水管理・国土保全

  

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重信川の歴史

藩政時代の治水事業
松山市繁栄の基礎を築いた「足立重信」


四国最大の都市である松山市は、夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台として、また、3000年の歴史を誇る日本最古の温泉「道後温泉」の町としても有名ですが、その松山市繁栄の基礎を築いたのが「足立重信(あだちしげのぶ)」です。
重信川は、昔、伊予川と呼ばれ大雨のたびに氾濫を繰り返していました。そこで、初代松山道後温泉城主加藤嘉明(かとうよしあきら)が、家臣の足立重信に命じ、重信川の改修にあたらせました。足立重信は、霞堤や鎌投という水制などの工法を用い、堤防を強化して、巧みに氾濫を食い止め、周辺に新田を増やしたのです。この重信の功績を称え、伊予川を重信川と呼ぶようになったと言われています。
川に人名が当てられた例は全国でも珍しく、司馬遼太郎の「街道をゆく-南伊予・西土佐の道-」では「日本の河川で人名がついているのはこの川(重信川)だけではないか」などの記述もあります。
足立重信は、重信川の改修後、支川の石手川の改修、松山城の築城などを行い、その姿は現在も引き継がれています。



足立重信


松山城下が一望できる足立重信の墓



重信川にゆかりのある俳人

松山は、俳句の町としても有名です。最近では、全国各地から高校生が参加する俳句甲子園の開催や、町を歩けばいたるところに句碑があり、つられて一句ひねるとすぐに投函できる俳句ポストもあります。
 この俳都にゆかりのある俳人としては、正岡子規、内藤鳴雪、高浜虚子らのそうそうたる名が並びます。自由律俳句で知られる漂泊の俳人、種田山頭火は晩年になって松山に定住しました。重信川や石手川にまつわる俳句も多く残されています。
 「若鮎の 二手になりて 上りけり」 子規
 「石手川 重信川の 青田かな」 虚子




正岡子規の句碑
「若鮎の 二手になりて 上りけり」


正岡子規





















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