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河川局

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会 -日本文学に見る河川-

歴史・風土に根ざした郷土の川懇談会
-日本文学に見る河川-
第三回議事録

平成13年10月26日(金)
14:00〜17:00
場所:中央省庁合同庁舎3号11階特別会議室

5.懇談(2)
 
○委員
   「河内様」みたいに農民と漁民、離れた村が両方寄ってきての祭りは珍しいんですか。

○高橋委員
   必ずしもそうではないんですけれども、本来は違うはずの期待を持っている人たちが一つの神祭りに来るというのは珍しいですね。特に、内陸部にある神様の居場所に海の人たちが入っていくのは。

○委員
   どれぐらいあるんですか。

○高橋委員
   5kmと言っていました。だから、それほど遠いわけでもないんです。古座町の一番外れですから。この河内様の所が境目で、古座町と古座川町に分かれているんです。
 祭りが終わった後、方森一夫さんに九龍島に連れていってもらった帰り、漁師の人たちは、遠くへ出まして、自分の港へ帰ってくるときに、昔ですから当て山を必ず持っていたわけですけれども、それが河内様並びに宮山の背後に連なる、あの山並みだったそうです。

○委員
   当て山というのは目印にするものですね。

○高橋委員
   目印にする。漁師は必ずそれを持っていたと思うのですが。

○委員
   稚児さんといいますか、ショウロウ様は男の子が2人、女の子が1人ですね。女の子が稚児として入るのは珍しいのではないですか。

○高橋委員
   そうでもないです。まだ初潮を迎えない小学校の3〜4年生の女の子が選ばれる祭りは結構あります。

○委員
   九龍島というのは神聖な島なんですね。そうすると、ふだんは誰も近づかない。

○高橋委員
   普通は上げてもらえないところです。多分漁師の人たちが禊斎して、行くんだろうと思います。九龍島の場合は、そんなにはっきりとも言えませんけれども、そこに龍王や恵比寿さんがまつられている。今は弁天様とも言うので、その弁天様の祠まで案内してもらったんです。
 私の撮った写真、2ページの右上の写真でもごらんいただけますが、左側の方に平らに広がっていっていますね。そこの近くあたりは七草が全部そろっているのだそうです。そんなことでも貴重にされていたのだそうです。九龍島の向こうの方に薄く見えるのが紀伊大島です。ですから、この九龍島そのものは極めて小さいです。

○委員
   潮汲み場ですから、当然、淡水ではないんですね。川でも完全に海水になっているんですね。だからこそ、蛇と鯛の恋の物語が生まれてしまうんですね。

○委員
    当然、鯛が女神でしょうね。そして、蛇の方が通うという話になっているわけですね。

○委員
   隅田川はもっと前に絵になっていませんか。
○高橋委員
   そうですね。私の本の93ページにその辺のことを書いたと思いますが。

○委員
   そうすると、蛇は川の神であると同時に山の神なんですね。

○高橋委員
   そう言っていいかと思います。今のビデオには、実は養蜂、蜂蜜とりと山仕事をしている人たちの生活ぶりも入っていたんです。山の仕事をしている人たちがお参りして、供え物をして、山仕事をするときに山の神を祭る画面もあったんですけれども、今はカットしてしまいました。それはこの祭りのときとはちょっとずれているみたいです。

○委員
    海の港の方から川の中の島までさかのぼって、こんなに巡ってというのは随分珍しいですね。ほかにあるの。

○高橋委員
   ちょっと知りません。

○委員
   かなり大きな舟ですね。飾り立てて。

○高橋委員
   有名な愛知県津島市の津島天王さん、あれも、御祓の神事というのは、多分内陸部の人たちが港から舟に乗って、海に出ていって汚れを流してくる、そういうふうになってしまうと思うんですが。
 あるいは、今でもやっておられると思うのですけれども、皇室では節折の神事が古くからあることになっていまして、笹竹をとって天皇の身長を測るんですけれども、昔はそういう類のものを浜離宮に捨てたそうです。そんなふうに、海は汚れを捨てる場としてよくありますね。

○委員
   先ほどの熊野の本宮の中州もそうですけれども、川の中の河内様の島のようなものとか中州とか、そういうところが聖地化されるのは日本の各所に見られるものですか。

