Title Umataka Jomon Museum Captions

  • Niigata
Topic(s):
Historic Sites/Castle Ruins
Medium/Media of Use:
App, QR code, etc.
Text Length:
751+ Words
FY Prepared:
2020
Associated Tourism Board:
echigonagaoka kankoshinkoiinkai

馬高縄文館キャプション


馬高縄文館

 この博物館は、長岡の有名な「火焔土器」の破片が発見された馬高・三十稲場遺跡に建てられています。「火焔土器ミュージアム」の愛称で親しまれており、その遺跡で発掘された土器の展示・保管・研究を行っています。


本館には3つの目的があります。

 1.遺跡の遺物を展示して人々に伝えること。

 2.これらの日本の重要文化財を収蔵し、保管すること。

 3.この遺跡の歴史とそこから発掘された遺物について、子供を始め多くの人に教育すること。

馬高・三十稲場遺跡

 馬高・三十稲場は、縄文時代(紀元前15,000–紀元前900年)に信濃川左岸にあった大規模な集落跡が発見された場所です。

 馬高遺跡は、遺跡の東側に位置し、5,500年前から4,500年前の中期縄文時代のものになります。三十稲場遺跡は遺跡の西側を占め、約4,500年前から3,200年前の後期縄文時代のものです。

 馬高遺跡には北と南に集落があります。先に形成されたのは北の集落で、ここで最初に火焔土器が発見されました。三十稲場遺跡では、南へ移動しながら徐々に人口が増え、大規模な集落へと発展していった様子を見ることができます。

 馬高・三十稲場遺跡は、1979年に両方あわせて国指定史跡になりました。

重要文化財の火焔土器

 この地域の火焔型土器の最初の例は、1936年に馬高遺跡で発見されました。土器上部の装飾が燃えあがる炎に似ていることが名前の由来です。

 後に考古学者の中村孝三郎氏は、この土器を「火焔型A式1号」と分類しました。この土器はその後、新潟だけでなく、全国の他の縄文時代の遺跡の「火焔土器」の参考になりました。

馬高遺跡の火焔土器

 ここでは、「火焔型」と「王冠型」の2種類の「馬高火焔土器」の例を見ることができます。

 火焔型土器の特徴は、4つの鶏冠状突起と縁の部分の鋸歯状突起です。これとは異なり、王冠型は短冊状突起があります。深鉢形のものが一般的ですが、馬高遺跡では浅鉢の火焔型の珍しい例も出土しています。ここでの例はいずれも、約5000年前の縄文時代中期のものです。

長岡の火焔土器

 これらは、考古学者らが長岡で発見した火焔型土器と王冠型土器です。長岡市には、与板、三島、栃尾など、縄文時代(紀元前15,000–紀元前900年)の発掘現場が30カ所以上あります。

火焔土器の分類

 火焔土器は、その装飾的な要素によって4つに分類されます。

Aグループ:一般によく見かける炎と王冠の装飾が施された土器。

Bグループ:矢印のようなくぼみを特徴とする土器。

Cグループ:東北南部全域に共通する「大木」土器の影響を受けた土器。

Dグループ:表面に縄の文様(縄文)がついているだけのシンプルな形の土器。圧倒的に最も一般的なタイプの出土品です。

火焔土器の変遷

 長岡遺跡で見られる火焔土器には、3~4段階の変化があるようです。東山丘陵の山下遺跡の住民は、この地域で初めて火焔土器を作りました。

 初期の土器はずん胴でくびれがはっきりしておらず、縁の細部が大きく欠けています。馬高遺跡や岩野原遺跡から出土した後期の例では、装飾の縁が外側に大きく広がり、胴部のくびれが発達しています。

 縄文時代中期、約5000年前に火焔土器が登場してからしばらくの間、火焔土器は栄えました。


火焔土器の分布

 新潟県内ではこれまでに150カ所の遺跡から火焔土器が発見されています。その多くは信濃川の中流と上流(長岡市、十日町市、津南町)に集中していますが、他の川岸でも遺跡が発見されており、日本西側の海や佐渡島周辺にまで及んでいます。

 新潟県西部の発掘調査では、火焔土器の例が比較的少ないことが判明しています。

火焔土器の用途

 火焔型と王冠型の土器を調べると、煤の跡が見られます。これは、これらの土器で料理をしていたという説を裏付けるものです。料理の種類によって異なる土器が使われていたようです。火焔型や王冠型は、生活に用いる土器全体の1割程度のため、祭祀などに使われたと推定されています。しかし火焔型土器が、装飾性のない土器と同じ状態で発見されているのは注目すべき点です。これらの土器が特定の場所に置かれたり、埋葬されたりした例はほとんどありません。

