水管理・国土保全

  

| 河川トップ | 川の歴史 | 主な災害 | 地域と川 | 自然環境 |   


石狩川の歴史

石狩川治水の歴史は、
北海道開拓の歴史のはじまり

食と観光を担う「生産空間」
 明治のはじめ、北海道の開拓が始まったころ、たくさんの人びとが、新天地への希望と不安で胸をいっぱいにして北海道へやって来ました。本州から小樽を経て石狩に達する海の道、石狩から篠路を経て札幌に至る川の道、その両者をつないだ“水”の道が、後の北海道の礎となる開拓者たちを運びました。

 北海道最大の大河・石狩川は名前の由来と言われる「イ・シカラ・ペツ」(アイヌ語で非常に曲がりくねった川の意)の如く、かつては広大な泥炭性の低平湿地を至る所で縦横に蛇行し氾濫を繰り返していました。これから開拓が本格的に始まろうという明治31年(1898)、過去最高の8.2mという水位を記録する大洪水を起こしました。

 この大洪水をきっかけに、北海道庁は、この年の10月、「北海道治水調査会」を設立し、その中心となった明治32年から岡﨑博士によって、計画的な調査、測量が実施され、明治42年に「石狩川治水計画調査報文」がまとめられました。こうして、明治43年から第1期拓殖計画の一環として本格的な治水事業に着手することになりました
 その後、約半世紀続いた捷水路工事によって石狩川流域は北海道における社会・経済・文化の基盤を成す地域となりました。

石狩川治水史

ジェームス・R・ワッソン測量による初めての北海道石狩川図


開拓使札幌本庁



石狩川治水史

明治31年(1898)の大洪水
 石狩川の治水事業は、北海道の開拓を定着させるため、洪水氾濫が繰り返される広大な低平湿地において、河川水位を低下させ湿地の排水を促進し、農地開発、可住地の創出を図ることを目的として、捷水路事業を中心に進められました。

 この石狩川治水事業の契機となったのが、明治31年9月に発生した大洪水であり、氾濫面積は約1,500km2、死者は112名に及びました。
 9月2日から4日にかけての連続的な豪雨により、水かさを増した川は不気味なうなりを上げ、あちこちで沼が広がり続けました。9月7日、大暴風雨が襲いかかり、石狩川はついに氾濫しました。9月10日に、石狩川は過去最高の8.2mという水位を記録し、この水が退いたのは、1ヵ月も後のことでした。

石狩川治水史

大洪水に孤立する農村地帯(砂川)


岩見沢浸水の状況


大洪水をきっかけに・・
 大洪水により家や畑を失った人びとのうち、開拓をあきらめて北海道を去った人により、移住者の数も激減しましたが、多くの人びとは、石狩川の流域に残り、開拓を続ける道を選びました。そして、1898年(明治31)10月、北海道庁は、「北海道治水調査会」を設立し、洪水対策のための調査を開始しました。

 一方、1902年(明治35)にアメリカとヨーロッパに1年間出張して、河川管理の実状を視察し、治水理論を学んできた岡﨑博士は、調査会による水位の調査結果、1904年(明治37)の大洪水の際の流量のデータなどを基に、欧米での事例を参考にし、1909年(明治42)に「石狩川治水計画調査報文」を道庁に提出しました。

石狩川治水史

石狩川治水計画調査報文と岡﨑文吉


蛇行した流れを生かす「自然主義」
 岡﨑博士は蛇行した流れはそのまま残し、決壊しやすい護岸を補強するとともに、別に放水路を開削して、洪水時の水位を低くするという方針を打ち出し、石狩川改修の方向性を明らかにしました。

 また、河岸決壊しやすい箇所には、自然河川に追従しやすい工法として、当時としては画期的な素材であるコンクリートブロックに鉄線を通し敷設する「岡﨑式単床護岸(コンクリートマットレス)」が採用され、現在においてもその痕跡が残されています。岡﨑案は、本来自然に出来上がった河川の流路を可能な限り維持し、治水上不都合な箇所だけを自然の実例を参考にしながら改修することが大切であるとして、自然河川を極力活かした改修を行う案を提唱していたため、現在の河川整備の先駆をなすものでありました。

石狩川治水史

岡﨑式単床ブロックの据え付け


治水にかかわる二つの思想がぶつかりあう
 岡﨑博士は石狩川治水事務所長として1910年(明治43)に石狩川第1期治水工事をスタートさせましたが、工事は財政難でなかなか進みませんでした。
 1917年(大正6)、日本の土木学会をリードしてきた重鎮、沖野忠雄内務技官が来道し、「自然主義」と、「捷水路(ショートカット)主義」とで論争となり、その翌年、岡﨑博士が北海道を去ることで終結しました。

 大正7年から始まった捷水路工事は、一貫してショートカット工法で進められることになり、昭和44年に最後の工事が完成するまで約半世紀もの間に29箇所行われ、約60kmもの河川延長が短縮されました。

石狩川治水史

石狩川の捷水路


流域の発展に歴史的な役割を果たす
 ショートカット工法により、流下能力が高まって洪水は抑えられ、水位が低下したことにより、泥炭地の開発が進みました。もし、ショートカット工法が採用されていなければ、石狩川流域の開発は大きく遅れていたかもしれません。沖野内務技官の主張した捷水路工法は、歴史的に正しかったといってよいでしょう。しかし、その一方でいま、“環境”の立場から、岡﨑博士の自然主義がふたたび評価されつつあるのも確かです。この二つの理論は、それぞれの歴史的な役割を果たした、あるいはいまも果たしつつあるといえるでしょう。

石狩川治水史

北海道遺産(石狩川~本川と旧川群)


完成から80周年の夕張新水路




ページの先頭に戻る