三川合流部より2kmほど下流の右岸側には75haに及ぶ広大なヨシ原(鵜殿のヨシ原)が広がっています。平安時代から続く日本の伝統芸能である雅楽の楽器篳篥(ひちりき)の廬舌(ろぜつ)(リード)には、鵜殿産のヨシが最良とされています。鵜殿のヨシ原は日本の伝統文化を支える貴重な場所と言えます。このヨシ原は手入れを行わずに放置しておくと他の植物との生存競争に負けて減少します。そこで毎年2月に「鵜殿のヨシ原焼き」を行ない、他の植物を焼き払う等し保護に努めています。
鵜殿の呼び名が記されたのは、紀貫之「土佐日記」の承平5(935)年2月9日「こよひ、うどのといふところにとまる」とあるのが初めてです。谷崎潤一郎も昭和7年に小説「蘆刈」で鵜殿を含む淀川の風景を描写しています。