良忍上人の教え
良忍は日本の仏教の宗派のひとつである融通念佛宗の創始者である。1190年に廃寺となっていた来迎院を再興した。
9世紀に建てられたこの寺は、天台宗最古の寺です。
「声明」の名手であった良忍は、来迎院でこの礼拝の方法を復活させた。良忍は、前世紀に空海や円仁といった僧侶によって日本にもたらされたのち、発展してきた7種類の異なる声明をすべてマスターしていたとされている。
良忍はその後、「声明」の統一的なスタイルを確立することに成功したので、声明の祖として知られている。
良忍は29年間にわたって大原で学び、「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行」という境地を開いた。
良忍が開祖した宗派の名前にある「融通」とは、「循環」と訳すことができる。一人の人間が唱える念仏が他のすべての人に影響を与え、他の人々の念仏が一人ひとりに影響を与える、ということを意味する。このプロセスにより、すべての人々が仏陀の「浄土」において転生することができる。
良忍によって建てられた広範な伽藍は、1426年11月の火事で全て焼失されました。現存する「本堂」は、16世紀に建立されました。
寺の「内陣」にある3体の仏像は室町時代(1336-1573年)に大原地域の多くの寺が焼失した火災を免れ、来迎院に安置されました。