会議記録

【舩橋国土交通省審議官】
 今の話に関連するが、先程畑村委員が雪印の例を挙げ、「おまえ、ほんとか」、この7文字で全てが分かるというお話しをされたが、私はこの話を伺い、亡くなられたサントリーの佐治会長が、何か相談すると「やってみなはれ」とよくおっしゃっていたという話を思い出した。
 オーナー企業とサラリーマン企業との差かも知れないが、そのようなところに1つの姿勢が見える。理科系があまり尊敬されないという話があったが、そのようなことはなく、学校でも、我々でも、新しい技術や新しいものをつくり上げた人達を尊敬の目で見て、評価するカルチャーはあるのではないかと考えるが、そのような意識は非常に希薄になってきているということだろうか。

【畑村委員】
 私は希薄になっていると思う。確かに尊敬する気はある。このような発明をしたであるとか、あの工夫をしたから今の社会があるんだと、皆がそのとおりに受け取るが、ただそれだけである。
 「やってみなはれ」と「おまえ、ほんとか」と、どこに差があるのか。とてもおもしろい。「やってみなはれ」は、提案をした人が、賭けをする意識を持っており、どの程度危険なのか、成功した時の果実がどの程度大きいのかまで、きちんと評価を済ませている。それをトップに立つ人が、きちんと評価し、最後の責任なり何なりは私が取るからという時に、一番チャレンジのできる本当の会社になっていると思う。「おまえ、ほんとか」は、それの真反対である。サラリーマン社長だから、オーナー社長だからというより、組織がつくっている文化そのものの差ではないか。
 先程話をした三菱の長崎造船所は、今でも立派な運営をしている。次に入ってくる若い人に自らの過去の失敗を丁寧に教え、それを勉強してからでないと仕事につかせないという位、良いい教育を実践している。ところが、全く同じように実践していたはずの三菱自動車は、三菱の長崎造船所の30年前の事故とほとんど同じ時期で、27年間隠していた。片方は、同じ会社でありながら隠していた。三菱自動車は、30年前に三菱重工から分離した同じ会社である。分離した時からリコール隠しが行われていた。そのようなことが起こる。
 先日、三菱の神戸の造船所に、失敗学の勉強をしたいからということで招かれた。神戸の造船所も真剣に勉強している。三菱自動車が三菱重工から分離したことを知らずに、三菱自動車はどこから出たのか尋ねると、「ここから出た」と答えた。三菱自動車はどうしたのだろうと尋ねると、「我々には理解ができない」との答えが返ってきた。
 企業の文化とは、ある種ひ弱なものであり、一方に傾いて動き出したら、先程絵に描いたようにもう走るしかなく、そのまま行くのである。片方、山の上まで行ける絵を描いたが、山の上まで行くのも失敗の方に行くのも、実際は苦労ばかりである。決断する時のどこかにぬるい部分を1度とおると、もう行くしかないということがある。
 なぜリコール隠しが生じるような運営になるのかについて、私は調査の委員会を頼まれて調査している。自動車会社の人にいろいろと聞くと、非常に微妙なところで結果的にリコール隠しになってしまうような運営や事柄は、日常茶飯事に起きている。最後にこっちに行くであるとか、こっちに行くかもしれないけどこうやろうなどというのは、トップが決断しないと間違えるだろう。日本中の会社全部そうである。非常にトップの責任は重い。トップこそ全てを考えていないと、非常に危ないと感じている。

【佐藤技術審議官】
 下河辺顧問は、全総の問題で言うと、新産・工特は世の中に対する影響力なり結果としての影響が非常に大きく、全総の歴史そのもので言うと大変なものであったとずっと思っていたが、そのようなことはないのか。

【下河辺氏】
 国土計画とは何かというと、その時代の特色をつかむことの上手さなのである。未来を保証するというような傲慢なものではない。今まで5回計画を立てたが、計画の半ばにして失敗を認識してつくり直すということを繰り返している。
 今度の5全総は、その反省に立って、半分は過去のことについて、もう一度反省を含めた再確認をした訳である。あとの半分は未来について語ったが、それは、夢を語るということが限界で、工事レベルの計画は今はできないという、少し珍しい計画だと思う。
 これからは、今日お話を伺ったように、何か失敗の話であるとか、上からとか下からであるとか、価値観が多様化するであるとか、猛烈に複雑な時代を経過するので、計画をつくる環境ではない。それにもかかわらず、何か計画性が要るという常識も働いているところは、苦労話だと思う。
 先程から価値観の話が出ているが、上とか下と言う以上に、関係者全員が自分の価値観を持つ時代が来たと思う。私は、それを統合する価値観や結論は無いと考えた方が良いと思う。
 例えばアフガニスタンの議論をしても、多様な価値観の人が一緒に暮らすにはどうしたら良いのかということが最大のテーマである。アフガニスタンの国について、1つの意見なんて到底あり得ない。アフガンならそうだという人は意外と多いが、日本において既にそうである。年齢差、男女差、学歴の差、生まれた土地と暮らしている土地にしても、全てその個人の価値観をつくる前提になっている。だから私は、トップからであるとか底辺からというのはよく理解できない。
 私が松下やNECと話した時、トップの方々は、今自分の会社の若い社員の技術能力が高くて理解不能だと言う。理解不能でも社長をやらなければならないことは大変なことで、私が行った時も、午前中に来た32歳の社員が、会社として200億円の設備投資を要求してきたと言う。設備投資の中身を聞いても全然理解できないと。しかしトップはその社員を見て、任せたいという気持ちになり200億円を出資したと言う。結果は3年後に出て、200億円の投資は実に安い買い物だったという話を聞いた時、時代はそうなっていると感じた。
 企業だけでなく役所でも、30歳程度のもしくは課長補佐程度の提案が非常に重要な時期で、30歳の課長補佐の提案が次官クラスでは理解できないような環境が一番良い役所ではないか。そのバイタリティーで動いていく日本に期待したい。
 政治に対しても同様に考える。衆議院議員を分析すると、大正生まれがいるのは自民党だけで、自民党の弱さは、老人の党だというところである。民主党は、団塊の世代あたりのところが一番強い。ところが、団塊の世代に対して私は不信感が強い。しっかりした政策を提示しない。むしろ日本は、30歳代前後に期待する方が良い。何党でも良いから、30歳代の中に自分の信念で政治的提案をする人が出てくることを真に期待することが、日本にとって最善ではないか。

【森地座長】
 まだお話を伺いたいが、また議論をする機会があろうかと思う。

今後の日程

【望月技術調査課長】
 次回については、ゲストスピーカーや日時について現在調整中なので、決定次第ご案内させていただく。

閉会

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