AIを活用したマルチエージェントシミュレーション技術等の開発業務
| 実施事業者 | 株式会社構造計画研究所 |
|---|---|
| 実施協力 | 愛知県豊橋市 / 熊本県熊本市 / 早稲田大学 理工学術院 創造理工学部 田中智之教授 |
| 実施場所 | 愛知県豊橋市役所 / 熊本県熊本市役所 |
| 実施期間 | 2025年5月〜2026年3月 |

AIとのやり取りで、人流を形成する行動の背景が分かるマルチエージェントシミュレータを開発。
3D都市モデルと大規模言語モデル(LLM)を活用することで専門知識が無くても、「納得感」あるシミュレーションを実現し、施策立案の高度化を目指す。
3D都市モデルと大規模言語モデル(LLM)を活用することで専門知識が無くても、「納得感」あるシミュレーションを実現し、施策立案の高度化を目指す。
本プロジェクトの概要
まちづくりやエリアマネジメントにおいて、有用性の高い施策を講じるためには施策によって人々の動きがどのように変わるかを予測することが重要である。多様なデータを活用したマルチエージェントシミュレーション(以下、MAS)は、施策が及ぼす効果を定量的に評価・検証し、合理的な意思決定を支援する手法の中で有力な選択肢となるが、広く普及するには妥当性の検証やパラメータ設定の難易度の高さなどの課題が存在している。
本プロジェクトでは、3D都市モデル上で表現される視覚情報や大規模言語モデル(以下、LLM)を活用し、汎用性の高いマルチエージェントシミュレータを開発する。簡易な設定と視認性の高いUIによってシミュレーションとユーザビリティの高度化を実現し、人流シミュレーション分析を容易にする。更に、開発したシステムを用いて地方公共団体や開発事業者等のまちづくりに関する業務を支援し、計画策定や迅速な合意形成を実現するソリューションとして社会実装が可能か検証する。

実現したい価値・目指す世界
従来のMASでは、人流データを再現できても「なぜその行動を選択したか」という背景の解釈が難しく、施策立案に不可欠な定性的知見が得にくいという課題があった。人の行動、目的地選択・経路選択・滞在時間選択などの意思決定には、個人属性・建物環境・道路環境など多様な要素が影響を与えることに加え、多種多様なエージェントが同時に行動して相互に作用し合うMASでは、さらに行動が複雑化しブラックボックス化しているためである。例えば、広場に人が多数滞留する現象を模擬しても、それが「空間の居心地よさ」による自発的な滞留なのか、「案内不足により迷っている」結果生じた停滞なのかといった行動の理由までは特定できず、ベンチの増設や案内板の改善など具体的な対応策に結び付けるのは困難であった。
また、MASのパラメータ設定・シナリオ設定にも大きな課題がある。従来は適切なデータの用意や条件設定を手作業で行っており、多大な時間と労力を要している。中でも都市スケールの大規模なシミュレーションにおいては、精緻な結果を得るために膨大なパラメータを設定する必要がある。モデル精度の観点では、目的地選択・経路選択・滞在時間選択などの各行動モデルのパラメータを設定・推定する必要があり、地域によって起終点(O/D)や交通手段も異なる。また単一のシナリオの結果を調べることよりも、一部のパラメータを変動させた複数のシナリオ間の結果を比較することが施策検討において重要だが、「分析目的に対してどのパラメータを変動させるべきか」「そのパラメータをどのような値で変動させるか」には入念な検討が求められる。これらの工程には人間行動のモデル化の専門性やMASを用いた比較分析に対する知見が求められるため、実施できる者はごく少数に限られている。
本プロジェクトでは、LLMを個々のエージェントに活用する。具体的には、属性や性格、さらには3D都市モデルから得られるジオメトリといった主観視点で確認可能な情報に基づいた、歩く道の選び方などの意思決定までも表現する。施策立案者は、個々人の視点に立った定性的な知見を得ることで、まちづくりやエリアマネジメントの施策に応用するための根拠が明確になる。「歩道の広さや植栽の有無が回遊意欲にどう影響したか」や「案内板の視認性が経路選択をどう変えたか」といった個人の感性や認識に基づく行動理由を抽出することで、「なぜその場所が選ばれるのか」という心理的な側面が明らかになるためだ。