縄文中期前半からの北の集落

 北の集落の住居のほとんどが竪穴(地面から垂直に掘った穴)住居でした。貯蔵穴や墓、共同のゴミ捨て場の跡もあります。

 竪穴住居のほとんどは、長さ約8メートル、幅約4メートルの長方形でしたが、楕円形や円形のものもありました。

 集落は中央の広場を囲むように10軒ほどの竪穴住居が配置された環状集落で、直径は最大100メートルに及びました。


貯蔵穴と墓

 各集落には、通常、幅約1メートル、深さ約1.5メートルの貯蔵穴がありました。底面は、最大の貯蔵容量を確保するために広くなっていました。

 中央の広場の脇には埋葬場所がありました。村人たちは深さ1~1.5メートルの楕円形の穴に死者を埋葬していました。調査によると、大きな立石が目印になっていたようです。

ゴミ捨て場と落とし穴

 村のはずれでは、大量の土器が入った穴の遺跡が発見されました。さらに調査した結果、この穴はゴミ捨て場として使われ、捨てられた道具や壊れたものが集められていたことが判明しました。

 他の場所では、長さ約1.5メートル、深さ約1メートルの竪穴が発見され、鹿などの野生動物や熊などの大型哺乳類を捕える落とし穴だったと考えられています。

 集落の西には、重要な水源である小川がありました。

土偶

 これらの女性像は粘土で作られ、皿状の頭部と目立つ胸とへそが特徴的です。現存するサンプルのほとんどは胴体だけが残り、手足は胴体から離れていて完全な形で発掘されるのは稀です。

 馬高の縄文人は、これらの土偶を儀式に使用したと考えられています。特に、五穀豊穣や子孫繁栄、安産、健康を祈願したのではないかと推定されています。

ビーズと耳飾り

 縄文時代(紀元前15,000–紀元前900年)は、装飾用のビーズや耳飾りが好まれていました。特にヒスイはペンダントとして好まれました。これまでの発掘調査では数個しか出土していないため、非常に貴重なものとなっています。

 また、耳たぶに直接はめ込む粘土製の耳飾りも普及していました。専門家は、これらのアイテムは装飾的な意味合いのみでなく、宗教的な意味も持っていたと考えています。

三十稲場遺跡 粘土採掘と住居

 三十稲場の住居はほとんど円形のデザインです。中には石造りの囲炉裏があり、中央には土器が置かれています。

 集落の南側には、長さ6メートル、幅4メートル、深さ3メートルの大きな竪穴があります。村人たちは良質な粘土を求めて、ここの表土の下を掘っていたと思われます。これが土器を作るための粘土の原料になったと考えられています。このような粘土採掘場は、新潟県でも貴重な発見となっています。

三十稲場式土器の誕生と普及

 三十稲場式土器の名称は、三十稲場遺跡での出土品に由来しています。三十稲場式土器は、へらなどの道具を使って模様をつけたり、穴を開けたりするのが特徴的です。縄文時代の他の土器とは異なり、土製の蓋も作っていました。

 特に信濃川・阿賀野川流域周辺では、三十稲場様式が多く見られます。火焔土器とともに、新潟県のこの地域特有の先史時代の文化を反映しています。

馬高繩文館


馬高繩文館

這座博物館建於「馬高·三十稻場遺跡」開掘原址上,長岡著名的「火焰土器」就出土於此。這些土器的展示、收藏和研究工作都在這裡展開,因此本館又被暱稱為「火焰土器博物館」。

博物館主要負責三大任務:

  1. 展出並介紹該遺跡出土的文物。
  2. 收藏並妥善保管這些日本的國家重要文化財產。
  3. 向學童和訪客介紹遺跡歷史及進行關於出土文物的教育。

馬高·三十稻場遺跡

這是一處位於信濃川左岸的繩文時代(西元前15,000年—西元前900年)大型聚落遺跡,出土於馬高·三十稻場。

馬高遺跡位於整個遺跡東部,其歷史可以追溯到繩文時代中期,大約5500年至4500年前。三十稻場遺跡則佔據了西部區域,年代較晚大約在4500年到3200年前之間。

馬高遺跡分北村和南村,後者時間較晚。火焰土器最初發現於北村,而在三十稻場遺跡,我們可以看到人口是如何隨著南移逐漸增加,並最終發展為大型聚落。

馬高·三十稻場遺跡在1979年被共同指定為國家史跡。


火焰土器:重要文化財產

這是當地發現的第一件火焰土器,1936年出土於關原,「火焰」之名源自這些土器頂部形似燃燒火焰的裝飾。

後來,考古學者中村孝三郎將這件土器編號為「火焰型,A類,1號」,從此為「火焰土器」這一文物品類立下了參考標準,規範適用於新潟縣及日本其他區域繩文時代遺跡出土的所有同類文物。


馬高遺跡的火焰土器

在這裡你能看到馬高火焰土器中的兩種類型:火焰型和王冠型。

火焰型更常見,其特點在於由四個大突起構成的鋸齒狀頂邊;而王冠型的不同之處在於,它的突起更接近山峰狀。這兩類土器通常都較深,但馬高遺跡還出土了一種罕見的火焰型淺碗。此處展示的兩種土器都出自約5000年前的繩文時代中期。


