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1.津波はどうして起こるの?
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3.どのような津波が起こったの?
4.津波は防げるの?
5.津波の発生を知るにはどうすればいいの?
6.津波から身を守るにはどうすればいいの?
3-1日本沿岸における津波災害 / 3-2津波常襲地帯 / 3-3津波の体験談
3-3津波の体験談
@北海道南西沖地震災害作文集「悲しみをのりこえて」
 北海道奥尻町立青苗小学校より 
 松江地区PTA 安達敏美さんの津波体験記
 あの日の夜は、むし暑かったので、子どもたちに今年初めて 夏用の半柚のパジャマを着せて寝かせました。
 午後十時十七分、二階の寝室で 子どもたちはぐっすり眠っていました。私は、寝いりばなでした。突然の大きな地震に、歩くこともできずに、子どもたちのそばに行くのがやっとでした。
 地震が大きかったので、すぐに津波のことを考えました。
 ゆれがおさまるとすぐに、子どもたちと、隣の奥さんを車に乗せ、山に上る道路をめざして車を走らせました。
 野呂さんの前まで逃げてくると、車の上から波がかぶさってきて、何も見えなくなってしまいました。
 気がついたら、車が海に浮かんでいました。すぐそばに、野呂さんの家の屋根があったので、運転席の窓をなんとか開けて、脱出しました。子どもたちを出そうとしたら、車が縦に沈んでいきましたが、割れた後ろのガラスから、大地と、隣の奥さんが脱出してきたので、屋根に引き上げました。
 梓の名前を呼んだら、はっきりと声が聞こえたので、「何でもいいから、そばにあるのに つかまっていなさい。」と叫びました。真暗で、姿は見えませんでした。
 後から野呂さんたちも上がってきて、六人で屋根の上で助けを待ちました。屋根が流されていくので心細かったです。生コンが近くに見えました。
 近くにいかつけ船が見えたので、みんなで叫びましたが、なかなか気がついてくれません。
 白っぽい板きれを見つけて、みんなで振りながら叫んでいたら、「あそこに人がいる。」と、いかつけ船が助けに来てくれました。
 梓の声は聞こえていましたが、どこにいるのかはわかりませんでした。
 工場の後始末に戻った夫は、胸まで波が来たので裏山に上り、波が引いてから浜の近くを歩いていたら、聞き覚えのある声がしたので、呼んでみると、梓だったそうです。すぐに泳いで助けに行き、抱き上げましたが、次の津波でまたはなればなれになったところにちょうど戸板のようなものが流れてきたので、梓の方に押してやって乗せたそうです。
 浜で見ていた人たちが磯船で助けに来てくれたので次の朝、親子四人、無事を確かめあうことができました。
A南海地震津波体験記「宿命の浅川港」
 海南町役場総務課より
 『生と死のはざまで』 辻肇さんの津波体験記
 五月に中国から復員したばかりで、まだ気も荒かった。「グラグラ」と来たさかい、「地震やな」と思った。その揺れが非常に大きかった。しかし、そういう事にじたばたすれば帝国軍人のこけんにかかわるくらいに思とった。僕は二階で寝よった。上に大きな木を上げてあった。それが落ちてくればどっちに逃げたろと考えながら、どないなるんだろうと様子を見よった。その時はもう停電しとった。
 そうしよると、下で母親が、「津波が来るやらわからん」というふうな事を言いよった。僕は地震が揺りやむんを待って、津波とはどんなもんかと、浜へ潮を見に行った。
 僕らは、小さい頃から、津波が来る時には、一旦、潮が「ザーッ」と干いて、からからになり、今度は怒濤のように押し寄せてくると教え込まれとった。目の前の海は、何分もたっとるのにちっとも干いとらなんだ。じっと見よったら「グッグッグッ」というような音がして、水が浜の方へ盛り上がってきよった。「こりゃ、おかしい」と思って足早で帰った。
 途中、橋の方から二、三人がきよったので、「津波か」と尋ねても返事がなかった。無気味やった。「こら、しまいや」と思って、慌てて二階へ上がって、着替えよる時に、門でザーッという音がした。急いで窓を開けたところ、白いもんがサーッとなっていっきょった。前の道を潮がのっていっきょった。