エージェントは行動の軌跡を記憶しており、行動の理由や感想を自然言語で説明できるようになる。チャットボット機能で「なぜ横断歩道を渡ったのですか?」と尋ねると、「他の道より混雑が少なかったから」といった具体的な理由が返ってくる仕組みである。行動の背景が自然言語で出力されることで、シミュレーション担当者の理解が円滑化し、より深く試行錯誤しながら分析を進めることができる状態の実現を目指す。
パラメータ設定については、同様に自治体の担当者らがチャットボット機能でAIと自然言語でやり取りし、条件設定を進めていく。難解な設定は不要で、専門知識がない担当者でも、企画の意図そのものをシンプルな対話型インターフェースを用いて伝えるだけで、容易かつ妥当性の高いシミュレーションを実施できるようになり、施策を通じて地域住民への価値提供が可能となる。加えて、地域全体の経済活動の活性化に繋がり、地域事業者に対しても新たな価値創出が見込まれる。
本プロジェクトの実証実験の舞台となる熊本県熊本市と愛知県豊橋市では、システムの要件に関する実証を試みる。3D都市モデルで再現したそれぞれの街中を舞台に、市職員がパラメータ設定やシミュレーションの結果分析を体験し、市職員に対するアンケートやヒアリングを通じて有用性を高めていく。
経験や勘に依存してしまうことから、業務自体が属人的かつ専門的な内容に閉じてしまっていた従来のシミュレーションを、本プロジェクトによって「誰でも使える」技術へと一般化することで、日々地域の課題に向き合う地方自治体職員等の「デジタル知恵袋」となり、まちづくり分野のDXを後押しする。





検証や実証に用いた方法・データ・技術・機材
本システムは、イベント時の動線計画や回遊促進のための施策検討など都市における空間変容施策について、MASを用いることで施策効果を分析・検証・比較するためものである。この際に、3D都市モデルが持つ幾何学的な形状情報や属性情報を基盤として利用し、シミュレーション及び可視化におけるフィールド、エージェントの行動モデルのインプットとしている。特にエージェントの主観視点で写る3D都市モデルのテクスチャを基本とした視覚情報を、実際の都市における視覚情報を模擬したものと捉え、経路選択行動のインプットとして用いている。また上記の視覚情報及び行動判断はエージェントのメモリーとして蓄積しており、後述する対話型質問機能において、行動理由や感想をエージェントが自然言語として生成する際にも用いている。
本システムは、人流シミュレータと3次元空間表現ツールで構成される。この内人流シミュレータは、パラメータ設定機能・シミュレーション実行機能・分析機能に区分される。
利用方法の全体像として、ユーザーはまずパラメータ設定機能を用いて分析目的に沿った設定条件(パラメータ・シナリオ)を設定する。次にシミュレーション実行機能を用いて、設定条件にもとづいてシミュレーションを実行し、ログデータを取得する。この際に同時に3次元空間表現ツールを用いて、3D都市モデルにおけるエージェントの視覚情報を取得しシミュレーション実行にも用いている。最後に分析機能を用いて、ログデータをもとに可視化された図表(ダッシュボード機能)及び、エージェントに対する対話(対話型質問機能)によってそれぞれ定量的・定性的な分析を行う。またログデータは3次元空間表現ツールを用いて、アニメーションとして表示可能である。
人流シミュレータはPython又はjava言語を用いてスクラッチで実装した。人流シミュレータのいずれの機能においてもLLMを用いた。LLMはOllamaを用いてローカル環境に構築しており、APIサーバーとして起動し他機能から呼び出し可能としている。
初めに、パラメータ設定機能はチャットボットのUIとしており、ユーザーの入力をもとにシミュレーションの実行条件(パラメータ・シナリオ)を出力する。まずはチャットボットがユーザーに対して分析目的を尋ね、ユーザーの自然言語による入力をもとに分析区分設定及びパラメータの推薦を行う。ここで、ユーザーの意図抽出及び分類、意図を深堀するフォローアップ質問の生成、意図にもとづくパラメータの推薦においてLLMを用いている。その後は予め定めたフローチャートに従って、ボットによる質問→ユーザーの入力を繰り返し、施策を実施する場所・ユーザーの起終点・比較シナリオなどの設定を行う。なおLLMによる推薦が困難又はユーザーが自由に設定したいと回答したパラメータについては、ラジオボタンの選択・地図上の選択・自然言語の入力によって設定可能としている。最終的には比較対象とするシナリオ群について記述したjsonファイル及び各シナリオの条件を記述したcsvファイルが出力される。なお設定結果は画面表示され、詳細な値などを後で修正可能としている。チャットの構成はPythonライブラリであるRasaを用いて制御している。
