水管理・国土保全

  

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名取川の主な災害

洪水と渇水の歴史
水害の歴史
名取川の洪水記録は、仙台藩の事跡を記した「伊達治家記録」等から確認すると、藩政時代の250年間に52回の洪水が記録されています。

明治維新後も浸水家屋が1,300戸に及んだ明治43戸洪水をはじめ、相次ぐ洪水に見舞われおり、台風11号崩れの熱帯低気圧に起因して発生した昭和25年8月洪水は戦後最大規模の洪水となっています。

近年でも仙台の2日雨量が402mmを記録した昭和61年8月洪水、平成14年7月洪水等により被害が発生しています。


広瀬川堰付近で洪水に呑まれようとする住宅

発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1910年(明治43年) 台風 仙台市 死者・不明者360名、全半壊家屋554戸、家屋浸水1,300戸
1941年(昭和16年) 台風 仙台市 死者・不明者9名、全半壊家屋58戸、家屋浸水1,020戸
1944年(昭和19年) 台風+前線 仙台市 死者・不明者22名、全半壊家屋159戸、家屋浸水4,469戸
1944年(昭和19年) 台風 仙台市 死者4名、全半壊家屋57戸、家屋浸水2,012戸
1947年(昭和22年) カスリン台風 仙台市、名取市 死者・不明者30名、全半壊家屋209戸、家屋浸水29,704戸
1948年(昭和23年) アイオン台風 仙台市、名取市 死者・不明者67名、全半壊家屋375戸、家屋浸水33,611戸
1950年(昭和25年) 熱帯低気圧 仙台市、名取市 死者・不明者10名、全半壊家屋27戸、流出家屋286戸、家屋浸水4,542戸
1986年(昭和61年) 温帯低気圧 仙台市、名取市、岩沼市 全半壊家屋9戸、床上浸水家屋2,807戸、床下浸水家屋4,501戸
1989年(平成元年) 台風 仙台市、名取市 床上浸水家屋26戸、床下浸水家屋78戸
1994年(平成6年) 前線 仙台市、名取市、岩沼市 全半壊家屋7戸、床上浸水家屋2,145戸、床下浸水家屋3,139戸
2002年(平成14年) 台風+前線 仙台市、名取市 床上浸水家屋10戸、床下浸水家屋86戸
2011年(平成23年) 台風+前線 被害なし 被害なし
名取川河川整備計画より



昭和61年洪水

台風10号から変った温帯低気圧の北上に伴い、名取川流域も4日から5日にかけ記録的な大雨となり、仙台では総雨量402ミリを記録した。この豪雨をもたらした温帯低気圧はほぼ東北地方の海岸線に伴う形で北上したため、奥羽山系を境として平野部の低い地域に行くに従って多量の降雨となる里雨型であった。

このため水位は4日18時頃から上昇し始め、5日1時には名取橋(本川)、2時には広瀬橋(支川広瀬川)で指定水位を超え、3時間後には各々警戒水位を越え上昇し続け、11時には名取橋で7.65m、広瀬橋では12時に1.80mの最高水位となった。

その後水位は徐々に降下し、18時には名取橋で警戒水位以下となり、6日14時には指定水位以下となった。

名取川沿川の仙台、名取両市においては家屋の全壊3戸、床上浸水約2,800戸、重傷者1名、田畑の冠水約6,000ha、罹災世帯約12,000世帯などの被害であった。また、水防活動に出動した人は延べ約1,900人であった。


広瀬川合流点付近の氾濫と浸水状況




平成14年洪水

台風6号は、7月11日0時半頃房総半島に上陸した後、東北地方の太平洋側沿岸を北上、宮城県への最接近は11日7時頃に、金華山の東約30kmの海上を通過、11日15時には北海道・襟裳岬の南南東に達し、12日0時頃網走市の北西約30km付近で温帯低気圧に変った。

この雨で、名取川及び広瀬川では、水防警報対象の名取橋、閖上第二、広瀬橋の各観測所で警戒水位を超える出水となった。

各観測所で10日朝方から次第に水位が上昇し、11日3時に名取橋観測所及び閖上第二観測所で指定水位を突破したのをはじめとして、4時に広瀬橋観測所で指定水位を超えた。その後、さらに水位は上昇し、5時に名取橋及び閖上第二で、6時に広瀬橋で警戒水位を超えた。


名取川と広瀬川の合流点付近


名取川の河口部




東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
東北地方太平洋沖地震の概要
平成23 年3月11日14 時46 分、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9.0 の地震が発生し、宮城県栗原市で震度7、宮城県、福島県、茨城県、栃木県の4県37市町村で震度6強を観測したほか、東日本を中心に北海道から九州地方にかけての広い範囲で震度6弱~1を観測しました。また、この地震に伴い、東北地方から関東地方北部の太平洋側を中心に、北海道から沖縄にかけての広い範囲で津波を観測しました。

東北地方太平洋沖地震は、東北地方の太平洋側に甚大な被害をもたらし、自然災害では戦後最大の被害規模となりました。

なかでも名取川の左右岸に位置する仙台市及び名取市では、死者・行方不明者1,889 人、全壊・半壊の建物被害は、両市の全世帯数の2割~3 割程度にまで及ぶ未曾有の被害となりました。

仙台河川国道事務所の東日本大震災関連情報

名取川河口部(H21.10.12撮影)

名取川河口部(H23.3.18撮影)



堤防の被災状況(仙台市若林区日辺地先)



過去の主な渇水
渇水の歴史
名取川流域では、昭和48年、昭和53年、平成6年、平成14年、平成22年等に渇水が発生しており、取水制限、農作物への影響等、生活に深刻な影響を及ぼしました。
こうした渇水時の被害を最小限に抑えるため、河川の関係機関と利水者間で組織した渇水情報連絡会等を通じて、情報交換とその対応が行われています。


平成6年渇水時(広瀬川)

発生年月 取水制限延日数 最大取水制限率 名取川の瀬切れ発生日数
昭和48年
昭和53年
平成6年



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