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河川局

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会 -日本文学に見る河川-

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会
-日本文学に見る河川-
第三回議事録

平 成13年7月6日(金)
14:00〜17:00

場所:中央合同庁舎三号館二階特別会議室

3.懇談(1)
○(河崎河川情報対策室長)事務局
   先ほど荒川放水路の名称の話が出ておったのですが、昭和40年の3月に荒川放水路を「荒川」と呼ぶようになったのだそうでございます。
 また、隅田川と「荒川放水路」という名称は、荒川放水路の工事が始まったときからそういうふうに呼ばれたのだそうでして、昔は荒川の本流である隅田川は下流から大川、浅草川、宮戸川というふうにいろいろなところで呼ばれていた。その名称を統一して「隅田川」というふうに呼ぶようになったということのようなのです。掘り始めてから大分時間がたちまして、昭和40年頃、「隅田川」という名称が定着したということで、河川法で名称を定める際に「隅田川」、それから放水路の部分を「荒川」というふうに名付けたというようでございます。

○川本委員
   ほかでも放水路というのは余り聞かなくなりましたね。釧路の「釧路川放水路」とか豊川の「豊川放水路」とか、昔は言っていたような気がするのですけれども。

○事務局
   豊川はまだ言っていますね。

○委員
   今言われたことはこの委員会のテーマとしては大事なことだろうと思います。それで、「荒川」という名前を国土交通省がオーソライズしても、地元では「放水路」と呼んでいて、バスの駅にも「放水路」という駅があるのですよ。それから、「放水路」というのを校歌に入れている学校もある。先ほどの小津安二郎さんは「放水路を掘っているよ」という砂町の出身の方ですね。それは校歌を歌うときからつながっていたのかなと思いますし、みんなが放水路と思って「放水路」と言っているのに、いきなり「放水路」を取ってしまったのでしょう。そうすると、歴史がなくなってしまうのですね。
 一昨年、名古屋の洪水の時も「新川」と言ってもよくわからないのです。「庄内川・新川」とついこの間まで言っていた。そうするとわかりやすいわけでしょう。多分、荒川の「放水路」という名前になってからちょっと様子が変わったなというところがあるのです。つまり、「放水路」と言っている限り人工の川だよという、人間が苦労しているのだよというところが出てくるわけです。それを取ってしまった途端に普通の川になってしまうわけです。そういう意味で、「荒川放水路」がなくなってしまったのは残念だなという、そういう声が出てもいいのかなと。現実にそういう名前を取り戻そうかという動きもあります。
 たまたま埼玉の方へ行く地下鉄があそこへ通りましたね。それが通ったのでバス路線が廃止になるのです。そうすると、「放水路」という名前の停留所がなくなってしまう。その辺で町内の人が寂しいという話もありまして、全体としてはやはり「放水路」という名前は残しておくべきだと思いますね。
 今の川本さんのお話は大変的確なお話で、荒川放水路ができてから70年ちょっとたつわけで、ちょうど映画が盛んなころが真ん中の年なのです。30年代まではやはり人工の川という感じがするのです。最近で言うと、「金八先生」が続けて3巻目を撮っていますね。そのころになるといかにも人工の川がなくなって、70年たつと人工の川も自然になるのだと、その間に洪水が3回、4回あるとか、人工臭さが直ってくるなというような気がします。
 それから木橋が残ったのは、1つは火災のときに燃えていないということが、東京の橋では決め手かなという感じがしました。大変楽しく聞かせていただきました。

○委員
   河川の呼称が上流からどんどん変わってきますね。私がこれから話題にする淀川にしても、大井川、桂川、さらに淀川と、そういう河川のいろいろな呼称などもかなり残しておく必要があるのではないかなと思いますね。もちろん行政の方で言えば何か統一しておかないと大変なのかもしれないけれども、それぞれの地域によって川とのあり方というのは非常に深い繋がりを持っていますので、できるだけそういう河川の呼称というものを変えるときに当たっても、何とか残すような算段というものは取っておくべきだろうと思いますね。

○委員
   国土交通省はこの懇談会の説に従って、じゃあ「放水路」に戻しましょうということはできるのではないですか。

○委員
   最近、大分変えていますね。例えば、「新宮川」というのを地元の要望で。和歌山の新宮市の市長が要望されたのですね。市長が、本当なら自分の町の名前を残せと言われるのが普通なのだけれども、あそこは熊野地方全体の川だから「熊野川」に変えろというので地元の総意として御要望があって変えた事例があります。だから、「荒川放水路」に変えようということで関係の沿川の人が皆さんそうおっしゃったら当然変わるのでしょうね。

○委員
   別の会合で、「川というのはその場所との密着度が非常に強い。道路というのは余りそういう生活とは関係なくて車がずっと通過していくだけだ」と。だから、川は非常にナショナリズムの表現になっている。だから、「坂東太郎」とか、そういうような名前で呼ばれ、非常に生活感がある。

○委員
   それ以後、荒川は余り映画には入ってきていないのですか。

○川本委員
   いえ、近年もあります。最近のですと、アジア人の留学生や何かが結構あの辺には多くて、彼らを描いた映画などに荒川放水路が出てきたりしています。

○事務局
   テーマごとに検索はできるのですか、例えば、「荒川」なら「荒川」と。

○川本委員
   それはないと思います。今だったら、だれか個人的にホームページか何かつくっているかもしれませんね。

○委員
   国土交通省河川局はいよいよやることがふえましたね。川の名前をもとに戻すこと、それからそういう映像の映画を含めた写真、映像記録を日本の河川についてある限りのものをとにかく登録すること、それから収集すること。それをビデオ化、あるいはデジタル化して検索させること。

○事務局
   少なくとも川ごとに私どもは出先がありますので、そこの事務所長が中心になってずっと息長くやればいいことですからね。大してロードはかからないですよ、それは。自分の川のあれがどこにあるかということさえわかれば、探すだけですからね。

○委員
   あとは集めて保存されているものをどこかが一括して検索できるようにして、全国からアクセスすれば見ることができるように、それがなかったら持っているだけではだめなのですね。

○委員
   「荒川放水路」という言い方はいつごろからですか。

○川本委員
   もうできたころからそう呼ばれた、荷風の日記など読んでいますと「荒川放水路」と書いてありますね。昭和の初めです。

○委員
   そのころ、意外とそういうのが文学者というか、文化人というか、そういう人に興味を持たれたのではないですかね。土屋文明という歌人に「放水路」という歌集があるのですよ。あの「放水路」は私が読んだイメージでは荒川の方ではなくて、品川とかこっちの方という感じがしたのだけれども。

○委員
   しかし「放水路」というのは何か格好いい言葉ですね、確かに。

○委員
   堤防系では「疎」という名前で統一している。「堤、浚、疎」と言ったのですよ、川の技術の三原則みたいなことを。堤防の「堤」、「浚」というのは掘ること、「疎」というのは分けるとかためるとか。「疎」を1つのもので表現するというのは割合なかったのですね。

○川本委員
   言葉で言うと「土手」という言葉が私は好きで、「堤防」より「土手」と言った方が何か懐かしい感じがする。今は余り「土手」というのは余り使わない。

○事務局
  「堤(つつみ)」というのもありますけれども。堤防の「堤」だけ取って何々堤と。

○委員長
   それもいいね。「堤防」というのは何かね。私は上賀茂の土手沿いに住んでいて、タクシーの運転手に土手を上がってくれと言うと、ああ堤防ですかなんて言われて、京都で。
 

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