水管理・国土保全

  

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常願寺川の主な災害

水害の歴史
安政5年の飛越地震により荒廃河川に
 安政5年(1858年)の飛越地震は、跡津川活断層によって引き起こされた烈震で、富山での推定震度6、マグニチュード7前後の大地震でした。この地震により、常願寺川上流の立山カルデラ内で「鳶(とんび)崩れ」と呼ばれる大崩壊が発生し、湯川や真川の川筋が塞がれ、上流には湖のような大きな水たまりができました。その後、2度にわたる決壊により大規模な土石流を引き起こし、下流一帯に甚大な被害を与え、常願寺川は水源から扇状地に至る全域にわたって、一大荒廃河川と化しました。この『大鳶崩れ』は越中水害史上最大のものであったと言われています。
 常願寺川では洪水・土砂災害が年ごとに激しくなり、明治元年~明治45年の45カ年の間に41回もの洪水を引き起こし、人家や農作物に多大な被害をもたらしました。また、水源地から流出した土砂が下流に押し出され、上滝より下流は河床高が地盤高よりも高い天井川を形成しました。また、現在でも立山カルデラ内には約2.0億m3の土砂が残っており、常願寺川へ流出し続けています。



大鳶崩れ跡

発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1858(安政5年)4月 地震 死者150人  流出家屋 1,603棟  土蔵 886棟
1891(明治24)年7月 集中豪雨 堤防破堤延長 6,600m  流出田畑700ha
1912(大正元)年8月 前線性豪雨 浸水家屋300棟 馬瀬口地先堤防破堤
1914(大正3)年8月 台風 瓶岩量水標6.4m 死者1人 負傷者1人 堤防破堤2,850m 堤防決壊3,450m 橋梁流失2橋
氾濫面積5,493ha 田畑流失埋没1,020ha 宅地流失埋没180ha 浸水家屋910棟
1922(大正11)年7月 台風 常西用水堤防被害8,900m 堆積土砂の用水流入25,000坪 白岩砂防えん堤破壊
1934(昭和9)年7月 梅雨前線 堤防の浸食等10箇所 田畑流失4.9ha
1952(昭和27)年6月 梅雨前線 立山町 堤防破堤335m 堤防の浸食等8箇所 田畑流失518ha 床上浸水329棟  床下浸水 893棟
1964(昭和39)年7月 梅雨前線 根固流出 護岸欠損 水制の破損等8箇所
1969(昭和44)年8月 前線性豪雨 富山市、大山町(現富山市)、立山町 堤防破堤150m 護岸浸食等8箇所 全壊流出28棟  半壊床上浸水 28棟  床下浸水 40棟
1978(昭和53)年6月 集中豪雨 護岸根固工床 水制の欠壊 護岸浸食等9ヶ所 (最大被災延長216m)
1995(平成7)年7月 梅雨前線 根固流出 河岸侵食等5箇所 (最大被災延長400m 最大侵食幅200m)
1998(平成10)年8月 梅雨前線 護岸・根固流失 河岸侵食等5箇所 (最大被災延長240m 最大侵食幅40m)



安政5年4月洪水
大地震・大土石流
2月25日の大地震による水源地の大鳶・小鳶の山峰が崩壊し川筋を塞ぎ、3月13日その水が溢水し、4月26日遂に大決壊となり、岩峅寺にある雄山神社境内まで浸水しました。このため、下流一帯に甚大な被害を与え、水源から扇状地に至る全域にわたって、一大荒廃河川と化し、この洪水による被害は、当時の富山藩領内の18ヶ村に及び、大地は所々亀裂を生じ、人々は家財を棄て争って逃げまどい、大騒ぎになったと伝えられています。
 被害は沿岸堤防を一挙に破壊し、死者140人、負傷者8,945人、流出家屋1,603戸にも及び、氾濫域には、洪水のとき上流の山地部から流されてきた直径4~7mの大転石が40数個も現存しています。


大場の大転石


治水見聞録(所蔵:富山県立図書館)



昭和以降の洪水
昭和44年8月洪水
前線の停滞により8月8日夜より断続的に降り続いていた雨は、11 日未明にかけて集中豪雨となり、この降雨により上滝水位観測所では本川としては例にみない警戒水位の持続を記録しました。
 直轄管理区域では、近年にない大出水により全川にわたり護岸根固沈下流失、水制 の破損、倒壊等の大きな被害を受け、岩峅野地先で地元住民、水防団約150名の必死の水防活動も手のほどこしようもなく、堤防150mが決壊しました。土石流を含む激しい洪水流が堤防を洗掘し、計画高水位以下での決壊でした。
 富山地方鉄道立山線では上滝鉄橋が破損し、富山地方鉄道は不通になりました。


岩峅野地先での決壊状況


不二越・上滝線富山地方鉄道橋の被災



平成10年8月洪水
南から暖かく湿った空気が流れ込み、活性化した梅雨前線が北陸付近で停滞したため、8月6日深夜より雨が降り始め、昼前までの短時間に非常に強い雨となり、常願寺川では、高水敷の欠壊、根固工の流失など5箇所で被害が発生し、その総延長は750m(最大被災延長240m 最大侵食幅40m)にも及びました。


出水による河岸侵食(大島地先)


局所洗掘・側方侵食の発生



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