次に、人流シミュレーション実行機能は、パラメータ設定機能で出力した設定条件にもとづいてシミュレーションを実行し、エージェントの行動ログデータを出力する。ここでシミュレーションはエージェントがそれぞれの行動モデルに従って都市内を滞在・移動する。なお行動モデルは歩行者の一般的な挙動特性に関する学術文献をベースに設定している。なお一部のエージェントはLLMを用いた行動選択も行うとしており、判断地点に到着すると3次元空間表現ツールを呼び出して視覚情報を取得し、視覚情報をもとにしたLLMの推論結果により経路を選択する。エージェント数及びエージェントの行動開始/終了の地点・時間は、パラメータ設定機能の結果及びパーソントリップ調査のデータに従う。
そして、対話型質問機能は、チャットボットのUIとしており、エージェントに対して質問を投げかけると応答が生成される。ここでエージェントは、パラメータ設定機能にもとづくプロファイル、及びシミュレーション実行機能にもとづく行動ログデータをプロンプトとして与えたLLMとしている。ユーザーの質問に対して、LLMは個人の感性・認識・経験に基づく回答を自然言語で生成する。なお対話の対象とするエージェントは、属性によるフィルタリング及び地図上の選択によって自由に選択可能としている。
最後に、3次元空間表現ツールによる3D都市空間の可視化は、PLATEAU SDK for Unity及びPLATEAU SDK-Toolkits for Unityを活用し、CityGML形式の3D都市モデルをUnity環境へインポートしたものを用いている。また、シミュレーション中のエージェントの主観映像を閲覧可能にするため、Unity Render Streamingを用いた。
これらのシステムの実証可能性及び従来手法に対する本システムの優位性を検証するために、パラメータ設定時間及びシミュレーション動作時間に関する検証を行った。
さらに、本システムの有用性を検証するために、自治体職員を被験者としたワークショップ形式の実証実験を行った。具体的には熊本県熊本市(桜町・花畑エリア)と愛知県豊橋市(豊橋駅前エリア)を対象とし、パラメータ設定機能及び分析機能の操作体験、アンケート・ヒアリングを行った。ヒアリングではシステムの操作性や改善点について意見を聴取すると共に、今後の活用可能性についてディスカッションを行った。
検証で得られたデータ・結果・課題
パラメータ設定時間及びシミュレーション動作時間の検証については、実際にシミュレーションツールを起動し、ユーザー利用を想定した画面遷移や読み込み時間などが実運用に適した速度で稼働するかを実計測している。
その後、実証実験では、熊本県熊本市(桜町・花畑エリア、約0.7㎢)と愛知県豊橋市(豊橋駅前エリア、約1㎢)の2箇所を対象とした。参加者として、都市計画、市街地整備、政策企画などの実務に携わる両市役所の職員計11名(熊本市5名、豊橋市6名)を対象としたワークショップ形式の実証実験を実施した。検証は、5段階のリッカード尺度を用いたアンケートと定性的なヒアリング調査を通じて行った。


システム性能の定量的評価として、「パラメータ設定時間」及び「シミュレーション動作時間」を実測した。パラメータ設定については、LLMを用いた対話型UIにより、従来手法では数ヶ月を要していた設定作業を、目標20分に対し平均5分で完了した。シミュレーションの動作時間についても目標4時間に対し実働3時間で完了した。検証の結果、LLMを活用したパラメータ設定は非専門家でも迅速にシミュレーションを開始できる環境を実現し、専門家への依存を大幅に削減できる可能性が示唆された。またLLM及び3D可視化を用いることで、シミュレーションにおける行動モデルは従来手法よりも計算量が多くなっているが、従来手法と同程度の時間で実行できたため、業務において大幅な支障は生じないと考えられる。



