■旧石器時代(2万5千年前~1万3千年前)~縄文・弥生時代(1万年前~2000年前)
猪名川沿いには多くの遺跡が発見されていることから昔からたくさんの人が住んでいた事がわかります。中でも最も古い遺跡は、川西市の西南部にある加茂遺跡で、今から25,000~15,000年以上前のものと考えられています。
■古代【古墳時代~奈良時代】(3世紀末~7世紀)
猪名川流域のことを名づけた「猪名県(いなあがた)」という地名が歴史のうえで出てくるのは、日本書紀によるものです。この頃の猪名県は、大陸や朝鮮半島から渡ってきた特殊な技術をもった人々が生活していた地域であったと考えられており、こうした人々を帰化人といい、彼らの進んだ文化は、今までの農耕技術に大きな変化をもたらせたと考えられています。平安時代の記録には、為奈野牧(伊丹市荒牧付近)や豊島牧(箕面市牧落付近)という放牧地の地名がみられ、大きな力をもった貴族たちの遊猟地になっていたと考えられています。
■中世【平安時代~室町時代】(7世紀末~16世紀末)
農業が盛んになるにつれ、各地を治めている貴族が土着して、豪族を従え武力を持つようになり、川辺郡多田庄(川西市)は、摂津源氏の本拠地として有名です。また、平安時代から戦国時代にかけて、神崎川との合流点の神崎(尼崎市)は、河港都市として栄え、橋や渡船場があり関所が設けられていたそうです。
■近世【安土・桃山時代~江戸時代】(16世紀末~19世紀中頃)
時代が移り、ますます農業が大切になると、洪水が人々の生活に大きな害をもたらすようになります。近世に入り、堤を築いたり、川ざらえ、開削工事など数多くの土木工事が行われていたそうです。また、川辺・能勢・豊島郡の村々から切り出された材木を筏に組んで、猪名川に流して運ばれていたそうです。天明4年(1784)に猪名川高瀬通船が、下河原村(伊丹市)と戸之内村(尼崎市)との間に開かれ、流域の村々に米や薪炭などを運ばれていたそうです。