斉明天皇は天宮という仙人の宮をつくるんです。それは日本書紀を幾ら読んでもこんな低いところにつくったと書いてない。多武峰の峰のところにつくったと書いてある。
 この亀のところにある人工の丘は斉明天皇が宮の東の山に丘をつくると書いてあるわけなんです。ただし、仙人の住んでいる天宮なる宮殿は、多武峰につくったと書いてありますから、恐らくその多武峰を支えているのがこの亀であろうというのが私の解釈ですけれども。多武峰に行けば天宮跡があるかもしれないとして探しました。ところが見つからない。
 冬野川という川がある。あれトウノガワと読むんだという説があって冬野という集落が上にあるんです。冬野という集落に行くと土器の破片がいっぱい落ちている。そこを天宮だというふうに私は考えた。私は1つ仮説を出したんですけれども、当然これは水があるから、井戸が出てくるであろうという、つまり、僕はその井戸が出る前に予言をしたわけです。そうしたら湧水が出てきた。そのときはすごかった。どんどん水が出てくる。それが先ほどのお飲みになった水です。
 この場所は何かというと、やはり儀式をやったような場所だろうとしか言わざるを得ないわけです。ただ、ここだけが、飛鳥川の水を使ってないんですね。これは湧水なんですよね。
 
 しかし、飛鳥の都というのは水の都のようなんです。もちろん石もあったんでしょうけれども、そんな風景ではなかったかな。そうすると、飛鳥に対してなぜ水というものがそんな重要であったかという問題がここで出てくるわけなんです。
 これはどなたも踏み込んでいません。言うと問題になりますが、ちょっと言っておきます。斉明天皇のときにこういうものがどんとできる。斉明天皇の出身は、滋賀県の坂田郡、近江の息長氏の血が入っている。息長氏の信仰では水の神の信仰があるんです。水に対する非常に深い信仰がある。恐らく息長の信仰がここに入ってきたんであろうと。蘇我氏には水の信仰が全然ないんです。
 日本の宮都の歴史、日本の都城の歴史では、水の都であるのは、ここしかありません。あと大和三山の藤原京に移るわけですから、そこは平城京と同じような中国式の都城ができ上がる。こういうのは、朝鮮半島にも、中国にもない。非常に珍しい。
 もう一つは、先ほどサイフォンの話をしましたし、この亀だって、この小判型のところから、亀の顔というか頭のところまで、細い穴が開いているんです。この穴の開ける技術、あるいはサイフォンのために穴を開ける技術というのは、20世紀の技術でもないと考古学者は言うんです。それを既に飛鳥の時代やっていたという。すばらしい技術だと思います。だから、明日香というのは本当に何が出るかわからない。
 いいかげんな話ですけれども、水に関連して飛鳥川と飛鳥の都というのは大変密接な関係がある。そういう話でした。

○委員
  飛鳥というのはどういう意味ですか。

○千田委員
  いろんな説があります。1つは、安いという字、物価が安い。それから宿屋、安宿と書いて古代朝鮮語で、安らかな場所という意味。概説の本にも安宿説がある。別の説では、「あ」は接頭語で、「すか」は清々しい、清らかという意味。非常に飛鳥川の水があって清らかな場所という。その2説がある。

○委員
  水の都ですか。

○千田委員
  だから、ベニスで売り出す手もあるんです、大阪の港に隋とか唐からの使節が着く。そうすると大和川は当時そこまで流れていたわけで、船で大和川で初瀬川の海石榴市のところまで船で来た痕跡がある。

 

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