長岡的火焰土器

這些火焰型和王冠型土器都是考古學家在長岡發掘出土的。全市周圍目前共有30餘處繩文時代(西元前15,000—前900年)發掘遺跡,分佈在與板、三島、栃尾等多處地方。


火焰土器的分類

基於裝飾要素的不同,火焰土器被分為以下四種類型:

A類,具備普通火焰和王冠式裝飾。

B類,器身有箭矢狀壓痕。

C類,受「大木」土器風格影響,這一風格在東北地區南部很常見。

D類,器型簡單,僅器身表面有繩狀紋飾(繩文)。現已出土的土器中絕大多數都屬於這一類,是最常見的類型。


火焰土器的變遷

觀察長岡地區各遺跡可以看出,火焰土器的發展經歷了三個或四個階段的變遷,東山丘陵山下遺跡的居民是該地區火焰土器的第一批製作者。

早期土器器型矮壯,沒有明顯的腰部,口緣處沒有任何明確細節。而在馬高遺跡和岩野原遺跡出土的較晚期器具上,我們可以看到器型的發展變化,具體表現為主體收縮,口緣處的火焰狀裝飾明顯外擴。

火焰土器最初出現於約5000年前的繩文時代中期,此後經歷了一段短暫的繁榮期。


火焰土器的分佈

截至目前,新潟縣內共有150處遺址出土了火焰土器,其中大部分遺址都集中在信濃川中上游河段,即在長岡市、十日町市和津南町一帶。不過,其他水岸還有一些遺址也已經被發掘,其分佈遠至日本海和佐渡島地區。

在新潟縣西部的發掘中,火焰土器出土相對較少。


火焰土器的用途

細考火焰型和王冠型土器,能看到器身上有經火變黑的痕跡,這佐證了這類土器是被用作炊具的推論,而不同的器具類型似乎也與不同的烹飪方式相關。其中部分器具也可能是在節日或儀式上使用的禮器。需要留意的是,火焰型土器與無裝飾土器都是在同樣的環境條件下出土的,只有極少量器具被放置或埋藏在特殊場所。


繩文時代中葉前半段的北部村落

北部村落裡的大部分居所都在地面以下,有證據顯示村落中有貯藏穴和墳墓,甚至還有一處公共的垃圾處理區。

這種豎穴居所大多為長方形,約8公尺長,4公尺寬,但也有一些橢圓或圓形穴居。

長方形穴居整體呈放射狀分佈在直徑最大處為100公尺的圓形區域內,穴居長的一側面向村中心。


貯藏穴和墳墓

每個居住單元內都有一個貯藏穴,通常為1公尺口徑、1.5公尺深,穴底寬闊盡可能確保儲藏空間夠大。

墓葬區緊鄰中央廣場區域,村民將死者埋葬在1公尺至1.5公尺深的橢圓形洞穴裡。研究表明,該區域內的大塊立石可能就是墓碑。


垃圾處理和陷阱

村莊週邊的一處穴坑裡挖掘出了大量土器。進一步研究的結論認為,這處穴坑很可能是廢物處理場,廢棄的工具和破損的器物都被集中丟棄在這裡。

另一處還發現了一個長約1.5公尺、深約1公尺的穴坑,此處被認為是捕獵野生動物的陷阱,目標是鹿,也可能包括熊等更大型的哺乳動物。

村落西面有一條小河,是重要的水源。


土偶

這些女性塑像「土偶」(Dogu)為黏土捏製而成,其顯著特徵在於碟狀的頭顱、碩大的乳房和肚臍。現存樣品大多僅軀幹部分保存完整,胳膊和腿腳都已分離。完整的土偶難得一見。

據推測,馬高繩文人製作這些土偶應當是在儀式中使用,可能用於祈禱豐收、順產、子孫健康等等各種事項。


珠串與耳飾

裝飾性的珠串和耳飾在繩文時代(西元前15,000—前900年)很常見,硬玉製成的墜飾尤其受歡迎。到目前為止,這類文物只有少量出土,因此具有極高的價值。

直接穿過耳洞佩戴的粘土耳飾也很普遍。專家認為,這些器物並不只起到裝飾的作用,很可能同時在精神或宗教信仰活動中扮演著一定的角色。


三十稻場遺跡:黏土開採及居所

三十稻場的大多數居所都設計為圓形。居所內通常有一個石頭火坑,火坑中央置一土器。

村落南側發現了一個大坑,長6公尺、寬4公尺、深3公尺。據推測應當是村民挖掘表層土壤下方的優質黏土所致,製作土器的黏土很可能就出自這裡。同時期的這類黏土坑在如今的新潟縣內十分少見。


