水管理・国土保全

  

| 河川トップ | 川の歴史 | 主な災害 | 地域と川 | 自然環境 |   


地域と高津川

地域の中の高津川
高津川河川防災ステーション
 災害時における水防活動や災害復旧の拠点として、水防ヤードや土砂、根固め等の緊急用資機材の備蓄基地を整備しました。平常時においても関係機関と連携し、河川情報の発信拠点として活用するほか、地域住民の交流の核となる整備の支援を行います。


高津川河川防災ステーション




流鏑馬(やぶさめ)
 歌聖と呼ばれる「万葉集」の詩人「柿本人麻呂」は、高津川河口部益田で生まれ、少年時代をこの地で送り、晩年再び石見の国府に留まり、高津の鴨山にその生涯を閉じたという節があります。9月1日(旧暦8月1日)は人麻呂生誕の日とされ、鎌倉時代から8月1(朔)日を八朔として、武家の節句と定め、武術奉納の祭日としていました。後、稲の実り始める9月1日を「はっさく」といって、農家の節句として、五穀豊穣を祈願するようになりました。奉納行事の「流鏑馬」の神事では、古式豊かな武束に身を固め、早がけする馬上から矢を射る妙技が公開されています。


流鏑馬




高津川のアユ釣り風景
 高津川では古くから天然遡上のアユが有名であり、全国からアユ釣りを目的に多くの方々が来訪されます。年間の延べ遊漁者数は8万人に達しており、中国地方以外にも関西・関東地方からも多くの釣客が訪問されます。


高津川のアユ釣り風景



高津川のいかだ流し大会
 本大会は1983年(昭和58年)から『高津川をきれいにしよう』という目的で始まり、高津川約8kmのコースにおいて、参加者の手作りのいかだでレースを行います。大会内容は、いかだの外観、河川浄化の訴え方を審査内容として競う『いかだ流し大会』と、タイムを競う『タイムレース』の2部門があります。


高津川のいかだ流し大会





雨乞い神事
 源流である大蛇ヶ池は、いかなる旱魃にもその蒼い水は枯れずに湧き出ると言います。この地域の人々は水と深い関わりを持って暮らしてきました。

 特に稲作農民にとって日照りは死活問題です。昔から日照りに見舞われると、この地の村人たちは水の枯れることのない大蛇ヶ池にわらで作った龍蛇を担ぎだし、雨乞いの神事を捧げていました。池のほとりの一本杉には大元神が祀ってあり、この一本杉を中心に雨乞い神事がとり行われていたのです。

 まず、神主が一週間神社でお籠りをし、満願の日を迎えると、氏子たちがわら蛇を作り、総出でこれを抱えて練り歩きます。練りが大蛇ヶ池に着くと、蛇体を水につけ、降雨を祈願したといいます。かつては、その後田野原大元神社に籠りましたが、現在は一本杉にわら蛇を巻きつけます。1939年(昭和14年)を最後に途絶えていましたが、1986年(昭和61年)に地元まちおこしグループにより復活し、現在は毎年6月末に水源祭のメイン行事として行われています。


雨乞い神事





ページの先頭に戻る