○高橋委員
   はい。先ほど御説明のあった洪水になったから移したという話、あれは僕も何かで読んだことがあるんですけれども、京都の賀茂神社は、今はあんなふうに安全になっていますけれども、もともとは河原と考えていいのではないですか。神話的に言えば、神々が相談する場所が天安河原です。天照大神が岩戸にこもって、困ってしまって八百萬の神が相談するのが、天安河原。

○委員
   あれは河原なんですか。

○高橋委員
    ええ、河原は神様の集まる神聖な場所であるわけです。

○委員
   天の八百萬の神が踊ったところは河原ですか。

○高橋委員
   それは岩戸の前と言われるものですが、その相談をしたところ。

○委員
   河原というのは、砂地と石ころが両方混じっているんですか。

○高橋委員
   河内様の前の河原は石ころがいっぱいです。これは随分前にここの関係で申し上げたことがあったのですけれども、石ころをやたらに拾ってくるのは、石ころに神様の霊魂が宿っているので自分がもらい受けてくるということだと思います。1年たつと、それが衰えていくので、返して、また新しいものをもらってくる、そういう考えだと思います。

○委員
   あの石ころはどこで拾ってくるんですか。海岸ですか。

○高橋委員
   この祭りのときは座が設けられる河原のところです。おショウロウさんが座って、みんながお参りしていた、あの河原です。大晦日の晩も、あの河原です。

○委員
   あの河原は、いつもちゃんと三角に残っているんですか。

○高橋委員
    そうなんです。不思議ですね。

○委員
    ちょっと水がふえれば、こんな河原はすぐに……。

○高橋委員
    そう思いますが、あそこでカーブしていますから、一度流れても、ちょうどあそこでたまるんじゃないですか。

○委員
    隅田川にはああいう河原はないの。

○委員
    ないんです。京都の鴨川と似ているので。上流は真砂という花崗岩でしょう。そういう似たところは、似たような風景が出てくる。

○委員
   さっきの仕立てた舟には京都風も入っているんじゃないの。おショウロウさんなんかも。

○高橋委員
    おショウロウさんという言い方をしているんですね。

○委員
   いでたちも葵祭りの稚児みたいで。

○高橋委員
    祇園の稚児ですね。ショウロウさんは、ジョウロウという言い方をしたりして、そのジョウロウがジョロウになって、そういう式で説明する他の祭りもあります。

○委員
   3時間で回るとか、3時間後には重くなるとか、ちょうどこの辺が潮の干満の境目だから、いい時間帯だなという感じがしますね。そういう観察の中から出てきたのではないか。

○委員
   あの辺まで潮が上がってくるわけですね。

○委員
    多分、境目ぐらいではないですか。海岸のところに突堤が出ますから、結構出にくいんですね。
 そういう箇所で神事ができるのは自然現象を見ながらだと、そういうふうに結びつけられないことはないような気もします。

○委員
   2〜3時間もの時間をかけて河内様の島を回るというのは、夜ですか。

○高橋委員
    夜中です。最初は神様への挨拶で、昼間に上がって潮やお神酒をかけていましたけれども、その夜です。

○委員
    何艘かが上がっていましたね。一緒に回るのではないの。

○高橋委員
    そんなに回れません。真っ暗の中、あんなに狭いところですから。しかも、岩も出ているでしょうし。ですから、ゆっくり、ゆっくり行くんです。画面にも出ませんでしたし、僕も説明しませんでしたけれども、日中、一つのイベントとして、集落ごとの舟の競漕があるんです。いわばボートレースです。それは若者たちがやります。それは、すごい競り合いです。

○委員
    夜ごもりは夜中の何時ごろですか。

○高橋委員
    あのときで8時ごろから11時ぐらいでした。
 昼間といっても着くのは午後になってしまっているんですけれども、河原で少し飲んだりして、一度あの人たちは家へ帰って、御飯を食べて、そしてまた行って、それで舟を漕ぐんです。

○委員
    夜、だんだん真夜中に向かって時間がキリキリときつく縛られていく、夜のほどろというのは、その縛られたのが緩んでいくのだということですね。万葉の歌なんかも、それがある。だから、万葉人、古代人は、夜は時間が引き締まると。それが丑三つ時あたりを過ぎるとだんだん緩んでいくので、それで夜のほどろが夜明けになっていくと。「夜のほどろ」という言葉は万葉の中に3回か4回ぐらい出てくるね。つまり、「ほどろ」というのは、施す、ほどける、緩む。