三十稻場式土器的出現與傳播

三十稻場式土器因相關文物出土於三十稻場遺跡而得名,這類土器的一大特點在於工具的應用,土器身上的圖案或空洞都是借助刮刀等工具完成,與已出土的繩文時代大多數土器不同,三十稻場式土器通常都配有蓋子。

三十稻場式土器主要流傳於信濃川與阿賀野川流域一帶,與火焰土器共同展現了新潟縣這部分地域所特有的史前文化面貌。

马高绳文馆


马高绳文馆

这座博物馆建于“马高·三十稻场遗迹”开掘原址上,长冈著名的“火焰土器”就出土于此。这些土器的展示、收藏和研究工作都在这里展开,因此,本馆又被昵称为“火焰土器博物馆”。

博物馆主要承担三大职责:

  1. 展出并介绍该遗迹出土的文物。
  2. 收藏并妥善保管这些日本的国家重要文化财产。
  3. 对学童和访客开展有关出土文物的教育,介绍遗迹历史。

马高·三十稻场遗迹

这是一处位于信浓川左岸的绳文时代(公元前15,000年—公元前900年)的大型聚居地遗迹,出土于马高·三十稻场。

马高遗迹位于整个遗迹东部,其历史可以追溯到大约5500年至4500年前的绳文时代中期。三十稻场遗迹则占据了西部区域,年代较晚,大约在4500年到3200年前之间。

马高遗迹分北村和南村,后者时间较晚,火焰土器最初发现于北村。而在三十稻场遗迹,我们可以看到人口是如何随着南移逐步增长,并最终发展为大型聚居地的。

马高·三十稻场遗迹在1979年被共同指定为国家史迹。


火焰土器:重要文化财产

这是本地发现的第一件火焰土器,1936年出土于关原。“火焰”之名源自这些土器顶部形似燃烧火焰的装饰。

后来,考古学者中村孝三郎将这件土器编号为“火焰型,A类,1号”,从此为“火焰土器”这一文物品类立下了参考标准,规范适用于新潟(音“戏”)县及日本其他区域绳文时代遗迹出土的所有同类文物。


马高遗迹的火焰土器

在这里,你能看到马高火焰土器中的两种类型:火焰型和王冠型。

火焰型更常见,其特点在于由四个大突起构成的锯齿状顶边。而王冠型的不同之处在于,它的突起更接近山峰状。这两类土器通常都较深,但马高遗迹还出土了一种罕见的火焰型浅碗。此处展示的两种土器都出自约5000年前的绳文时代中期。


长冈的火焰土器

这些火焰型和王冠型土器都是考古学家在长冈发掘出土的。全市周边目前共有30余处绳文时代(公元前15,000—前900年)发掘遗迹,分布在与板、三岛、栃尾等多处。


火焰土器的分类

基于装饰要素的不同,火焰土器被分为以下四种类型:

A类,具备普通火焰和王冠式装饰。

B类,器身有箭矢状压痕。

C类,受“大木”土器风格影响,这一风格在东北地区南部很常见。

D类,器型简单,仅器身表面有绳状纹饰(绳文)。现已出土的土器中绝大多数都属于这一类,最为常见。


火焰土器的变迁

观察长冈地区各遗迹可以看出,火焰土器的发展经历了三个或四个阶段的变迁。东山丘陵山下遗迹的居民是该地区火焰土器的第一批制作者。

早期土器器型矮壮,没有明显的腰部,口缘处没有任何明确细节。而在马高遗迹和岩野原遗迹出土的较晚期器具上,可以看到器型的发展变化,具体表现为主体收缩,口缘处的火焰状装饰明显外扩。

火焰土器最初出现于约5000年前的绳文时代中期,此后经历了一段短暂的繁荣期。


火焰土器的分布

截至目前,新潟县内共有150处遗址出土了火焰土器。其中大部分遗址都集中在信浓川中上游河段,即在长冈市、十日町市和津南町一带。不过,其他水岸还有一些遗址也已经被发掘,其分布远至日本海和佐渡岛地区。

在新潟县西部的发掘中,火焰土器出土相对较少。


火焰土器的用途

细考火焰型和王冠型土器,能看到器身上有经火变黑的痕迹,这验证了这类土器是被用作炊具的推论。而不同的器具类型似乎也与不同的烹饪方式相关,其中部分器具也可能是在节日或仪式上使用的礼器。需要留意的是,火焰型土器与无装饰土器都是在同样的环境条件下出土,只有极少数器具被放置或埋藏在特殊场所。