 びっくりして庭へ降りたらもう水がきとった。なんとか高い所へ、逃げないかん、愛宕山が近いと思って外へ出たらもう膝から上ぐらい潮がきとった。川脇さんの前を大浅さんの前へかけて、ざっと1メートルぐらいの段差ができとった。土手を越した水が、川の方へ勢いよく流れよったさかいそう感じたんかもわからん。
 これでは、愛宕山へはとてもやないけど行けん、観音さんや、と思って慌てて引っ返した。水は段々高うなって、家の前を通り過ぎる時分には胸まできとった。
 前に、提灯を持ったおばあさんが逃げ遅れて、どっちへ行ったらいいかと聞っきょった。僕がおばあさんの方を見た時に、ふっとおばあさんの姿が消えた。
 波は、石部の土手の方から段になって、「ゴォーッ!」と真っ白になっていっきょった。池内の家に母屋が傾いていっきょるし、もう電柱にでも上がらんと仕方がない、あれなら間違いないと 思った。その時はもう。泳んぎょんか歩きょんか分らなんだ。
そしたら、その電柱がふーっと倒れた。こうなったら屋根や、と思ったら、隣の家が傾いて、僕の家がそれに付いて倒れてしもた。僕は、池内さんの屋根へ波の勢いで揚げられた。
 その時、新田さんの方で「おかあちゃんー」と言って泣っきょる声がした。それは、僕の家の裏におったAさんの子供さんで、父親は、遠洋漁業に行って留守で、おかあさんは、こどもを三人連れて逃げたんやけど、大浅さんと新田さんの間に大きな釜があり、その煙突に吸い込まれて、おかあさんとこども二人が亡くなっていたそうだ。小学一年生だったその子は、みかんの木に引っ掛かっていたらしい。
 僕は、その子の所まではって行こうとしたが、すべって水の中へ落ち込んだ。その時、水中で屋根と屋根に顔と手をはさまれて身動きがとれんようになった。何とかして助かりたいと思っても、誰っちゃ助けに来てくれんかった。そしたら頭の中に、走馬燈のように母親や幼い頃の思い出とかが浮かんできた。
 じたばたしてもしょうがないと思ったら、急に心がやすらいできた。あれは意識が薄れていっきょったんやろな。頭をグッと締め付けられた。頭が割れそうで、急に頭が、ふくれあがったような瞬間に、自由がきいた。「ああ助かった。」と思った時なんとも言えん気持ちやった。
 その時、またこどもの声がしよった。長い時間と思とったんも一分かそこらやったんやろな。こどもをかかえて池内さんの屋根へはい上がった。女の子が、「寒いよう」と言って泣くけど、着るもんも無いし、その時、はじめて自分が手を骨折しとんが分かった。
 乗っとる家が川の方へ流れだし、川を伝うて今の、プールがある所(新田付近)で下の柱がつかえたのか止まった。沖へ行っきょんと違う、山の方へ行っきょんやから助かると思った。
女の子が「おんちゃん寒いよ。死んでしまうよ。」と言って泣いた。その子をいじらしいと思いながらも腹がたつし、かわいそうでもあるし、怒ったりおだてたりしよった。
 空が白みかけてきたら、あっちこっちに避難しとった人を、船で弁天さんの下まで運んだりしだした。叫んだけど声が出よらんかったやろな。山から見よった人は、僕らが立てっとったんを思ったらしい。
 しばらくして、助けられたんやけど、弁天さんの下に揚げられた時は、顔をやられとったさかい、はれてしもて、誰か分からんようになっとった。火をたいてくれたが、痛いし、熱くてたまらなんだ。倦怠感があり、今にもスーッと眠っていきそうになった。そしたら「辻よう」と言って遠くで呼んびょるような声がした。
 おかあさんとあばあさんは、僕が戸板に乗せられてきたけん、もう死んだもんと思とったらしい。二人がまたがって助かった屋根の下には、痛ましいことに、Bさん一家四人が天井にへばりついて亡くなっていた。
 自分が実際に体験した事で、自然の威力の恐ろしさを思い知らされた。
 それから後も、グラッとくると、またあんな大きいんがくるんやないかと思てひやっとする。
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