(ビデオ上映)
☆番組タイトル
石橋勝のボランティア21
<パソコンで就労支援>
☆プロップのシンポジウムの映像
【ジャーナリスト櫻井よしこ基調講演より】
私たちの中に残されている能力を使えるような社会にして欲しいということで、声を上げたのがこのプロップ・ステーションだろうと思う。この勇気ある第一歩は、まさに、このプロップ・ステーションから始まったと私は信じている。
【ナレーション】
今や、各界から注目を浴びる竹中ナミさんの活動、ナミさんは言う。「皆さん、ごらんください。障害を持つ人たちは決して保護されるだけの存在じゃありません。私はこう思っています。生まれながらに神から挑戦することを与えられた人。チャレンジドなんです」と。
☆スタジオ(司会:石橋、前田。ゲスト:竹中))
【石橋】
彼女は「パソコンを使ってチャレンジドを納税者にできる日本」を活動のキャッチフレーズにしている女性である。21世紀は、変われそうで変われない我が国を、チャレンジドが変えるだといって頑張っている。
【前田】
はい。そのチャレンジドとは、体の不自由な方々のことなのだが、今や、産・官・学をはじめとするさまざまな方面から支援を受けて、着実にその成果が実りつつある。
【石橋】
最近にしては珍しく爽快な話である。
【前田】
社会福祉法人プロップ・ステーション理事長の竹中ナミさん。仲間の間では「ナミねぇ」と呼ばれているそうである。
【石橋】
活動を始めて、まだ7年というように聞いているが、随分活動範囲が広がっているのではないか。
【竹中】
おかげで、本当にたくさんの、いろいろな分野の方の支援を得て、ここまでやってきた。ずっと草の根で活動していたのだが、去年の9月に厚生大臣認可の社会福祉法人という法人格も得ることができた。それで、この間、4月の17、18日に「GATSUNNN!!!
'99 夢はもう現実だ!」というイベントをプロップのチャレンジドたちが企画スタッフになって開いた。
【前田】
それでは、早速、その日のイベントと、竹中さんのこれまでの活動をまとめてみたので、見て欲しい。
☆プロップのシンポジウムの映像
【ナレーション】
ここは、神戸六甲アイランドにあるファッションマート、「GATSUNNN!!! '99 夢はもう現実だ!」の会場である。この日のために竹中さんは昨日からここに詰めて陣頭指揮を取って来られた。今日の催しは、プロップ・ステーションの社会福祉法人化を記念して、障害者の就労について理解を深めるため、チャレンジドと支援者との出会いをつくろうというものである。会場には予想をはるかに超えて、たくさんの人たちが集まった。
【ナレーション】
「私には、こうすることが自分の使命だったのかもしれない」、竹中さんは最近つくづくそう思うようになっている。現在、竹中さんの一人娘、麻記さんは国の療養所で生活している。1972年生まれ、現在26歳、麻紀さんは生まれながらに脳に障害があった。それからというもの、持ち前のバイタリティーで竹中さんの長い闘いの旅が始まった。
☆重度肢体不自由者通所施設「青葉園」の映像
ここは、西宮市にある青葉園。1983年、竹中さんはここに娘の世話の合間をぬって、介護ボランティアとして通い始める。いずれ娘が世話になるかもしれない。竹中さんはそう思ったから。
【青葉園のチャレンジド・北川】
まだ小さいお子さんを連れてきて、お母さんなのに障害者運動に参加されてすごい方と思った。とかくわが子だけに集中しがちなところを、いやそうじゃなくて、周りの人みんながいい方向になればいいという考えを持たれていると思うので、すごくパワフルな方だと、ほんとうにそれに尽きると思う。
☆メイン・ストリーム協会の映像
【ナレーション】
西宮市は、全国でも障害者運動が進んだところで、ここで障害者が置かれている状況をつぶさに見ることになった竹中さんは、さらに新しい活動につき動かされていく。民間が経営する重度障害者の通所施設、メイン・ストリーム協会、代表を務める廉田俊二さんは「障害者の甲子園」という呼び名で知られる「全国高校生の車いす大会」を開催し、障害者の自立運動を進めてきた人である。
今から11年前、「全国車いす大会 兵庫大会」を開催しようと考えていた彼は、竹中さんに手伝ってほしいと声をかけた。それがきっかけとなり、1989年に、この協会が発足、代表は廉田さん、事務局長に竹中さんがつくことになった。
竹中さんは、その運動の中で一人の青年に出会うことになる。
☆チャレンジド・坂上氏がコンピュータ操作する映像
