水管理・国土保全

  

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紀の川の歴史

紀の川の河道変遷


現在の紀の川は、西に向かってほぼ直線的に流れ、和歌山市の湊付近で海に注いでいます。

紀の川の変遷をたどると、縄文前期頃(約5,000~6,000年前)の海面は現在より高かったため、和歌山平野の大半が浅海底となり、紀の川河口は和歌山市の岩橋山地の北側付近にありました。その後、和歌山平野は海面の低下や紀の川によって運ばれた土砂によって陸化していきました。

古代(古墳時代から平安時代)の紀の川の主流は、楠見付近から西へ現在の土入川・和歌川の川筋を流れ、和歌浦に注いでいました。11世紀頃には、洪水により主流を現在の水軒川に変え、大浦に注ぐようになり、15世紀末の明応4年(1495)に発生した地震による津波によって、紀の川は海岸の砂丘を突破して、ほぼ現在の流れとなりました。

それから明治までの紀の川はほぼ自然の状態で網状に分流し、川幅はもっと狭く曲流していましたが、その後の近代的な河川改修によって、河道は一本化・直線化・拡幅され現在に至っています。


縄文前期頃の紀の川河口部の地形


紀の川の流れの変遷



和歌山発の紀州流治水工法


江戸時代、現在の和歌山市は紀州藩の城下町として発達し、人口も増加してきたので、戦略的観点からも洪水防御という意味からも、都市を防御するために堤防を完備する必要がありました。

また、紀州藩の財政を豊かにするために、紀の川沿岸の未開地の開墾を奨励しており、田畑を洪水から守るための堤防を築く必要がありました。
 このため、紀州藩初代藩主徳川頼宣の時代から大規模な堤防が築造され、紀州藩第5代藩主徳川吉宗の時代になると道路、堤防、橋梁の修築及び利水施設等の公共事業が盛んに行われるようになりました。

この頃から、連続した堤防を直線的に築造し、弯曲部やはん濫原を水田として開拓する紀州流治水工法が井沢弥惣兵衛や大畑才蔵らによって行われ、吉宗が第8代将軍になると、幕府に召し抱えられた井沢弥惣兵衛の手によって、紀州流治水工法は全国的に広まることになりました。



紀州統治工法の概念図




物資運送の大動脈

紀の川は、古くから奈良盆地と和歌山平野、さらには瀬戸内海を結ぶ交通上の動脈として陸の南海道とともに重要な役割を果たしてきました。

特に川上船と呼ばれる船による物資の輸送では、下流から三葛塩をはじめ、綛糸・肥料・米・青物など、上流からは、板・高野紙・凍豆腐などの特産物が運ばれました。

さらに、吉野・高野材は筏流しにより、紀の川河口に集積されました。


川上船の搬送「高野山絵図」




近代からの洪水と治水計画の沿革
近代の治水事業
国による直轄事業としては、大正6年9月の大洪水を契機として、大正12年に「紀の川改修計画」を策定したことから始まりました。(計画高水流量は最下流で5,600m3/s)

その後、紀の川の歴史に残る大洪水となった昭和28年・34年の台風による出水を受け、昭和35年に「紀の川修正総体計画」を策定し、初めてダムによる洪水調節を取りんだ計画となりました。この計画では、橋本における洪水時のピーク流量を7,100m3/sとし、このうち2,600m3/sを多目的ダムで洪水調節(貯水)する事としていました。

紀の川における計画は、昭和40年の新河川法の施行に伴い、そのまま「紀の川水系工事実施基本計画」として策定されるところとなりました。

しかしながら、昭和40年、同47年と大出水が相次いだことや、紀の川流域の家屋・資産が増大していることから、紀の川の治水安全度を向上させる必要性が生じ、治水安全度を船戸下流では1/150、上流及び支川貴志川では1/100とする、工事実施基本計画の改訂が昭和49年3月に河川審議会で認められるところとなりました。この計画では、紀の川最下流の基本高水流量が16,000m3/s、ダム群による洪水調節を4,000m3/sとして計画高水流量は12,000 m3/sと定められ、内務省が始めた大正12年当時の流量5,600m3/sに比較すると約2倍となりました。


大正12年 『紀の川改修計画』 平面図




近代からの洪水と治水計画の沿革
現代の治水事業
昭和49年3月工事実施基本計画の策定後、さらに紀の川流域及び大和平野の増大する水需要に対応するため、治水計画との調整を図りながら大滝ダム・紀の川大堰・紀伊丹生川ダム等を計画に位置付けた、工事実施基本計画の部分改定を平成6年6月に行いました。

平成9年の河川法改正(治水・利水・環境の総合的管理、住民参加の計画)により、平成13年には学識者をはじめとする紀の川流域委員会を発足し、この委員会の提言を受け、平成17年に「紀の川水系河川整備基本方針」を策定しました。

また、紀の川水系河川整備基本方針を受け、平成24年には今後概ね30年間で実施する中長期計画である「紀の川水系河川整備計画」を策定しました。この計画では、戦後最大洪水(船戸地点8,500m3/s)を安全に流下させることを目標に、狭窄部対策や堤防の築造および河道掘削等を行い、大滝ダムによる洪水調節とあわせ、上下流バランスを考慮しながら、段階的な整備を実施するものとしています。


紀の川水系河川整備計画の整備箇所


紀の川大堰建設





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