利根川水系の水源山地には多数の火山が存在しています。これらの火山は溶岩と火山砕屑物との互層から成り、急峻な地形を呈しています。このため豪雨のたびごとに水源山地において多くの崩壊が発生するとともに多量の土砂が流下し、下流では河床の上昇等が発生し、治水・利水機能等に障害をもたらしてきました。
天明3年(1783)の浅間山大噴火は、わが国でも最大級のもので、利根川の支川吾妻川上流端にあった群馬県嬬恋村の鎌原集落を全滅させ、浅間山麓だけでも泥流によって多くの家が流され、多くの死者を出す大惨事となりました。
浅間山は、5 月(旧暦4月)から噴火を始め、震動を繰り返し、8月(旧暦7月)の利根川流域が大雨に襲われていた時期に、大噴火を起こし、激しい降灰をもたらしました。
爆発によって吾妻川に流れ込んだ火砕流は、すさまじい泥流を引き起こしながら利根川に流れ込み、前橋にかけての沿岸の村々を襲いました。
泥流は、烏川との合流点で3m堆積し、河口では流れ出した泥流が海を真っ黒にしたといわれています。
浅間山の噴火は、多量の泥流で利根川の流れを一変させただけでなく、土砂の堆積により河床の上昇を招いて、以後、利根川が氾濫しやすくなる要因となりました。
また、この噴火は「天明の大飢饉」の一因にもなりました。