現在宝塚市でコンピューターを使って障害を持つ人たちとのネットワークづくりを進める坂上正司さん。彼は我が国で初めてパソコンを使って大学入試を受けた人である。当時の彼の姿を見た竹中さんは、大きな衝撃を受ける。障害を持つ人でもこんなことができるのかと驚いた竹中さんは、コンピューターが障害を持つ人たちにこそ使われるべきだと直感した。竹中さんは早速全国の重度の障害者にアンケートを出す。その結果、コンピューターの仕事をしたいという人たちが全国にたくさんいることを知る。現在キャッチフレーズとなっている「チャレンジドを納税者にできる日本」はこのときから生まれていたのである。
☆大阪ボランティア協会の映像
【ナレーション】
大阪、天満にある大阪ボランティア協会、ここは、プロップ・ステーションの発足の場となったところ。1992年4月、竹中さんは数人の仲間とここに事務所を置き、本格的な活動を開始する。ある日のこと、協会の玄関口にプロップ・ステーション宛のダンボールに包まれた大きな荷物が積み上げられていた。それを見た竹中さんはびっくり。いずれもコンピューター機器だったのである。思わぬ幸運はそれだけではなかった。やがて世界最大のコンピューターメーカー、マイクロソフト社の成毛 真氏との出会いが待っていた。
☆マイクロソフト社長:成毛眞氏の映像
【成毛真】
こちらのほうからむしろ押しかけるような形で、何かお手伝いできることがないかというふうに連絡した。竹中ナミさんが言っているキャッチフレーズに引かれたことは間違いない。いわゆる「障害者、チャレンジドを納税者に」という、そういう切り口で、このたぐいの運動をしている人というのは見たことがないから、印象が非常に強いわけである。
【ナレーション】
プロップステーションを設立して7年目、時代は竹中さんに寄り添い、活動が各界から多くの人たちに支援されるまでに育ってきた。しかし、竹中さんには今も忘れられないことがある。麻紀さんが誕生して間もないころ、竹中さんのお父さんが、「わしがこの子と一緒に死んでやる」と言ったのである。その言葉はまるで脅迫のように耳に響いたと言う。竹中さんは、今もその言葉に追い立てられるように走り続けている。障害を持つ人たちの新しい可能性にかけて。
スタジオ
【石橋】
玄関先にダンボールが積まれてあって、それはコンピューター機器だったということだが、それはちょっとよくわからないのだが。
【竹中】
いや、驚いた。こういうチャレンジドがコンピューターを勉強して、仕事人になりたいということ、そのためのセミナーをしたいので、コンピューターを5台ぐらい寄附してくれないかといって、いろいろなところにお願いをしていた。するとある日突然天井まで一杯箱が来ていて、5台と言ったのにすごく来ていたので、「間違いではないか」と言ったら、「間違いだが、それでいい」と言われた。それがきっかけとなった。出発からラッキーだった。
【石橋】
娘さんの麻紀さんが生まれてから、竹中さんの人生が一変したというように聞いているが。
【竹中】
一変したというか、自分自身、チャレンジドの母親になっていなかったら、多分、そういうチャレンジドとの出会いもないだろうし、何も知らない世界で過ごしてきたかもしれない。やはり彼女自身が100%保護がないと生きられない存在なのだが、その彼女と比べて、いろんなことができる人たちもひとくくりに「障害者」と呼ばれて分けられていることや、保護の対象になっているということ、これは日本はものすごくもったいないことをしているという気がした。
彼女自身は、私が接触するのを拒否するというタイプだったので、いわゆるわが子だけを抱きしめてという状況になれなかったということが、逆にいうとたくさんの人の状況を冷静に見れたというところがある。そういう意味で彼女は非常に大きな存在だと思う。
【石橋】
坂上さんに出会ったことが、大きなきっかけになったというように聞いている。坂上さんがパソコンを触っているところを見て、そのときどう思ったのか。
【竹中】
彼 は、ラグビーをやっていて首の骨を折って、左手の指先が少し動くだけなのである。ほか全身動かないから、布団から起きるところから家族の方が助けて、お風呂入れるときはリフトでつり下げて、家族が風呂とか下のこととか全部面倒見ている状況にある。その彼が自分でマンションの経営者というか、管理人室を全部コンピューター管理して、入居者のことから税金のことから、要するに雇用主としてやっている。
【石橋】
