水管理・国土保全

  

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淀川の主な災害

淀川を変えた三つの大水害

淀川では、明治18年、大正6年、昭和28年と大規模な氾濫を生じています。明治18年の洪水は、近代治水工事のさきがけといえる淀川改良工事のきっかけとなり、大正6年の洪水は、河道の改修や掘削、堤防の強化などの取り組みを継続的に続ける淀川改修増補工事のきっかけ、また、昭和28年の洪水は、流域全体の治水対策について取りまとめた「淀川水系改修基本計画」策定のきっかけとなりました。


淀川での氾濫実績

発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1885年(明治18年) 台風前線 死者・行方不明者 100人、浸水家屋 75,678戸
1896年(明治29年) 前線 死者・行方不明者 393人、浸水家屋 81,875戸
1919年(大正6年) 台風、前線 死者・行方不明者 52人、浸水家屋 43,760戸
1938年(昭和13年) 前線 死者・行方不明者 8人、浸水家屋 8,408戸
1953年(昭和28年) 台風13号 死者・行方不明者 27人、浸水家屋 163,788戸
1959年(昭和34年) 台風7号、前線 死者・行方不明者 2人、浸水家屋 10,102戸
1959年(昭和34年) 台風15号(伊勢湾台風) 死者・行方不明者 1人、浸水家屋 919戸
1961年(昭和36年) 台風18号(第2室戸台風) 死者・行方不明者 30人、浸水家屋 125,980戸
1961年(昭和36年) 台風26号、前線 死者・行方不明者 0人、浸水家屋 6,110戸
1965年(昭和40年) 台風24号 死者・行方不明者 4人、浸水家屋 291戸
1972年(昭和47年) 台風20号 死者・行方不明者 3人、浸水家屋 59,530戸
1982年(昭和57年) 台風10号 死者・行方不明者 9人、浸水家屋 28,855戸
1988年(平成元年) 前線 死者・行方不明者 0人、浸水家屋 9,777戸
2004年(平成16年) 台風23号 死者・行方不明者 1人、浸水家屋 615戸
2013年(平成25年) 台風18号 死者・行方不明者 0人、浸水家屋 190戸
過去の主な災害一覧
※被害状況については、大阪府内の合計値
※ただし、明治18年、大正6年については淀川水系全体での被害、明治29年については京都府、滋賀県での被害、昭和13年については猪名川流域での被害



明治18年の大洪水

明治18年、6月中旬から7月初旬にかけて、発達した低気圧が相次いで大阪を襲いました。枚方の三矢、伊加賀で堤防が決壊したのを最初に、淀川は洪水によって堤防が次々と決壊。これにより、府下の北・中河内郡、東成郡及び大阪市街の約15,269町歩(15,142ha)、当時の大阪府全体の世帯数の約20%となる約71,000戸が最大13.3尺(約4m)浸水し、家屋流失約1,600戸、同損壊約15,000戸という甚大な被害に見舞われました。大阪市内では大阪城~天王寺間の一部高台地域を除くほとんどの低地部が水害を受け、被災人口は約27万人。八百八橋とうたわれる大阪の橋は30余りが次々に流失し、市内の交通のほぼ全てが寸断されたため、市民生活は困難を極めました。

当時、大阪は東京に次ぐ第2の都市として、急速に成長していた地域でしたが、度重なる淀川の洪水は、人々の暮らしや経済活動に大きな影を落とし、ことさら明治18年のこの水害は、あらゆる面で莫大な被害を与えました。この水害をきっかけに流域では、抜本的な淀川の改修に向けた機運が急速に高まりました。



天満橋の被害


伊加賀での堤防決壊



大正6年の大洪水

大阪地方では9月29日午前3時ごろから雨が降り始め、翌30日午後5時ごろから大雨となり、淀川の本支川ともに急激に増水しました。この洪水は、前線をともなった猛烈な台風によるものでありました。

この大雨で、枚方地点では30日5時からピークの1日午前5時まで、1時間あたり15cmから30cmのずつ水位が上昇していきました。このため、まず右岸支川芥川の堤防が109m決壊、午前8時大塚堤防が200mにわたって決壊、続いて右岸支川芥川、安威川、神崎川等の各所で堤防が決壊し、右岸地帯一帯に氾濫しました。

大小の河川堤防の決壊により、一帯を大湖と化し、氾濫した濁流が24kmを水中に没し、大阪市の惨状は明治18年洪水に匹敵する大災害となりました。


大塚での堤防決壊




昭和28年台風13号による出水

9月16日トラック島付近に発生した熱帯性低気圧は、18日午前9時台風13号となりました。台風はその後も発達しながら北西に進み、22日には中心気圧897hpa、最大風速75mの猛烈な台風となりました。台風は北北東に進み25日午後5時30分志摩半島に上陸し本州を縦断して、26日朝奥羽地方東沖に抜けました。

淀川本川沿岸では、右支川芥川とその右小支川女瀬川との合流点付近で、25日右岸約150mが決壊、本川の水は芥川を逆流して決壊口より氾濫し、富田町・三箇牧村・味生村一帯の1,700haが浸水しました。右支川檜尾川では、左岸堤約60mが決壊、約500haが20日間浸水し、低地の京阪神急行線を途絶させました。

その他、左岸においても数カ所、総延長1,000mに渡り表のりを崩壊し、堤防の漏水と内水のために約15haが浸水しました。

堤防の決壊は400箇所に達し、府県下重要国府県道は国道24号線のほか56路線に及ぶ433箇所が通行不能となりました。また、橋梁流出は、国府県道その他にわたり359橋を数えるに至りました。




過去の主な渇水

発生年月 取水制限延日数 最大取水制限率 淀川の瀬切れ発生日数
昭和48年7月~11月 98日間 上水20%、工水25% -
昭和52年8月~昭和53年1月 134日間 上水10%、工水15% -
昭和53年9月~昭和54年2月 161日間 上水10%、工水15% -
昭和59年10月~昭和60年3月 156日間 上水20%、工水22% -
昭和61年10月~昭和62年2月 117日間 上水20%、工水22% -
平成6年8月~10月 44日間 上水20%、工水20%、農水20% -
平成12年9月 10日間 上水10%、工水10%、農水10% -
平成14年9月~平成15年1月 101日間 上水10%、工水10%、農水10% -

※琵琶湖の渇水が一因である淀川水系の主要な渇水を示している。

※出典は、国土交通省 水管理・国土保全局 水資源部が作成した「日本の水資源」

※ただし、S48~S54の渇水については、淀川水系水利用検討会 第1回検討会 資料-2「渇水調整方法について」を参照





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