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松浦川の歴史
治水事業の沿革
藩政時代の河川改修 ~二本の「荒れ川」の大工事~
松浦川における治水事業の歴史は古く、慶長13年(1607年)、初代唐津藩主の寺沢志摩守広高により、唐津城の築城に合わせて、松浦川と波多川(現在の徳須恵川)の2本の「荒れ川」を1本にする大工事から始まりました。これにより、低湿地であった両河口域は良好な水田地域となり、また東に付け替えて新しく出来た河口は良港となって江戸時代から明治時代にかけて繁栄し、現在の唐津市の基礎が作られました。この松浦川の改修は、城の防御だけでなく、舟運を開き、洪水を防御し、水田を開発しました。この水田を潮風から守るために防風林を植林しており、これが二里の松原(虹の松原)と呼ばれ、現在、国の特別名勝として唐津市の代表的な観光資源となっています。
藩政時代の河川の付け替え
虹の松原
近年の治水事業 ~松浦大堰~
松浦川の本格的な治水事業は、昭和23年7月洪水、同年9月洪水を契機に、
昭和24年から中小河川改修事業として、松浦橋地点における計画高水流量を2,100m3/sとし、唐津市山本から河口までの区間及び徳須恵川の唐津市石志から合流点までの区間について、築堤、護岸等の整備を実施しました。
さらに、昭和28年6月洪水による未曾有の災害を受け、昭和36年より直轄事業として松浦橋地点における計画高水流量を2,700m3/sとした改修計画に改訂し、築堤、護岸整備、橋梁架け替えを実施するとともに、河道掘削及びそれに伴う塩水遡上による塩害防止を目的とする松浦大堰の建設に着手し、昭和49年に完成しました。
松浦川3km付近(唐津市大土井)
近年の治水事業 ~厳木ダム~
過去の度重なる洪水に鑑み、昭和50年にダムによる洪水調節を含む松浦川水系工事実施基本計画が改訂され、この計画に基づき、厳木ダムを建設しました。
厳木ダムの着工前と完成
近年の治水事業 ~駒鳴捷水路~
松浦川上流部の駒鳴地区は、川が大きく蛇行し、かつ川幅が狭いために、水の流れが阻害され、たびたび洪水に悩まされてきました。そこで治水対策として、川の水がスムーズに流れるように、できるだけ川をまっすぐに付け替える水路(捷水路)の建設に着手し、30年もの年月を要して、平成16年2月に完成しました。
駒鳴捷水路
松浦川の井堰
~足利幕府より現代に続く灌漑の遺産~
萩の尾堰と馬ン頭伏せ越し
松浦川沿川は古くから灌漑が行われ、約400年前に築かれた井堰が今もその役割を果たしています。特に、松浦川に位置する大黒井堰、馬ン頭伏せ越し、萩の尾堰、徳須恵川に位置する岩坂井堰などは歴史的価値の高い堰といわれています。
萩の尾堰と馬ン頭伏せ越し:足利幕府末期に佐賀藩が始めた桃川地区の灌漑事業は、途中から成富兵庫茂安に引き継がれ60年の歳月をかけて完成しました。馬ン頭伏せ越しはその時作られたもので、現在もしっかりと機能しています。伏せ越しは、水圧により高低差のある地形でも水を送ることができます。萩の尾堰から水路を引き、馬ン頭で松浦川の下に水路をくぐらせ、反対側(上原、桃川地区)に水をわき出させる仕掛けです。
(出典:西松浦郡誌)
萩の尾堰(松浦川31/400付近(伊万里市若木町)
馬ン頭地区見取り図(出典:佐賀平野の水と土)
大黒井堰、岩坂井堰
大黒井堰
:大黒井堰は1595年、寺沢(てらさわ)志摩(しま)守(のかみ)の指示で工事が始まりました。しかし、何年も掛けて積み上げた石が、完成間近に洪水によって流されてしまいました。そこで、大川野の健福寺の僧侶田代可休(たしろかきゅう)が「川中に島を作り水流を二分し、一方に導水口を設置し洪水の害を回避する」と進言し、これにより堰は完成しました。大黒井堰の名は堰の底に大黒天を安置していることから来ています。堰のそばには、寺沢志摩守と田代可休の石碑があります。(末盧國 編集:松浦史談会)
岩坂井堰
:堰の最初の建設は江戸時代前期と推定されています。積み石に江戸前期の頃のものや中期~後期、近年切り出した石材が混在しているところから、江戸後期以降に補修を行っていると考えられています。土砂吐き口に見られる石積みの手法は、嘉瀬川の大井手堰復元のお手本となっています。
大黒堰(松浦川26.2km付近 伊万里市松浦町・大川町)
岩坂井関(徳須恵川13.8km付近 伊万里市南波多町)
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