水管理・国土保全

  

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野洲川の主な災害

野洲川の水害

野洲川の洪水は台風によるものが最も多く、次いで前線によるものがあります。台風の場合では、流域東方至近距離を北東に進む台風進路の場合、鈴鹿山脈に豪雨をもたらし大きな水害が発生していました。昭和以降の例では、昭和28年9月台風13号、昭和34年9月伊勢湾台風、昭和40年9月台風24号などがあります。
 野洲川の名が滋賀県災害史(昭和41年3月滋賀県発行)の風水害年表に具体的に記されているのは、天正6年(1578年)5月12日(新暦6月17日)であり、栗太郡志(六地蔵福正寺記録)に「野洲川堤防決壊 辻・出庭・中・小坂等の諸村に濁水溢れ、溺死の人数を知らず」と記載されています。


決壊箇所の水防活動のために集まった人々(明治29年9月洪水)

発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1896年(明治29年) 台風前線・琵琶湖大洪水 死者・行方不明者 7人 流出家屋数 約78戸
1913年(大正2年) 台風 死者・行方不明者 31人 流出家屋数 約21戸
1953年(昭和28年) 台風13号 死者・行方不明者 3人 流出家屋数 約14戸
1958年(昭和33年) 台風22号(狩野川台風) 死者・行方不明者 不明 住宅被害 不明
1959年(昭和34年) 台風15号(伊勢湾台風) 死者・行方不明者 不明 住宅被害 不明
1965年(昭和40年) 台風24号 死者・行方不明者 1人 浸水家屋数 約1,522戸
出典:野洲川放水路工事誌



昭和28年(1953年)9月 台風13号
台風13号は北緯20°で急激に発達し、25日15時潮岬の東方10㎞を通過した時、中心示度930mb、最大風速40m/s、25m/sの暴風半径180㎞となっていました。同日17時過ぎに志摩半島に上陸し、本州を縦断しました。この台風によって愛知・三重・京都・滋賀・大阪・福井の各府県では甚大な損害をうけました。この台風のコースは野洲川流域の東方至近距離を北東に進んだもので鈴鹿山岳地帯に豪雨を降らせました。
 この洪水により、南北流ともに決壊し、六条地先で水防作業に従事していた3名が殉職、今浜11戸、洲本3戸が流出しました。荒見・洲本・兵主村は一面泥水に浸り孤立状態になり、船によって救助活動が行われました。


決壊箇所位置図


浸水状況(守山市洲本)


殉職碑




昭和40年(1965年)9月 台風24号
台風24号は流域東方至近距離を北東に進み、全線による長雨が続いた後、台風が流域の東方を通過したため、特に水害が大きくなりました。

野洲川下流では氾濫による守山町今浜新田における孤立地帯住民17世帯99人の救助作業中自衛隊員土手善夫一尉が殉職という痛ましい事故がありました。


浸水状況(守山市今浜新田)


故一等陸尉土手善夫君頌徳碑





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