広域にわたる大規模津波による多数の死傷者の発生を回避し、速やかに復旧等を可能とするため、国土交通省では、海岸の防波堤や避難施設の整備等による津波対策を推進している。

宮城県気仙沼市・大谷海岸で進められた大谷地区海岸津波高潮対策事業は、こうした災害への備えと地域の暮らしの継続を両立させる形で進められてきた。

東日本大震災で砂浜の大部分を失った宮城県気仙沼市・大谷海岸。ここで進められた“協創による復旧・復興”は、防潮堤整備と砂浜の確保、国道や背後地の嵩上げを一体で進める取り組みとして展開されてきた。
国、県、市、関係機関、そして地域住民。多様な主体が協議を重ねてきた大谷地区海岸津波高潮対策事業。その歩みと現在の姿を、関係者の声とともにたどっていく。

震災が突きつけた問い――失われた砂浜と地域分断への懸念

大谷海岸は震災前、白砂青松の海岸として知られていた。環境省の「快水浴場百選」にも選定され、JR気仙沼線の大谷海岸駅は「海水浴場に日本一近い駅」として親しまれていた。夏になれば、多くの海水浴客が訪れ、地域を象徴する風景となっていた。

2011年3月の東日本大震災により、その風景は一変した。既存護岸の流失や人工リーフの沈下が発生したほか、砂浜の大部分が消失し、大谷海岸駅や道の駅「大谷海岸」も壊滅的な被害を受けた。復旧に向けて行政より示された当初の復旧案では、防潮堤を海側の砂浜上に設置する計画となっており、砂浜が防潮堤で覆われる構造とされていた。

被災直後の大谷海岸(写真提供:宮城県)
被災直後の大谷海岸
(写真提供:宮城県)

地域からは、「暮らしが消える」「海が見えなくなる」といった不安の声が上がった。長く親しまれてきた景観が変わることへの戸惑いとともに、計画の見直しを求める意見が広がっていった。

国土交通省 東北地方整備局 河川部 河川環境課長 片野 正章氏は当時を振り返り、被災した建設海岸の復興事業に必要な予算の審査や、計画・設計の助言、進捗管理を担う中で、「大谷海岸では復興に向けた合意形成が遅れており、事業の進捗に不安を抱いていた」と述べている。

一方で、津波への対策には迅速な対応が求められるものの、機械的に防潮堤整備を進めるのではなく、環境への配慮や、どのような計画が地元にとって望ましいかを市町村や住民と丁寧に話し合いながら検討するよう助言していたという。

こうした状況のもと、大谷海岸の津波対策に関して国・県・市は、防潮堤の位置や構造をあらためて検討することになった。

地域の安全性の向上と、海とのつながりの維持。その両方を見据えた整備の方向性について、協議が進められていった。

住民とともに描いた復興像――対話と提案による合意形成

震災後、大谷地区ではまず、住民有志が動き始めた。防潮堤に関する勉強会が開かれ、署名活動が行われた。

自治会組織などとも連携しながら議論を重ね、震災前と同程度の砂浜の確保を含む復興計画案が取りまとめられていった。

その流れの中で、2014年に「大谷里海づくり検討委員会」が発足した。若い世代を中心としたこの組織は、署名やアンケート調査、ワークショップの結果を踏まえ、砂浜の確保、陸側から海の見える環境の確保、防潮堤のセットバック、国道45号の原位置での嵩上げ、ベンチ状法面(プロムナード)の整備などを盛り込んだ住民案を大谷地区振興連絡協議会とともに作成し、2015年に気仙沼市に提出した。

当時の状況について、気仙沼市 ガス上下水道部 部長の菅原正浩氏は、最初の住民説明会の後、事業全体に対する嫌悪感が強まり、各事業者への不信も募っていたと振り返る。その影響で、再度の説明会を開催できるような雰囲気ではなく、対話の場を十分に持てない状況が続いていたという。

そのような中で、住民主体のアンケートが実施され、要望書が取りまとめられて市長に提出されたことにより、住民と行政の意見交換の機会が生まれた。

各行政機関と住民の意見交換(写真提供:大谷まちづくり協議会)
各行政機関と住民の意見交換
(写真提供:大谷まちづくり協議会)

その後の協議では、地域側に協議相手を決めてもらい、各要望の優先順位や整備の具体的なイメージ、整備後の運営体制などについて、一つひとつ意見を交わしていった。

菅原氏は、住民の意見を謙虚に聞き、その思いを具現化するために粘り強く協議を続けてきたという。また、現行制度の課題点についても率直に伝えながら進めたことが、住民と行政を対立構造ではなく、復興をともに進めるパートナーとして位置づけることにつながったと振り返る。

一方で、市は背後地のまちづくり事業が主体であり、防潮堤などの大規模事業は国や県が担っていた。このため、国・県と住民との調整役を担うことになった。

現行制度の解釈について国や県と議論を行う場面もあり、復興庁の呼びかけで設置された「大谷海岸関係者会議」が、行政側の意見交換の場として機能した。

菅原氏は、この会議体の設置が、複数の事業が重なる大谷地区において課題を乗り越えるための推進力の一つになったと述べている。

東北地方整備局 片野氏は、こうした経緯について、当初、大谷海岸の住民が求めた国道の嵩上げや砂浜の確保など、海岸の復旧・復興事業だけで実施するには、事業の範囲や内容、予算の適用といった既存の枠組みでは実現が難しい面があったと説明。

一方で、関係者会議の中で全体像を共有したうえで、各機関の役割分担や検討期限を定めるなど、着地点を見据えてスピード感を持った事業監理を行ったことで、「合意形成に向けて進み始めたように感じた」と語る。

2016年には住民案を踏まえた計画について合意が得られ、2017年11月から本格的な工事が始まった。

複数の対策を組み合わせた整備――防潮堤・国道・宅地の一体的な構成

大谷地区海岸津波高潮対策事業では、防潮堤の計画高TP+9.8m、国道45号および背後地の嵩上げ、砂浜面積2.8ha以上の確保が柱とされた。一定の砂浜幅は確保しつつ、防潮堤と国道、背後地に整備される道の駅の高さを揃えることで、津波に対する保全機能を確保しつつ、生活空間や地域活性施設との一体的な整備が図られた。

大谷海岸イメージパース
大谷海岸イメージパース
道の駅「大谷海岸」イメージパース
道の駅「大谷海岸」イメージパース

当初、砂浜幅(約40〜50m)の確保が地元要望として示されていた。宮城県 土木部 副部長 鈴木 善友氏は、「内陸側に国道45号の高台、残存家屋、遺跡などの制約がある中で、防潮堤と道路線形のレイアウトや最終配置を限られた範囲で検討することが難しかった」と振り返る。

国道45号は全面通行止めにできないため、狭い幅の中で仮設道路を設けるなど、施工時の交通確保や工程調整にも工夫が必要だった。地盤については液状化の懸念があったことから、L2地震の変形量解析を行い、安全性を確認している。

防潮堤のブロック形状は、海岸への動線を確保するための階段タイプ以外にも海岸利用者の用途に合わせて、腰かけることができるベンチタイプや幅広タイプも採用し、親水性を確保するための工夫をした。

防潮堤には手すりのほか、地域の歴史を描いたレリーフが設置されている。海岸を訪れた人が歩きながら、地域の歩みを知ることができる空間としても活用されている。

大谷海岸近景(写真提供:大谷まちづくり協議会)
大谷海岸近景
(写真提供:大谷まちづくり協議会)
大谷海岸近景(写真提供:大谷まちづくり協議会)
大谷海岸近景
(写真提供:大谷まちづくり協議会)