绳文时代中叶前半段的北部村落

北部村落里的大部分居所都在地面以下,有证据显示村落中有贮藏穴和坟墓,甚至还有一处公共的垃圾处理区。

这种竖穴居所大多为长方形,约8米长,4米宽,但也有一些椭圆或圆形穴居。

长方形穴居整体呈放射状,分布在直径最大处为100米的圆形区域内,穴居长的一侧面向村中心。


贮藏穴和坟墓

每个居住单元内都有一个贮藏穴,通常为1米口径,1.5米深,穴底宽阔,确保了尽可能大的贮藏空间。

墓葬区紧邻中央广场区域,村民将死者埋葬在1米至1.5米深的椭圆形洞穴里。研究表明,该区域内的大块立石可能就是墓碑。


垃圾处理和陷阱

村庄外围的一处坑穴里发掘出了大量土器。根据进一步研究得出的结论,这处坑穴很可能是废物处理场,废弃的工具和破损的器物都被集中丢弃在这里。

另一处还发现了一个长约1.5米、深约1米的坑穴,它被认为是捕猎野生动物的陷阱,目标是鹿,也可能包括熊等更大型的哺乳动物。

村落西面有一条小河,是重要的水源。


土偶

这些女性塑像“土偶”(Dogu)为粘土捏制而成,其显著特征在于碟状的头颅、硕大的乳房和肚脐。现存样品大多仅躯干部分保存完整,胳膊和腿脚都已分离。完整的土偶难得一见。

据推测,马高绳文人制作这些土偶是为了用在某些仪式上,特别是祈祷丰收、顺产、子孙健康等方面。


珠串与耳饰

装饰性的珠串和耳饰在绳文时代(公元前15,000—前900年)很常见,硬玉制成的坠饰尤其受欢迎。到目前为止,这类文物只有少量出土,因此具有极高的价值。

直接穿过耳洞佩戴的粘土耳饰也很普遍。专家认为,这些器物并不只起到装饰的作用,很可能同时在精神或宗教信仰活动中扮演着一定的角色。


三十稻场遗迹:粘土开采及居所

三十稻场的大多数居所都被设计为圆形。居所内通常有一个石头火塘,火塘中央置一土器。

村落南侧发现了一个大坑,长6米,宽4米,深3米。估计是村民挖掘表层土壤下方的优质粘土所致,而制作土器的粘土很可能就出自这里。同时期的这类粘土坑在如今的新潟县内十分罕见。


三十稻场式土器的出现与传播

三十稻场式土器因相关文物出土于三十稻场遗迹而得名。这类土器的一大特点在于使用了工具加工,器身上的图案或空洞都借助刮刀等工具完成。与已出土的绳文时代大多数土器不同,它们通常都配有盖子。

三十稻场式土器主要流传于信浓川与阿贺野川流域一带,它与火焰土器共同展现了新潟县这一地区特有的史前文化面貌。

우마타카조몬칸 캡션


우마타카조몬칸

 이 박물관은 나가오카의 유명한 ‘화염 토기’의 파편이 발견된 우마타카·산주이나바 유적에 세워졌습니다. ‘화염 토기 박물관’의 애칭으로 사랑받고 있으며, 이 유적에서 발굴된 토기를 전시, 보관, 연구하고 있습니다.


본관에는 3가지 목적이 있습니다.

 1. 유적의 유물을 전시해 사람들에게 전달하는 것.

 2. 이러한 일본의 중요문화재를 수장하고 보관하는 것.

 3. 이 유적의 역사와 그곳에서 발굴된 유물에 관하여 아이들을 비롯해 많은 사람들에게 교육하는 것.

우마타카·산주이나바 유적

 우마타카·산주이나바는 조몬 시대(기원전 15000–기원전 900년)에 시나노 강 왼쪽 기슭에 있던 대규모 마을 터가 발견된 곳입니다.

 우마타카 유적은 유적의 동쪽에 있으며, 5500년 전부터 4500년 전인 조몬 시대 중기의 유적입니다. 산주이나바 유적은 유적의 서쪽을 차지하고 있으며, 약 4500년 전부터 3200년 전인 조몬 시대 후기의 유적입니다.

 우마타카 유적에는 북쪽과 남쪽에 마을이 있습니다. 북쪽 마을이 먼저 형성되었으며, 이곳에서 최초로 화염 토기가 발견되었습니다. 산주이나바 유적에서는 남쪽으로 이동하면서 서서히 인구가 늘어나 대규모 마을로 발전해가는 모습을 볼 수 있습니다.

 우마타카·산주이나바 유적은 1979년에 모두 국가지정사적이 되었습니다.

중요문화재 화염 토기

 이 지역 화염형 토기의 첫 번째 사례는 1936년에 우마타카 유적에서 발견됐습니다. 토기 윗부분의 장식이 타오르는 불꽃과 닮아 이러한 이름이 붙여졌습니다.

 이후 고고학자 나카무라 고자부로 씨는 이 토기를 ‘화염형 A식 1호’로 분류했습니다. 이 토기는 이후 니가타뿐만 아니라 그 외 일본 전국의 조몬 시대 유적지에서도 ‘화염 토기’의 참고가 되었습니다.

우마타카 유적의 화염 토기

 이곳에서는 ‘화염형’과 ‘왕관형’ 2종류의 ‘우마타카 화염 토기’ 사례를 볼 수 있습니다.

