興福寺国宝館
阿修羅像
国宝
734年に造られたこの素晴らしい作品は、日本の仏教美術の最高傑作のひとつとして世界中で知られている。阿修羅はインド神話に登場し、一般的に怒りといった負の感情と結びつけられるが、仏教に取り入れられた後は、仏とその教えの守護者となった。この役割から、阿修羅は筋骨隆々で赤いしかめ面に牙を持ち、怒りを象徴するように髪を逆立て、鎧をつけた姿で表現されることが多い。しかし、興福寺の阿修羅像が広く知られている理由のひとつは、その本来あるべき姿ではないという点にある。
胴体は細身で、流れるような、写実的な表現の飾り帯と袴(日本伝統の下衣)を身につけ、足には木製の草履(板金剛)を履いている。3対の腕のうち、一番上の2本は太陽と月を象徴する赤と白の円盤を掲げ、真ん中の2本は弓矢を持っていたと考えられる。一番前の2本は合掌しており、仏の教えを聞きながら悔い改める様子を表現したものとみられる。こうした改悛の気持ちこそ、この像の3つの顔が奇妙な表情を見せている理由であるのかもしれない。正面の顔が落胆と悔恨を示す静かな雰囲気を漂わせる一方、両脇の顔は憤りや苛立ちの感情を表し、右側の顔は下唇を噛むほどである。
八部衆の他の像と同様に、阿修羅像も漆を染み込ませた布を幾重にも貼り重ねて造られていて、内部は空洞になっている。コンピューター断層撮影(CT)の結果、正面の顔の下には別の顔があることがわかった。それは眉をひそめたしかめ面で、口を開いた表情をしている。そのため、この像の建立を命じた光明皇后(701~760年、興福寺の創建者である藤原不比等(659~720年)の娘)が、1歳を迎える直前に死んだ息子の基(もとい)親王を偲んで、元の顔を覆い隠し、より優しく若々しい顔に造り直させたのではないかという説もある。
