タイトル ハタオリマチ

  • 山梨県
ジャンル:
集落・街 地域の特産物
媒体利用区分:
パンフレット
ワード数:
251-500
作成年度:
2019年
地域協議会名:
一般社団法人富士五湖観光連盟

Hataori Machi: The Weaving City


The city of Fujiyoshida embraces its heritage as a hataori machi, or “weaving city,” having been a center for textile production for over a thousand years. The Engishiki, a tenth-century compilation of laws and rituals, notes that the region had to pay its taxes in silk, as production of rice—the usual tax currency—was difficult given the climate and altitude.


The Edo Boom


The Edo period (1603–1868) brought peace to Japan after centuries of strife, and saw the rise of a prosperous middle class of merchants and artisans in the capital of Edo. This middle class expressed its wealth in extravagant ways, including flamboyant fashions, until sumptuary laws were put into effect in the mid-seventeenth century. While the laws restricted clothing to drab colors like brown and gray, Edo people found a loophole: Linings were not covered by the restrictions. The demand for colorful, elegant linings for garments soared. Fujiyoshida silk was particularly prized for the vivid colors that dyers produced with the pure spring water from Mt. Fuji, and the town’s weaving industry flourished.


Fujiyoshida remained a textile center long after the Edo period was over. From the 1950s to the 1970s, Japan’s “economic miracle” pushed demand to unprecedented levels. This period gave rise to the jocularly named “gachaman prosperity,” with every clack of a loom’s shuttle (gacha) said to bring in another ¥10,000 (ichi-man).


A Brand Powerhouse


Fujiyoshida is making the transition from a respected supplier of raw materials to a consumer brand powerhouse. Many weaving companies hold “open factories” every third Saturday, when visitors can see the looms in action. Collaborations with designers and students have produced a wide range of exclusive local products, from book covers to bedding.


In 2016, the city held the first Hataori Machi Festival. At what has become an annual autumn event, artisans and merchants come together to promote Fujiyoshida textiles through exhibitions, musical performances, and panel discussions with special guests. The main venues are Omuro Sengen-jinja Shrine and Honcho Street, but factories and stores all over the city participate in the event.


機織町:紡織之城


一千多年來,富士吉田市一直是紡織業中心,也是具有紡織傳統的「機織町」(紡織城)。據《延喜式》(編撰於10世紀的法律和儀典規則書籍)記載,因為氣候和海拔的關係,該地區難以種植大米,而當時向土地領主繳納的租稅均為大米,所以富士吉田地區便以絲綢代繳稅金。


江戶時代的繁榮

數百年的戰爭結束後,日本在江戶時代(1603-1868)迎來了長久的和平,首都江戶(現東京)的商人和工匠們逐漸富裕起來,形成了中產階層。他們喜歡穿著華麗的衣服炫耀財富,但在17世紀中期,政府下達禁奢令,規定中產階層只能穿褐色或者灰色等暗色衣服。即使如此,他們還是發現了法律並沒有對內裡進行限制,因此色彩鮮豔且設計優雅的內裡需求大增。染坊師傅用富士山中的清泉染就的富士吉田綢緞,色澤鮮豔,相當受到江戶民眾的喜愛,紡織工業也因此繁榮。

即使在江戶時代結束以後,富士吉田仍然一直是紡織工業的重心。20世紀50年代至70年代,日本迎來了「經濟增長奇跡」時期,市場需求空前高漲。據說當時的紡織機只要「喀嚓」一聲,就可帶來一日元的收入,而「喀嚓萬經濟」一詞也應運而生。


品牌巨擘

後來,富士吉田從公認的原材料供應商,華麗轉身為消費品牌巨擘。很多紡織企業會在每個月的第三個週六舉辦「工廠開放日」活動,來訪者可以在此期間參觀生產中的紡織機器。各家企業還與設計師、學生們合作,研發推出名目繁多的獨家產品,從書套到寢具用品,可說是應有盡有。

2016年,富士吉田市舉辦了首屆「機織町節」。如今,這個活動已成為每年秋季的固定活動,期間會舉行展覽、音樂表演和特邀嘉賓公開座談會等多項活動。透過活動,當地工匠與商人齊心協力,致力為富士吉田的紡織品做宣傳。活動主會場在小室淺間神社和本町大街,富士吉田市的工廠和店鋪均會參加。