○委員
    それは知りませんでした。でも、夜は本当に神聖な時間ですね。神楽だって夜が最も盛り上がるわけですから。確かに夜の時間というのは凝縮していると思います。それがだんだん明けてくると、「明星」などを歌って神楽も終わりますから、確かに濃密な時間なのでしょうね。

○委員
    真夜中を過ぎると緩んでいく時間になるから、その前に回るのかな。だから、あれは夜の時間をキリキリとまいているんだよ。(笑)

○高橋委員
    あまり説明しませんでしたけれども、右回りと左回りということをよく言うんです。さっきの画面では、右回りはめでたいとき、左回りは不祝儀のときだと言っていましたが。

○委員
    右回りというのは、時計回りですね。

○高橋委員
    ここでのものはそれでも説明がつくんですけれども、沖縄の祭りを見ていると、ちゃんと左回りと右回りを区別しているものがありました。日本人は、今の説明の仕方ですから、左回りというのは不祝儀のときのものだということですけれども、あるいは泥棒回りとも言いますけれども、それは俗のことでして、要するに神がおりてくる、あるいは神の世界に近づく回り方が左回りなんです。右回りは人間の世界の回り方だと思います。

○委員
    左縄というのは、昔の言葉では、よくないことを言いますね。

○高橋委員
    はい。だから、祭りのときも、これは左縄というのがあります。

○委員
    調子直しというのは、神事をやるだけなんですか。具体的に何か……。

○高橋委員
    さっきも出てきましたけれども、験直し、調子直しというのは、銘々によってやり方が違うらしいです。

○委員
   やり方があるんですか。

○高橋委員
   はい。自分たちでやるんです。方森さんの正月の舟霊様が起こしていく儀式、あの人は退役したから撮らせてもらえたんだと思うんですが。

○委員
   現役で本気でやっているときは撮らせてもらえないわけだ。

○高橋委員
   ええ。秘密でしょう。それを人が知ったら、人に真似される。あの人が豊漁続きだといって盗まれてしまえば、自分のところが……。だから、自分だけが特有なものを考えて、やるのでしょう。

○委員
   どれぐらいあるんですか。

○委員
   調子直しというのは独特の言葉ではないのでしょう。

○高橋委員
   ええ。別にそうではないと思います。この調子直しは。そういう言い方で説明してくれたんですけれども、ここの土地の言葉では特別なものがあると思います。僕らにわかりやすいように説明してくれたんです。

○委員長
   お役所の方はいかがですか。今橋さんのお話、高橋さんのお話、御一緒にどうぞ。

○事務局
   先ほどの絵画の話で、川を描くことそのもので時間の流れが何となく出てきますけれども、あれほど時間をギュッと一つの画面にねじ込んで、なおかつ空間も一つの空間にギュッとねじ込んでしまう、そういう絵画の技法は世界的にはあるんですか。あんなことをやるのは日本人だけじゃないかという気がするんですが。

○委員
   両岸図で、しかも上の方が春で、河口が冬だということですね。春は曙で、河口に行くと夕方だと。季節が移ろうだけではなくて、時間も移ろう。

○今橋委員
    北斎のものに関しては、河口から上流に向かっていくに従って春から冬へと進んでいく。あれだけはそういう形で、冬から、最後はもう一度春で終わるんです。絵巻物のような横に綿々と続いていく画面構成の仕方は、東洋文化の特異な表現形式なので、恐らく西洋でそういうものを見出すことは大変難しいのではないかと思います。
 もう一つ、川というものに沿った形で何かの物語的な時間の流れを編み出そうという考え方自体が、世界的に存在しているのかどうか。私は見たことがございませんけれども、エジプトのピラミッドの内壁に描かれてあると言われる壁画の中に、ナイル川に沿ってというのがあるのかどうか、わかりませんが。いかがですか。

○委員
   あまり聞いたことがない。ミシシッピ川に沿ってというのはマーク・トウェーンですね。でも、それはずっと後、19世紀ですね。そして映画にはなっていない。
 セーヌ川は歌やシャンソンになっているけれども、あれもみんなつい最近ですね。
 それから、ロシアのヴォルガ、あれは何かありそうですね。

○委員
   ヴォルガは長くとったものがありますね。全部かどうかわかりませんが絵になっています。でも、それは舟人のためですよ。ドン・コサックのグループみたいなものの。

