水管理・国土保全

  

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地域と中川・綾瀬川

地域の中の中川・綾瀬川

戦後から高度経済成長期にかけて人口が急増し、市街化が急激に進展しました。この市街化に伴い、湿地がひろがっていた一帯は住宅地へとかわっていきました。
古くから人口と産業が集積し、高密度な都市が形成した中川の下流域では広い水面が都市の中で貴重な空間となっています。中川は河川敷がほとんどないことなどから、水面を使った利用が盛んで、沿川自治体が開催するイベントには毎年多くの人で賑わっています。綾瀬川は町の中心を流れ、川沿いには文化施設もあることから町の顔になっています。


中川 東京都区間


綾瀬川と草加松原

地域の発展と洪水への対策
中川流域は、戦前までは、東京へ近郊野菜などを供給する農業地域でした。また、大正期以降、染色工業や製紙工業など、中川の豊富な水を使う工業も盛んになりました。現在は中川での水洗い風景も殆ど見られなくなりましたが、江戸川区新小岩周辺では、現在も江戸小紋の伝統が受け継がれています。



受け継がれる江戸小紋



中川・綾瀬川流域は、一帯の勾配が非常にゆるやかな低平地河川のため、古来から数多くの洪水になやまされてきました。さらに、草加市をはじめとした綾瀬川流域は首都圏のベッドタウンとして、昭和45年以降人口が急増、鉄道沿線に市街地が急速に拡大したことにより、洪水被害が急増しました。

 もともと、洪水被害を受けやすい地域であったことに加え、この急速な市街地によって中川流域は毎年のように浸水被害は増加しました。そのため、中川は支川綾瀬川とともに河川改修、調節池の活用、土地利用の適正化などを実施し、流域全体で洪水を防ぐ「総合治水対策」が進められています。
 首都圏外郭放水路は、あふれそうになった中小河川の水を地下に取り込み、地下50メートルを貫く総延長6.3キロメートルのトンネルを通して江戸川に流す、世界最大級の地下放水路です。日本が世界に誇る最先端の土木技術を結集し、平成18年6月に完成しました。

首都圏外郭放水路 特設ホームページ

流域の急速な変遷


首都圏外郭放水路
















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