全部機械化している。
【竹中】
すごいなと思った。大学院の理工学まで行かれたのだが、大学入試も最初は、学校がパソコンを使って試験を受けてはいけないと言ったそうである。だが彼はパソコン入試の第1号というように聞いている。そのときに、いかに道具が人間のためにすごく大きな役割を果たすかということを考えたし、それを使いこなせる彼を、是非プロップに欲しいと思った。
☆プロップ・ステーションのセミナー風景の映像
【ナレーション】
ここは、大阪ビジネスパークにあるNEC関西ビル、午後6時30分、車いすに乗って、受講生が次々とやってくる。その一室を借りて、きょうはプロップ・ステーションの活動を代表するコンピューターセミナーが開かれている。
今日の講師は岡 義博さん、松下情報システムに勤務の傍ら、ボランティアで教えている。このセミナーはビジネス系の講座で、毎週金曜日、およそ2時間行われている。
現在、この講座を卒業したチャレンジドたちは、さまざまな企業から依頼を受け活躍している。今では教える側に回っている山崎博史さんは、プロップ・ステーションのビジネス第1号。
【チャレンジド・山崎】
僕の場合は、怪我する前に仕事していたので、給料というのは何度かもらっているから、給料の有難味というのはわかる。重みが違う。一番大きかったのは、これで何とかなるということ。なんか自分のすごい自信になった。
【ナレーション】
夢にまで見た給料の発生、それはチャレンジドたちにとって、社会に参加した実感そのものだったのである。
【チャレンジド・吉田】
まさかこのパソコンで仕事ができるとは夢にも思っていなかったので、すごい驚きと感動を受けた。そして、生きがいを持てたことがすごく幸運だったと思う。一番お金というのは正当な感じがする。少しのお金でも、成果が認められたときの証明だから、社会参加の実感がすごく湧いて、励みになる。
☆スタジオ
【石橋】
驚いた。コンピューターというのは、考えてみたら、体の不自由の方でもできるものなのである。
【竹中】
というより、私の感覚では、もうほとんど五感の延長線上の道具になりつつある。いわゆる五体満足な人間以上に、彼らのほうがより使いこなしていく、また必要度が高いがゆえに、彼ら自身がおそらく機械をもっともっと使いやすくしていく。本当にこの道具しかないみたいな感じ、つまり体の一部とか、脳みその一部として使っている。
【石橋】
先ほどVTRに出ていた山崎博史さんは、最初はパソコンなんて、全然触れなかったそうだが・・・
【竹中】
全くキーボードも触れないというか、見たこともない状態で、「パソコンで稼げますか」という電話が入った。もともと「族」のリーダーをやっていたという「やんちゃ」だったそうだが、交通事故で首の骨を折って、全身麻痺になって、指も一本も動かないという状態になられた。しかし、障害を負ってから結婚されて、「何とか、こういう障害があるが嫁さんを食わせたい」という意気込みで来られた。それで本当に、キーボードの文字の位置を覚えるところから始められたのだが、一般の方の、それこそ何倍、何十倍と努力されて、一年間ぐらいで、ワープロをはじめ表計算などのソフトをマスターされた。
指導しているボランティアも「彼はすごい」ということで、集中的に教えてくれて、仕事が1年少しぐらいでできる状態になった。すごい努力だった。
【石橋】
そして企業に結びつける、それが竹中さんの重要な役割だと思うのだが。どのようなことに一番配慮しているか。
【竹中】
仕事というからには、これは同情で貰うわけにはいかないわけで、やはり仕事のグレードというのが大切である。例えばその人が障害が重いからできる量が少ないとしても、何人かで組み合わせてやっていけばいいわけである。そういう意味では量やスピードではなく、やはりグレードは絶対保つというのが大事になる。だから、本当に皆さん、勉強には熱心である。実は、私はコンピューターができないのだが、プロの方々がボランティアで指導してくれている。その方たちが、彼は今なら仕事ができるとか、まだできないということをきちんと評価してくれる。やはりその評価があって初めて、ある仕事を受けたときに、では「AさんとBさんで二人で分担してやっていただこう」と、そういうコーディネーションをプロップはやっている。信用をなくしたら、もう次から仕事は来ないわけだから。
【石橋】
竹中さんは、自筆の本(筑摩書房発行「プロップ・ステーションの挑戦」)の中で、これは「誇り取り戻し運動や」と言っている。
【竹中】