机织町:纺织之城


一千多年来,富士吉田市一直是纺织业中心,也是具有纺织传统的“机织町”(纺织城)。据《延喜式》(编撰于10世纪的法律和仪典规定书籍)记载,因为气候和海拔的关系,该地区难以种植大米,而当时向土地领主交纳的租税均为大米,所以富士吉田地区便以丝绸代缴税金。


江户时代的繁荣

数百年的战争结束后,日本在江户时代(1603-1868)迎来和平时期,首都江户(现东京)的商人和工匠们逐渐富裕起来,形成了中产阶层。但在17世纪中期,政府下达禁奢令,禁止穿戴华丽的服饰来炫耀财富,规定中产阶层只能穿茶色或者灰色等暗色衣服。即使如此,中产阶层还是发现了一个漏洞,那就是法律并没有对里衬进行限制,因此色彩鲜艳且设计优雅的里衬需求大增。染色师用富士山中清泉染成的富士吉田绸缎,色泽鲜艳,更是受到江户民众的追捧,纺织工业也因此繁荣。

即使在江户时代结束以后,富士吉田仍然一直是纺织工业的中心。20世纪50年代至70年代,日本迎来了“经济增长奇迹”时期,市场需求空前高涨。据说当时的纺织机只要“咔嚓”一声,就可带来一日元的收入,趣词“咔嚓万经济”也应运而生。


品牌巨擘

后来,富士吉田从公认的原材料供应商,华丽转身为消费品牌巨擘。很多纺织企业会在每个月的第三个周六举办“工厂开放日”活动,来访者可以在此期间参观生产中的纺织机器。各家企业还与设计师和学生合作,研发推出名目繁多的独家产品,从包书皮到床上用品,应有尽有。

2016年,富士吉田市举办了首届“机织町节”。如今,这个活动已成为每年秋季的固定活动,活动中有展览、音乐表演和特邀嘉宾公开座谈会等多种项目。当地工匠与商人也齐心协力通过这些活动项目积极推广富士吉田的纺织品。活动主会场在小室浅间神社和本町大街,富士吉田市的工厂和店铺均会参加。

ハタオリマチ - 織物の町


富士吉田市は、その、1000年を超える織物生産の中心地、ハタオリマチとしての伝統を活用しています。10世紀に編纂された、法律や行事の定めを記載した延喜式では、この地域の気候や高度により、一般的に年貢として納められていた米の生産が難しかったため、税金を絹で支払わなければならなかったことが記載されています。


江戸時代の繁栄


江戸時代 (1603-1868) は、数世紀続いた戦いの後、日本に平和をもたらし、日本の首都、江戸では商人や職人からなる裕福な中産階級が台頭しました。この中産階級は、17世紀中頃に豪奢禁止令が施行されるまで、派手な服装などでその富を贅沢することで表現しようとしました。法律により衣類の色が茶色や灰色のような淡褐色に限定されていましたが、江戸の人々は裏地がその法律で規制されていなかったという抜け道を見つけました。カラフルで、優美な裏地の需要が急上昇しました。富士吉田では染め物師が富士山のきれいな湧水を使って鮮やかな色に染め上げた絹が特に珍重されており、富士吉田の織物産業が繁栄しました。


富士吉田は、江戸時代が終わった後も、長年にわたって繊維製品の中心となっていました。1950年代から1970年代の日本の「奇跡の経済成長」が、需要をかつてないほどに押し上げました。この時代では、織機をガチャっとするだけで1円儲かると言われたガチャマン景気という面白い言葉が生まれました。


大手ブランド


富士吉田は、評判のいい原材料の納入元から大手消費者ブランドとその姿を変えました。織物製造会社の多くは「オープンファクトリー」を毎月第3土曜日に開催しており、ここでは来訪者が稼働中の織機を見学することができます。デザイナーや学生とのコラボレーションが、ブックカバーから寝具までの多様なここでしか手に入らない特産品を生み出しました。


富士吉田市は、2016年には第1回のハタオリマチフェスティバルを開催しました。今では毎秋開催されるようになったこのイベントでは、展示、音楽の演奏や特別ゲストを迎えたパネルディスカッションなどにより職人と商人が協力して富士吉田の織物をプロモーションしています。メイン会場は小室浅間神社と本町通りですが、富士吉田中の工場や店舗がこのイベントに参加しています。


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