有用性検証のため、参加者11名に対するアンケート調査を実施した。「条件設定にかかる時間は短縮されたと感じましたか」「条件設定は実施しやすいと感じましたか」との質問に対しては、9名が5段階評価で「4」以上の高評価を与えた。特にユーザーが自由に入力した分析目的に対して、LLMが推論を行うことで適切なシナリオ種類に分類しパラメータの提案を行うこと、地図UIを用いているため自由な位置でイベント・道路設置などの施策が容易に設定可能なことが、作業工数圧縮・ユーザビリティの観点で評価されていた。LLMが設定根拠を提示しユーザーをガイドする仕組みが操作のハードルを下げることがうかがえた。
また、シミュレーション機能については、新たな定性的な知見が得られることや分析の幅が広がることが評価されていた。「シミュレーションの結果をもとに新たな知見を得られたまたは意外だと感じましたか」「条件設定は実施しやすいと感じましたか」という質問に対して、計11名の回答者のうち10名が、5段階中4以上と評価した。エージェントの主観視点に基づいた行動理由の言語化が、従来の定量分析では得られない定性的知見をもたらすことが示された。
一方で、シミュレーション結果の納得度については、「シミュレーションの結果について納得できましたか」という質問に対して、5段階中4以上の評価は計11名の回答者のうち4名にとどまった。対話型質問機能の景観情報に関する回答について、「実際の街を見た感想と比較すると信頼性が低い可能性がある」という指摘があったことなどが要因とみられる。対話型質問機能の活用を高めるためには、データを用いてLLMに関するチューニングを行うことに加え、フィールドとしている3D都市モデルの解像度を高める開発も並行する必要があると考えられる。


参加ユーザーからのコメント
【熊本市】
・観光客と住民といった属性を分けてシミュレーションをしてみたい。
・エージェントに行動の理由を質問する機能は、現在は一つのエージェントを対象にしているが、全エージェントに一括で質問できる機能も欲しい。
・こちらの操作や質問に対するツール上での回答が「ちゃんとした理由になっている」と感じられた。
・エージェント数の設定を要望して変えようとしても、なかなか思い通りの数にしてくれない場面もあった。
【豊橋市】
・システムが設定をある程度導いてくれることに魅力を感じた。
・エージェントからの回答がリアルでしっくり来た。
・人流データを持っていても、分析したいことに対してどのポイントをみたらよいか分からない場面も多いが、チャット形式で指示してくれるのが良い。
・こちらが行動の理由を質問したエージェントの行動をその後も追いかけたり、さかのぼれたりすると、より分析が深まるのではないか。
今後の展望
本実証実験を通じて得られた成果は、対話型UI及びLLMによってシミュレーションにおけるパラメータ設定を専門知識のない自治体職員によって自ら完結できることを確認できたことである。また、対話型質問機能は、「なぜその道が選ばれたのか」という主観的な行動理由を自然言語で引き出せるため、案内板の配置や地下道の有無などが行動原理及び全体に与える効果に関して、定性的エビデンスを提供できることが実証された。
シミュレーション結果の定量的な再現性に対する納得度について、アンケートでは5段階中4以上の評価は11名中4名にとどまり、ユーザーの感覚や実態との乖離を埋める必要性が浮き彫りとなった。また、LLMが地域の地名や施設名といった固有名詞を十分に把握していないためやり取りがかみ合わないケースや、エージェントの主観的な回答の信頼性が、3D都市モデルの解像度や学習データの質に大きく依存するといった技術的なボトルネックも特定された。
これらの課題を踏まえ、今後はRAG(検索拡張生成)技術を用いて、地域の固有名詞や組織固有のデータを自在に参照できる仕組みを構築する。あわせて、実測データを用いて、シミュレーション結果との結果を定量的に評価するとともに、乖離を自動的に微調整(キャリブレーション)する機能を開発することで、定量的な信頼性を大幅に向上させる。さらに、シミュレーション機能については、多様な施策でのシミュレーションのニーズがある中で、まずは直近のニーズが高い避難シミュレーションやウォーカブル施策に関するシミュレーションをターゲットとし、マクロ・メソスケールの人流を表現可能として、ユースケースを拡張していく。
将来的には、このシミュレーション技術を誰もが自在に使いこなせるツールへと一般化し、自治体職員が日々地域の課題にデータに基づいた確信を持って向き合える、まちづくりDXのスタンダードとなることを目指す。