○今橋委員
   西洋でそういうものがもしあるとするならば、教会等、非常にシンボリックな建物の中の障壁画で続いていくとか、そういうことでない限りは……。西洋ではいわゆる一枚絵という形でしか存在し得ないので、絵巻のような形となると、探すのは大変難しいのではないかと思います。

○事務局
   日本は1枚の縁起図で全部時間も入れてしまいますので、日本の絵は不思議な絵だなと思うんです。

○委員
   ヴォルガは一種の航海図です。4カ月も凍ってしまいますので、凍ったときも動けるという灯台の役割も全部ひっくるめて描いたんです。しかも、風景がガラッと変わる。針葉樹林と草原地帯が半分ずつで、ガラッと変わります。
 それから、川を境にして、どちら側が東洋なのか西洋なのか、ちょうど境目の川なので、向こう側へ渡ったら向こう側を描くという、そういう表現を見たことがあります。本人が意識して描いたのかどうかはわかりませんが。

○今橋委員
   日本人の意識の中には、いろいろな川に対する思いが……。例えば、連綿と描かれていく絵画で、実在の川ということはわからないのですが、非常に長大な川の図巻として描かれているものでは、皆様がよく御存じの雪舟が『山水長巻』を描いております。それは15mも続く大変長い山と川の絵巻物の形ですが、意味的には非常にシンボリックなものというふうに受けとることができるのではないかと思います。例えば、人生の荒波であるとか、人間自体の心の中の起伏のようなもの。
 ですから、現実の時間とか空間、あるいは実在の場所などの凝縮や連続性ということになると、やはり江戸時代までさかのぼらないと、なかなか……。
 また、おもしろいなと思うのは、きょうはお話しできなかったのですけれども、明治に入りますと、江戸時代の人が獲得した現実の川に沿った表現が失われてしまったような感じがするんです。例えば横山大観が描きました「生々流転」のようなものは、どこの実在の場所や川ということではなくて、それは非常に哲学的な、何かシンボリックな、人間の内面に存在する川、そういうものにまた変わっていく。
 現代はどうなのか、そこまではまだ追っていないんですが。

○委員
   その中間で、昭和の初めに藤牧義夫みたいな絵がありますね。あれは決して心の中に入っていくわけではなくて、写実絵ですね。

○委員長
   あれも一種の隅田川両岸図ですね。非常に精密な写生で、しかし独特の変形を与えていて、おもしろい絵です。国土交通省河川局は、こういう博物館もつくっておかなければいけないね。いつか日本じゅうの河川に関する資料を集めた図書館をつくること、データベースにすること。

○事務局
   映画の方も。

○委員
   横山大観の「生々流転」は、数億円するだろうし、幾ら国土交通省でも買えないでしょうから、レプリカでも。それから、川の絵を集めていったりすれば、たくさんありますね。

○今橋委員
   今回発表する機会をいただいて、なぜこんなテーマで展覧会がないのだろうかと。川の多面性ということでは、造形上、これだけ豊かにあるのにと思いました。

○委員
   滝の絵は、日本経済新聞に日本の滝の絵10選とかで載っていましたね。あれは、菱田春草の「春秋の滝」とか、北斎の「諸国滝廻り」とか、いろいろあるでしょう。

○委員
   「短歌」という雑誌の表紙が、今年1年はみんな滝です。これは写真ですけれども、いろいろな土地の滝を撮ってきまして。表紙と口絵もあったかと思います。

○委員
    滝は今のうちにちゃんと撮っておかないと、だんだんインチキの滝になってくるでしょう。みんな上の方にダムをつくって、調節しながら水を流すから、怖くも何ともない滝になって……。水道をひねると滝がプツッとまったり、観光客が多いときは水道をひねって水がダッと出たり。(笑)華厳ノ滝だって危ないですね。

○事務局
   華厳ノ滝は調整しています。お客様が多いときは出しています。(笑)

