水管理・国土保全

  

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手取川の主な災害

水害の歴史

手取川は、我が国有数の急流河川であり、また、多雨、豪雪地帯であることから、古くから水害が多発しています。特に、昭和9年7月11日に発生した洪水は、活発な梅雨前線による豪雨と残雪による融雪洪水も加わり大洪水となり、堤防が数カ所で決壊し、97名の人命が奪われ、2,113町歩の耕地が土砂により埋没したという記録が残されています。流量は既往最大の4,100m3/s(鶴来地点:推定)を記録し、被害額は当時の金額で約2,250万円と算定されました。


昭和9年7月洪水(天狗橋[県]流出状況)

発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1934年(昭和9年)7月11日 梅雨前線 川北村(現:川北町)、白峰村(現:白山市)、他沿川24市町村(当時) 死者97名、行方不明15名、負傷者35名、家屋の流出172戸、倒壊65戸、床上浸水家屋586棟
1961年(昭和36年)9月16日 第二室戸台風 白峰村(現:白山市)、尾口村(現:白山市)、鳥越村(現:白山市)、鶴来町(現:白山市) 床上浸水家屋57戸、田畑の浸水18ha
1964年(昭和39年)7月8日 梅雨前線 堤防の一部流出
1981年(昭和56年)7月3日 梅雨前線 氾濫被害なし 蛇籠の流出、護岸の一部流出
1998年(平成10年)9月22日 台風7号 氾濫被害なし 導流堤の深掘れ破損、河岸の一部流出
2006年(平成18年)7月15日 梅雨前線 氾濫被害なし 根固の流出、河岸の決壊



昭和9年7月洪水

活発な梅雨前線による記録的な大雨と、流域最上流部の残雪の影響により大洪水となりました。
 被害状況は、死者97名、行方不明者15名、負傷者35名、埋没耕地2,113町歩、流出耕地695町歩、家屋の流出172戸、倒壊65戸、流出建物(住居以外のもの)160棟、倒壊したもの40棟、床上浸水家屋は586棟にも達しました。
 交通機関、道路、堤防、電力、工業関係についても多大な被害を与え、なかでも能美電鉄鉄橋は約1,500mも下流に運び去られ、手取川堤防の決壊は約18km(堤防全長の約3割)を超え、約53km2にもわたって洪水が氾濫しました。


川北村、粟生村方面の氾濫状況


川北村朝日の惨状



平成18年7月洪水

梅雨前線の停滞による降雨によって洪水が発生し、5箇所において根固の流出や河岸が決壊しました。


手取川出水状況(河口付近)




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