アユが生息しサケが遡上する久慈川では、水辺での散策・高水敷の運動場等として多くの人々に利用されています。特に、中上流の河原等では、水遊び、釣り、散策、バードウォッチング等に利用され、中下流部の河川敷きでは公園・グラウンド等が整備されています。河口付近では、広い水面を利用しての水上バイクなどのマリンスポーツが盛んになり、最近では水面の自由使用というなかでの騒音問題が起きています。
ここ、久慈川周辺はアユ・サケなど川の恵みが豊富で、漁業が古くから行われていました。その中には、竹を束ねて川の中に沈め、アユが川岸に近づいたところを投網で捕まえる「縄張漁」やサケの囮を網の中に入れておき、産卵のため囮に寄ってきたサケを捕まえる「サケの囮編み漁」などがあり、現在でも伝統漁法は引き継がれてきています。
また、久慈川流域では稲作を中心とした農業も盛んで、江戸時代に水戸藩により始まった新田開発により多量の用水が必要となり、その時に立てられた用水計画により「辰ノ口」「岩崎」「茅根」「田渡」「里野宮」等の取水堰の建設や農業用水路の開削が行われ、久慈川流域の農耕地へ広域的に農業用水の給水が行われました。それらの施設は改築などの手が加えられながら、現在でも使用され続けています。