水管理・国土保全

  

| 河川トップ | 川の歴史 | 主な災害 | 地域と川 | 自然環境 |   


宮川の歴史

主な歴史
宮川は、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の禊川(みそぎかわ)であったことから、かつては豊宮川といれ、「豊」の字を略して宮川の名がついたとされています。古くから神宮と深い関わりをもち、神宮とともに発展してきた川です。
宮川は、三重県多気郡日出ヶ岳にその源を発し、大内山川等の支川を集め平野にでて五十鈴川、勢田川と合流し伊勢湾に注ぐ長さ91kmの川です。宮川流域には、内宮、外宮をはじめ内宮の別宮として知られる滝原宮や、離宮院跡、斎宮跡などの信仰・神話にまつわる史跡・文化財が数多く見受けらます。また、伊勢市などは神宮への参拝者を対象とする旅客産業とともに発展してきました。
かつては水運を利用し、参拝客のための渡しも行われるとともに、神宮の御用材をはじめとする木材の運搬や造船(和船)業なども栄え、今でもその面影が残されています。


滝原宮



宮川の別名と堤防整備
宮川は古くから暴れ河川としても知られ、下流部には広大なデルタ地帯が形成されました。人々は宮川の自然の恵みを受け豊かな水田を開拓するとともに、輪中や宮川堤と言われる堤防を築き、洪水から人命や家屋、水田などを守ってきたのです。
宮川堤の歴史は古く、その昔平清盛が人工の堤を築いたという記録が残っています。その後、度重なる洪水に対して当時の人々は自ら人柱に身を供し、洪水を治めたという悲話も伝えられるなど昔から洪水との戦いの場でもありました。


宮川の旧流路





ページの先頭に戻る