○委員
   最上川河畔の、芭蕉の「奥の細道」に出てくるのは白糸の滝でしたね。

○委員
   あれは問題ない。

○委員
   白糸ぐらいはね。(笑)ナイアガラの滝は、大きいだけで、大したことがなかったね。日本の滝川のように本当に落ち込んで、真っ青な清らかな滝川だと思っていたんですが、ナイアガラの滝は黄河の汚れた水を落としているみたいな感じで、水が透き通って見えるわけでもないし、聖なるという感じはしませんでした。
 南米のあれは何でしたかね。イグアスの滝。あれは、すごい。滝の絵から始まって、淵があって、那智の滝のようなものがあって、そして川になっていって、さっきのようないろいろな島があって。
 しかし、日本の詩歌の中でいけば、川と山だらけですね。

○委員
   山が一番多いでしょうね。でも、次は川でしょうね。山は目立つからだと思いますが。

○委員長
   山は神様がいる山でしょう。

○委員
   神様がいますね。

○委員
   川も神様も。

○委員
    川も大体いて、水の神は上流あたりに鎮座していると思います。

○委員
    日本じゅうの主な川は、平安朝のころは歌枕によって整理されているわけですね。

○委員
   歌枕は五畿内が圧倒的に多いです。特に山城、大和、摂津。そして、意外に東北、陸奥が多い。ところが、歌枕というのは四国はほとんどない。九州も少ない。だから、政治との関係が随分ありますね。

○委員
   東北はそんなに多いですか。でも、せいぜい塩釜か喜多方どまりではないの。もっと北はあるの。最上川……。

○委員
   これは確かではないのですけれども、壷の碑はどこかというのが問題で、一つの説としては青森あたりまでだと。青森の天間林あたりに古碑だというのがありますから、北は相当向こうまで行っているんです。

○委員
   歌枕というのは国土交通省のバイブルだと思うのですよ。平安のころ、歌に歌われた地形、その地形が存在する地名、その地名を詠み込んだ歌、それを全部集めたわけですから。

○委員
   歌枕の本はたくさんありまして、このごろは若い人たちが随分よく研究しています。昔の歌人は、能因ではないのですけれども、居ながらにして歌枕を拾っている、実際に旅行していないで見もしないところを歌うということをよく言うのですけれども、そればかりでもなくて、やはり何らかの知識はあるんです。また、たとえ自分が行っていなくても、人から聞いたりして、結構そういうことが当時としては地理学の最も基礎的な知識になっているのだと思います。ですから、歌枕をあまりばかにしない方がいいと思います。

○委員
   非常に大事だと思う。あれは日本の国土の索引、一種のインデックスをつくったわけですから。
 山、川、そして海岸でも浜とか浦とか磯とか江とか、ちゃんと言葉を分けている。磯というのは石ががらがらしている、浦というのは緩やかなところ、入り江というのは入っているところというふうにちゃんと区別して、その上でさまざまな絵や詠んだ歌をちゃんと集めてあるわけです。万葉から古今、十代集ぐらいまでかな。

○委員
   よく森が出てきますけれども、森というのは大体神社なんです。神が祀られている。

○委員
   海岸でも、海岸の形態によってちゃんと分類しているわけです。呼び方も違うわけです。山もいろいろある。丘というのは分類してありますか。

○委員
   丘もあります。簡単なものですと、順徳院の『八雲御抄』というのが非常に細かく項目を立てていまして、現在の地理学的な概念に相当する言葉が大体あります。
 藤原範兼の『五代集歌枕』、あの辺が歌枕では比較的早い方です。だんだん時代が下るにつれて、それが整備されてきた。鎌倉の末あたりには、『歌枕名寄』というのがあって、これはほとんど全国に及んでいます。江戸時代に増補されたものが出版されています。

○委員
   国土交通省は、入省試験に歌枕を出して、「君の知っている歌を10首挙げて、これをそれぞれ歌枕によって分類せよ」と。そして10題のうち5題できなければ、国土交通省はだめ、農林省に行けと。(笑)
 それぐらい、あれは本当に基本ですよ。日本の国土を完全にカバーしているわけですから。初めは四国がないということはありますが。名所旧跡はあれで決まっていくわけです。
○委員
   昔の歌の分類は、大まかに言いますと、四季、恋、雑なんです。だんだん時代が下ってきますと、雑が非常に細かくなってくる。四季と恋と雑が平安以降の歌の三大分類ですけれども、雑のうち、天象、地儀祇、人倫と分けまして、天象は太陽や空気ですね。地儀が地理に当たるわけで、地儀をまた非常に細かく、山、川、海、湖というふうに分けていくんです。ですから、地儀関係、これが国土交通省に一番関係の深いところですね。

