水管理・国土保全

  

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黒部川の歴史

黒部川のあらまし

北アルプスの鷲羽岳(わしばだけ)(2,924m)を源流として富山湾(とやまわん)に向かってながれる黒部川は、我が国屈指の急流河川です。
 この黒部川流域は日本有数の年間降水量をほこり、山地部の地形が非常に急峻であるため、激しく侵食され続けました。そして、その土砂により下流域には日本一美しいと言われる広大な扇状地が形成されました。


空から見た黒部川扇状地


河床勾配比較図
(赤:黒部川、青:その他富山県内の河川)



産業を支える水利用

黒部川扇状地では、豊かな河川水、地下水を利用した米作りや酒、醤油、みそ、かまぼこ、飲料水などの食品産業が盛んです。また、中上流部は急勾配で水力発電に適した地形であり、大正時代の終わり頃から電源の開発が行われ、「くろよん(黒部川第四発電所と黒部ダムの呼び名)」に代表される発電所からの豊富な電力を背景に、アルミ産業が発達しました。


観光放流中の黒部ダム




四十八ヶ瀬(しじゅうはちかせ)・いろは川

豊かな土壌を育み、暮らしに潤いを与える黒部川ですが、ひとたび豪雨となると「あばれ川」と化し、多くの人々を苦しめてきました。改修工事が進むまでは洪水のたびに氾濫し、川筋も一筋に定まらず、幾筋にも分かれて流れていたことから、「四十八ヶ瀬」または、いろは四十八文字にちなんで「いろは川」と呼ばれていました。
 現在も各地に残っている「両瀬(りょうせ)」「川端(かわばた)」「出島(でじま)」など、川に関する地名は、かつてその付近を川が流れていたことを物語っています。


「 従加州金沢至江戸道中図(かしゅうよりかなざわいたるえどどうちゅうず)」(1751~63)と 松尾芭蕉(まつおばしょう)が1689年によんだ歌


激しい流れに耐える旧愛本(あいもと)堰堤(S44.8)



あばれ川に暮らす先人の知恵
霞堤(かすみてい)
黒部川の堤防は、短い堤防によって構成され、所々で二重に重なる霞堤になっています。洪水のとき、この堤防の切れ目から水を逆流させ、一時的に水をためて勢いを弱め、またもとの流れに戻す仕組みになっています。また、上流で堤防が切れたとき、氾濫した水を霞堤が受け、切れ目から川に戻します。


霞堤のしくみ


黒部川の霞堤(赤の破線部分)





巨大水制
水制とは洪水の激しい流れから川岸や堤防を守るため、水の方向を変えたり水の勢いを弱くするために堤防から川に向かって置かれている工作物です。黒部川のような急流河川では洪水の流れが速く、大小の岩石が激しく押し流されることから巨大で丈夫なコンクリート製の水制が必要となります。


黒部川の水制





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