 화염형 토기의 특징은 4개의 계관 모양 돌기와 테두리 부분의 톱니 모양 돌기입니다. 이와 달리 왕관형은 긴 직사각형 모양 돌기가 있습니다. 깊은 바리 모양 토기가 일반적이지만, 우마타카 유적에서는 얕은 바리 화염형의 희귀한 사례도 출토되고 있습니다. 이곳에 있는 사례들은 모두 약 5000년 전 조몬 시대 중기의 유물들입니다.

나가오카의 화염 토기

 이것들은 고고학자들이 나가오카에서 발견한 화염형 토기와 왕관형 토기입니다. 나가오카시에는 요이타, 미시마, 도치오 등 조몬 시대(기원전 15000–기원전 900년) 유적의 발굴 현장이 30여 곳 이상 있습니다.

화염 토기의 분류

 화염 토기는 장식적인 요소에 따라 4가지로 분류됩니다.

A그룹: 일반적으로 쉽게 볼 수 있는 불꽃과 왕관 장식이 있는 토기.

B그룹: 화살표 모양으로 움푹 팬 것이 특징인 토기.

C그룹: 동북 남부 전역에 공통으로 있는 ‘다이기’ 토기의 영향을 받은 토기.

D그룹: 표면에 새끼줄 문양(조몬)만 장식된 간단한 형태의 토기. 압도적으로 가장 일반적인 형식의 출토품입니다.

화염 토기의 변천

 나가오카 유적에서 볼 수 있는 화염 토기에는 3~4단계의 변화가 있다고 합니다. 히가시야마 구릉에 있는 산 아래 유적의 주민은 이 지역에서 처음으로 화염 토기를 만들었습니다.

 초기의 토기는 짧고 통통해 잘록한 부분이 뚜렷하지 않고, 테두리의 세부적인 부분이 많이 부족한 상태입니다. 우마타카 유적이나 이와노하라 유적에서 출토된 후기의 사례에서는 테두리가 바깥쪽으로 크게 펼쳐지며 몸통 부분의 잘록함이 발달되어 있습니다.

 조몬 시대 중기, 약 5000년 전에 화염 토기가 등장한 후 한동안 화염 토기는 인기를 끌었습니다.


화염 토기의 분포

 니가타현 내에서는 지금까지 150곳의 유적에서 화염 토기가 발견되었습니다. 대부분 시나노 강의 중류와 상류(나가오카시, 도카마치시, 쓰난마치)에 집중되어 있지만, 다른 강기슭에서도 유적이 발견되어 일본 서쪽 바다와 사도 섬 주변까지 분포되어 있습니다.

 니가타현 서부의 발굴 조사에서는 화염 토기의 사례가 비교적 적은 것으로 판명됐습니다.

화염 토기의 용도

 화염형과 왕관형 토기를 조사하면 그을음 흔적이 보입니다. 이는 이러한 토기로 요리를 했다는 설을 뒷받침합니다. 요리의 종류에 따라 다른 토기가 사용된 듯합니다. 화염형과 왕관형은 생활에 활용하는 토기 전체의 10% 정도를 차지하므로, 제사와 같은 곳에 쓰인 것으로 추정됩니다. 하지만 화염형 토기가 장식이 없는 토기와 같은 상태로 발견된 점은 주목할 필요가 있습니다. 이러한 토기를 특정 장소에 두거나 매장한 사례는 거의 없습니다.

조몬 중기 전반부터 형성된 북쪽 마을

 북쪽 마을의 주민 대부분은 수혈(지면에서 수직으로 파낸 구멍)주거였습니다. 저장과 무덤, 공동 쓰레기장의 흔적도 있습니다.

 수혈주거의 대부분은 길이 약 8m, 폭 약 4m의 직사각형 구조였지만, 타원형이나 원형 구조로 된 것도 있었습니다.

 마을은 중앙의 광장을 에워싸듯이 10여 곳의 수혈주거가 배치된 환상 취락이었으며, 직경은 최대 100m에 달했습니다.


저장 구멍과 무덤

 각 마을에는 일반적으로 폭 약 1m, 깊이 약 1.5m의 저장 구멍이 있었습니다. 바닥 면은 최대 저장 용량을 확보하기 위해 넓게 만들어졌습니다.

 중앙의 광장 옆에는 매장하는 장소가 있었습니다. 마을 사람들은 깊이 1~1.5m의 타원형 구멍에 고인을 매장했습니다. 조사에 따르면 큰 돌이 장소를 표시하기 위해 세워져 있었다고 합니다.

쓰레기장과 함정

 마을 변두리에서는 대량의 토기가 들어 있는 구멍 유적이 발견되었습니다. 또한 조사한 결과, 해당 구멍은 쓰레기장으로 쓰였으며, 버려진 도구나 부서진 것들이 모여 있었던 것으로 판명되었습니다.