やはりお金を稼ぐということだけではなく、自分自身が社会に対してアクティブに働きかけていくとか、あるいは自分も仕事を通じて社会に貢献するわけだから、そういう意味で今までそういうことから除かれていた人たちが、一番取り戻さないといけないのが誇りであると思っている。この活動がそういうことにつながってほしいと思う。
【前田】
活動が実ってきたのも、竹中さん自身の人柄だと思うのだが、時代の風というのも見逃すわけにはいかない。それでは最後のVTR。
☆シンポジウムのゲストたちの映像
【ナレーション】
障害を持つ人たちが見つけた自立の武器コンピューター、それは障害を持つ人たちばかりではなく、私たち社会が出会うべくして出会ったものかもしれない。
【東大教授:須藤修】
彼女の獅子奮迅の活躍を、獅子奮迅の活躍だけにとどめないようにしなければいけない。もっとシステムをきちんと固めて、彼女のこれまでの、本当に感動すべきと言っていいと思うのだが、そういう活動を無にしないような制度とかシステムをつくっていかなければいけないと思っている。
【住友電工会長:川上哲郎】
チャレンジドの人たちがいい触媒になる。我々の卒業生の、70歳ぐらいの人たちの、高齢者を主とした職場にしようとということで共鳴し合っているわけである。つまり今までの考え方、行政の考え方と違う。だから働いてお金をとって、それを納税者が納税できるかどうかわからない。しかしそれがやはり障害者あるいは高齢者の自立を促すことになる。そういうことが心身を健康にする。
【櫻井よし子】
障害者を納税者にしようというのは、彼らに対して福祉政策を100やるよりも優しい試みなんだろうと思う。本当に彼らを認めているからこそ、そういう発言ができると思う。
彼女のあり方がいろんなところに波紋を投げて、その波紋が広がって、第2、第3、第4のナミさんが出てくるといいと思う。そのためにナミさんはもっともっとゴッドマザーみたいに、力強く、機関車のようにどんどん走り続けていってほしいと思う。
☆スタジオ
【石橋】
これを、10年、20年、30年と続けていったら、本当にすばらしい。
このほかにも厚生省、労働省、あるいは通産省などからも支援されているそうで、もう一大ネットワークである。そんな皆さんが、「障害者の方を納税者にしよう」ということに非常に共鳴しているという発言をされているようである。
【竹中】
やはり非常に過激なキーワードなので(笑)、そういう意味では目立つのだと思う。今まで、「何がしてあげれるか」という政策だったところに、彼らをどのように社会の中へ引き出すか、彼らの力を認める、あるいは彼らに期待するというような発想の転換を目指すものだと思う。不景気だからこそ最先端の仕事ができる彼らは、今、非常に大きなチャンスの場所にいると思う。たくさんの方々から支援して貰っているわけだから、是非このチャンスをものにして、共に明日の高齢社会に向けて、新しい風が吹かせられたらというように思う。
【石橋】
不景気である。仕事はたくさん入ってくるのか?
【竹中】
いや、大変。もう、営業大変。(笑)。ただ、プロップ・ステーションが草の根から社会福祉法人格を頂戴したというのも、社会福祉法人になることで、企業だけではなく、行政と連携をとった仕事もやっていけるようになる。そういう意味でできるだけ幅の広い仕事に営業がかけられるようにということで、営業部隊としては必死でやっている。
【石橋】
今日は本当に感動的な話をありがとう。
☆スタジオ(石橋、前田)
【前田】
チャレンジドを納税者にという言葉がほんとうに印象的だった。
【石橋】
今までは周りの人から支援されないと生きていかれないだろうと考えられていた障害者の人たちに、社会の中で自立して立派な生き方をできるようにと、道を切り開いた竹中さんの功績は非常に高いものがある。ボランティアの手本と言っていいのではないか。この竹中さんの功績を無駄にしないためにも、世の多くの企業の皆さん方、チャレンジドの方たちに仕事のチャンスをたくさん与えていただきたいと、今日ははつくづく思った。
【前田】
竹中さんのバイタリティーには本当に驚かされた。魅力的な方である。
【石橋】
何でもやはりフロンティア・スピリットというか、最初の人はみんなああいう人なのである。すごい、びっくりした、本当に。
【前田】
それでは今日はこの辺で。
──番組終了 ──
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