水管理・国土保全

  

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高津川の主な災害

高津川の主な水害

 高津川の下流域は、益田市街地が低平地に広がり、水害を受けやすい地形となっています。過去の主な水害としては、戦後最大流量を観測し、堤防決壊等の災害が続出した昭和47年7月洪水が知られているほか、平成に入っても、平成9年7月洪水により浸水被害が発生しています。


発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1972(昭和47)年 梅雨前線 益田市、津和野町、吉賀町 全半壊家屋64戸 浸水家屋1983戸
1983(昭和58)年 梅雨前線 益田市、津和野町、吉賀町 全半壊家屋60戸 浸水家屋313戸
1985(昭和60)年 梅雨前線 益田市、津和野町、吉賀町 全半壊家屋2戸 浸水家屋164戸
1997(平成9)年 台風 益田市、津和野町、吉賀町 全半壊家屋0戸 浸水家屋25戸
国土交通省



昭和47年洪水

 昭和47年7月の梅雨前線は、中国地方の大部分に集中豪雨をもたらし、殆どの地域で日雨量・総雨量が既往最大の異常気象でした。この時の気圧配置は中国地方に停滞する梅雨前線上を次々に小さな低気圧が通って石見地方に雷雨性の豪雨をもたらし、7月9日~13日の間、前線の位置は山陰沖から瀬戸内ぐらいまでの間を移動したに 過ぎず、天気図はほとんど変わりませんでした。この豪雨で山地や丘陵地では土壌が飽和に達して斜面崩壊の被害が相次ぎました。


派川虫追橋の被災状況(高津川水系支川)


白上川の被災状況(高津川水系支川)



昭和58年洪水

 昭和58年7月22日夜から23日朝にかけて島根県西部を中心とした記録的集中豪雨は、典型的な梅雨末期の集中豪雨で、山陰沖から南下した梅雨前線に南からの湿った空気が流れ込み、激しい上昇気流が厚い積乱雲を発達させたことによりもたらされました。昭和47年の時と比べると、総雨量500mm以上の地域が北部に集中した局地的な豪雨で、総雨量は益田市で633mm、三隅町で742mm、浜田市で516mmの記録的な豪雨となりました。高津川よりも益田川・三隅川流域での被害が大きく、益田市・三隅町では土石流・山崩れによる犠牲者を出しました。


益田市内の水害状況


益田市内の水害状況



平成9年洪水

 中型で強い台風9号の影響により、高津川流域では平成9年7月26日6時頃より雨が降り始め、台風9号が徳島県阿南市に上陸した17時頃から高津川流域全体で強い雨となりました。総雨量は益田観測所で256mm、匹見観測所で617mmの記録的な豪雨となりました。今回の水害は流域全般に至るものであり、高津川流域においては約3,000人に避難勧告が発令され、各地でがけ崩れや家屋浸水等の被害が相次ぎました。


高津川の状況(西益田大橋付近)


益田市内の浸水状況




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