○委員
    日本列島だから、あんなことができたんでしょうね。境界線がはっきりしているし、そう広くない。人が割合行き来しているし、最初からそれぞれ地形にあわせて地名を詠み込んだ歌がたくさん蓄積されている。そして、歌によって地形を分類し、地名を特定化して、そこを名所、歌枕にしていく。だから、地理は文化の蓄積の上に成り立っているわけです。
 富士山が意味があるのは、富士山が火山だからではなくて、神話の山であり、歌の山であり、物語の山、絵の山、信仰の山であるから、意味があるわけでしょう。中南米あたりにあるどこかの火山とは全然違うわけです。そういう安っぽい火山とは違う。要するに、富士山というのは文化の山なんです。だから、見ると、今でもすっきりするんだね。伊吹山もそうですね。
○委員
   伊吹山の周辺は水がいいですよ。

○委員
   そうらしいですね。あそこは薬草の地ですからね。今でも染色のための色に使う草木があって、伊吹山の中にいろいろな染色会社が秘密で畑をつくっているらしいです。人になるべく知られないように。だから、伊吹山の左肩を石灰会社が崩したけれども、あれはストップしてくださいよ。国土交通省でできるんじゃないですか。見るたびに、だんだんひどいし、だんだんなくなってしまうのではないかと思っているんです。新幹線から見ると、要するに山から言えば右肩です。あれが石灰岩を取るためにだんだん目立ってきた。雪が降ると、あれが見えなくなるから、いいんですが。
 せっかくの神話を露骨に削り落としているわけですからね。あれは目立ちますよ。新幹線で京都を往復しているとき、きょうは伊吹山が見えるか見えないかということで、すごく楽しみにしている。新幹線の中では一番おもしろいところですね。しかも、そこは、「さしも知らじな 燃ゆる思ひを」ですね。上は何でしたかね。

○委員
   「かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしも知らじな 燃ゆる思ひを」で、藤原実方です。

○委員
   あそこで、もぐさがたくさんとれたんでしょう。伊吹山は芭蕉の俳句にもたくさん出てきますね。伊吹山を見ながら冬ごもりをするんです。だから、日本列島の山や川は、中国の黄河や揚子江と同じぐらいに文化史的存在であって、単なる自然現象ではないわけです。

○委員
   話がまた戻るようですけれども、絵柄に関係して、東洋人は川のほとりで思索にふけるようなことがよくあるわけですが、西洋人はどうなんですか。例えば、「詩、川上にありて日く」というような、そういう言い方は西洋人にはあり得るのですか。

○委員
   川のほとりでね。シャンソンにはある。でも、ローマのテベレ川、あれは大事なところでしょうね。それから、ハイデルブルグのネッカーもたくさんある。哲学者の打ち合わせも、川沿いも加わるわけだし。あれは例外だろうな。
 セーヌ川を歩いたって、恋はするけれども、哲学はしないな。(笑)

○委員
   でも、恋をするのだったら、絵が生まれてもいいな。

○委員
   絵はいっぱいあります。でも、大体印象派以降だから。今橋さんの言う浮世絵の影響などもあるわけです。でも、ターナーもテムズ川を描くからね。

○委員
   無常感みたいなものは関係なかったんですかね。東洋では、川はどうしても無常感を誘うんですね。

○委員
    絵でいえば、三途の川から、何の滝でしたか、曼陀羅に絵を描いてしまいますものね。

○委員
   三途の川もあるね。こうなると、本当に集大成しなければいけなくなってきましたね。こういうところで話し合って、ふらっと忘れているようでは、もったいないですね。 3,000万円ぐらい出してくださると、我々全員で集めますよ。この研究会の延長で。本物も、作品の写真も。今度の補正予算あたりで、そうしましょうか。(笑)
 日本列島、北海道から沖縄まで含めると、大変だな。
 川をめぐる詩歌、絵画、信仰、祭り、それをそれぞれに集大成して、「〇〇川」とインターネットで引くと、ずらっと出てくるようにする。そうなると、初めて文化国家日本の国土交通省ということになるわけですね。(笑)

