水管理・国土保全

  

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佐波川の歴史

俊乗房重源と佐波川
川名「佐波川」の由来
 佐波川と人とのかかわり合いは古く、中でも12世紀末に奈良の東大寺再建用の木材運搬のために大勧進職の俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)による河川改修が行われ、これにまつわる史跡や伝説が数多く残されていることで有名です。

 「さばがわ」という川名の由来の一説には、『重源が東大寺再建用材採取のため、佐波川上流の奥地に向ったが、そこで日々の仕事に励む職人や人夫の中には、奈良から来た者もあった。ある日のこと、これらの者たちが戯れに「故郷を離れて一度も魚を食べていないので、これでは精がつきません」というと重源はそばにあった木片に「鯖」という字を書き込み加持祈祷し池の中に投げ込むと木片は、たちまち鯖となって泳ぎはじめ、これをとって食べてみると本当の鯖であった。また、同じように川に投げ込むとたちまち鯖になった。この川を「さばがわ」と呼ぶようになった。』という伝説があります。


重源上人像



東大寺再建と佐波川
 俊乗房重源は、東大寺再建用の木材を河川を利用して海まで運ぶため、必要な河川改修を行ったことでも知られています。その中では、関水(せきみず)を造ったり、迫戸白坂から植松に至るまで流路を直線的に変更するなど、上流から下流まで驚くべき河川工事を行いました。この工事は木材搬出を目的とした治水工事でしたが、東大寺再建後は農耕や交通運搬に及ぼした影響は大きく、かんがい用の井出(取水堰)になったり、日用物資を運ぶ川舟の通路にもなりました。

 関水(せきみず)とは、水嵩がないと木材は浮いて流れないため、浅いところに堰(せき)を設けて水をたたえる(水嵩を増す)とともに、左岸側又は右岸側に巾数m、長さ数十mの石畳の水路(船通し)を付設し、その水路を通して木材を流した施設のことです。重源により佐波川の各所に118箇所も造られたと伝えられていますが、多くは洪水によって破壊されるなどしたため現存は1箇所のみとなっています。


現存する関水(山口市徳地船路)


関水のイメージ




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