 다른 곳에서는 길이 약 1.5m, 깊이 약 1m의 수혈이 발견되었으며, 사슴과 같은 야생 동물이나 곰과 같은 대형 포유류를 잡는 함정이었던 것으로 추정됩니다.

 마을 서쪽에는 중요한 원천인 작은 개울이 있었습니다.

토우

 이러한 여성상은 점토로 만들어졌으며, 접시 모양의 머리 부분과 눈에 띄는 가슴, 배꼽이 특징입니다. 현존하는 샘플 대부분은 몸통만 남아 있으며, 손발은 몸통에서 떨어져 완전한 형태로 발견되는 경우는 드뭅니다.

 우마타카의 조몬인들은 이러한 토우를 의식에 사용한 것으로 보입니다. 특히 오곡 풍작이나 자손 번영, 순산, 건강을 기원한 것으로 추정됩니다.

장식용 구슬과 귀걸이

 조몬시대(기원전 15000–기원전 900년)는 장식용 구슬과 귀걸이를 즐겨 사용했습니다. 특히 비취(옥)는 목걸이 장식품으로 선호되었습니다. 지금까지의 발굴 조사에서는 몇 점밖에 출토되지 않았기 때문에 매우 귀중한 물건으로 여겨집니다.

 또한 귓불에 직접 끼워 넣는 점토로 만든 귀걸이도 보급되었습니다. 전문가는 이러한 물건들이 장식적인 의미뿐만 아니라 종교적인 의미도 지니고 있었을 것이라 추정합니다.

산주이나바 유적 점토 채굴과 주거

 산주이나바의 주거는 대부분 원형으로 디자인되었습니다. 안에는 돌로 만든 이로리 화로가 있으며 중앙에는 토기가 놓여 있습니다.

 마을 남쪽에는 길이 6m, 폭 4m, 깊이 3m의 큰 수혈이 있습니다. 마을 사람들은 양질의 점토를 찾기 위해 이곳의 겉흙 아래를 파낸 것으로 보입니다. 이것이 토기를 만들기 위한 점토의 원료가 된 것으로 추정됩니다. 이러한 점토 채굴장은 니가타현에서도 귀중한 발견으로 여겨집니다.

산주이나바식 토기의 탄생과 보급

 산주이나바식 토기의 명칭은 산주이나바 유적의 출토품에서 유래했습니다. 산주이나바식 토기는 주걱 같은 도구를 사용해 무늬를 넣거나 구멍을 내는 것이 특징입니다. 조몬 시대의 다른 토기와는 달리 흙으로 된 뚜껑도 만들었습니다.

 특히 시나노 강·아가노 강 유역 주변에서는 산주이나바 양식을 많이 볼 수 있습니다. 화염 토기와 함께 니가타현의 해당 지역 특유의 선사 시대 문화가 반영되어 있습니다.

Umataka Jomon Museum Captions


The Umataka Jomon Museum

This museum stands on the sites of the Umataka-Sanjuinaba excavation, where pieces of Nagaoka’s famous “flame pottery” were discovered. Nicknamed the “Flame Pot Museum,” it serves as a place to display, store, and study the earthenware recovered from the sites.

Our main building serves three purposes:

  1. To exhibit artifacts from the site and tell the public about them.
  2. To house and preserve these Important Cultural Properties of Japan.
  3. To educate schoolchildren and others about the history of this site and the items recovered from it.

The Umataka-Sanjuinaba Sites

The remains of a large-scale settlement, located on the left bank of the Shinano River during the Jomon period (15,000–900 BCE), were unearthed at Umataka-Sanjuinaba.

The Umataka remains lie in the eastern part of the site. These date from the mid-Jomon period, between 5,500 and 4,500 years ago. The Sanjuinaba remains occupy the western part of the site and date from a later period, around 4,500 to 3,200 years ago.

The Umataka remains are of a northern village and a southern village, the latter of which was established later. Flame pottery was first discovered at the northern village. At the Sanjuinaba remains, we can see how the population gradually grew into a large-scale settlement while shifting southward.

The Umataka-Sanjuinaba sites were collectively designated a National Historic Site in 1979.



Flame Pottery: An Important Cultural Property

This first example of regional flame pottery was discovered in Sekihara in 1936. The name comes from the decorations at the top of the pots, which resemble burning flames.

Later, archaeologist Nakamura Kozaburo classified this pot as “Flame, A-type, no. 1.” It thereafter became a point of reference for other “flame pots,” not only in Niigata but also at Jomon-period sites in other parts of Japan.



The Flame Pottery of Umataka

Here, you can see examples of two types of Umataka flame pottery: the flame type and the crown type.

The more common flame type is notable for its four large protrusions with serrated edges. This differs from the crown type, which has protrusions resembling mountain peaks. The pots are generally deep, but the Umataka site also yielded a rare example of a shallow flame-type bowl. Both examples here come from the mid-Jomon period, around 5,000 years ago.