○事務局
   各川の事務所に文化課をやらなければだめですね。歴史課でもいいですけれども。環境課がやっとできつつありますので。

○委員
   環境の中に文化環境も歴史環境も含める。緑がきれいか、汚濁がどうかといったことばかりではなくて。我々から見れば、川は汚れたっていいんです。文学が残ればいいんです。空気など、どろどろになっても、秋の風は白いものであるということを子供たちに伝えるのが我々の義務であるから。「石山の 石より白し 秋の風」ということで、昔から秋は白なんです。だから北原白秋だと。したがって、秋の風は白い。秋の風は白くて、ひんやりとしているということを子供に伝えることの方が、空気が汚れるかどうかということより、もっと大事だろうと思う。

○委員
   私もそれはすごく大切なことだと思うんです。
 つい二、三日前の大学での授業のことですが、アニメーションの話をしておりまして、この夏話題になっています「千と千尋の神隠し」という宮崎駿の映画、皆さんがごらんになっていらっしゃるかどうか、わからないのですが、あれは究極のテーマが川だということ、御存じでしょうか。
 テーマになっているところが、八百萬の神たちが集まってくる湯屋、お湯屋さんの場所なのですけれども、ある日、どろどろに汚れた神様がやってくるんです。みんなはその神様を拒絶して、この湯屋に入れることはできないと言うんですけれども、尊い神様を差別することはできないということで神様をお風呂に入れると、最後にものすごいヘドロが流れ出た後、聖なる川の神様がすっきりと垢を流して帰っていく、そういうところがあります。そこを見ながら子供たちが非常に驚いているわけです。川の神様という考え方自体が彼らにとってはとても新鮮なようで、大学生たちにとっても非常に新鮮なようでした。
 もう一つ、主人公の千尋という少女を助けてくれる少年が出てくるんですが、そのハクという少年がなぜ湯屋で働いているのかということが明かされると、その少年は、本来は龍の姿を少年に変えているんです。そして、その龍は、かつて千尋という主人公が溺れたことのある川そのもので、川が少年に姿を変えて、少女の前に再びあらわれた、そういう設定になっているんです。
 しかし、なぜハクという少年が仮に人間の姿になっているかというと、かつて少女が溺れたその川は、埋め立てられて今はどこにも存在していない。つまり、行き場のない川の神の化身としてあらわされている。ただ、龍は川の神の一つの象徴的な形象であるということを若者たちは知らないんです。私なんか、それを見ただけで非常に感動しているにもかかわらず。
 これはいかんぞと。川の文化が子供や若者たちに何も伝わっていないのだと思って、非常に危惧を覚えました。

○委員
   その話は宮崎氏はどういうところからとっているのでしょうかね。
 あの人はそういう一種の神話を生かすのがうまいですね。「もののけ姫」でも。
○委員
   龍も西洋と東洋では違いますね。東洋は水ですが、西洋の龍は火を吹くでしょう。だから、全然違いますね。

○委員
   西洋では龍は必ず退治されるものになっている。要するに異教の八百萬の神なんです。だから、キリスト教が支配するようになってからは、サン・ジョルジュは必ず龍を殺していますね。ドラゴンはキリスト教の秩序に反抗する野生、ワイルドなデビルなんです。ところが、東洋では、龍神と言って、龍は神様ですからね。
 だから、根本的に違う。だから、今度の国際環境問題のときは、龍の話だけでもおもしろいですね。そんな話も何も知らないアメリカの代表あたりを、こてんぱんにやっつけてやってくださいよ。(笑)

○委員
   今のお話ですが、古座の人たちは大人も子供もみんなこうやって祭りに行くから、そういうことが体験できるのですけれども、今いろいろ送られてくる雑誌を見ると、河川局関係の川のイベントも全国でものすごい数がありますね。あれは結構なことだけれども、あれでは、子供たちは、楽しかったか、つまらなかったかということだけで終わってしまうのではないかと思います。

○委員
   宮崎駿も、映画を見ているだけでは、だめなんです。やはり川で泳いで、少しアップアップしてみたり流されたり、そういう経験が大事なんだな。川でも、縄張りをしておけばいいんです。そして、1人ぐらい大人が見張っていればいい。

○事務局
   けがをしたって、いいんです。死にさえしなければ。

○委員長
    そうなんです。流されていけば、やがてはまた浅瀬に乗り上がる。あわてなければね。きょうは長時間、盛りだくさんで、高橋先生、今橋先生、どうもありがとうございました。

6.閉会
 
○委員長
   では、きょうはどうもありがとうございました。


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