水管理・国土保全

  

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地域と多摩川

地域の中の多摩川

多摩川の水は古くから流域の人々に利用されており二ヶ領用水は江戸時代の初期に完成した農業用水です。同じく江戸時代に江戸へ飲料水を供給することを目的に開削された玉川上水は、およそ350年を経た現在も東京の人々に飲み水を供給し続けています。


玉川上水




多摩川の利水史

多摩川の水は、古くから利用されており二ヶ領用水と玉川上水はどちらも江戸時代の初期に完成したものです。

 徳川家康の家臣として江戸に入った小泉次大夫吉次(じだゆうよしつぐ)は多摩川下流左岸の世田谷・六郷領に六郷用水を、右岸の稲毛・川崎領に全長約32kmにもおよぶ二ヶ領用水を開削しました。




川崎区妙遠寺にある次大夫の像


川崎市にある二ヶ領宿河原堰


六郷用水はその役割を終え、現在は一部を残すのみとなっていますが、農業用水として誕生した二ヶ領用水はその後工業用水としても利用され、現在は環境用水として都市生活に潤いを与えています。
 二ヶ領用水には、昭和16年に造られた久地円筒分水があります。
 一方向から送水されて吹き上げる水を放射状に均等にあふれさせ、送水されてくる流量が変わっても、円弧の長さに比例して一定の比率で分水される、当時の最先端をいく装置でした。




川崎市高津区久地にある円筒分水


玉川上水
二ヶ領用水に遅れること約50年、江戸の飲料水供給を目的として約43kmにもわたる玉川上水が開削されました。工事の指揮を取った庄右衛門と清右衛門の兄弟はその功績により、玉川性を名乗ることを許され、武士の身分になったといいます。



羽村取水堰横にある玉川兄弟像


そして現在
昭和30年代までは東京都の水道水源の8割を占めていた多摩川ですが、1964(昭和39)年の「オリンピック渇水」を契機に、他水系へ水源を求めるようになり現在では約2割弱となっていますが、依然として玉川上水は、東京の人々に飲み水を供給し続けています。


100年以上の歴史がある羽村取水堰









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