Nagaoka Flame Pottery

Archaeologists discovered these flame-type and crown-type pots in Nagaoka. There are more than 30 Jomon-period (15,000–900 BCE) excavation sites around the city, in areas such as Yoita, Mishima, and Tochio.



Groups of Flame Pottery

Flame pottery is divided into four groups based on its decorative elements.

Group A are pots with the common flame and crown decorations.

Group B are pots characterized by arrow-shaped indentations.

Group C are pots that have been influenced by the “Daigi” earthenware style, which is common across the southern Tohoku region.

Group D are pots that are simple in form, with only cord markings (jomon) on the surface. These are by the far the most common type excavated.



Changes in Flame Pottery

There appear to be three, or possibly four, stages of change in flame pottery that can be observed in the Nagaoka sites. The inhabitants of the Sanka site in the Higashiyama hills were the first in the area to make flame pottery.

The early pots are stubby, with no clearly defined waist, and lack any major detail around the rim. In later examples, taken from the Umataka and Iwanohara sites, we can see the development of a constriction of the body, with the decorative rim flaring broadly outward.

Flame pottery flourished for a short time after it first appeared in the middle of the Jomon period, around 5,000 years ago.



Distribution of Flame Pottery

A total of 150 different sites in Niigata Prefecture have yielded flame pottery discoveries thus far. Most of these are concentrated around the middle and upper reaches of the Shinano River: namely, the city of Nagaoka, city of Tokamachi, and town of Tsunan. Other sites, however, have been uncovered along other riverbanks, stretching as far out as the Sea of Japan and the Sado Island area.

Excavations in the western part of the prefecture have turned up relatively few examples of flame pottery.



Use of Flame Pottery

Examination of flame-type and crown-type pots show traces of blackening by fire. This confirms the theory that people used these pots to cook food. It seems different pots were used for different types of cooking. Some pots may also have been used for festivals or ceremonies. It should be noted that flame-type pottery is found in the same conditions as non-decorative pottery. There are very few instances of these pots being placed or buried in a specific location.



Northern Village from the First Half of the Mid-Jomon Period

Most of the dwellings in the northern village were subterranean. There is also evidence of storage holes, graves, and even a communal waste disposal area.

The pit dwellings were mostly rectangular, about 8 meters long and 4 meters wide. However, there were also some of an oval or circular shape.

Rectangular dwellings were generally arranged in a radial pattern, facing lengthways toward the center of the village at a diameter of up to 100 meters.



Storage Holes and Graves

Within each group of residential units, there was a storage hole, typically about 1 meter across and 1.5 meters deep. The bottom was wide to allow maximum storage capacity.

A burial area was located off to the side of the central open area. Villagers buried their dead in oval holes about 1 to 1.5 meters deep. Research suggests that large standing stones served as markers.



Waste Disposal and Pitfall Traps

On the outer edge of the village, remains of a hole containing large amounts of pottery were discovered. Further study led to the conclusion that the hole was used for waste disposal, where discarded tools and broken items were collected.

Elsewhere, a pit about 1.5 meters long and around 1 meter deep was found. It is believed to have been a trap for wild animals such as deer, or possibly for larger mammals such as bears.

To the west of the settlement was a stream, a vital water source.



Clay Figurines

These female figurines (dogu) were fashioned from clay and are noteworthy for their dish-shaped heads and prominent breasts and navels. Most surviving samples have only the torso intact, with the arms and legs having become separated from the body. It is rare to find a figurine that is complete.

The Umataka Jomon people are thought to have used these figurines in rituals. Among other things, they may have prayed for a rich harvest and the safe birth and good health of their future descendants.


Beads and Earrings

Decorative beads and earrings were popular during the Jomon period (15,000–900 BCE). Jadeite was especially favored for pendants. Only a few of these have emerged in excavations so far, so they are extremely valuable.

Clay earrings, inserted directly into holes in the earlobes, were also widespread. Experts believe these items were not only decorative but also played a role in spiritual or religious activities.



Sanjuinaba Site: Clay Mining and Dwellings

Most of the Sanjuinaba dwellings are circular in design. Inside lies a stone-framed fire pit, with a pot in the center.

In the southern part of the settlement, there is a large pit measuring 6 meters long, 4 meters wide, and 3 meters deep. It appears the villagers were digging beneath the topsoil here in search of good-quality clay. This is believed to be a source of the clay to make pottery. Such clay pits are rare for this time period in the area that is now Niigata Prefecture.



Establishment and Spread of Sanjuinaba Pottery

Sanjuinaba pottery derives its name from materials excavated on the Sanjuinaba Site. A hallmark of this kind of pottery is the use of a tool, such as a spatula, to create patterns or pierce holes in the clay. Unlike many other pots of the Jomon period, these often had accompanying lids.

The Sanjuinaba style was particularly popular in the area around the Shinano River and Agano River basins. Together with flame pottery, it reflects the unique prehistoric culture of this part of Niigata Prefecture.


Search