vol.9... 渇水を乗り切る

水インフラの力


昭和39年のケース
④渇水大比較






○給水車120台が出動(読売新聞1964年8月7日)
○自衛隊215車両・警視庁・米軍による応援給水(※1)
○入浴・洗濯の制限(※1)
○衛生状態が悪化して食中毒が続出!!(※1)
○都営芝浦団地では8月18日から4日間完全断水(※2)
○お冷1杯限り(喫茶店)(読売新聞1964年7月21日)
○水運びで過労になり寝込んだ主婦がいた(※2)
○朝食抜き(水が出てもまず洗濯)(※2)
○給水車待ちで会社欠勤(※2)
○水泥棒や喧嘩(※2)
 などなど、大変な事態に・・・

※1 出典:渇水による社会的影響や被害の状況
(国土交通省関東地方整備局HP)

※2 出典:限りある水資源の有効活用を目指して
(平成10年3月:利根川水系渇水対策連絡協議会、荒川水系渇水調整協議会)


出展:読売新聞昭和39年8月7日夕刊





○4月26日、笛吹川(山梨県)からもらい水
○7月3日には給水車による給水(家庭・病院等)を実施
○8月6日から、相模川から1日25万m3の応援給水
○8月7日、自衛隊へ緊急給水車の出動を要請
○8月9日、自衛隊艦艇による給水実施
○8月11日、ダム発電放流を遅らせる(東京電力)
○同日、デモ鎮圧用放水車で給水活動(警視庁)、米軍給水車出動
○8月13日、小河内ダムで人口降雨実験
○8月15日、都交通局第3発電所の調整池を放流(80万m3)
○8月18日、荒川の取水工事(秋ヶ瀬取水堰・朝霞水路)が完成
○8月25日、朝霞水路正式通水、相模川の応援給水は継続
○8月14日からの武蔵野市などの応援給水は31日から中止
○1965年3月1日、武蔵水路緊急通水
 ※③参照

出典:限りある水資源の有効活用を目指して
(平成10年3月:利根川水系渇水対策連絡協議会、荒川水系渇水調整協議会)





約2600万m3(5月~7月)
※補給量というのは、期間中、ダムから川に水を供給した総量をさします。
 「②水を確保する技」で詳しく説明しています。

出展:読売新聞昭和39年7月22日夕刊

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